第10話 お別れの時
いつかは来る大切な人達とのお別れ。
しかし、トゥルーデにとっては、それはあまりにも突然でした。
サイラスとセシリアが亡くなって、トゥルーデを含む人々が悲しむ中で、葬儀は行われます。
キルス夫妻が殺害されたあの事件から、数日が過ぎた。
最初は街中で騒がれたが、現在は別の事件が話題になっている。
何と、リリディア・キルスが脱獄したのだ。
リリディアが収監されていた刑務所は、ピースゲート刑務所。
デスタウン北部にある、地獄のような刑務所だ。
闇の神が封印されているというドゥールー山を中心とした山々に囲まれており、天然の監獄になっている。
刑務所の敷地から上手く逃げられたとしても、その先では、遭難するか、毒蛇に咬まれて死ぬかのどちらかしかない。
更に、その山々には謎多きエネルギー資源『聖鉱石』が眠っているため、囚人達はドゥールー山を除く山々での採掘作業に駆り出され、ほぼ毎日強制労働をさせられている。
だが、ここも警察署に負けず劣らずの腐敗ぶりで、賄賂や、囚人と看守の取引、賭博などが当たり前のように黙認されている。
その腐敗を脱獄に利用されてしまったようだ。
リリディアは賭博で得た金で一部の看守を買収し、事前に掘り進めていたトンネルから逃げたのである。
ジョシュアの次に強い特殊能力者の囚人が、外の世界へ飛び出した。
そのことにほとんどの市民が恐怖し、騒いでいるという訳だ。
しかし、ソドム区ではそのような騒ぎは少ししかなかった。
何故なら、この日は殺害されたキルス夫妻の葬儀が行われるためである。
キルス家をはじめとしたキルス教徒はリリディアの脱獄には驚きつつも、まずは予定通りにキルス夫妻を送り出すことを優先したのだ。
リリディアの脱獄が知らされてから1時間後。
キルス教の自警団や、キルス教の影響下にある便利屋が厳重な警備をする中で、ソドム区の中心にある『ロン大聖堂』では、予定通りサイラスとセシリアの葬儀が行われた。
「光の神リベルル様。どうか、我々の家族が天の国へ旅立つことをお許し下さい。この2人、サイラス・キルスとセシリア・キルスは、家族のため、人々のために尽くしてきました。未来を照らす光の道を歩んだのです。彼らほど善良な人間の魂が天の国に入ることに、何の問題があるでしょう」
いつものシルクハットを被っていないジョシュアが、列席者や参列者の前でお祈りを捧げている。
ジョシュアの背後には、キルス教とキルス家の共通の紋章が表現されたステンドグラスがあり、そこから光が差し込んでいた。
「K」のイニシャルが入った楕円から13本の光線が下へ伸びる、『光の雨』。まさに今の光景と同じだ。
そして、サイラスとセシリアの遺体は棺に納められ、花畑で眠っているかのようにたくさんの鮮やかな花に囲まれていた。
そのためか、顔は穏やかに見える。
「さあ、皆さんも祈りましょう。2人が無事に天の国へ旅立つことができますように。リベルル様がそれをお許しになりますように」
お祈りの最後にジョシュアが呼びかけると、列席者や参列者達は応じて復唱した。
「2人が無事に天の国へ旅立つことができますように。リベルル様がそれをお許しになりますように」
復唱した遺族の中には、トゥルーデもいた。
幼い彼女には両親の葬儀は辛いと考える者もいたが、本人が強く希望したため、列席することができた。
復唱でお祈りが終わると、隣にいるヨハンナがトゥルーデにきいた。
「トゥルーデ、大丈夫?休む?」
「だいじょうぶ!」
トゥルーデはそう言って、首を振った。
すると、後ろから声が聞こえた。
「無理しちゃいけないよ、トゥルーデ」
振り向くと、そこには曽祖母のレイラ・キルスがいた。
ジョシュアとサイモンの母であり、ひ孫にあたるトゥルーデのことを常に心配している。
「だいじょうぶだってば!」
