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闇森の獣は光に焦がれる~氷輪の姫と病める光明~  作者: トウリン
そして、今

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旅立ちの準備

 ミアと旅に出ると決めたからには、リヒトにはするべきことがいくつかあった。

 概ね手配は済んでいるが、まだ残っている一番大きな問題は屋敷のことだ。

 初めは完全に引き払ってしまおうかと思ったが、三年経ったときに戻る場所があった方が良いだろうからと残すことに決めた。しかし、『箱』はそれでもいいが、問題は中身だ。


「それで、君たちはどうしたい?」

 書斎に呼んだ使用人たちを前にして、旅に出ることを告げた後、リヒトはそう問いかけた。

「私の親と君たちが交わした契約のことは知っている。私は都では死んだことにされたから、父も私のことにはいっそう神経を尖らせていることだろう。君たちが都に戻ることは、難しいと思う」


 この屋敷からリヒトが出て行ったことを父に知られれば、彼はきっと何か手を打ってくることだろう。自分とミアの身を守ることはたやすいが、使用人たちが都に戻るとなれば、正直どういう結果になるかは判らない。

 契約時に余程言い含められてもいたのか、リヒトの言葉に、彼らは不安そうに顔を見合わせる。


「ここに残りたければ、そうしたらいい。今まで通り、手当は出す。この屋敷の維持費も。出ていきたいなら、都から遥か北にある街への足を手配しよう。あそこは、かつて都を追われた人々が拓いたものだ。今では都に匹敵する規模になっているが、都との交流はほとんどないし、支配も受けていない。あの街であれば、父の手を気にせずに暮らしていけるだろう。もちろん、ここに残らなくても、それなりの暮らしを続けていけるだけの年金は出すよ。君たちには長い間世話になったから」

 そう締めくくり、リヒトはニコリと笑みを浮かべて見せた。

「この場で答えを出さなくてもいいよ。ただ、準備ができ次第、ここを発ちたいんだ。急かしたくはないけれど、できるだけ早く返事が欲しい」

 その言葉を最後にひとまず解散にしようとしたが、そこに待ったがかかる。


「あの」

 ためらいがちに呼びかけてきたのは、家政婦のザーラだ。リヒトが眼で続きを促すと、彼女はもじもじと両手を握り合わせた。

「あの、あたしなどはもうこの年ですから、ここに残らせていただいた方が……」

 おずおずと言ったザーラに、ハンスも続く。

「儂もです。老い先短いこの身じゃ、どこか新しい場所で暮らすというのも億劫なもんですから」

 彼が言い終えれば、ヒョイと片手を上げたのは年下のメイドのヨハナだ。

「あ、わたしは出て行きたいです」

 ヨハナはまだ年若い頃にここに引きこもることになったせいか、三十路をいくつか越えているというのにどこか未熟な風情があった。軽薄な口調で彼女は続ける。

「一生遊んで暮らせるなら、街の方がいいです。ここに来たのも家族に売られたようなもんだし、都には未練ないんですよね」

 あっけらかんと言い放ち、アハハと軽く笑う。そうして、隣に立つアデーレへと目を向けた。


「アデーレさんはどうします? 一緒に行きませんか?」

 水を向けられたアデーレの視線がチラリとリヒトに走った。が、彼がそこに浮かぶものを見出す間を与えずに、彼女は目を伏せる。

「私は――少し考えさせてください」

「ええ? こんなとこ、残るんですか?」

 頓狂な声を上げたのはやはりヨハナだ。アデーレは彼女に向けて微笑む。

「私もここでの生活が長いしね。今さら……っていうか」

「そっかぁ。そうですよねぇ。その年ですもんねぇ」

 少々配慮に欠けるヨハナの台詞に、アデーレのこめかみがピクリと引き攣った。それはほんの一瞬のことで、多分気付いたのはリヒトだけだろう。

 独りで頷くヨハナの横でアデーレは静かな笑みを浮かべていたが、リヒトは微かに眉をひそめた。彼女の笑みは口元だけで、多分、目は笑っていない。


(嫌な感じだな)

 リヒトに何かしかけてくるならば構わないが、矛先がミアに向かうのは望ましくない。


「取り敢えず、ザーラとハンスはここに残り、ヨハナは出ていく、それで手配をしよう。アデーレは決まり次第私に教えてくれ」

 その台詞を最後に話を切り上げ、リヒトは四人を下がらせた。

 彼らが出ていき扉が閉ざされてからきっかり五つ数えたところで、一人の男が姿を現した。まるで部屋の隅の影から滲み出したかの如くに、密やかに。

「やあ」

 気安く声をかけたリヒトに、彼は無言で頭を下げる。用件を伝える時にしか声を出さないのは、いつものことだ。


 リヒトは男を待たせておいて、卓上の便せんにサラサラといくつかの用件を書き付けた。それを男に差し出す。

「これ、手配してあげて。あと、三日後には出発したいから、その準備もね」

 彼には、ミアと共に旅に出ることを伝えてあるから、それだけの指示でも充分に伝わった。確かにリヒトは旅に対して無知だが、それを補う金は充分にある。子どもの頃に始めた事業の糸は今や都のどの有力者よりも長く伸びていた。ミアがどの地を望もうが、不自由させることはないだろう。

