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闇森の獣は光に焦がれる~氷輪の姫と病める光明~  作者: トウリン
そして、今

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名前の意味

 陽は傾きつつあるが、夕食までにはまだ幾分時間がある。

 もうしばらくは寝かせておこうかと、ミアを抱いたリヒトは寝室を目指した。

 眠っているのだから当然と言えば当然だが、完全に彼の腕に身を委ねきっているミアが愛おしく、手放し難くて、リヒトは敢えてゆっくりと足を進める。


 廊下の角を曲がったところで、こちらへ向かって来ようとしている使用人の一人の姿が目に入ってきた。

 二人いるメイドのうち、年長の方――名前はアデーレだ。


 実のところ、六歳の時にこの屋敷に移り住んでから十年間以上、リヒトは使用人たちの名前など気にしたことすらなかった。だから、ミアをここに連れてきたとき、彼女から皆の名前を訊かれてそのまま「知らない」と答えたものだった。

 あの時のミアの顔を思い出し、リヒトは胸の内で笑みを漏らす。


「名前を呼ばなくても、用があるなら部屋の隅に下がっている紐を引けば、メイドが来るから」


 彼らの名前を尋ねてきたミアに対して、呼び鈴の紐がある場所を指さしながら答えたリヒトを、彼女は小首をかしげて見上げてきた。

「そうじゃなくて、名前を知りたいの。その、一応、一緒に暮らすのだから、知っておきたいわ」

「え? ああ、ごめんね。僕も知らないや」

 にっこりと笑って答えたリヒトに、ミアは何かとんでもないことを聞かされたと言わんばかりに目を丸くした。

「知らないの?」

 彼女はそう言い、彼をまじまじとみつめてきたのだ。

「個別の名称が要るほど人数がいるわけじゃないし、名前を呼ぶようなこともないし。それで十年間やってきたけど、別に不都合はなかったからね」

 特に知る必要性を感じなかったし、メイドは数年間で入れ替わる。彼らの方も、リヒトが自分たちの名前を知っているかどうかなど、気にも留めていなかっただろう。


 何をそんなに驚いているのだろうと思いつつそう返したリヒトを、ミアは眉間にしわを寄せて睨みつけてきた。

「名前は、大事なものなのよ?」

「えっと……そうかな」

 ただ個人を識別するための記号に過ぎないと思うのだが。何なら、番号でも振っておいたら事足りる。

 流石に、リヒトはその考えを口に出さないだけの分別は持っていたが、ミアには伝わってしまったようだ。


 消極的にミアの言い分を否定したリヒトに、彼女は拳を握る。

「そうなのよ! 人と人が関わり合うときに真っ先に必要になるものだわ。名前を知ってくれて、覚えてくれたら、その人は私に関心があるんだなって思えるでしょう? それに、名前にはつけた人の想いもこもっているし、とても大事なものよ」

 確かに、リヒトはミアの名前が好きだ。彼女の名前を想うだけで胸が温まる気がするし、彼女に名前を呼ばれると素直に嬉しい。だが、それはあくまでも相手がミアだからだ。名前というものそのものにそれほど意味があるとは、リヒトは思えなかった。


「想い?」

「ええ。たとえば、私の『ミア』は、定めに囚われず、自由に生きて欲しいって想いながらお父さまがお決めになったって、お母さまは仰ってたわ。古代リーデル語で『解き放たれたもの』っていう意味があるからって。リヒトの名前だって、『光』っていう意味でしょう? きっと、ご両親はたくさん祝福されるようにって想ってつけられたのよ」


 そうだろうか。


(派手で見栄えがするとか、権力を感じるとか、そういう基準で選んだだけだろうけど)

 実際、『光』という意味を持つからつけたのかもしれないが、そこにリヒトの両親が注いだ想いがミアが言うようなものだとは思えない。

 が、もちろんリヒトは正直にそう答えることなどしない。なるほどという顔でミアに向けて頷いた。

「きっとそうだね。じゃあ、皆の名前を確認しようか」

 笑顔で応じ、十年目にして初めて、彼らの名前を知ることとなったのだ。


 十年間、彼らには一切興味を示してこなかった主人からの突然の呼び出しに、皆、何事だろうという顔をしつつ集まった。

 名前を訊いたリヒトに彼らは皆目を丸くし、しどろもどろに答えたものだ。訊いてきたのが今になってようやくというのもあるかもしれないが、そもそも、どの屋敷でも雇い主が使用人に関心を向けることがあまりないからでもあるだろう。実家の両親だって、数多いる使用人たちの名前など、知らないはずだ。

 メイドのうち、年長の方はアデーレ、年下の方はヨハナ、家政婦はザーラで外回りの雑用をこなしている男はハンスといった。

 ザーラとハンスはリヒトがここに来た時から変わらない。アデーレはリヒトが十歳頃に、ヨハナはその数年後にやってきた――と思う。メイドを入れることにリヒトに打診があったわけでもないし、正確には覚えていない。


 ミアは一人一人と眼を合わせて挨拶をしていったが、当然、使用人たちは面食らっていたし、リヒトとしては彼らの気持ちの方が理解できた。基本、貴族にとって使用人というものは家具も同然なのだから。


 とにかく、そんな始まりから十年が経ち、未だに、使用人たちはミアに対してどう接したら良いのか判らないままでいるようだ。

 そういった慣習絡みの理由だけでなく、時が流れてもミアの外見が一向に変わらないからということも、もちろん彼らが距離を置く一因ではあるだろう。ヒトにしてみれば十年という年月は相当に長いから、いつまでも十代の少女の姿のままだと流石に違和感を覚える頃合いだ。

 そして、それだけではなくもう一つ、突然主人が連れてきた年端も行かない少女の立ち位置を掴みかねているというのもある。もしかすると、これが一番大きな理由かもしれない。


 普通に考えれば愛人か何かになるのだろうが、それにしてはミアに色気がなさ過ぎる。リヒトも、当たり障りのない場所へ口づけたり触れたりする以上のことはしていない。

 まあ、もっと深く触れたいのはやまやまだが、ミアにその準備が整っていないのは明らかだ。

 不用意に触れて怖がらせて、挙句に逃げられるのだけは避けたいし、その為の我慢ならばいくらでもできる。


 こうやって、ミアが自分の手の中に囚われてくれている限りは。


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