「そうかい?でも、具合が悪い、辛いってなったら、すぐ言うんだよ?ひいおばあちゃんは、トゥルーデにまで何かあったら、生きていられないんだ」
「しんじゃ、いや!」
「なら、無理しないでな。大丈夫。父さんと母さんも、トゥルーデが自分達の葬儀に来てくれただけで喜んでくれているさ」
レイラはかすれた声でトゥルーデに言った。
昔その美しさで有名だった彼女の黒髪は、今はほとんど白くなっている上に、顔もやつれてしまっている。
短い間に息子夫婦と孫夫婦が次々と亡くなったことが大きなストレスになったのだ。
トゥルーデはコクリとうなずいた。
「わかった」
「良し。トゥルーデは良い子だねぇ」
レイラは微笑むと、トゥルーデの頭をなでた。
お祈りに続き、黙祷が行われた後、葬儀の最後に献花が行われた。
キルス家の大人達や一般のキルス教徒はもちろん、何とキルス夫妻の部下だった一部のドゥールー教徒まで献花台に花束を捧げた。
ドゥールー教徒がロン大聖堂に来ることに複雑な気持ちになる者も少なくなかったが、彼らもキルス夫妻を慕っていたことを知らされたため、不快感を態度に出す者はいなかった。
しばらくして、トゥルーデとヨハンナの番が来た。
「トゥルーデ、行こうか」
「うん」
トゥルーデは花を持って、ヨハンナと一緒に献花台の前に進んだ。
トゥルーデとヨハンナはジョシュアに一礼し、キルス夫妻の遺影が並ぶ祭壇にも一礼すると、静かに献花した。
花を捧げた直後、トゥルーデの目には涙があふれた。
「う、うう・・・・・・!」
2人の遺体を再び近くで見て、涙が止まらなくなった。
やはり、辛い。辛くない訳がない。
しかし、泣き叫ぶようなことはしなかった。
愛する両親が天国へ安心して旅立つことができるように、きちんと見送ると決めたのだ。
涙が出ても、叫ぶものか。
彼女は必死に我慢して、涙を拭った。
そして、小さな声でお別れの挨拶をした。
「またね。とうさん・・・・・・!かあさん・・・・・・!」
返事は返ってこない。
だが、彼女の声はきっと届いているはずだ。
あのサイラスとセシリアが、トゥルーデの声を聞き逃す訳がないのだから。
◆
葬儀が終わると、サイラスとセシリアの柩はデスタウン東部のリベール山にある『リベール山墓地』へ運ばれていった。
大聖堂にいた人々もほとんどがそれに続いて移動する中で、ジョシュアだけは少し残って献花台を眺めた。
100名以上の人々から花を捧げられ、その中には愛娘からの花もある。
サイラスとセシリアは今頃喜んでいるはずだ。
「少しは良い送り出し方ができたかな?」
ジョシュアはつぶやいた。
その時、ある花束が目に留まった。
向日葵の花束で、添えられているメッセージカードには力強い文字でメッセージが書かれている。
開花の時期が過ぎて手に入りにくくなっているにも関わらず、わざわざキルス夫妻の未来への「情熱」を表現するために向日葵を選ぶセンス。
そして、見覚えのあるこの筆跡。
ジョシュアはまさかと思い、献花台に歩み寄った。
その花束のメッセージカードをよく見てみると、一番最後に自分のよく知る人物の名前がサインされていた。
「当たってしまったか」
ジョシュアはため息をつき、首を振った。
◆
リベール山墓地に集まったトゥルーデ達だったが、埋葬の予定時間ギリギリになっても、ジョシュアが来ない。
墓地では、「何かトラブルに巻き込まれたのではないか?」と囁き合う者達もいた。
それを聞いて、ヨハンナはつぶやいた。
「ジョシュアさん、何かあったのかな?」
この日のために街の権力者達と交渉してサイラスとセシリアの遺体を引き取り、準備を進めてきたのはジョシュアだと聞いていた。
家族のために最善を尽くす。
ジョシュアの姿勢はキルス教徒ではないヨハンナも尊敬できるところだ。
そんな彼が何かトラブルに巻き込まれたのではないかという話を聞くと心配になってしまう。
その時、トゥルーデがヨハンナの袖を引っ張ってきいてきた。
