二百年の旅路の中で②
「で、ミア、どうすんだ? これで終わりにするのか?」
黙り込んだままだったミアに、レオンハルトが再び問いかけてくる。
ミアはレオンハルトを見上げた。そしてすぐにまた前へと戻す。
「来年のことなんて、知らない」
「去年もそんなこと言ってたような気がするけどなぁ」
のんびりとした声でのその呟きを無視して、ミアはリヒトが走り去っていったのとは逆の方へと身を翻した。
歩き出した彼女から少し遅れて、レオンハルトも歩き出す。
「あいつの面倒見始めて、もう何年になる?」
「……五年」
「いつまでやるつもりなんだよ?」
「……リヒトが気付くまで」
「気付くって、お前がヒトじゃないことに、か?」
「……」
ムッツリと唇を引き結んでいるミアに、レオンハルトがため息をついた。
「なあ、ホントにあの坊ちゃんがまだ気付いていないと思っているのか?」
「……あの子は、何も言わないもの」
「まあ、そりゃ、言う訳ないよな」
「……」
「こんなまだるっこしいことしてねぇで、さっさと眷属にしちまえば?」
「だめ」
キッとレオンハルトを睨んで即答したミアを、彼は眉を片方持ち上げて見返す。
「どうしてだ? あいつ、こんな森の中で放置されてるんだろ? 親も気にしたふうがねぇじゃねぇか。仮に明日消えちまっても、誰も気にしないだろ。第一、取り敢えず今んとこ生きてるが、あの様子じゃ、次に来た時にはおっ死んでるかもしれないぜ?」
レオンハルトの台詞に、ミアの胸がズキリと痛んだ。が、それを呑み込み、答える。
「……そうなったらそうなったで、仕方がないわ」
「ふぅん?」
明らかにミアの返事を信じていない様子で、レオンハルトが鼻を鳴らした。
ミアはチラリと彼を見て、足元に視線を落とす。
リヒトを、眷属に――ヴァンピールにする。
そうすれば、確かに彼は死ぬということはなくなるだろう。
けれど、ヴァンピールにするということはヒトではなくなるということで、それは、リヒトという存在を本来の形から歪めることになる。
ミアには、それがいいことなのか判らない。
それがいいことだとは、思えない。
(だって、そうなら、お母さまは……)
ミアは唇を噛んだ。
彼女の母は、ヒトだったのだ。最期まで。
父は母をヴァンピールにはせず、母はヴァンピールにすることを父に求めなかった。
どちらも、別れが近いことを知っていたはずなのに。眷属にすれば、永遠に近い時をずっと一緒にいられることを知っていたはずなのに。
それでも、母は最期までヒトのままだった。
「どうして、……」
別れを避ける方法を知っていたのにそれをしなかったということは、よほど、ためらわれる理由があったに違いない。
ポツリと一言こぼしたミアに、レオンハルトの視線が注がれる。それを感じながら、ミアはうつむいたまま呟いた。
「お父さまに、会いたい」
ミアのその切実な願いに、彼女の頭を見下ろしたレオンハルトは物言いたげに顔を歪ませ、結局何も発することなく口を閉ざす。視線を落としていたミアは、その時の彼が浮かべていた表情には気づかなかった。
ミアは、唇を噛み締める。
父に会って、どうして母をヴァンピールにしなかったのか、その理由を訊きたかった。
そして、少なくとも、その理由が判るまでは。
「私は、リヒトをヴァンピールにはしないわ」
前を見据えはっきりと告げたミアに、レオンハルトがまたため息をこぼす。
「俺はどうでもいいんだけどよ、ま、手遅れになってから後悔しないようにしろよ? 逝っちまったら、もう取り戻せないんだからよ」
その言葉はいつものレオンハルトの軽い口調とは違ってやけに重々しい響きを持っていて、ミアは彼を横目で見上げた。が、目が合った彼は、いつもの飄々とした顔をしている。
後悔。
豪放磊落なレオンハルトには、あまり似合わない言葉だ。
眉をひそめて見つめていると、彼は二ッと笑った。やはり自分の気のせいだったのかと、彼が言ったのは単なる一般論に過ぎなかったのかと、ミアは再び顔を前に向ける。
後悔。
父と母は、それを抱いたのだろうか。父のそれは未だ癒えずにいるから、姿をくらましたままなのだろうか。ミアという娘が、悲しみを共有した者がすぐ傍にといたというのに。
(お父さまの、弱虫)
胸の内で父に対する文句を呟いて、ミアは自分の中にも忍び込みかけた弱気の虫を振り払う。そうして両親のことはひとまず頭の中から消し去った。
リヒトをどうするかは、ミアが決めること。彼女には、彼を助けた責任がある。リヒトをどうするかは、ミアが、ミアの考えで、決めることだ。
これが永続的な関係でないことは、始めた時から判っていたこと。
ミアはヴァンピールで、リヒトはヒト。
いずれ、彼はミアを置いていってしまう。
まだ遠い先にある『死』だけでなく、彼の成長が近いうちに二人を分かつだろう。
こんな森の中にいるし、まだ幼いから、今は何も解かっていないのだろうが、リヒトだっていつまでも子どものままではない。あと数年後には外の世界を知り、ミアと自分の違いを知り、そして彼女を遠ざけるようになる。
――惜しみなく向けられるあの笑顔は、いずれ、失うもの、いや、手放さなければならないものだ。
(そうなるまでは、あの子のことを守るのは拾った私の義務だわ)
ヒトはどんどん年経ていくものだけれども、今のリヒトは、まだ彼女の庇護下にある。
奥歯を噛み締めたミアの頭に、ポンと大きな手がのせられ、クシャリと髪を撫でられる。
「……子ども扱い、しないで」
「はいはい」
ムスリと言ったミアに軽い口調で答えながらもレオンハルトはガシガシと彼女の頭を撫で続け、ミアもまた、その手を払いのけることはしなかった。