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無口な婚約者の本音が甘すぎる

作者: 群青みどり

 私、リリアン・ランレットには同い年の婚約者がいる。

 幼少期に親が決めた相手だったが、十八歳になった今でも関係は良好だと思う。

 月に一度は必ず会っていて、社交界デビューを果たしてからは、毎回二人で舞踏会や夜会に参加している。

 政略的な婚約とはいえ、決して私を放置せず、二人の時間を大切にしてくれる相手は良きパートナーと言えるだろう。


「このドレス、少し幼いかしら……今からでも着替えた方が」

「何を仰いますか。リリアン様の美しさを際立たせていますのでご安心ください」

「なら、良いのだけれど……」


 今日は月に一度、私の婚約者……アクア・ロドルヴェ様に会う日だ。

 失態は許されないと何度も侍女と鏡に映る私を確認する。

 お母様譲りの桃色の髪と空色の瞳に合うよう、落ち着きのある薄緑のドレスを選んだ。

 幼く見られがちな私は、これで少しでも大人びた印象を与えられたらと思っていたけれど、約束の時間が近づくにつれて不安になってしまう。


「もう時間がありません。最後の仕上げに取り掛かりましょう」

「……そうね」


 今更悩んだってもう遅い。

 きっと大丈夫だと信じて、侍女にブラックダイヤモンドが輝くネックレスをつけてもらう。


「いつ見ても美しくて立派なダイヤモンドですね」

「ええ、私もそう思うわ」


 アクア様は月に一度、私と会う日に必ず贈り物をしてくれる。

 このネックレスもそのうちの一つだ。

 しかしブラックダイヤモンドは市場に出回っていない、入手困難な宝石だ。

 それを私のために用意してくれたと考えただけで頬が緩む。


(それに黒と言えば、アクア様の髪色と同じ……偶然だろうけれど、私がアクア様の婚約者だと示せているようで嬉しい)


 何を隠そう、私はアクア様に恋している。

 婚約した当初は愛がなくても良きパートナーとして関係を築いていけたら……と思っていたけれど、彼を知っていくうちに惹かれていった。


「リリアンお嬢様、行ってらっしゃいませ」

「行ってきます」


 アクア様はいつも屋敷まで迎えに来てくれる。

 そして私の両親に挨拶をしてから、馬車までエスコートしてくれるのだ。

 お母様もお父様も、律儀なアクア様をとてもよく思っている。


「アクア様、おはようございます」

「……ああ」


 返事は素っ気ないが、アクア様は私を見るなり柔らかく微笑む。

 感情の起伏が少ないアクア様の笑みは、私の心を掴んで離さない。


(社交界でも滅多に笑わないことで有名なアクア様が、私にだけ見せてくれる微笑み……笑いかけられるたび、嫌われてはいないのだと安心する)


 アクア様は公爵家の次期当主として忙しい日々を送っているが、今日はその深い青色の瞳に映っているのが私だけだと思うと優越感に浸れる。

 アクア様にエスコートされながら馬車に乗り、王都の中心街に向かう。


「今月は桃の新作デザートだと聞きましたわ。とても楽しみです」

「そうか」


 アクア様は甘い物好きな私のために、いつも人気のスイーツ店に連れていってくれる。

 それも同じところばかりではなく、色々なお店を見つけては教えてくれるのだ。

 今は去年にオープンしたばかりのスイーツ店の、毎月旬の果物を使った新作デザートに心奪われてしまい、毎回足を運んでいる。


「先月の苺もとても美味しかったので、思わず友人に紹介して一緒に行ったのですが……」


 基本的に会話は私が主体になることがほとんどだ。

 さらにいうと、九割以上は私が話している。

 単に私が話し好きというのもあるが、アクア様はあまり自分の話をされない。

 それは他の人の前でも同じらしい。アクア様の友人が「お前は無口すぎる」と言うほどのようだ。

 だからきっと嫌われているわけじゃない、と少しでも自分を安心させている。


(私のくだらない話にも耳を傾けてくれるし、それに……あ、笑ってくれた)


