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闇森の獣は光に焦がれる~氷輪の姫と病める光明~  作者: トウリン
リヒト12歳

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変わりゆくもの、変わらないもの②

 年を取らないことも、癒しの力も、どちらも、ヒトでは有り得ないことだ。そして、生まれ育った城を出て、レオンハルトと共にあちらこちらを旅するようになってからの二百年ほどでミアが思い知ったことは、ヒトは異質なものを恐れ嫌悪するということだ。

 すぐに怪我が治ってしまったり、少しも姿が変わらなかったりすると、どんなに親しく笑いかけてくれていた人でもクルリと態度を変える。それを何度か経験して、この身はヒトの中にはいられないのだということをミアは学んだ。


(だから、リヒトだって、いつかは……)


 死がふたりを分かつまでもなく、きっと、別の別れが訪れる。


 ミアが目を伏せると、彼女の視線を追いかけるようにしてリヒトがしゃがみ込んだ。見上げられて、また、眼が合う。

「ねえ、何かあった? 僕が、何か悪いことをしちゃったの?」

 仔犬のようにほんのり潤んだ目で見つめられれば、どうしたって、ミアの胸は疼く。

「何も。何も、ないわ」

 かぶりを振ると、リヒトの眼差しが貫き通すような鋭さを帯びたような気がした。けれど、ミアが瞬き一つしたときにはパッと満面の笑みになっていたから、多分彼女の気のせいだったのだろう。

「なら、良かった!」

 屈託のないその笑顔に、ミアは微かな痛みを覚える。


 最初にミアを引き留めた、リヒトのこの笑顔。あの時こんなふうに彼が笑いかけたりしなければ、再びここを訪れることはなかったのに。

 それからもズルズルと逢瀬を重ねてしまっているのも、やっぱり、逢うたび彼が笑うから。目の前のこの少年が、何も気づいたふうもなく、ミアに笑いかけてくるからだ。


(お前がそんなふうに笑うから、いけないのよ)

 リヒトのその笑顔は、遥か昔に失ってしまった温もりを、彼女に思い出させる。

 半ば八つ当たりの胸中の呟きを実際に声には出せないのは、その笑顔を失いたくないとも思っているからなのだ。


(こんなの、懐いてくる仔犬を見捨てられないのと同じだわ)

 別に、特別な情が湧いたわけではない。

 ただ、憐れんでいるだけ。あるいは、拾ったものに対する、義務。


(それだけ、よ)


 そう言い訳がましく自分に向けて呟きながら、ミアは取り出した小刀で指先を突く。プクリと紅玉が膨れたそれを、リヒトに差し出した。

 リヒトはニコリと笑みを浮かべてから、ミアの手が壊れやすい宝物ででもあるかのようにそっと両手で包み込み、そして彼女の指先を口に含んだ。初めて血を与えた時には氷のように冷え切っていた彼だったけれど、今は、とても温かい。体温の低いミアには、熱く感じられるほどに。


 リヒトは爪の先端をくすぐるようにしてから、舌の腹で指の膨らみを包み込んだ。柔らかな舌が、鋭敏な指先を丹念になぞる。

「ッ」

 優しく吸われ、ゾクリと、ミアの背筋に震えのようなものが走った気がした。彼女は唇を噛んでそれをこらえる。妙に腰が震えて、気を抜くと、その場にへたり込んでしまいそうだった。

 ミアのそんな反応にはまったく気づいていない様子で、リヒトはコクリと喉を鳴らして彼女の血を飲んだ。その拍子に、ミアの指に、微かに彼の歯が立てられる。


 思わず肩をヒクつかせたミアに、リヒトが顔を上げた。

「ごめん。痛くした?」

 申し訳なさそうに眉根を寄せた彼に、ミアは小さくかぶりを振る。

「大丈夫。……もう放して」

 リヒトの顔に、一瞬、見慣れぬ色がよぎった。が、すぐにそれは掻き消え、また無邪気な笑顔に変わる。

「うん、ありがとう」

 そう言って、リヒトはもう傷が塞がったミアの指先にそっと口付けた。

 ミアはその手を取り戻し、なんとなく、背に回す。


「じゃあ、私は行くわ」

「え、もう?」

「用は済んだもの」

 まだいて欲しいと眼で訴えてくるリヒトからフイと視線を逸らしてミアは答えた。


 ここは彼の屋敷からはだいぶ離れてはいるけれど、誰かに見られる危険はできるだけ避けたい。疑う目を持つものが見れば、ミアの特異さに気付かれてしまうだろうから。

 そうなれば、きっと、リヒトの周りにいる人たちは、もう二度と彼女に近づけさせないようにするはずだ。


 つれなくそっぽを向くミアの手が、温かなものに包まれる。見れば、リヒトの両手に捉えられていた。

 初めて触れたリヒトは氷のような冷たさだったその手は、今はとても温かい。それは、心地良さと共に微かな不安もミアの中に連れてきた。何故そんなふうに感じるのかは解らないまま彼女が手を引こうとすると、拒むようにリヒトの力が強まった。ミアの手とそう大きさは変わらないように見えるのに、もう一度、先ほどよりももう少し力を込めて引っ張ってもびくともしない。


「ねえ、来年も来てくれるよね?」

 言いながら、リヒトは無心な眼差しを注いでくる。


「ねえ、ミア?」

 声でも乞われて、ミアは顔を伏せた。


 と、まだ彼に捕まったままの手がグッと引かれる。無視できない、力で。


 渋々リヒトに目を戻せば、無垢な茶色の瞳が間近にあった。

「お願い、ミア」

 もう一度言われれば、彼女に頷くほかできることはなかった。


 コクリと頭を上下させたミアに、パッとリヒトの(おもて)に笑顔の花が咲く。

「やった!」

 その満面の笑みを見つめながら、果たして彼は、次に会う時にもこの笑顔を見せてくれるのだろうかと、ミアは思った。


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