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闇森の獣は光に焦がれる~氷輪の姫と病める光明~  作者: トウリン
そして、今

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ミアの誘い

 微かに眉根を寄せて視線を落としているミアを、リヒトは黙って見守る。

 リヒトには、ミアの中の迷いが透けて見えるようだった。

 これだけ言葉を尽くして胸中を伝えても、彼女はまだリヒトのことを信じていない。彼がこの世の全てを引き換えにしてでもミア一人を取るのだということを、信じてくれてはいなかった。


 リヒトはミアを自分に縛り付けておきたいし、同じくらいミアに縛り付けられていたいとも願っている。レオンハルトから聞いた限りでは、眷属という存在は恐らくそれに最も近い関係を築けるはずだ。リヒトにとっては利点ばかりで、忌避する要素など全くない。

 だが、リヒトにとってはそうでも、ミアにとってはそうではないのか。

 ミアの中でリヒトは多少の意味を持つ存在ではあるはずだけれども、そこまでのつながりを結べるほどのものではないのだろう。


 リヒトは奥歯を食いしばる。

 もしも、どうしてもミアがリヒトをヴァンピールにすることができず、彼を置いていくことを選ぶのなら。


(取り敢えず、どこに閉じ込めておこうかな)


 ミアの守護者であるレオンハルトはもうこの場にはおらず、どうやら念話とかそういうもので危機を報せることができるわけでもなさそうだから、彼女の口を塞ぎ、身体的に拘束してしまえば彼が戻ってくることはなさそうだ。

 仮に、リヒトを置いて出て行ったミアがいつかは戻ってくるつもりだったとして、彼女の時間の感覚とリヒトのそれとはあまりに違い過ぎるのだ。訪れを待つうち、気付いたときには永久の別れを迎えてしまっているかもしれない。

 それならば、リヒトの余生などどうせミアにとっては一瞬のことに過ぎないのだ。老いさらばえていくこの身に物理的に縛り付けてしまえ。

 軽く目蓋を伏せ、リヒトはそんな不穏なことを考える。


 と、不意に、微かな衣擦れの音がして、リヒトは眼を上げた。

 見れば、ミアも彼を見つめている。

 どうやら、答えが出たようだ。


 全身に力を込めて彼女の口が開かれるのを待つリヒトに与えられた言葉は。


「一緒に、行こう」


 澄んだ声でのその台詞に、リヒトは瞬きを一つする。ミアは至極真面目な顔で彼を見ていた。

 彼女が彼と共にここに残るか、あるいは、彼をおいて出ていくか。

 リヒトの頭の中にはその二択しか存在していなかった。


 が。


「一緒、に?」

 ――ここを、出ていく……?


 戸惑いながら繰り返すと、ミアがコクリと頷いた。

「そう。元々、一緒に行こうと思ってたの。ていうか、迷ってた。リヒトはここから出たがらないかなって……そうしたらどうしようかなって。さっきその話をしようとしたのに、させてくれなかったから」