 アクア様は私の話を相槌を打って聞きながら、時折笑みをもらす。

 その度に胸がドキッと高鳴ってしまい、何度話している内容が飛んでしまったことか。


「来月、系列店としてタルトに特化した新店が開くらしい」

「本当ですか⁉︎ それは行かねばなりませんわ……!」

「では来月はそこに行こう」


 アクア様はあまり甘い物が好きではないはずなのに、私を優先してくれる。

 一度、甘い店に行くのはやめようと提案したことがあるが、「なぜだ?」と不思議そうに却下されてしまった。


(アクア様は私を大切にしてくれている。けれどそれは義務のようなもので、特別な感情はないだろう)


 そう考えると胸が痛んだが、大切にしてくれるだけでも贅沢な話だ。

 相手は王家に次ぐ家門のロドルヴェ公爵家。

 私の家門も古くからある侯爵家で、一応名門貴族と言われているけれど、ロドルヴェ公爵家をはじめ、他にも位の高い家門がいくつもある。

 その中で私がアクア様の婚約者になれたのは、幸運ともいえる。


(それはわかっているけれど……やっぱり少しでも進展したい)


 願わくば、恋人のような関係性になりたい。

 けれどアクア様は私に対してしっかりと線引きしている。その証拠に、エスコートの時と舞踏会でダンスを踊る時以外、アクア様は私に触れようとしない。

 女性として見られていないのだと思うと、胸が締め付けられた。


「……何かあったのか?」


 一人で勝手に落ち込んでいると、異変を感じ取ったのか、アクア様が声をかけてくれる。


「いいえ、なんでもありません」


 この想いを言葉にして今の関係を壊したくない。

 アクア様にバレないよう、自分の気持ちを隠すように笑う。

 今日は月に一度のアクア様との貴重な時間なのだ、余計なことは考えずに楽しむのだと自分に言い聞かせた。




「ん〜、美味しい!」


 目的の店に着き、早速私は今月の新作である桃のケーキを頬張る。

 前回のいちごと負けず劣らず美味しくてクセになりそうだ。

 糖分を摂取できたおかげで元気を取り戻す。

 我ながら単純だと思うが、先程の不安が嘘のように消え、今では前向きに考えられていた。


(そもそも私、アクア様について知らないことが多いかもしれない……)


 婚約した当初はアクア様のことを知ろうと、何度か質問したことがある。

 好きなものについてや、趣味、友人関係について……と私なりに頑張って尋ねた結果、返ってきたのは「特にない」といった素っ気ない言葉の数々で、話を広げられなかった。


 さすがの私も心が折れてしまい、以来アクア様に関する質問はやめてしまっていた。

 しかしそれはあくまで幼い頃の話。

 今は社交界デビューをして、多くの貴族たちと交流し、それなりに話のスキルも上がっているはずだ。

 今ならアクア様のことについて尋ね、そっけない返事がきても話を広げられそうな気がした。


(進展したいのなら、まずは相手を知らないと!)


