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闇森の獣は光に焦がれる~氷輪の姫と病める光明~  作者: トウリン
そして、今

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リヒトとレオンハルト①

「だから、お願い。連れて行って。一緒に、捜して」

 そんなミアの台詞が耳に届いて、リヒトは息を呑む。顎に力が入り、ギリ、と噛み締めた奥歯が軋みを上げた。


 ミアが屋敷を抜け出したことにリヒトが気付けたのは、完全に幸運な偶然からだった。

 書斎で書類に目を通していて、何の気なしに窓の外へ視線を流した拍子に、森の中に銀色のものが煌くのが視界の隅に入ったのだ。


 夏だったら生い茂る木々に遮られていただろう。

 冬だったら白銀の雪景色に溶け込んでいただろう。

 まばらな紅葉が残る晩秋の今だから、彼女の色が目に留まった。


 ミアだ。


 そう気づくと同時に、どこに行くのかとか何をしようとしているのかとかの疑問はそっちのけで、リヒトは屋敷を飛び出していた。そして、もう姿が見えないミアを追って彼女が向かっていた方へと急ぐうち、十年前まで毎年ミアと逢っていたあの場所に向かっていることに気が付いたのだ。


 何故、今さら。

 あんなところに、何の用が。


 そんなふうに眉をひそめながら走っていた彼が聞くことになったのが、先ほどの台詞だ。

 まだかなり距離があっても、静まり返った森の中で、高く澄んだミアの声ははっきりと聞き取れた。

 間違いない。ミアは、彼女の前に立つ者に向けて確かに言ったのだ。「連れて行って」、と。


 ミアが対峙している金髪の巨漢には見覚えがある。確か、レオンハルトだ。十年前まで、ミアの保護者だった男。長年、彼女と共に過ごしていた、彼女の同族だ。

 その男が、ミアの願いに応じて言う。


「あいつにはまだ言ってないんだろ? まず、そっちを先に片付けろよ。まさか、行きたいと言ってすぐに出られるとは思ってないよな?」

「……そうね。リヒトと話してくる」

 小さな頭がコクリと頷き、銀髪が微かに揺れた。

 完全に思考が停止していたリヒトだったが、ミアが身を翻す素振りを見せて、とっさに近くの樹に身を潜ませた。

 と、軽やかに銀色の髪をなびかせて、すぐそばをミアが走り抜けていった。当然、リヒトがそこにいることなど思いも寄らないのだろう。彼に全く気付くことなく、レオンハルトを振り向くこともなく、彼女は遠ざかっていく。


(ずいぶんとすっきりした顔をしていたな)

 鬱々とした気分で、リヒトはチラリと見えたミアの横顔にそう思った。固めた拳に力が入り、プツリという何かが破れる感触と共に手のひらに痛みが走る。だが、今の彼は、その痛みに向ける意識を持たなかった。怒り、絶望、嫉妬、そういった黒々とした感情で頭の中が埋め尽くされていたから。


 ミアは、レオンハルトに、『連れて行って』と言ったのだ。つまり、リヒトから離れることを決めたということだ。


(そんなことは許せない)

 今すぐミアの後を追いかけなければ、追って、彼女を捕えなければ、と思う。が、怒りに近い思いで支配された身体は、自由にならない。

 その呪縛を解いたのは、今はこの世で一番聞きたくない声だった。


「いい加減出て来いよ」

 のんびりとした、だが、リヒトがそこにいることを確信している――いや、知っている呼びかけだ。

 逃げ隠れすることに意味はない。

 溜息を一つこぼし、リヒトは身を潜めていた木の陰から足を踏み出した。


 リヒトがいる場所は、男が立つ場所からはかなりの距離がある。しかし、リヒトがそこに隠れていたことにはとうに気付いていたらしく、金髪の男の視線は最初からピタリと彼に据えられていた。

 一瞬、彼など放ってミアを追いかけようかという考えがリヒトの頭の中をよぎる。

 だが、ミアはひとまず屋敷に戻ったはずだ。このレオンハルトという男と話をつけてからでも遅くはない。


 リヒトは、ゆっくりと足を進める。

 彼自身も背が伸びているにも拘らず、十年前に会った時の記憶より、レオンハルトは更に大きく感じられた。近寄ってみるとその巨躯は威圧感を覚えるほどだ。リヒトは見上げなくてもよい距離を保って、彼の前に立つ。


「よう、久しぶり。……血のにおいがしてるぜ?」

 顎をしゃくったレオンハルトの視線に釣られるように眼を落とすと、握り締めた拳の先から紅い雫が滴り落ちていた。

「ああ、失礼」

 どうでもいいことに適当に返すと、レオンハルトが眉を上げる。

「あんたはすっかり変わったな」

 男の口調は軽く、おどけていると評してもいい。

「おかげさまで」

 愛想よく微笑みながらそう応えたリヒトだったが、今この場にヴァンピールを屠ることができるという銀の刃を所持していたら、何のためらいもなくこの男の胸の真ん中に突き立てていただろう。可能であれば、彼の頭の中に手を突っ込んで、ミアが記憶されている部分をむしり取ってやった後で。


(この男さえいなければ、きっと、ミアはどこにも行かない――行けない)

 この男がいなければ、彼女にはリヒトしかいなくなるのだ。


 と、その不穏な考えが伝わったかのように。

「おっかねぇなぁ。変わったのは見てくれだけってか? 十年一緒にいてちっとも気付かんあいつが鈍いのか、あんたの面の皮が厚いのか、どっちなのかね?」

 肩を竦めながら呆れ混じりに言ったレオンハルトが、ニヤリと笑う。

「まあまあ、そんな喉笛食いちぎりそうな顔しなさんなって。で、話のどこら辺から聞こえていたんだ?」

 レオンハルトは、リヒトが何を聞き、何を考え、どう思っているのかを全て解かっているような顔で訊いてきた。そこには揶揄するような色もある。


 ほんの一瞬目元を引きつらせはしたが、リヒトは笑顔を崩すことなく軽く首を傾げた。

「そうですね、あなたと行きたい、と彼女が言っているところは聞こえましたけど?」

「それでいいのか?」

「彼女がそう望んでいるなら、僕にはどうしようもありません」

「ふぅん?」

 疑わしげに目を細めたレオンハルトは、どこからどう見ても人そのものだ。唯一、鮮やか過ぎる真紅の瞳が、異質と言えば異質か。


 そう言えば、と、リヒトは思い出す。


 リヒトの血を飲むと、ミアの瞳も真紅に染まる。ほんの一時のことで、すぐにまた元の鮮やかな青に戻るのだが。


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