 そう言って、彼女がリヒトを睨む。その不満を宥めることに気を回すだけの余裕も、今の彼にはなかった。

「でも――あなたはレオンハルトと行く、と……」

「だって、リヒトは旅なんてしたことがないでしょう? 私もレオンに任せっきりだったし。二人だけでなんて、ムリじゃない?」

 ちゃんといろいろ学んでおけば良かったのだけどと呟いているミアを、リヒトは呆然と見つめるしかない。


 とんでもない勘違いだ。

 なのに、自分はミアに対してあんな真似を――


 フルフルと肩を震わせるリヒトを、ミアが覗き込んでくる。

「リヒト?」

「ごめん」

 リヒトのその謝罪の言葉に、ミアが眉をひそめた。

「どうして謝るの?」

「さっき、あなたのことを乱暴に扱ってしまった。てっきり、あの男と行ってしまうのだと思ったんだ」

「レオンと? お前を置いて?」

 リヒトがコクリと頷くと、ミアは目をしばたたかせてからしげしげと彼を見つめ、そして、微笑んだ。

「莫迦ねぇ」

「ごめん……」

 ミアの視線が注がれているのを感じながら、リヒトは返す言葉もなく項垂れる。彼女は少しためらうような素振りを見せてから、切り出した。


「リヒトは、眷属になりたいんだよね?」

「もちろん、なりたいよ」

「どうして?」

「それは、あなたといたいから……」

「どうして?」

「どうしてって――」

「私のことを、――愛しているから?」

 まだその一言を口にしづらそうに束の間口ごもりつつ、ミアは言った。リヒトはサラリと彼女の髪を梳き、頷く。

「そうだよ、もう、何度も言っているよね」

「うん、何度も聞いた。でも、どうして?」

「……」

 畳みかけるように問われ続け、リヒトは口をつぐんだ。彼女を想う理由など、訊かれて答えられるものではない。

 言葉を見つけられない彼を見据えて、ミアは続ける。

「リヒトは私以外の誰を知っているの? さっきも、言ったけど――ここにいて、私しか知らないのに、どうして私を特別だと思えるの?」

「確かに僕は他の人間なんて知らない。でも、それは関係ないよ。ミアは、ミアだけが、僕の特別だから」

 リヒトは迷いなく告げたが、その言葉はミアの欲しいものではなかったようだ。彼女はキュッと唇を噛む。


「その言葉を、私はそのまま受け入れることができないの。何も知らないお前がヴァンピールになって、後悔しないという確証が持てないから。眷属にすれば確かに私と共に生きていけるようになるけれど、それだけしか、ないのだもの。そんなものの為にお前の人生を奪って良いとは思えない」

「そんなこと! ――ッ!」

 吐き出したい反論は、山ほどある。

 だが、リヒトはそれをぐっと呑み込んだ。今は、とにかくミアの思いを聴くべきだ。

 奥歯を食いしばったリヒトを見つめ、ミアは再び口を開く。


「リヒトは、ヴァンピールとして生きるということがどういうことなのか、知らない。私たち以外の者は、あっという間にいなくなる。すぐに異質なところに気付かれるから、ひとところには留まれない。眷属は生粋のヴァンピールになるから、私やレオンハルトとは違って、陽の光には二度と触れられなくなる。そんな身体になって、絶対に後悔しないと、言い切れる? ヴァンピールになんてならなければ良かったって、絶対に思わないって言い切れる?」

 ひと息にまくしたてたミアはリヒトから眼を逸らした。そして、ポツリと呟く。


「私は、それが怖い」


 リヒトは食い入るように彼女を見つめた。

 後悔など、しやしない。

 リヒトにとって、ミアといられることだけが、全てだ。

 けれど、どれだけ言葉を尽くしてそう説いても、ミアは納得してくれないのだろう。リヒトにとっては至極単純なその事実を受け入れてもらえないことが、腹立たしい。


 何も言えずにいるリヒトの前で、ミアは震える吐息をこぼした。

「私は、リヒトに後悔して欲しくない……お前に、憎まれたく、ない」

「そんなこと、絶対にならない!」

「本当に? でも、ヴァンピールの時は永い。それに、なってからヒトに戻ることはできないのよ」

「僕は、あなたといられればそれでいいんだ」

「他の人間を知れば、その中に、また大事に想う者が生まれるかもしれない――その人が私以上に、大事な存在になるかもしれない」

 ミアは、小さく息をついた。

「そうなるかもしれないのに、今のままでは、リヒトの言葉を鵜呑みにすることはできないわ」


 彼女のその言葉に、リヒトは歯噛みする。

 どうして、ミアには自分の想いの深さが伝わらないのだろう。

 どうして、彼女は彼の想いの揺らぎなさを信じてくれないのだろう。

 リヒトは、手のひらに爪が食い込むほどに固く拳を握り締めた。


「ない、ないよ、それは、絶対に――」

 必死に言い募ろうとした彼を、静かなミアの声が遮る。


「だから、私と一緒にここを出よう」


 囁き、彼女は手を伸ばしてリヒトの頬に触れる。最初は片手だけ、そして両手で、彼の顔を包み込んだ。

 今のミアの目は、青と紅が混ざった色――黄昏の空を思わせる色だ。その目で、リヒトの心の奥を探ろうとするかのように、視線を絡め合わせてくる。


「私とここを出て、世界を見に行こう」


「ミア――」

 息を呑んだリヒトに、ミアは説く。

「私しか知らないリヒトに私だけが特別だと言われても、納得できない。私は――私も、リヒトと共に在りたいと願っているし、共に在るならば、共に幸せでありたいと思う。だから、色々なものを見て、色々な人に会って、それでも私といたいと思えるのなら、その時、お前を眷属にする」

