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億り人の遊び方

健司が涙を拭い、ようやく落ち着きを取り戻した頃には、タクシーは都心へと向かっていた。

高速道路の窓から見える景色が、埼玉のそれから、次第に東京のそれへと変わっていく。


「マジで行くのか。六本木」


助手席に座った健司が、まだ信じられないという顔で呟いた。


「当たり前だろ。祝勝会だって言っただろ」


「いや、でもよ…。六本木なんて、俺たちが行くような場所じゃ…」


「金ならある」


俺がそう言うと、健司は黙り込んだ。

その短い言葉に、全てを納得させるだけの力が宿っていることを健司はもう理解している。


グループLINEでは、もう一人の友人、陽介が狂ったようにメッセージを連投していた。


『マジで六本木!?』

『俺の人生初六本木なんだが!』

『拓也様!一生ついていきます!』


現金なやつだ。

だが、それが陽介の良いところでもある。


俺たちは六本木駅で陽介と合流した。


「拓也あああああ!」


陽介は、まるで10年ぶりに再会した親友にするかのように、俺に抱きついてきた。


「お前、マジの億り人じゃねえか!

もう拓也じゃねえ!拓也さんだ!」


「やめろよ、気持ち悪い」


「なあ、健司も借金返してもらったんだって?俺も借金しようかなあ!」


「お前は黙ってろ」


健司が陽介の頭を軽くはたく。

いつもの、くだらないやり取り。

でも、ほんの数時間前までとは明らかに何かが違っていた。

彼らの目に浮かぶ、俺への遠慮と隠しきれない期待。

そして俺の中にある、全てをどうにかできるという絶対的な自信。


金は、人間関係を変える。

それを、俺は身をもって知った。


「よし、じゃあ店行くか」


「どんな店なんだよ!?」


「知らん。ネットで一番上に出てきた、一番高そうな店だ」


俺たちは、きらびやかなネオンが溢れる六本木の夜の街を歩き始めた。

すれ違う誰もが、俺たちとは違う世界の住人に見えた。

高級そうなスーツを着こなした男たち。

派手なドレスを身にまとった、息を呑むような美女たち。


数時間前まで、俺もあの男たちと同じように明日の仕事に怯える社畜だった。

だが、今は違う。

俺は、この街の王にだってなれる。


俺たちは、あるビルの前で足を止めた。


「Club Z」と記載されている建物。


黒服の男が、入り口に仁王立ちしている。

明らかに、俺たちが今まで入ったことのある居酒屋とは格が違った。


「…マジで、ここ入るのか?」


健司がゴクリと喉を鳴らす。

陽介でさえ、さっきまでのはしゃぎっぷりが嘘のように黙り込んでいる。


俺は二人の背中を押し、黒服の男に向かって言った。


「予約してないんだけど、3人いける?」


黒服の男は、俺たちのラフな服装を一瞥すると、一瞬だけ面倒くさそうな顔をした。

だが、俺はもうそんな視線に怯える佐藤拓也じゃない。


俺は財布から、分厚い札束を取り出した。

現金で下ろしてきた、1000万円の塊だ。

そのうちの10万円を抜き取り、黒服の男の胸ポケットにねじ込んだ。


「これで、席、作れるだろ?」


黒服の男は、一瞬だけ目を見開いた。

そして次の瞬間、完璧な笑顔を作ると深々と頭を下げた。


「お客様。もちろん、ご用意させていただきます」


通されたのは、赤いベルベットのソファが置かれた豪華なボックス席だった。

分厚い絨毯が、足音を全て吸い込んでしまう。

きらびやかなシャンデリアの下で、大勢の美女たちが客の隣で微笑んでいた。


「……すげえ」


陽介が、子供のように目を輝かせている。

健司は、落ち着かない様子で何度もネクタイを締め直していた。


すぐに、黒服がメニューを持ってきた。

そこに書かれた金額を見て、俺は思わず笑ってしまった。

ボトルキープの欄には、ゼロが6個も7個も並んでいる。

昔の俺なら、生涯かかっても飲めない酒だ。


「とりあえず、ビールでいいか?」


俺が言うと、すぐに三つのグラスが運ばれてきた。

薄いガラスの、上品なグラスだ。


乾杯をすると、すぐに二人の女性が俺たちの席に着いた。


「はじめまして。ミナです」


「リナです。よろしくおねがいします」


テレビの中でしか見たことのないような、完璧な美女たちだった。

陽介は、鼻の下を伸ばしてデレデレしている。

健司は、緊張でガチガチだ。


「お客様、初めてでいらっしゃいますか?」


ミナと名乗った女性が、俺に微笑みかけた。

透き通るような、綺麗な声だった。


「ああ。見ての通り、ただのサラリーマンだよ」


「ふふっ、ご冗談を。こんなお店にいらっしゃるんですもの」


彼女たちの笑顔は、完璧な営業スマイルだ。

俺たちが、どれだけ金を使える客なのか、探っているのがわかる。


30分ほど、当たり障りのない話をした。

仕事のこと、趣味のこと。

俺は、もう存在しない「会社員」という仮面を被って、適当に話を合わせた。


やがて、ミナがそっと俺に耳打ちした。


「あちらのお客様が、ドンペリを入れられたみたいです」


彼女の視線の先では、別の席の男が、ささやかなシャンパンコールと共に景気良くボトルを開けていた。

それでも店内は少し盛り上がる。


「いいなあ。俺も、あんなのやってみてえ」


陽介が、羨ましそうに呟いた。

その様子を見て、俺は黒服を呼んだ。


「この店で、今一番景気の良い酒って、何?」


俺の問いに、黒服は待っていましたとばかりに答える。


「でしたら、アルマン・ド・ブリニャックなどはいかがでしょうか。ゴールドでしたら今すぐご用意できますが」


「ああ、アルマンドか。金色だけじゃつまらないな。三色あるだろ、あれ全部持ってきてくれ」


俺がそう言った瞬間、場の空気がわずかに凍った。

黒服の完璧な笑顔が、一瞬だけ固まる。

ミナとリナが、信じられないという顔で俺と黒服を交互に見ていた。


「……お客様。ゴールド、ロゼ、ブリュットの三本、ということでよろしいでしょうか」


「ああ、それで頼む」


黒服の背筋が、ピンと伸びた。

さっきまでの丁寧だが事務的だった態度が、深い畏敬の念を込めたものに変わる。


「かしこまりました!ただ今、最高のものをご用意いたします!」


黒服が、弾かれたように去っていく。


「おい、拓也!」


健司が、悲鳴のような小声で俺の腕を掴んだ。


「アルマンドって、一本20万とかだろ!?三本ってことは…60万以上するぞ!」


「いいんだよ。今日の主役は、お前なんだから」


俺がそう言うと、健司は何か言いたそうに口を開き、そして黙った。


やがて、店内健司GMのボリュームが上がり、店の奥から、ゴールド、ピンク、シルバーに輝く三本のボトルが、大勢の黒服に囲まれて運ばれてきた。

店の女の子たちが、一斉に手拍子を始める。


「「「アルマンド信号機入りましたー!!」」」


さっきのドンペリとは比較にならない、盛大なシャンパンコール。

店中の視線が、俺たちのテーブルに突き刺さる。

その中心で、俺は静かに笑っていた。


ミナが、慣れた手つきで、黄金色の液体をグラスに注いでくれる。

その時、彼女が俺に向けていた笑顔はもう完璧な営業スマイルなどではなかった。

驚きと、好奇心と、そしてほんの少しの戸惑いが混じった、人間味のある最高に魅力的な笑顔だった。

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