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彼岸の華

作者: 白田マコ

赤い華が咲きました

彼岸の華が咲きました

はてさてあなたの寝姿は

どこにありやう土の下



【彼岸の華】



涼やかな風が物寂しく感じ始める秋の頃。川べりに群がり咲くそれはまるで人を送る火葬の炎のようにも見える。

その名の通り、彼岸の頃に咲く緋色の花。燃え盛る炎のように重なる花蓋に、その根には毒を含む。

天界にありて菩薩の華。俗界にありて鬼の花。

死者の帰還する一時に咲き誇るそれを、見やる人の心は果たして。果たして。


「弥七、やしち!」


―――――その華の咲き乱れる中で、一人男の名を呼ぶ娘がいた。

粗末な小豆色の小袖に、細い髪。どこか頼りなげな瞳の娘の名を、ちや(・・)という。

ちやが呼んでいるのは、彼女の良人の名だった。


弥七。愚鈍とも取れるほど純朴な男で、ちやとは夫婦(めおと)になってまだ二年にならない。

それでも、閉鎖的な村の中で共に育って十数年。さほど長くない人生の中でも、顔を合わせない日はないほど近くで生きてきた二人である。そんな訳で、夫婦になって日は浅いとはいえ、ちやは弥七のことで知らないことはないも同然だった。

例えば、こんな彼岸花の咲く頃、弥七はどこで何をしているのか。

ちやは知っている。いつもいつも、弥七はこの赤い華に隠れて眠っているのだ。



弥七は変わった男だった。美しい、だがどこか恐ろしげな印象をもつその華を、弥七は何より愛でた。

『彼岸花には毒がある』。一度、ちやが腹立ちまぎれに言い捨てたときも、弥七は笑いながら言った。

『なに、毒があるのは根の部分だけよ。食い意地に華を引っこ抜き、根を喰った奴だけが、彼岸の毒に当たるのだ。』

荒れた几帳面な指を持つ弥七の生業は薬売りだった。山間を歩き回る行者から薬草を仕入れ、ついでに知識も仕入れたらしい。弥七の薬に関する知識は薬師(くすし)顔負けだった。おかげで、月に一回ほど下の街に行商に行く際も、弥七が薬を売り残してきたことは、無い。

ときたま稼ぎが合わないときもあるが、そのことはちやももう諦めた。大方貧しい者に泣き付かれて、タダで薬をくれてしまったのだろう。



――――…さて。

だが、今日は弥七が見つからない。常は一度か二度呼んだだけで、弥七は声に反応して寝返りをうつからすぐ居場所が分かるのだ。けれど、今日はもう十四、五回も呼んだのに、赤い華の群れががさがさ(・・・・)とざわめく音は聞こえてこない。ちやは、もう何故弥七を呼びにきたのか、それさえ忘れてしまった。それでも此処で弥七を呼び続けるのは、もういっそ彼女の意地だった。


「弥七―、弥七―!」


時はすでに黄昏時。

赤く染まる空に、朱に濡れる川に、緋に乱れ咲く彼岸花。

まるで三途の川の景色だ。ふと、黄色く濁った大気の中、色濃く落ちた自分の影にちやは恐れを抱いた。



「やし…」


がさがさッ


「!」

彼岸花の擦れあう音に、ちやは弾かれたように振り返った。

弥七ならいい。一言二言小言を言って、安堵した顔を見られないように後からついて帰ればいい。だが、もし振り返っているのが自分の良人ではなく、逢魔が時の鬼や死霊だったら?そしてちやの抱いた不安そのままに、その人影は彼女の良人ではなかった。



「もし」

「――――は、はいっ」



「剃刀花を知りませぬか?」



が、それは鬼でもないように見えた。

赤い華を押しのけて現れたのは、卯の花色の小紋の女だった。

いきなりの音と不吉な予感に飛び跳ねた鼓動が、少しだけ和らぐ。

己の影でさえ恐ろしく感じてしまう逢魔が時も、人がいるならそれほど恐ろしくもない。ましてや、相手はか弱そうな女人である。どこか違和感を感じながらも、それを赤い空のせいにして、ちやは女人に微笑みかけた。


「ごめんなさい、知らないの。此処に咲くのは緋色の彼岸花ばかり…

あなたも弥七を見なかった?わたしの良人。きっと寝ている。

とても優しい顔をしているの」

「まあ、まあ。ごめんなさい、わたくしは知りませぬ。

でも、寝ているのね?それならきっと剃刀花の下にいるわ。

とても綺麗な花だから。

ねえ、一緒に剃刀花を探してくださいな」


「ごめんなさい、わたしは弥七を探さなければならないの」


白い女に背を向け、振り返ることなく、ちやは赤い華の中をさらに川岸に近づいていった。





「弥七、弥七」

薄紅の雲に愛しい男の名を叫ぶ。

一時ほどしないうちに、また背後でがさがさッという音が聞こえた。


「弥七!?」

「やしち?ごめんなさい、知らないわ。ねえねえ、あなた。

灯篭花を知っている?」


其処にいたのは、知らぬ顔の少女だった。杏色の小袖に、結わえた髪。村の者ではない。灯篭花というのを探しにきたのか、手に竹の籠を抱えている。やはりどこか違和感を抱きながら、だがちやは濃い影を踏んで少女に向き直った。


「ごめんなさい、知らないわ。

 ねえ、男の人を見なかった?たぶん寝ている。とても優しい顔の男なの。」

「見なかったわ。でも、寝ているの?

