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闇森の獣は光に焦がれる~氷輪の姫と病める光明~  作者: トウリン
そして、今

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崩壊①

 屋敷に戻ってみるともう遅い時間で、部屋には灯りがともされていたけれど、そこにリヒトの姿はない。彼がいなかったことに、落胆がミアの胸の内に滲んだ。


(どうしよう)


 リヒトを捜しに行こうか。

 けれど、いつもはリヒトの方からミアを見つけ出してくれるから、彼女がウロウロしていたら、むしろ会い辛くなってしまうかもしれない。


 ミアは小首をかしげてしばし思案し、室内を横切って寝台の上によじ登る。微かにリヒトの匂いが残る敷布の上で、自分で自分を抱き締めるようにして丸まった。彼の腕がここにないことが、今は妙に寂しい。


(私が考えていることを伝えたら、リヒトは何て言うかな)

 応じるだろうか、拒絶するだろうか。

 早く答えを知りたくもあり、知りたくなくもあり。


「リヒトの、バカ」

 こんなふうに落ち着かない気分にさせる彼に向けて小さく呟き、吐息をこぼした。


 ――そうしているうち、いつしか眠りに落ちていたようだ。


 ミアは、自分は今、夢の中にいると悟る。何故なら、自分が立っている部屋がこの十年間を過ごしてきたものではなかったからだ。


(これは、お城)

 幼い頃に父と母と過ごした、城。

 視点もずいぶん低いから、きっと、幼い頃の記憶によるのだろう。


 女性と男性、そして二人の間にいる幼子。

(お母さまと、お父さまと、私だ)

 昼は鎧戸を下ろし、夜だけ窓が開け放たれる部屋で、母がミアに本を読んでくれ、父はその様を少し離れた場所から眺めている。

 母の髪はまだ朝焼けのように鮮やかな赤みがかった金色をしていて、声は弾むようだった。瞳は晴れ渡る空の色。その色は、最期の日まで、ほんの少しも色褪せることなく温かく輝いていた。

 父は口数が少ない人であまり声を聴くことがなかったけれども、その眼差しで、充分過ぎるほどに二人に対する想いは伝わってきた。母に、そして父にも、慈しまれていることを疑ったことは、欠片もなかった。


 それは、懐かしい日常の一場面だ。

 懐かしくて、そしてあの頃はあまりにありふれていてその大事さに気付けなかった日常の、一場面。


(二度と、取り戻せない……)


 ジワリと、目の奥が熱を帯びる。

 もっと、大事にしておけば良かったと、今更ながらに思う。けれど、もう遅い。


(お父さまとお母さまには、もう、手が届かない。でも――)

 今ならまだ、間に合う。失いたくないものをこの手に留めておくために、できることがある。

 と、不意に、ミアは目元に何か温かいものが触れたような気がした。


(これは、夢――じゃ、ない)

 それはそっと彼女の目尻を辿っている。そう、何かを拭うような動きで。

 その労わるような温もりに引き上げられるように、ミアは目を開ける。


「ミア?」

 静かに呼びかけられて、彼女は視線を上げた。と、陽が翳り始めた部屋の中、ミアの顔の両側に手を置いて、覆い被さるようにして覗き込んできているのは、待っていた人だ。


「リヒト」

 妙にホッとして笑みを浮かべかけたけれども、何だか、彼の様子がおかしい。

 無意識に目をこすり、そこにある濡れた感触にミアは眉根を寄せる。手の甲に視線を落とした彼女に、リヒトの静かな声がかかった。


「泣いていたよ。悲しい夢だった?」

 そう問うてきた声も、どことなく硬い。やっぱり変だなと思いつつ、ミアは彼に応える。

「父と母の夢を見ていたの」

「ご両親?」

「そう」

 ミアはコクリと頷く。子どもじみた仕草になってしまったのは、夢の中で幼い頃に戻っていたからだろうか。


 夢を見て、あの頃の記憶が鮮明によみがえってきた。

 ミアの母はヒトで、とても優しい人だった。良く笑って、城の庭で色々な花を育て、昼には外に出られない父の為に、太陽の下で見えた景色がどんなものかを毎日語っていた。

 ミアの父はヴァンピールで、とても物静かな人だった。母とは対照的に、笑った顔を見た覚えがない。けれども母とミアに向ける眼差しはいつでも温かで、ミアがせがめばいつでも抱き上げてくれた。レオンハルトとは違う、彼よりも深い真紅の瞳がとても綺麗で。


 そこで、ミアはふと自分の目に手を伸ばした。

 幼い頃、母はミアの瞳を覗き込むたび、嬉しそうに目を細めていた。

 ――お父さま譲りの綺麗な色だと、言いながら。


(私の目は、お母さまと同じ青、なのに……?)


「ミアのご両親はどんな人だった?」

 記憶との食い違いに気を取られていたミアは再び問いかけられて反射的に応える。

「優しかったわ」

 そう、父も母も優しくて、父は母とミアを愛し、母は父とミアを愛し、ミアは父と母を愛していた。

 けれど、母は逝ってしまい、父はどこかに行ってしまった。

 閃く稲妻のようにミアが頭の奥にしまい込んでいた記憶がよみがえり、深々と胸に突き刺さった。

 みるみる変わっていく母と、全く変わらない父の姿。

 幼い頃は違和感を覚えなかった。

 けれど、次第にミア自身の成長も遅くなり、あまり年ごとの変化が見られなくなった頃、ある日母に訊ねたことがある。どうして母の肌にしわが寄り、母の髪の色が白くなっていくのかと。どうして、どんどん姿が変っていくのかと。

 金色の髪が好きだったのにと唇を尖らせたミアに、あの時、母は困ったように微笑んだだけだった。そして、それから間もなく、彼女は儚くなってしまったのだ。


 老いてヒトとしての天寿を全うした母。

 老いていく母を、愛しながらも見送った父。

 二人とも、別れの訪れを知っていたはずなのに、時の流れに任せるままにした。


 再び、ミアの中に両親に対する疑問が湧き起こる。


「どうして、お父さまとお母さまは……」


 母をヒトのままにしていたのか。


 不意に、ミアの眦からコロリと涙が転げ落ちた。

 疑問と、怒り、悲しみ、不満。

 レオンハルトとの旅から旅への日々の中、せっかく、忘れていたのに――忘れていられたのに。


 思い出した両親への思慕が、彼女の胸を締め付ける。



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