「ヨハンナねえさん。ジョシュアおおおじさん、ぶじ?」
ヨハンナはトゥルーデを心配させてはいけないと思い、笑顔を作った。
「きっと無事だよ。だって、ジョシュアさんは最強だもん」
「そっか。・・・・・・そうだよね」
トゥルーデも笑顔を浮かべてうなずいた。
その直後、ミハイルが山を登って、墓地に集まる人々に知らせた。
「お待たせ致しました。もうすぐ聖主様が到着されます」
『聖主』とは、キルス教のトップ。つまり、ジョシュアのことだ。
トゥルーデとヨハンナを含めた人々は胸をなで下ろした。
トラブルに巻き込まれた訳ではなさそうだ。
◆
しばらくしてジョシュアが到着し、予定通りに埋葬が始まった。
「1897年7月12日の神聖な日。我が祖父ロン・キルスが光の神リベルル様から啓示を受けたのがこの山です。この神聖な山に遺体は埋葬され、魂が旅立った後も守られ続けます・・・・・・」
ジョシュアがお祈りを捧げる間、トゥルーデ達は黙祷を捧げた。
ヨハンナはふと目を開けて、トゥルーデの方を見た。
トゥルーデは献花の際に涙を流していたが、この時にはもう涙を見せず、ただ静かにお祈りをしていた。
その表情には迷いはなく、決意を固めているようだった。
また、彼女に着せてあげた喪服に虫がくっついても気づいていないので、とても集中しているのがわかる。
ヨハンナは虫を取ってあげたかったが、妹夫婦の埋葬がまだ終わっていないため、我慢して再び目を閉じた。
セシリア達の埋葬が先だ。
埋葬が終わると、ヨハンナは目を開けた。
既にトゥルーデの喪服に虫はついておらず、どこかへ行っていた。
ヨハンナは息をついた。
そして、埋葬が終わって会食のために大聖堂へ戻る時間になったため、トゥルーデに声をかけようとしたが、その時、ジョシュアに呼ばれてしまった。
ヨハンナは近くにいたレイラにトゥルーデを見てもらうようにお願いし、ジョシュアに駆け寄った。
「どうしました?ジョシュアさん」
「・・・・・・ヨハンナ。前に刑務所に面会に行ったな?」
「え?ええ。いつも通り、リリディア・・・・・・さんとお話させていただきました」
ヨハンナは、4年前にサイラスとセシリアに紹介される形でリリディアと知り合った。
第一印象はあまり良くなかったので最初はキルス夫妻が一緒でなければ会うことはなかったが、回数を重ねる内に彼と気が合うことに気づき、彼とも仲良くするようになった。
リリディアが収監されて以降も、リリディアとの関係は良好で、時々面会に行っていた。
リリディアの脱獄の数日前にも、面会に行っていた位だ。
「まあ、脱獄するとは思いませんでしたが。それが、どうかしました?」
「実は、献花台の花束の中に、リリディアからのものがあったのだ」
「え!?紛れ込んだってことですか?あんなに厳重な警備なのに」
「上手く変装して入ったようだ。リリディアの仲間に変装が得意な子がいたから、その子から習ったんだろう。一緒にサイラスとセシリアを送り出すために。ヨハンナ、何か教えたか?」
「2人の葬儀のことを、少し。昔から仲良しだったようなので」
「そうか・・・・・・。まあ、良い。とりあえず、あの幼なじみの傭兵君を護衛にしてしっかり警戒しておきなさい」
「え?でも――」
「リリディアは葬儀に出た後も、刑務所に戻るつもりはない。それがどういう意味か考えなさい」
ジョシュアはそう言うと、背を向けてミハイルと先に山を下りてしまった。
ヨハンナは彼の言葉の意味を考えたが、ふとあの女の名前が頭をよぎった。
――ルシファー。
あの悪魔が暗躍しているから、特定の場所に閉じ込められたくないのか。
それに気づいた時、背筋に悪寒が走った。
トゥルーデを守るために、自分も最善を尽くさなければ。
次回は事件から約2年後の1994年のお話です。
混乱してしまわないよう、お気をつけください。