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二つの顔

Jリーグ優勝の熱狂から数週間が過ぎた。

俺は38歳になっていた。

27歳で6億円を手にしてから、11年。

長いようであっという間の時間だった。


その間、俺はありとあらゆるものを手に入れてきた。

金、名声、女、そして人の夢さえも買う力。


だが楓からのたった一通のメッセージ。

『私も嬉しくなりました』

その言葉が、俺の築き上げてきた全ての価値観を揺さぶっていた。


俺は神様なんかじゃない。

ただ楓に「すごい」と思ってほしい一人の男でしかないのかもしれない。

そんな青臭い感傷に柄にもなく浸っていた。


その日俺は久しぶりに楓の店を訪れた。

彼女は32歳になっていた。

出会った頃の若々しさに、大人の女性としての落ち着きが加わりさらに魅力的になっていた。


「いらっしゃいませ、拓也さん」


楓はいつもと同じ穏やかな笑顔で俺を迎える。

この笑顔を守るためなら俺はどんなものさえ捨てられるかもしれない。

そんなことさえ考えてしまう。


俺たちはいつものように他愛もない話をした。

だが、今日の俺は少しだけ違った。

俺は自分の「王様」としての世界のことをほんの少しだけ彼女に話してみることにした。


「最近、少しだけサッカーの仕事に関わっていてな」


「え、そうなんですか?」


楓が意外そうな顔で目を丸くする。


「ああ。地元の小さなチームなんだけどな。少しだけ手伝ってるんだ」


もちろん俺がそのチームのオーナーであることは言わない。

ただ、彼女のいる昼の世界と俺のいる夜の世界を少しだけ繋げてみたかった。


「すごいじゃないですか!私、サッカーは詳しくないですけど、地元のチームが強くなるのは嬉しいです」


楓は心からそう言ってくれた。

その言葉がどんな賞賛よりも俺の胸に響いた。


俺は意を決して彼女を誘った。


「もし、よかったら…。今度、そのチームの試合一緒に見に行かないか?」


「いいんですか?」


「もちろん。関係者席、用意できるから」


「わあ、嬉しいです!行きたいです!」


楓は子供のようにはしゃいだ。

その笑顔を見ているだけで俺の心は温かい何かで満たされていく。


数日後。

俺は楓を連れてスタジアムのVIPルームにいた。

陽介や健司ももちろん一緒だ。


「よお、楓さん!拓也がいつもお世話になってます!」


陽介が、気さくに話しかける。


「拓也から、いつも話は聞いてるぜ。神保町で、すげえ美味いコーヒー淹れてくれる子がいるってな」


健司も人の良さそうな笑顔で楓に挨拶をした。

楓は少しだけ緊張しながらもすぐに二人と打ち解けていった。


その日の試合も俺のチームは圧倒的な強さで勝利した。

試合後、俺たちは誰もいないピッチの上を特別に歩かせてもらった。


「すごい…。こんなところに立てるなんて…」


楓は広大なピッチと巨大な観客席を見上げて感動していた。

そんな彼女の横顔を俺は愛おしい気持ちで見つめていた。


その時だった。

陽介が俺の耳元で悪戯っぽく囁いた。


「おい、拓也。どうすんだよ、楓さんに。もう5年以上だろ?」


「…うるせえな」


「いつまでも正体を隠したまま付き合うわけにもいかねえだろ。あんないい子、他の男に取られちまうぞ」


陽介の言葉が俺の胸に突き刺さる。

分かっている。

俺が一番分かっているんだ。

このままではいけない、ということを。


俺は楓の隣に歩み寄った。

そして、彼女の華奢な手をそっと握った。

楓は驚いたように俺の顔を見たが、その手を振り払うことはしなかった。


俺は覚悟を決めなければならない。

このかけがえのない宝物を本当に手に入れるための最後の告白をする覚悟を。

その日はもうすぐそこまで来ているのかもしれない。

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