 あくまで自然に、相手の話を聞き出そうと目論む。


「そういえば先日、友人と街で……」


 まずはいつものように自分の話を持ち出し、会話を広げる。

 その中でさりげなくアクア様に尋ねるのだ。


「アクア様は休みの日に街へ行かれたりしないのですか?」


 ここで恐らく「行かない」という返しが来るだろう。

 その後の会話のパターンを何通りも考える。


「……街にはたまに行く」

「でしたら普段は何を……え?」


 想定外の返答に少し固まってしまったけれど、慌てて仕切り直す。


「そ、そうなのですね! 何か目的があって行かれるのですか?」

「最近だと洋装店に」

「まあ素敵! アクア様はどのような基準で服を選ばれますか?」

「最初は似合う色や形を探すようにしている」

「色や形、大切ですよね!」


 最初は、という言葉に引っかかりながらも、アクア様は服にこだわりを持つ方なのだと知る。

 新たな発見ができて嬉しい。


「……桃色の髪に空色の瞳は柔らかく明るい印象だ。今のような淡い緑のドレスや、黄色のドレスも似合うだろう」

「桃……空?」


 アクア様はいったい何の話をしているのだろう。

 その色の主って私を指している気がする。

 けれど今は、アクア様の服選びのポイントを聞いているはずだ。


「華奢な白い腕を見せた方が、きっと可憐な君に合っている」


 やっぱりアクア様はなぜか私の話をしていた。

 それはつまり──


「アクア様は私のドレスを選びに街へ行ったのですか……?」

「ああ。来月、王宮舞踏会があるだろう。それに向けてドレスを見繕った。今頃君の家に届いているはずだ」


 どうやら今月の贈り物はドレスのようだ。

 いつも高価な物を贈ってくれて申し訳なくなる。

 私も贈り物を用意していた時期があったけれど、これも「好きでやっているだけだから必要ない」と断られてしまった。


(そっか……ドレスはアクア様が私のためにわざわざ街へ足を運んで……)


 他の贈り物もそうかもしれないと考えると、やっぱり大切にされていると実感する。


「いつもありがとうございます。アクア様が選んでくださったドレスを着るのが楽しみです」

「王宮舞踏会は毎年多くの貴族が集まる。今回は君に似合うものを選んだつもりだから安心してくれ」

「……?」


 似合う……安心? とアクア様の言葉に不思議がっていると、彼が私のネックレスに視線をやる。


「いつもつけているのか」

「あ、ネックレスのことですか? 特別な日に、いつもつけています」


 特にアクア様と会う日や社交の場に出る時は、必ずつけている。


「そうか。では来月の舞踏会に合わせて今から新しいのを買いに行かないか?」

「えっ……どうしてですか?」


 私はこのネックレスをとても気に入っている。

 アクア様を近くに感じられて、来月の舞踏会にもつけていくつもりだった。


「黒は暗く不吉な色だろう。君にはもっと明るい色がいいとわかっているが……すまない。そのような色を選んでしまって」

「そんなことありません! 私はこれがいいです!」


 ネックレスに触れ、絶対に外さないと意思表示する。


「気を遣わなくていい。わかっているのにそれを選んだ俺が悪い。本当は淡い色を選ぶつもりが、欲が出てしまった」

「欲、ですか……?」

「誰にも手出しされないよう、一目で俺の婚約者だとわかるように……それをつけてほしいと望んでしまった」

「……へ」


 アクア様の表情や声音はいつもと変わらない。

 そのため聞き間違いかと思ってしまった。


「君がそれをつけていると、俺に染まったように思えて気分が良い。だが、黒の暗さが君の明るさの邪魔をしているようで、罪悪感も抱いてしまう」


 アクア様の言葉を理解するのに時間を要してしまい、すぐには返せなくなる。


「ここを出たら新しいのを買いに行こう」

「待っ……てください」


 あまりにも情報量が多い中、やっとの思いで言葉を放った。


「あの、アクア様は私のことをそんなに……その、考えて……」


 自惚れ発言をするのは恥ずかしく、言葉に詰まらせてしまう。


「確かにそうだな。気づけば君のことばかり考えてしまって、その度に君との約束が待ち遠しくなる」


 そう言って微笑むアクア様にいつもなら胸が高鳴るはずなのに、衝撃のあまり頭が真っ白になり、それ以降の記憶がほとんど残っていない。

 アクア様と別れてからも呆然としていて、お母様に何かが届いていると声をかけられた気がしたけれど、一人になりたくて部屋に直行した。


(私がブラックダイヤモンドのネックレスをつけているとアクア様は気分が良い……気づけば私のことを考えている……?)


 夕食時も入浴時も、何度も何度もアクア様の言葉が脳内で繰り返される。

 様子のおかしい私を見た両親や侍女に心配され、早めにベッドで横になったけれど、寝付けそうにない

 じっと天井を見つめながら、もう一度アクア様との会話を思い出す。

 そこでようやく今日の出来事が現実だと実感でき、勢いよく状態を起こした。


(いや、アクア様って私のことが好きなのでは……⁉︎)


 自惚れてはいけないと考えないようにしていた答えにようやく辿り着く。

 あの言葉の数々にあの表情……私もアクア様を好きだから、その気持ちがよくわかるのだ。


(い、いつから……⁉︎ アクア様はいつから私のことを……え⁉︎)


