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闇森の獣は光に焦がれる~氷輪の姫と病める光明~  作者: トウリン
そして、今

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思惑

 ミアを抱いたリヒトがあと数歩ですれ違うところまで近づいたとき、アデーレが一歩壁際に寄った。彼女は忠実な召使らしく軽く頭を下げ、眼も床に落としている。


 リヒトとミアの間に男女の関係がないということは二人の間の雰囲気から伝わるのだろうが、同時に、彼にとって彼女がこの上なく大事な存在であるということも、使用人たちには伝わっている筈だ。ミアをここに連れてきたときに、リヒトと同等、いや、彼以上に丁重に扱うように重々言い含めてもいる。


 リヒトがアデーレの横を通り過ぎようとしたとき、ふと彼女の視線が上がった。それはリヒトをかすめ、そして、彼の腕の中で眠るミアに向く。

 その瞬間、アデーレの眼の中に何かがよぎった。が、それに気づいたリヒトが微かに目をすがめたのと同時にすぐさま彼女は再び顔を伏せる。


(今のは……)


 嫉妬、というよりも、妬み、か。


 アデーレの身体には、以前に触れたことがある。

 女性の身体がどういうものかを知るために、十五歳の時に、一度だけ。

 いや、あれは、触れたというよりも、検分したというべきか。

 貴族の家では主人が使用人に手をつけ、囲い者にするのはさほど珍しいことではないらしい。アデーレもそうなることを期待したのだろう。

 しかし、目論見通りの流れにならなかったことに、彼女は少なからず自尊心を傷つけられ、同時に女としての闘争心を掻き立てられたらしかった。

 それからアデーレはことあるごとにリヒトに秋波を送ってきていたが、ミアを連れ帰ったときからピタリと鳴りを潜めている。リヒトにとってミアがどういう存在なのかを、一目で悟ったからに違いない。己の望みは叶わないと、ようやく悟ったのだ。


 リヒトとて、別にアデーレが彼に対して恋愛感情を持っているとは微塵も思っていない。リヒト個人に想いを寄せ、男としての彼を求めてすり寄ってきたとは。あの頃の彼女の望みは、きれいに磨かれたガラス越しさながらに、透けて見えていたのだから。

 アデーレが抱いているものは、おそらく、自分が手に入れ損ねたものを享受している者に対する妬みなのだろう。

 手に入れ損ねたもの、つまり、自らあくせく働かずとも、欲しいものを望むままに得ることができる日々、だ。


(ミアも、あれくらい判り易く欲しがってくれたらいいのに)

 リヒトは腕の中ですやすやと寝息を立てているミアを見下ろし、内心でため息をこぼす。

 リヒトはいくらでもミアに贅沢をさせてやれるのに、彼女が好むのは甘いお菓子か温かくてふかふかの寝椅子だけだ。邪魔くさい宝石や身を締め付けるドレスになど、一瞥すらくれやしない。


 思わずくすりと笑うと、チラリとアデーレが目を上げた。訝しげな視線と行き合ったが、そのまま流す。そうして、気持ち、ミアに注がれるアデーレの視線を遮るようにして、リヒトは彼女の横を通り抜ける。


(いっそ、今の使用人を全て入れ替えてしまおうか)

 アデーレが自分の背中をジッと見つめているのを感じつつ、リヒトはそんなことを考えた。


 別に、ここに留まるようになど一言も命じていない。

 不満があるのなら、さっさと出て行けばいい。


 あんなふうにミアに不快な視線を向ける者はさっさと追い出してしまってその後も数年ごとに人を替えれば、ミアの『異常』に気付く者も出ないだろう。短期間で去っていく者ならば、彼女とのつながりも深くならずに済む。

 ただ、出会う相手が増えれば増えるほど、ミアが奪われる危険も増すかもしれない。今、ここにいる男は、もう六十もいくつか過ぎたハンスだけだからその手の心配はしなくていいが、入れ替えるたび、彼ほど色々こなせる枯れた男が来るとは限らない。


(どっちがいいかな)


 リヒトはミアを抱く腕に力を込めた。


 どんな方法を取ったとしても、必ず穴がある。

 いっそ、ミアを箱にしまって鍵をかけてしまいたい。それが唯一の完璧なやり方だ。

 ミアにとってはほんの束の間のことに過ぎないから、リヒトが何を望んでも応じてくれるだろう。


 そんなことを考えながら歩くうち、答えを決めかねたまま部屋に着いてしまう。

 リヒトはミアを寝台に下した――下ろそうとして、胸元が軽く引っ張られていることに気付く。見れば、彼女の手がリヒトの服を握り締めていた。


「おやおや」

 呟き、リヒトは眉を上げる。

 どこからどう見ても疑う余地なく熟睡しているミアの手はしっかりと閉じられており、簡単には解けそうにない。


 どうしたものかとリヒトはしばし思案し、身を屈めたままミアの銀髪をそっと掻き分け、小さな耳をあらわにする。そこに、囁きかけた。

「僕が、ここにいた方がいいの?」

 ミアは握った彼の服を胸元に引き込むようにして、丸くなる。そして不明瞭な呟きが続いた。

「ん……リヒト……いかないで……」

 思わず、リヒトの頬が緩んだ。

 銀色の髪をひと房すくい上げ、そっと口づける。

「そういうの、目が覚めているときに言ってくれないかな」

 苦笑混じりにそう言って、リヒトはミアの手をそのままに、深い眠りの中にある彼女の隣に横たわる。

 腕の中に引き入れると同時に身をすり寄せてきたミアを、リヒトはそっと包み込んだ。


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