じゃあ、灯篭華の下にいるわ。目覚めたときには灯が必要だもの。

ねえ、一緒に灯篭花を探して頂戴?」


「ごめんなさい、わたしは弥七を探さなければならないの」


また、ちやは人影に背を向けた。ふと、また違和感がわいた。

気になって再び背後を見てみると、少女の姿はすでになかった。





「…弥七―!弥七―!」


さすがに気味が悪くなって、ちやは華の中を走り回りながら良人の名を連呼した。

そう広くもない川べりなのに、不思議とそこから抜け出ることができない。



がさがさッ!


「ひぃっ…!」


何度目かの背後の音に、ちやは胸の上に両手を重ねて縮こまった。細い肩が震える。

かたかたと不愉快な音が、自分の歯と歯が打ち鳴らされる音だと気づく間もなく。


「おねえちゃん、捨て子花って知らんかい?」

「ひぅっ!!」


びくんっ、と背をのけぞらせて恐る恐る振り返ると、そこには年端もいかない童子が立っていた。ぼさぼさの頭に、芥子(からし)色の粗末な着物。一見無邪気なその子供の異常さに、だがちやは気づかずにはいられなかった。


痩せこけて土に汚れた、どこにでもいそうな童子。

しかし、その瞳はどこか虚ろで、生気というものが感じられない。


なにより、彼には影が無かった(・・・・・・・・・)


思えば、先の女人も少女も。何故背後から声をかけられるまで気づかなかったのか。

それは、彼女らに影が欠けていたからだ。

己の影に怯えたちやは、必ず影を前方に置いて歩いていたのだから。


「し、し、知らないわ…!」

「ほんとう?仕様がないなあ…

…おねえちゃんも探し物?一体何を探してる?」

「わ、わたしは……」


もとより繋げる言葉があったわけでもない。何より、乾いた喉がそれ以上音を紡ぐことを拒絶した。


「やしち、だか?おねえちゃんの探しもん。

寝てるんなら、きっと捨て子花の下にいるよ。拾ってくれるのをまってるよぉ。

だから…なあ。

おれといっしょに、捨て子花を探してよ」


ニイィッ、と童の顔が歪んだ。

蒼白な肌。髑髏の如く開いた眼窩に、不気味な笑みを浮かべる裂けた口。



『なあ、おれといっしょにさがして?

 おれといっしょにきて?

 おれといっしょに――――逝こう?』



「ッいやああぁぁぁぁぁあああっ!!?」


凄まじい力で握られた腕を振りほどく間もなく、赤い華の中を川に向かって引きずられかけたちやに


『ちや!!』


「――――弥七ッ!!」


ずっとずっと、呼んでいた声がついに応えた。







「ちや、ちや」

「んん…っ」


目を開ければ、優しい良人の顔。そして一面赤い彼岸花が飛び込んできた。

「きゃっ!」

「ああ、大丈夫。悪鬼は行ってしまったよ。

…逢魔が時に川べりを歩いてはいけないよ、ちや。特に、こんな季節には。」

「弥七はいつも此処に来ているじゃない!」

「ああ、そうだね…いつも、いつも、此処に……

ずっと帰りたいと思っていたのだけど。」

「どういう…!?」


勢い良く跳ね起きたちやは、見てしまった。

己を優しく見おろす良人の、その身体にも影がないことを。


「剃刀花の下に、灯篭花の下に、…捨て子花の下に、おれはいたよ。

 ちや。死人花を知っているかい?」

「いや、いや、そんな、まさか…」

「その下に、おれはいる。

 剃刀花も、灯篭花も、捨て子花も、死人花も…

 全て、それは彼岸花を指す言葉。」

「いやあぁあ…」

「帰りたいな、ちや…

 なあ、おれを、家に」



持って帰ってやってくれ――――――…



「弥七ぃッ!!」


同時に、日が完全に落ちた。

赤い黄昏時が終わる。三途の川の道も閉じる。


乱れ咲く彼岸花。へたり込んだ娘の前には、どす黒く変色した小袖に、薬売りの背負い籠に、月光に照らされた骸骨に


そして娘は思い出す。

己の良人が数ヶ月前、薬売りに出かけて帰らなかったことを―――――…




◇◆◇





―――――曼殊沙華咲いて

            ここが私の寝るところ―――――   山頭火




高校時代、テスト一週間前に自棄になって書いたものであるらしい(当時の後書きより)

種田山頭火の『曼殊沙華咲いて ここが私の寝るところ』という詩がやけに心に響いて書いたもの。

ちなみに曼殊沙華というのも彼岸花の異称です、念のため。

時代物初挑戦かつホラー目指してどうなんだろうという感じ。個人的には満足です。


※続編『此岸の花』アップしました。

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