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闇森の獣は光に焦がれる~氷輪の姫と病める光明~  作者: トウリン
そして、今

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特別な、ヒト

 大きく開いた襟元の、露わになったミアの素肌にリヒトが触れる。

 彼はミアの喉元の窪みから下へとゆっくり手を這わせ、みぞおちまで来たところで止めた。

 ヒトであれば、鼓動が感じられる場所。

 そこに、リヒトは手のひらを押し当てる。


「リヒト……」

 名を呼ぶと、その手にグッと力がこもった。

 圧迫感に、ミアは眉をひそめる。


「リヒト?」

 リヒトが、リヒトではないように思われて、不安を覚えて再び呼ぶと、今度は、彼女を見てくれた。が、やはり、何かが違う。

 ミアは、コクリと唾を呑み込んだ。と、彼が、今目覚めたという風情で瞬きを一つする。


「どうしたら、あなたは僕だけのものになるんだろう」

 囁くようにそう言ったリヒトの眼差しは、彼女を見ているようでいて――見ていないようでいて。

 ほんの少しでも動けば何かが壊れてしまうような気がする。


「リヒト、私の話を――」

 聴いて。

 そう乞おうとしたミアだったけれども。

 次の瞬間、首筋に走った痛みに息を呑む。


 噛まれた。


 一拍遅れて、そう気づく。


「ッ!? リヒト!?」

 皮膚を食い破るほどではない――まだ。しかし、まるで吸血しようとするかのように、リヒトはミアの首に食らいついている。

 肌を吸われることなら何度もあった。けれど、リヒトはいつだって優しくて、こんなふうに痛みを伴うようなことは、されたことが無かった。

 それほどに、怒らせてしまったのだろうか。

 身をすくませたミアの耳元にリヒトが顔を寄せ、囁く。

「僕は、あなたに血を飲まれたらヴァンピールになれるものだと思っていたんだ。でも、違うんだってね。やっぱり、お伽噺は当てにならないな」

 空笑いを残してリヒトは再び頭を下げ、ミアの肌に舌を這わせる。首筋の薄い皮膚を辿るそれは、焼け付くように熱い。


「リヒト、お願い。話を聞いて」

 縛られた手でリヒトの頭を押しやろうとしながらの訴えは、しかし、彼に届かない。

「人の肌が甘く感じるなんて、不思議だ。あなただからかな」

 言いながら、リヒトはミアの肌のあちらこちらに唇を彷徨わせた。いつもは優しくついばむだけなのに、今日は痛みを覚えるほどに、強く吸い上げる。彼がそうした後には紅い跡が残り、そして淡雪のようにスゥッと消えていく。

「印は、やっぱり残らないんだ」

 ポツリとリヒトが呟き、暗く笑う。

「あなたの中の僕も、きっと、こんなふうに消えてしまうんだよね。死んでしまえばあっという間に僕はあなたの中から消えて、あなたは僕なんて最初からいなかったかのように、その先を生きていくんだ」

 鬱々とした声でのリヒトの言葉を、ミアはかぶりを振って否定する。

「そんなこと、ない」

 決して、そんなことはない。

 リヒトの身体がこの世から消え去っても、ミアの中に刻まれた彼の声は、温もりは、共に過ごした時間は、永遠に在り続けるだろう。

 今後、どれほどたくさんの人と出会っても、リヒトに代わる人は現れない。

 ミアはそう告げようとしたけれど、続くリヒトの声にヒュッと息を呑む。それがあまりに暗い響きを含んでいたから、ミアが言おうとしたことが、言いたかったことが、喉の奥に詰まってしまったのだ。


「あなたは僕を愛さないと言うけれど、僕の想いも要らないと言うけれど、それって、そうしよう、そうするまいと思ってできるものじゃないんだよ。想いは、勝手に生まれてしまうんだ。僕はあなたを愛してる。あなたにとって僕はそこらの小石とたいして変わらないものかもしれないけれど、僕にとってあなたはこの世の全てだ。あなたがいるから、僕は在る。あなたがいなければ、僕の生など何の意味もない」

