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王様の告白

伊豆の夜はどこまでも静かだった。

露天風呂から立ち上る湯気の向こうで、月が俺たち二人を静かに見下ろしている。


「…話さなきゃいけないこと?」


楓が俺の腕の中で不思議そうな顔をして小さく聞き返した。

その曇りのない瞳を見ていると、俺の決意が鈍りそうになる。


だが、もう引き返すことはできない。


「ああ」


俺は一度深く息を吸い込んだ。


「楓さん。俺はお前にずっと嘘をついていた」


「…嘘?」


「俺の仕事は自由業なんかじゃない。俺が本当は何者なのか。今から全てを話す」


俺はゆっくりと語り始めた。

27歳のあの日、6億円の宝くじが当たったことから。

その金を元手に仮想通貨で1000億円という天文学的な資産を築いたこと。

六本木の夜の王として君臨し銀座の店を支配し、Jリーグのチームまで個人で所有していること。


そしてこの伊豆の旅館も俺が買い取った俺だけの城であるということを。


俺が話している間、楓は一言も声を発さなかった。

ただ、じっと俺の目を見つめて俺の言葉の一つ一つに耳を傾けていた。


全てを話し終えた時、俺たちの間には長い長い沈黙が流れた。

俺は楓の反応が怖くて、彼女の顔をまともに見ることができなかった。

きっと、彼女は軽蔑しているだろう。

怒っているだろう。

あるいは、恐怖を感じて俺の前から逃げ出してしまうかもしれない。


俺は全てを失う覚悟をしていた。


やがて楓が静かに口を開いた。


「…そうだったんですね」


その声は俺が想像していたどんな声とも違っていた。

驚くほど穏やかで静かな声だった。


「大変だったんですね。拓也さん」


「…え?」


俺は思わず顔を上げた。

楓は、泣いても、怒っても、怯えてもいなかった。

ただ、少しだけ悲しそうな顔で俺を見つめているだけだった。


「驚かないのか?」


俺がそう言うと、楓は静かに首を横に振った。


「薄々、気づいていましたから」


「…気づいてた?」


「はい。拓也さんがただの普通の人ではないことくらい。時々見せるすごく遠い目をしている時。世界中の全てを知っているような寂しそうな顔をするから」


彼女は俺の頬にそっと手を伸ばした。


「私が聞きたいのは、一つだけです」


彼女のまっすぐな瞳が俺の心の奥まで見透かしてくるようだった。


「あなたが今まで私に見せてくれていた笑顔は本物でしたか?

神保町のカフェでコーヒーを飲みながらくだらない話をして笑っていた、あの時間は本当でしたか?」


彼女が求めたのは俺の資産でも地位でもない。

ただ、俺という人間の心だった。


その瞬間、俺の目から何かがとめどなく溢れ出してきた。

それは俺が27歳で億り人になってから一度も流したことのなかった本物の涙だった。

俺は子供のように声を上げて泣いていた。

楓は何も言わずにそんな俺の背中を優しく何度も撫でてくれていた。


どれくらいの時間が経ったのだろうか。

ようやく泣き止んだ俺に、楓はいつものようにふわりと微笑んだ。


「おかえりなさい、拓也さん。…ずっと待っていましたよ」


俺は気づいた。

俺がずっと求めていたものは、金でも、名声でも、勝利でもなかった。

ただ、このありのままの俺を全て受け入れてくれるたった一つの温かい場所。それだけだったのだと。


俺は楓を力強く抱きしめた。

もう二度とこの手を離さないと心に誓って。


その夜、俺の長い長い二重生活はようやく終わりを告げた。

そして、本当の人生がここから始まるのだ。


2030年、冬。

王様はようやく本当の宝物を手に入れた。

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