 そんな『猶予』は要らないと、リヒトは思った。何をしても、この想いが変わりはしないのだから。

 だが、ミアの眼差しも揺らぎなく、ほんのわずかも彼女の考えを変えさせることなどできそうになかった。


 リヒトは瞑目する。

 何をしようが、どれだけ経とうが、自分の中にあるものは変わらない。

 しかし、想いは珠玉のように手に取って見せることができないものだ。たとえ、同じくらい変わらずに存在し得るものだとしても。


(まあ、仕方がないか)

 彼は内心溜息をこぼし、不満を包み隠す笑みを浮かべた。


「判ったよ。でも、どのくらいの間? ヒトの時間は有限だから、あまり長くは待てないよ」

 リヒトの言葉にミアが考え込む。

「三年、は、どう?」

 三年。

 リヒトにとって短いものではないが、妥当な線か。いずれにせよミアとはいられるのだから、大きな問題はない。


「いいよ、解かった。あなたの条件を受け入れる」

 答えて、リヒトは目を細める。

「……何?」

 彼のその眼差しを受けて、ミアは訝しげに眉根を寄せた。

「逆に訊くけど、あなたはどうして僕と行こうと思ってくれたの?」

「?」

「あなたと一緒に行って、三年経ったら、僕を眷属にしてくれるんだよね? 眷属にするということはどういうことか、レオンハルトに聞いたよ」

「え……」

 ミアは微かに目を見開いた。

「僕とあなたは、特別なつながりを持つことになる。僕はそれすらも特権になるけれど、あなたは? あなたがそれを僕に許してくれるその理由は、何?」

「それは、だって……」

 口ごもり、ミアはそっぽを向いた。リヒトは両手で彼女の顔を捉え、再び目を合わせる。

「ねえ、ミア、どうして?」

 先ほどまでとは、立場が逆転した。


 ミアは、しばらくリヒトと目を合わせようとせず視線をさまよわせていたが。

 ボソリと、こぼす。


「……私も、リヒトと一緒にいたいからよ」

「どうして、僕と一緒にいたいと思ってくれるの?」

『理由』を問い詰めるリヒトに、ミアは眉根を寄せる。

「そんなの、私にも解からないわ。ただ、そう思うだけよ。リヒトといたいと思うし、お前を失うのは嫌だと思う。私はリヒトのことを『特別』だと思ってるし、大事だと思ってる。だからこそ一緒にいたいと思うし、お前にとって一番良い、正しい道を選択したいとも思うのよ。そう思うけど、どうしてなのかなんて、解からないわ」


 どこか困惑したように、彼女は言った。

 そんなミアを、リヒトはジッと見つめる。

 そこまで言っておきながら、どうやら本当に、彼女はどうしてそんなふうに思うのか解かっていないらしい。


(多分、あなたは……)

 リヒトは、天を仰いで笑い声を上げたくなる。


 ミアの中にある想い。


(それは、きっと――)


 笑う代わりにミアの頬を両手で包んだまま親指で柔らかな肌を辿ると、彼女はくすぐったそうに身をすくめた。

 本当に、どうしてこんなに可愛らしいのだろう。

 リヒトは頭を下げて、ミアと唇を重ねる。その行為を、彼女は拒むことなく受け入れてくれる。

 ミアの唇は、甘い。永遠に味わっていたいと思ってしまうほどに。


 名残惜しくリヒトは唇を離して彼女を抱きすくめ、華奢な肩に顔を埋める。


「……三年は、長いな」

 リヒトのその呟きに応えはなく、ただ、ミアは、彼の髪に指を潜らせてきただけだった。


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