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闇森の獣は光に焦がれる~氷輪の姫と病める光明~  作者: トウリン
そして、今

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秘密と恐れと雪解けと①

 ミアはどうにかリヒトとの間に腕をねじ込んで、力いっぱい彼を押しやろうとする。が、ビクともしない。

 いつものリヒトなら、少しでもミアが嫌がればすぐに放してくれる。

 それなのに、今の彼は鋼のタガのような腕と煉瓦でできた壁のような胸でミアを閉じ込めていた。その堅牢さに、彼女は混乱し、当惑する。

 病弱なリヒトは力も弱くて吹けば飛ぶようだったはず。


 身体を固くしているミアに、リヒトは頭を下げ、上からも包み込むようにして告げる。


「ねえ、ミア。僕の血を飲んで?」


 その、台詞。

 ミアの正体を暗示するその台詞に、彼女はぎくりと肩を強張らせた。と、毛を逆立てた仔猫を宥めるように、リヒトがミアの背をゆっくりと撫で下ろす。


「あなたがヒトではないことは判っていると、ずいぶん昔に僕は言ったよね」

 そう、確かに、彼は言った。

 ミアをこの屋敷に誘うときに。

 彼女はコクリと喉を鳴らし、乾いた舌をどうにか動かした。

「でも、あの時は、私のこと、ヘクセだって……」

「僕が言ったことをちゃんと覚えてくれてるんだ? 嬉しいな。うん、そう、あの時は鎌をかけてみたんだ」

「かま……」

 サラリと言われたその言葉をおうむ返しにしたミアにリヒトは温かな眼差しを注ぎ、頷く。


「ヘクセかヴェアヴォルフかヴァンピールか。ヒトではないことは判っていたけど、じゃあ何なのかっていうのは、正直判らなかった。だから、試しに口にしてみたんだ。そうしたら、ヴァンピールの時だけ反応が違ったからね、多分、そうなんだろうなって。でも、僕に知られるのを怖がっているようにも見えたから、ずばりヴァンピールだよねと言ったら逃げられてしまいそうで、ちょっと答えをずらしてみたんだ」

 リヒトは事も無げにそう言って、少しばかり力を緩めると、ミアの頬に手を当て彼女の顔を上げさせた。今更の暴露話に呆然としているミアは、彼が為すままその動きに応じる。

 瞬きも忘れて見上げるミアに、リヒトは屈託の欠片もない笑みを向けてきた。


「一緒に暮らすようになって、確信したよ。あなたはヘクセではなく、ヴェアヴォルフでもないって。調べてみた限りでは、どちらも食事は必要なようだからね。でも、ミアは要らないだろう? ヴァンピールなら周囲の生物から生気を受け取れる。それで充分なんだ」

「判ってて、何で――ッ!」

 ミアは喉を詰まらせた。

 混乱と不安で、言葉が続かない。

 ヴァンピールという魔物がヒトの社会でどういうものだと思われているかを、城にいた頃――父と母と共にあった幼い頃は、知らなかった。旅に出て初めて、ヒトの間で過ごして初めて、ミアは思い知ったのだ。

 彼女の脳裏に、旅路のあちらこちらで耳にした、人々がヴァンピールについて語る声がよみがえる。それは、いつだってひそめられていて、まるで、その存在について話をするだけで呪われるとでも思っているかのようだった。

 ヒトの生き血をすする、魔物。

 陽の光で灰と化す、呪われた、魔物。

 皆がそう言い、皆がその存在を恐れていた。

 城を出るまで、ミアは、ヴァンピールとヒトとの関係を父と母の姿でしか見たことがなかった。

 だから、ヒトという種にとってヴァンピールは恐れ忌むべき存在でしかないと知った時、愕然とした。


 父はヒトである母を愛していて、とても大事にしていた――母だけでなく、ミアのことも。確かに陽の光は浴びることができなかったけれども、あんなにも誰かを慈しめるものが、魔物であるはずがない。

 人々の声を聞きながら、ミアは胸の内でそれらを否定した。

 父は、ヴァンピールは、そんな存在ではないと。


 けれど、そんなミアの頭の奥底で。


 ――でも、じゃあ、どうして――


 父のことを想うと、いつも、小さな囁き声がする。


 今もまた、それが忍び寄ってきたけれど、その先は続くリヒトの台詞で掻き消されてしまう。

「あなたはヴァンピール、だよね、ミア?」

 静かな確信に満ちた声で問われ、ミアは奥歯を噛み締めた。

「私、は……」

 そうだと答えても、彼は変わらずにいられるのだろうか。変わらずに、いてくれるのだろうか。

(リヒトだって、ヒトだもの)

 ミアの正体を知れば、彼だって恐れおののくのではないだろうか。

 が、そこで彼女は眉根を寄せる。


 違う。


 リヒトの台詞がにおわせていたのは、彼が事実に気付いたのは今々のことではない、ということだ。


(知ったら、じゃなくて、――知って、いた……?)

 それも、とうの昔に。


 ミアは意を決して、下げていた視線をおずおずと上げる。

 そうして目にしたリヒトの顔に浮かんでいたものは、微笑みだった。優しく、穏やかな――いつもの彼と何一つ変わらない。それは、揺らぎなく彼女に向けられているその眼差しは、愛おしげ、としか言いようのないものだった。

「私がヴァンピールでも、怖くないの?」

 そう問いかけたミアの方が、よほど怯えているように見えていたに違いない。

 リヒトはミアをいっそう彼に引き寄せて、微かに頭を傾けた。

「僕に怖いものなんてないんだよ。ましてや、あなたのことを怖いだなんて」

 そう言って、リヒトは小さく笑う。


「僕はね、子どもの頃は生きたいと思ってはいなかったんだ。この世界に、こんなに苦しい思いをしてまで生きる価値はないってね。でも、ある時突然その考えが覆されたんだ」

 リヒトは眩しいものを見るかのように目を細め、片手でミアの頬を包み込む。もう片方の手は、がっちりと彼女の腰を捉えたままだ。そこにミアに対する嫌悪はひとかけらも感じられない。

「あなたに逢って、初めて、僕の中に生きることへの執着が生まれた。一年ごとに逢うたびにそれは強くなっていって、こうやって毎日一緒にいられるようになって、もう、決して捨てられないものになってしまった」

 頬に置かれたリヒトの手が滑り、ミアの後ろ頭に回る。彼は彼女の頭を胸元に引き寄せ、その天辺に口付けた。


「僕の血を飲んでみて。それで僕が少しでもあなたのことを怖がったら、すぐにでも行ってしまっていいよ」

 リヒトはミアの髪から背中をゆっくりと撫で下ろしながら、そう言った。絶対にそんなことにはならないと言わんばかりの声で。


「ねえ、ミア」

 重ねて届く、促しの――懇願の、声。


 ミアの気持ちが、ぐらりと揺れた。


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