 そう告げて、リヒトはミアの胸の間に口づける。そのまま、夢見るように囁いた。


「ねえ、ミア。あなたに血を飲まれても駄目なら、僕があなたの血を飲んでみたらどうなんだろう」


 刹那、あるはずのないミアの鼓動が跳ねたような衝撃が走る。


「何を、バカなことを……」

「バカな事じゃないよ。僕は、どうしてもあなたと同じものになりたいんだ。あなたと同じ時を生きていきたいんだ」

 そう言って、リヒトはミアの頬を両手で包み込む。

「あなたがそんな顔をするなら、僕の推測は間違っていないんだね? その血を相手に飲ませれば、眷属にできるんだろう? 大人になる前に死ぬはずだった僕が生き長らえてきたのは、あなたの血をもらってきたからだ。今までは少しだけだったから変われていないけれども、量をもらえば、変われるんだ。そうだろう?」

 微笑みながら問うてきたリヒトの眼は、笑っていない。その笑みを浮かべたまま、また、彼はミアの首筋に顔を埋めようとする。


 それをさせてはならなかった。

 絶対に、させてはならない。


「だめ、リヒト! あなたはヒトだわ! ヒトはヒトの世界で生くべきで――」

 ミアはリヒトの胸を両手で押しのけようとしたけれど、まるで鋼鉄の壁のようにびくともしない。彼女の力など全く感じていないようなふんわりと優しい声で、リヒトが囁く。

「本当に、あなたがいない世界なんて、僕にとっては何の意味もない。あなたがいない世界で生きていくことも、あなたが僕のいない世界で生きていくことも、許容できない――赦せない」

 最後の一言は、喉の奥から絞り出したかのようだった。

「あなたは、僕のものなんだ。僕だけの、ものなんだ。絶対に、どこにもやらない」

 ミアの首筋に顔を埋め、大事な玩具を手放すまいとする頑是ない子どもさながらにリヒトが断じた。


 ピタリと密着した彼の身体から、熱と、鼓動が伝わってくる。それは、生きている存在であることの証だった。限りある命を持つ者である、証。


 リヒトは、ヒトだ。ミアの前を通り過ぎて行った数多のヒトと、何が違う。


(何も、違わない)

 リヒトは、ただのヒト。

 ミアにとって特別なだけの、ただのヒト。


(特別)


 その言葉が、ヴァンピールの命を奪うとされる木の杭さながらにグサリとミアの胸に突き刺さった。

 そして、ようやく自覚する。

 最初の出会いから十年間、毎年リヒトに逢いに来たのは、ミアが彼に逢いたかったから。

 この身を流れる血を使ってまでリヒトを生かし続けてきたのは、他の誰でもなく、ミア自身が、彼と逢えなくなるのが嫌だったからだ。


 失えない特別な存在など、作りたくはなかったのに。ミアはそんなことは望んでいなかったのに、いつの間にか、そうなってしまっていた。

 そう、リヒトが言ったように、意図して『特別な存在』を作るわけじゃない。ただ、いつの間にか、そうなってしまうのだ。


(リヒトと、離れたくない)

 離れられない。

 ――離して欲しくない。


 切実に、そう願った。


 ミアは、いつの間にかいましめから自由になっていた両手をリヒトの背に回し、精いっぱい抱き締める。

「ミア……」

 束の間戸惑うように彼の腕の力が緩み、すぐさま、それまで以上の力が籠められる。

 愛おしい、と、思った。

 この身に縋り付き、子どもじみたわがままを言う人を。

 これが『愛おしい』ということなのだと、解かった。

 けれど、愛おしいからこそ、自分の望みのままに動いてはいけないのだ。


 ミアは、一つ息をつく。


「リヒト――」

 ちゃんと、話をしよう。


 そう伝えようとした、その時。


 不意に、容赦のない力でミアの腕から彼がもぎ取られた。


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