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闇森の獣は光に焦がれる~氷輪の姫と病める光明~  作者: トウリン
そして、今

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父の想い、母の想い

「まず、これだけは言っておくが、ローゼマリーはヴァンピールを『化け物』とは思ってなかったからな?」

 断固とした口調で、レオンハルトはミアにそう告げた。

「でも、レオン――」

「彼女は、そんなこと、欠片も思っちゃいなかった。ヴォルフに血を与えることがあってもな」

 レオンハルトは束の間言葉を切り、そして、少し遠くを眺めるような眼差しになる。


「あの二人はな、互いに相手のことしか考えていなかった……相手のことしか想っていなかったんだ」

「お互いの、ことを? ……よく、解からないわ。だったらなおさら、どうしてお母さまを眷属にしなかったの? 二人はずっと一緒にいたいと思ってたはずなのに。お互い、それを知ってたはずなのに」

「まあそうなんだけどな。あいつらにとって、『一緒にいたい』は『自分自身の』欲だったんだよ」

 レオンハルトの台詞に、ミアは眉根を寄せる。やっぱり、彼が言おうとしていることが良く解からない。

 彼女のその顔つきを見て、レオンハルトが苦笑する。

「つまりな、ヴォルフはローゼマリーと一緒にいたいと思った。だが、ローゼマリーから陽の光を奪うことが良いことだとは思えなかった。奴にとって、彼女が太陽の下で笑っていられることが、永遠に共に生きるということよりも優先されたんだよ。で、ローゼマリーはヴォルフと一緒にいたかった。だが、彼女にとってはあいつの望みを叶えることが何より大事だったから、光を捨てるという選択ができなかったんだ」


 父の迷いは、多分、ミアの中にあるものと同じものだ。

 ヴァンピールにするということは、光を奪うということ。光を奪うということは、ヒトであることを奪うということ。

 リヒトにそうして良いものなのか、彼女には答えが出せないのだ。


 ジッとその先を待つミアに、レオンハルトが肩をすくめる。

「あいつも、彼女を眷属にするかしないか、何度も迷ったよ。あいつ自身の欲に従えば、そうしていただろう。だが、その都度、思いとどまった。彼女には光こそが相応しいとか何とか言ってな」

 彼はそこで口を閉じ、こうべを垂れた。

 しばらくの沈黙の後、レオンハルトはまた、顔を上げる。

「お前が生まれた時、あいつが一番に気にしたことは何か、聞いたことがないだろ?」

 その問いにミアがかぶりを振ると、彼は苦笑というには温かな、笑みを浮かべた。

「お前が生まれた時、あいつはすごく喜んだ。まあ、満面の笑みなんてもんはなかったが、最初にお前を抱いた時、滅茶苦茶驚いて、滅茶苦茶感動してたな、あれは。で、真っ先に気にしたのは、お前が陽の光の下に立てるかどうか、だよ」

「何、それ」

 ミアは思わず呟いた。

「ホント、何だそれ、だよな。だが、あいつにとっては、それは何より大事なことだった」

 そう言って、レオンハルトはハハと笑った。そして、表情を改める。


「お前は聞かされていないだろうが、あいつはな、生まれてからお前の母に出逢えるまで、一度もあの城を出たことがなかったんだ」

「え?」

「多分、母親か何かに最初に言われたことがずっと枷になってたんだろうって、言ってたよ。誰かは覚えていないが、『城から出るな』と言い含められたことだけは覚えてたってな」

「お母さまと出逢うまでって、……何年くらい?」

「まあ、千年近く経ってたかもな」

「そんなの有り得ない!」

 思わず声を上げたミアに、レオンハルトが頷く。

「俺もそう思う。だが、実際、俺と会ってからの五百年以上も、ずっと城に引きこもってたぜ? あいつを見つけたのはたまたま偶然、だったんだけどな、あまりの廃人ぶりに放っとけなくてついつい世話を焼いちまって、気付いたら五百年。そしたら、お前の母がやってきて、たった数年でさっくりあいつを変えちまったんだよ」