 熱くなる頬に手を添える。

 両想いだとわかり、嬉しさが込み上げてくる。


(けれど……)


 私は人生最大のチャンスを逃してしまった気がする。

 アクア様と進展したいと思っていたのに、あの時の状況を受け止めきれず、ろくな言葉を返していなかった。


「あああ、私のバカ……本当にバカだわ!」


 もし私も同じ気持ちだと伝えていたら、何かが変わっていたかもしれない。

 喜びと後悔に襲われ、その日の夜は全く眠れなかった。




◇◇◇◇◇



「アクア様が私のことを好きかもしれないの」


 王宮舞踏会が開かれるまで一週間を切ろうとしていたある日。

 私は友人に恋愛相談をしていた。

 あれからアクア様には会えておらず、未だに本音は聞けていない。


「あら……以前までは、『どうしたら女性として意識してくれるのか』と本気で悩んでいたけれど、随分と進展したのね。いったい何をしたのかしら?」

「特に何かしたわけでは……ただ、アクア様に──」


 私は友人に一通り説明する。


「それは高確率で貴女に好意を寄せているわね」

「私の勘違いじゃない……?」

「ええ、恐らくは。それにアクア様はいつも貴女の前ではよく笑っているじゃない? それが恋愛的な意味を持つのだとしたら納得ね」


 私はアクア様の笑顔を見るたびに嫌われていないと安心するだけで終わっていたが、その姿も私に対する好意から来ていたのかもしれない。


「そっか……アクア様も私と同じ気持ちかもしれない……」

「てっきり噂のせいで落ち込んでいると思っていたけれど、二人の仲は深まっていたのね」

「噂って……?」

「あら、何も知らないの? 今、社交界では貴女が他の殿方と浮気していたのがバレて、来週の王宮舞踏会でアクア様が婚約破棄を申し出るだろうという悪い噂が流れているの」

「う、浮気⁉︎ そんなことしていないわ……! それに婚約破棄って……」

「誰かが意図的に流したのでしょうね。たとえ嘘だとしても、火のないところに煙は立たないというから、貴女に何かしら問題があると印象付けるつもりじゃないかしら」

「そんな……」


 ここ最近アクア様のことで頭がいっぱいで、そのような噂が流れていたなど全く気づかなかった。

 もう打つ手はないということだろうか。

 このままだと私のせいでアクア様に迷惑がかかってしまう。

 それにもしアクア様がその噂を信じてしまったら……?


(そういえば、まだ今月の誘いが来ていない)


 過去に舞踏会に参加した月も、それとは別に会っていたというのに……浮かれすぎて重大なことを見逃していた。


(もしかしてアクア様は……)


 いくら噂とはいえ、そのような醜聞が広まってしまった私に呆れてしまったのかもしれない。

 だとしたら本当に婚約破棄をされてしまう……?


「……っ」


 不安になった私はすぐに友人と別れ、アクア様の家へと向かう。

 事前の連絡もなしに会いに行くなど無礼だとわかっていたけれど、一刻も早く会わなければと思った。

 幸いにもアクア様は屋敷にいたようで、使用人がすぐに取り合ってくれた。


「リリアン、突然どうしたんだ」


 屋敷の前でソワソワしながら持っていると、走ってきてくれたのか、少し息を乱しながらアクア様がやってきた。


「……っ、アクア様……」


 もし会わないと突っぱねられたらどうしようかと思っていたため、アクア様の顔が見られて安心するあまり足の力が抜けてしまう。

 そんな私の腰に手を伸ばしたアクア様に支えられ、膝をつかずに済む。


「とりあえず中に……」

「……さい」

「リリアン?」

「私のこと、嫌いにならないでください……浮気なんてしてません……私が好きなのは今までもこれからもアクア様だけです」


 もしアクア様が噂を耳にしていたらと怖くなり、泣きながら訴える。

 嫌われたくない、突き放されたくない。

 これからも私のそばにいてほしい。


「君は、俺がそのようなくだらない噂を信じていると思っているのか?」

「へ……」

「泣かないでくれ。ひとまず中に入ろう」


 アクア様はそっと涙を拭ってくれ、私を部屋へと案内してくれた。


「これは……」

「ホットミルクに蜂蜜はいつもどの程度入れるんだ?」


 使用人が部屋に持ってきてくれたのは、ホットミルクと別添えの蜂蜜だった。

 いつだったか、アクア様に話したことがある。


(ホットミルクに蜂蜜をたっぷり入れて飲むと、心が落ち着いてよく眠れるから、辛いことや悲しいことがあった時に飲んでいるって)


