私の呪いを解いたのは
子どもの頃から、なにか辛いことがあると母はすぐに言った。
「もっと大変な人がこの世の中にはいるんだから」
そっか、そんなものかと思っていた。
そうやって私は育った。
まるで、呪いみたいな言葉だった。
本当は、泣きたいときとか、悔しいときとか、痛いときとか、悲しいときとか。
そういうときに、ちゃんと話を聞いて欲しいだけだったのに。
もちろん、私がつわりで苦しんでいるときにも、
「もっと酷い病気で苦しんでる人だっているんだから、それくらい我慢しなきゃ」
母は言った。
違う、違う、違う。
だけど、いつものことだと私は受け流すことにしていた。
反論しても面倒なだけだ。
◇ ◇ ◇
そして今、
「うう、痛」
足が痛くて私は座り込んでしまった。すると、
「おかあさん! だいじょうぶ?」
まだ四歳になったばかりの私の娘が、すぐに駆け寄ってくる。
「ありがとう。すぐ治るから」
私は微笑んでみせる。
娘が心配してくれるのは嬉しい。
だけど、
「大丈夫? 昨日ひねったって言ってたところ? でも、骨折とかじゃないんでしょう? 何ヶ月も歩けなくなっちゃう人もいるんだから、もっと大変な人と比べたらいい方だと思わなきゃね」
母が私に言った。
今、実家に娘と二人で来ていたところだ。前からの約束だったし、娘もおばあちゃんに会いたいと言っていたから来てしまったけれど、今日はやめておけばよかった。
母にいつもの言葉を言われると、よけいに痛みが酷くなる気がする。それに、実は結構痛いところを無理して来た。
それなのに、だ。
「そうだね」
私はもう諦めたように返事をした。
心配してくれているんだかなんだかわからない母の言葉にはもう慣れているはずなのに、言われるとやっぱり疲れる。
なんでわざわざ人と比べなければいけないんだろう。
ただ心配してくれたなら、素直に受け取れるのに。
「ね、おかあさん。ほんとうにだいじょうぶ?」
娘が私を心配そうにじっと見ている。
「うん。心配掛けてごめんね」
弱々しく言うと、娘はキッと私の母を見た。
「おばあちゃん。もっとたいへんってなに? おかあさんはたいへんなの! いたいいたいなの!」
娘は母にそれだけ言って、うずくまっている私の頭をよしよしした。
母の顔を見ると、ぽかんと口を開けていた。
私はと言うと、ちょっと笑いをこらえるのが大変だった。
ずっと言いたかったことを娘がたどたどしい言葉で言ってくれた。
あの母に育てられた私が育てた娘が、代わりに言いたいことを言ってくれるなんて。
そう。他の誰かは関係ない。どこかに私よりもずっと大変な人がいるのはわかっている。私がこの世界で一番不幸とか、そんなことは思わない。足ひねったくらいすぐ治るんだから、と言いたいのもわかる。
だけど、みんなそれぞれに大変なんだから、比べることなんて出来るはずなんか無い。
他にも大変な人がいるから我慢しなさいなんて変じゃない!?
私は今、痛いんだから!
そんなときにわざわざ他人のことなんか言わなくてもいい!
私は、ずっと母にそう言いたかった。
ただ、大丈夫? と声を掛けて欲しかった。
本当にそれだけだった。
「ありがとうね」
まだ足はずきずきするけれど、私は娘に微笑みかける。
何度も母の呪いみたいな言葉を娘に掛けそうになったことはある。だけど、娘には私みたいな思いをして欲しくなくて、がんばって飲み込んできた。
「よしよし」
今度は私の足をさすってくれている娘を見て私は思う。
いい子に育ってくれてありがとう、と。
この子は、私の母に呪いを掛けられることはきっと無い。
そして、もう、私も。