 それまで、ろくに声も聞いたことがなかったんだけどさと笑うレオンハルトを、ミアはポカンと口を開けて見つめることしかできなかった。

 レオンハルトは、そんなミアを優しく見返す。


「まぁ、そんなこんなで、てめぇ自身が何百年もの間城から一歩も外に出なかったってこともあってか、あいつにとっては、陽の下に立てるということは――明るい光の中で自由にどこにでも行けるということは、えらく大事なことだったんだよ。で、あいつはローゼマリーに心底惚れていたからな、彼女を、そうできない自分と同じ身には――ヴァンピールには、したくなかったんだ。それが、あいつが彼女を眷属にしなかった理由だよ」

「光を浴びられるかどうか、それだけ、なの? じゃあ、血を飲むことは? ヴァンピールはヒトの血を飲むから、だから、ヒトから恐れられて……」

「ま、それは全然関係ないだろうな。実際、飲まなくても生きてはいけるもんだし。ただ、ローゼマリーから光を奪いたくなかっただけ――というか、光の下にいる彼女が一等好きだったんだよな、あいつ自身が。それを失いたくなかったんだよ。で、彼女の方はあいつの望みを優先させたわけだ。自分のものよりもな」

「お母さまの望みって……」

「そりゃ、ずっと一緒にあいつといることさ」

 ローゼマリーも、もうちょっとわがまま言っても良かったのにな、と、レオンハルトは微かに苦みを帯びた息をつく。そんな彼に、ミアは、もしかして、彼も二人に置いていかれたことが今でも寂しいのだろうかと、ふと思った。


 見つめる彼女に気付いて、レオンハルトがいつもの不敵な笑みを取り戻す。

「でさ、お前は、あいつが灰になったのは、彼女の死に絶望したからだと思ってたりするんだろうな? あいつが彼女を愛し過ぎて、彼女がいないこの世界には耐えられなかった、と」

 問われて、ミアは戸惑う。

「そう、でしょう? お父さまは、お母さまを愛していたから……」


 それ以外の、どんな理由があるというのか。

 だからこそ、ミアはリヒトの「愛している」が怖かった。

 それを受け入れたら、それを受け入れて彼を眷属にしたら、その先に待つのは父と同じ末路しかない気がして。

 もちろん、ミアはそう簡単には死なない。だから、ミアと共に生きるのだと言うリヒトも生きるのだろう。

 けれど、いつかミアが死んだとき、リヒトも死ぬのかと思うと、ゾッとした。

 それはつまり、彼女の為に彼が死んでしまうのだということだから。

 眷属にしなければ、確かにヒトは数十年で死んでしまう。

 けれど、それでも、ヒトのままであるならば、リヒトはリヒトの人生を歩んだままでいられる。

 しかし、ミアがリヒトの想いを受け入れて彼を眷属にしたら、彼が死んだとき、その死は彼女のせいということになるのではないだろうか――ある意味、リヒトの生はミアのものとなってしまうのではないだろうか。

 ミアは、それを背負えないと思った。自分は、それに値するほどのものではない、と。


 不意に彼女は、この身を包むリヒトの腕から逃れたくなった。逃れなければいけないような、気になった。

 身じろぎをしたミアを、しかし、リヒトはいっそうきつく抱き締める。眼だけを上げて窺うと、彼は少し怖いような顔をして彼女を見つめていた。

 その視線に射すくめられたミアに、レオンハルトの低い声が届く。


「どうだろうな。まあ、確かにそれは大きかったとは思うが、それだけでもないと思うよ」

 父がこの世を去った理由に、他に何があるというのか。

 リヒトから引き剥がすようにして動かした視線をミアが向けると、レオンハルトはそれを避けるように少し顔を伏せ、凍った地面を慎重に歩くのにも似た口ぶりで言う。

「これは俺の推測でしかないんだがな、お前を縛り付けるようなことにはなりたくなかったってのもあるんじゃないかと思うよ」

「私を――縛り、付ける?」

 思いも寄らなかったレオンハルトの台詞に、ミアは眉をひそめる。

「ああ。確かに彼女が死んであいつは絶望した。彼女なしで生きていくことなどできないと思っただろう。だが、しばらくの間は辛くとも、お前がいれば、いずれは乗り越えていただろうさ」