 しかしそれは何気ない会話の一部に過ぎない。

 それをアクア様は覚えてくれていたのか。


「まずは心を落ち着かせるといい。話はそれからだ」

「……ありがとうございます」


 私が取り乱してしまったからか、アクア様は隣に座って蜂蜜を入れたミルクを渡してくれた。


「……美味しい」

「追加で入れなくて大丈夫か?」

「じゅ、十分です……! お気遣いありがとうございます」


 甘いもの好きとはいえ、過剰摂取はよろしくない。

 ミルクを飲んだことで少し落ち着きを取り戻すと、今度は羞恥心に苛まれる。


(私、アクア様の前で泣くだなんて……なんという失態だ)


 チラッと横目でアクア様を見る。

 いつもは向かい合って座ることが多いため、なんだか変な気分だ。


「落ち着いたか?」


 私の視線に気づいたのか、アクア様は優しく微笑む。

 いつもより距離が近くて変に意識してしまい、顔が熱くなった。


「も、申し訳ありません。お恥ずかしい姿を……」

「構わない」


 直後、二人の間に沈黙が流れてしまう。

 聞きたいことがたくさんあり過ぎて、上手くまとまらない。


「君が心配している噂について、確かに俺の耳にも届いていた」


 先に口を開いたのはアクア様だった。

 やっぱりアクア様も噂について知っていたようだ。

 一瞬不安になったけれど、先程のアクア様の言葉を思い出す。


「もう一度言っておくが、俺はその噂を一瞬たりとも信じたことはない。いつも真っ直ぐで嘘をつけない君が、そのようなことをする人ではないことぐらい知っている」

「……はい」


 その言葉を聞けて、ようやく安心する。

 アクア様は噂ではなく私を信じてくれたのだ。


「君は俺が婚約破棄を申し出ると思っていたのか?」

「今月の、会う約束がまだだったので……呆れられてしまったのかなと不安になったのです」

「約束……まだ手紙が届いていないのか」

「手紙、ですか?」

「ああ、誘いの手紙だ。今日中には君の家に届いているはずだ。遅くなってすまない」


 まさかの私の早とちりだった。

 いつもより誘いが遅いというだけで勝手に不安になり、アクア様の家に押しかけるなんて……迷惑も甚だしい。


「本当に申し訳ありません……」

「君は悪くない。俺が遅くなってしまったのが悪い」


 穴があったら入りたいとはまさにこのことだ。

 気まずくてアクア様の顔を見れないでいると、彼は小さく笑みをもらした。


「だが、おかげで良いものが知れた」


 アクア様の手が私の髪に触れる。

 エスコートやダンスの時以外は決して触れてこなかったアクア様が、初めて私に理由なく触れた瞬間だった。


「……っ、あの」

「俺はずっと勘違いしていた。君は婚約という義務感から、俺に接してくれているのだとばかり思っていた」

「義務感だなんて、そんな……」


 慌てて否定しようとしたけれど、アクア様の柔らかな表情を見て胸が高鳴る。


(そうだ、私はさっきアクア様に……好きだと口走ってしまったのだ)


 今更それを思い出して恥ずかしくなった。


「さっきの言葉、もう一度聞かせてくれないか」


 アクア様から私に頼み事をするなんて今回が初めてかもしれない。

 どこか愛おしそうに私を見つめる深い青色の瞳に吸い込まれそうだ。


「ずっと、アクア様のことが好きでした。優しいところも、私の前で見せてくれる微笑みも……アクア様の全部が大好きです」


 想いを言葉にするのは難しかったが、とにかく好きという感情を表に出した。

 自分の気持ちを伝えた直後、恥ずかしさに襲われる。


(アクア様の反応は……あっ)


