機種変更
「松岡茉莉様でございますね。今回は機種変更をしたいというご要望で御間違いないでしょうか」
目の前に座った茉莉は担当の斧寺の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。悩ましく顰められた眉には、未だ迷いが滲んでいる。しかし固く一結びされた口元と膝に置かれた握り拳には決意を感じられた。
「お願いします」
隣に座っている男が「考え直せ!」「たった二年だぞ!」「まだ新品同様だってのに!」とみっともなく怒鳴り散らし始めた。両隣に座って契約をしていた他の顧客の片割れも、触発されるように騒ぎ立てて始めてしまう始末だ。
「私は絶対に嫌よ! 最新機種に乗り換えようなんて。絶対に認めないわ!」
「まだまだこれからだろう! アップデートだって定期的にしている。お前らには血も涙もないのか!」
「機種変更の同意書にサインしたらどうなるか分かっているんだろうなぁ!」
チェアを振り回し、展示されたカタログをフロアに叩きつけ、広告代理店から配布された女優のパネルを割り倒す。阿鼻叫喚に包まれた店内では、乱闘紛いの取っ組み合いを繰り広げている。
“毎度”と言っていいほどの争いの中。斧寺はカウンター席の下に隠れた茉莉に、粛々とした様子で機種変更同意書を目の前に差し出した。
「こんな時に申し訳ございませんが、こちらに印鑑とサインを頂けませんでしょうか」
「え、でも」
「ご心配いりません。こちらで貴方が“長谷川隼人”という携帯品を契約した際に“契約が二年経過している場合は、契約者の意思で機種変更を行える”と記載されていますから。サインして頂ければこちらで回収し、新たなパートナーを紹介いたします」
斧寺の淡々とした説明に茉莉はペンと手に取った。乱闘の中、二人のやり取りに気付いた隼人が一心不乱に駆け寄ってくる。
「……違約金を払わないために好きでもない男と一緒にいたんです。これで清々します」
「それでは回収を進めさせて頂きます。最新機種のご用意まで少々お待ち下さい」