「じゃあ、何で」

「だから、お前を自分に縛り付けたくなかったんだって。多分あいつは、お前の母親に対してもそういう罪悪感を最後まで消しきれてはいなかったから」

 彼が言わんとしていることが、ミアには良く解からない。


「どういう意味?」

「そのままの意味。あいつは、彼女のことも、自分に縛り付けちまったと思っていたよ。ただ、彼女はあいつの伴侶で、あいつの傍にいることは彼女自身が選んだことだったからな。それでも良かった」

 先日ミアの夢の中でよみがえった二人が寄り添う姿は、仲睦まじく、お互いを想い合い、幸福そのものにしか見えなかった。そこに、幸福以外のものがあったとは、思っていなかった。

 戸惑うミアに、レオンハルトが微笑む。

「お前がいれば、あいつは生きていけただろうさ。だが、それは、お前をローゼマリーの代わりにするってことだ。そうしたら、今頃お前は城から一歩も出ることなく生きることになっていたぜ。あいつはそうせず、さっさと彼女の後を追いやがった。そうすることで、お前をあの城から解き放ったんだ。ま、欲を言えば生きていてお前の帰る場所になってやれよって感じだけどな……あいつは弱い奴だったから」

 しょうがねぇ奴だよなというレオンハルトのぼやきは、もう、ミアの耳を素通りしていた。


 母がヒトのままでいた理由。

 父がミアを置いて逝ってしまった理由。


 そこにレオンハルトが言ったようなものがあるとは、ミアの頭の中をよぎりもしなかった。ただ、ヴァンピールが忌むべき存在だったから、ただ、愛する母を喪い絶望したから、それだけしか、考えたことがなかった。


(お父さまもお母さまも、お互いのことを思って、選択した)

 母を眷属にしなかったことだけでなく、父が最期に選んだことでさえ、ミアの為だった、かもしれない。

 父と母の間でのことに関しては、ミアからは何とも言えない。

 けれど、確かに、父が生きていて、まだあの城に閉じこもっていたならば、ミアもまた母と同じようにしていただろう。彼を置いてレオンハルトと旅に出ることなどできず、永遠に近い時をあの閉ざされた場所で過ごしていたに違いない。

(リヒトとも、出逢うことがなく)


 ミアは、そっとリヒトを見た。目が合うと、すぐさま彼は微笑み返してくれる。

 リヒトといない『今』を、ミアは、想像すらできなかった。

 と、よっこらせと呟きながら、レオンハルトが立ち上がる。彼は大股でミアに歩み寄り、彼女の頭をクシャリと撫でた。


「とにかくな、あいつらの人生はあいつらのものだったんだ。お前がそれに引きずられるべきじゃない。あいつらのことは頭からすっぱり切り離して、『お前が』今どうしたいのかを考えろ」

 ミアは彼を見上げたが、どう答えたらいいのか判らなかった。

 レオンハルトは呆然としているミアに笑いかけ、次いで、その温かな笑みを拭い去り、終始ミアを抱き締めてくれていたリヒトへと眼を移す。その射貫くような眼差しを、リヒトは無言で受け止めていた。

「俺がこの話をしたのは、そろそろ潮時だと思ったんだよ。俺が手を放す、な」

 その声からは、諦め混じりの不本意さがありありと伝わってくる。彼はリヒトを見据えたまま、スッとその目を細めた。

「こいつは俺の娘みたいなもんだからな……泣かせるようなことがあったら、お前を殺すよ」

 その台詞の後に、彼は牙を剥くような笑みを浮かべた。そして、再びミアを見る。

「じゃあな、ミア」

 コクリと頷いたミアに目を細めると、レオンハルトはそっと彼女の頬に手のひらを添えた。太い指がその武骨さとは想像できないほどに優しく、頬を撫でる。その大きな手は、ずっとミアを支え守ってくれていた手だ。

 けれど、確かにレオンハルトが言う通り、ミアの方からもそれを放す時が来たのだろう。


「……そいつにうんざりしたら、いつでも言えよ」

 束の間ミアを見つめた後にそう残し、見えない糸を振り切るように身を翻したレオンハルトは、暗がりの中へと消えていった。


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