 男は紙を受け取り、現れた時と同様、音も立てずに消えていく。

 彼は、リヒトが事業を手掛け始めたときに雇った男だ。多方面に関して非常に有能で、彼に任せておけば、諸々のことを不足なく整えてくれるだろう――もしも都の実家がリヒトたちの邪魔になるようであれば、その解決も任せられる。


 一通りのことを終えて、リヒトはやれやれと息をついた。午前中が潰れてしまったが、これでようやくミアのもとに行ける。

 書斎を後にした彼は、真っ直ぐに温室へ向かった。


 温室の中は静まり返っており、生き物がいる気配はない。だが、ミアがいることは、判る。いつもいるから、ではなく、第六感のようなもので『判る』のだ。

 奥へと進み、そうして目に入ってきた光景に、我知らずリヒトの足が止まる。


 彼女は、長椅子に座していた。

 いつものように仔猫のように丸まってのうたた寝ではなく、背筋を伸ばして座るその姿は月下で綻ぶ一輪の花を思わせる。

 ミアとはもう十年以上もいて、視界に収めている時間の方がそうでない時間よりも長いくらいだというのに、未だにふとした拍子に眼と心を奪われてしまう。


 今も、そうだった。


 ここにいる彼女の姿を目にするのがしばらくお預けになるからなおさらなのかもしれない。

 ――この温室は、ある種の鳥籠だった。鍵はかけられておらず、いつでも飛び出していくことができる代物でも、ここはリヒトの領域で、彼がミアの為に設えた『檻』だった。


 もうじき、ここから出ていかなければならない。

 決めたこととはいえ、着々と準備が進み、次第に現実味を帯びるにつれ、リヒトの中ではそれを拒む気持ちも強くなる。


 己の未練がましさについ溜息をこぼした彼に、ミアが気付いた。

「リヒト」

 名を呼ばれ、彼は取ってつけたような笑みを顔に貼り付ける。

「ミア」

 足を速めて彼女のもとに急ぎ、リヒトは繊細なつま先の前にひざまずく。

「皆に言ってきたよ。ザーラとハンスはここに残りたいそうだ」

「そう」

 短く答えたミアは、どことなく嬉しそうに見える。『帰る場所』が残されるからだろうか。

(そう思うなら、最初から行かなければいいじゃないか)

 そんなふうに思いながら、リヒトは彼女の手を取った。


「ねえ、ミア。数日中には出られそうだけど、あなたの気持ちは変わってない?」

 敢えて訊ねたのは、そうであることを彼自身が望んでいるからに他ならない。

 そして当然彼女はかぶりを振る。

「変わってないわ。いつでも行ける」

 どうやら、ここでの生活にしがみついていたいのはリヒトだけらしい。

 彼は胸の内で苦笑する。

「そんなに急かされると、ちょっと寂しいな。ミアは、ここがそんなに好きじゃなかった?」

「いいえ、好きよ?」

 目を丸くしたミアは、心底心外そうだ。彼女が小首をかしげると、銀髪がサラリと流れ落ちた。

「ここは残していくんでしょう? だったら、三年したら戻ってくるわけだし」

 当然のように言われ、今度はリヒトが面食らう。言葉を失った彼に、ミアは眉をひそめた。

「どうしたの?」

 問われて彼は口ごもる。

「いや……」

 彼女は自分が何を言ったか理解していないらしい。


『三年したら戻ってくるわけだし』


 ミアは、そう言った。

 つまり、ミアの中では三年後もリヒトといることになっているということだ。その言葉が何の気構えもなく自然と彼女の口から出たということが、たとえようもなく嬉しい。


「何、にやにやしてるの?」

 ムッと唇を尖らせてそう言ったミアに、リヒトは笑みを向ける。

「いや、あなたも本当に僕といたいと思ってくれているんだな、と実感して」

「どういう意味?」

「気付いてないなら、それでもいいよ」

 答えてリヒトは手の中の彼女の指先に口づけた。

「リヒトの言うことは、時々よく解からないわ」

 拗ねたように言ったミアとは正反対に晴れやかな面持ちで、リヒトは言う。

「僕はもしかしたら、あなたが思っている以上にあなたのことを解っているかもしれないよ」

 そっぽを向いたミアの銀髪をすくい上げて軽く引き、目を合わせてくれた彼女に微笑んだ。

「僕も、あなたとの旅が結構楽しみになってきたみたいだ」

 からかう口調でリヒトがそう告げた時。


「冗談じゃないわ」

 地を這うような声が、二人の間に割って入った。


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