 恐る恐るアクア様に視線を向けると、すぐに目が合ってしまう。

 思わず俯きそうになったが、その前にアクア様が嬉しそうに笑った。


「夢みたいだ」

「……え」

「何度この瞬間が訪れることを願っただろう。君に笑いかけられるたび、勘違いしてはいけないと自分に言い聞かせたことか」


 まさかアクア様も、私と同じようなことを考えていたとは思わなかった。

 私たちはかなり遠回りをしていたようだ。


「君が好きだ、リリアン。すぐに顔に出てしまう君も、眩しいほど明るい君も、全てが愛おしい」


 初めてアクア様の口から「好き」の言葉が聞けて、ようやく同じ気持ちだと実感が湧いた。


「私も夢みたいです。夢なら一生覚めないでほしいです」

「覚めてくれないと困る。君が信じてくれるまで何度も言葉にしよう……いや、行動で表した方が早いだろうか」


 アクア様は柔らかな表情のまま、そっと私の頬に触れる。

 それはまるで合図のように。


「今ならまだ間に合う。もし拒否するなら……」


 アクア様が全てを言い終える前に、私はゆっくり目を閉じた。

 そんなの答えは決まっている。

 受け入れ体制の私にふっと小さく微笑んだアクア様は、そのまま唇を重ねてきた。

 互いの気持ちを確かめ合った後、どこか気恥ずかしくて笑い合う。


「ああ、そういえば……今月の誘いが遅くなったのは、噂を打ち消すために色々と考えていたんだ」

「噂……」


 そうだ。

 いくらアクア様は信じてくれたからといって、周りも同じとは限らない。

 私の醜聞として責め立ててくる人もいるだろう。


「先日、君にドレスを贈っただろう?」

「はい。とても素敵で、着るのを楽しみにしていました」


 贈られたのは黄色をベースにしたドレスで、試しに着てみた時は家族や使用人にとても絶賛された。


「だが、来週の舞踏会では別に用意したドレスを着てほしいんだ」

「別の……ですか?」


 アクア様は別室に私を案内する。

 その部屋の中心には一着のドレスがあった。


(これって……)


 深い青色がベースの大人な雰囲気漂うドレスには黒のラインも入っていて、それはもうアクア様を表すような色をしていた。


「噂を打ち消すため……というのは建前で、ずっと君にこの色のドレスを着てほしいとと思っていた。当日はこれを着てくれないか?」

「……はい。絶対にアクア様に恥をかかせないとお約束します」


 私のために動いてくれたアクア様の優しさ、愛の深さを必ず無駄にはしないと心に決めた。




◇◇◇◇◇


 王宮舞踏会は大成功だった。

 私とアクア様が入場する前までは好き勝手言っている貴族が多かったらしいが、私たちが入ってくるなり皆黙り込んだという。

 アクア様の色をしたドレスを着こなすため、舞踏会までに何度も試行錯誤した努力が実って良かった。


「アクア様! おはようございます」

「……ああ」


 舞踏会を経て、私とアクア様の関係は大きく変わった。

 まずアクア様との会う頻度が増え、二人で過ごす時間が多くなった。

 それから──


「今日も綺麗だ」


 アクア様は私の手をとるなり、額に軽くキスされる。


(スキンシップが格段に増えた……!!)


 私に触れたりキスしたり……距離がとにかく近くなった。

 もちろん嬉しいけれど、これがなかなか慣れない。

 お互いの気持ちを確認し合えたことで、アクア様はもう我慢する必要はないと判断したようだ。


「どうした?」

「い、いえ……! 行きましょう」


 熱くなる顔を隠すように、アクア様の前を歩こうとする私を見て、彼はふっと笑みをもらす。


「君の愛らしい照れ顔は見せてくれないのか?」

「……っ、これ以上はお許しくださいませ……」


 以前よりも口数が増えたアクア様の本音は、今日も甘かった。



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