1.5
*性描写ないですが、想像する人もいるかも……?と思ったので念のためR15にしました。
「森くんてコンタクト? 」
「裸眼だよー」
大学に入ってから今まで、こんなやりとりを何度しただろうか。
聞くところによると、近年は大学生の半数以上が眼鏡やコンタクトを使用しているという。
俺は瞳は小さいが裸眼である。
小さい頃からヲタ活動に勤しんでいたが、体力は落ちても視力だけは変わらず、それが密かな自慢であった。
「林さんてコンタクト? 」
「つけてないよ。私結構視力いいよ」
そして彼女は林さん。
俺の友達且つ好きな子で、大きな瞳がよく目立つ、俺よりちょっとだけ背の低い女の子である。
子どもの頃はみんな視力が良かったのに、いつのまにか少数派になった。
俺の仲間内では、知りうる限りは俺と彼女だけである。
「"視力の悪い人が死ぬ世界で視力のいい僕だけが生き残る町"みたいなことになったらさ、私と森くん生き残るね」
卒業を控えたある日、久しぶりに顔を合わせたゼミで、彼女は俺に言った。
「そしたらどうする? 」
「どうする? 協力して他の人がいるところに行くかなぁ。食料が尽きるだろうし、二人きりじゃ心許ないし……」
突拍子もない質問に頭をひねって答えると、彼女はふふっ、と微笑した。
「森くんっぽいね。そういうとこ好きだよ」
"好き"という言葉に俺の心臓はこっそり跳ねた。
他意はないのに、そこに異性として好き、という意味を付け加えてしまうのを、必死で抑える。
林さんは何故か残念そうに目を反らして、窓の外を見つめた。
頬杖をついて、ぼんやり眺めていた。
キャンパスの中の景色が四年前とは違うのを、人も校舎もどんどん様変わりしていくのを。
月日が流れ、あれから何年もの歳月が過ぎ去った。
大学の同級生同士で結婚するという二人の、報告を兼ねた飲み会に誘われた。
門出の報告にはいささか不釣り合いの雷雨だったが、何人か集められた中に彼女の姿を見つけたとき、心の中でガッツポーズしたのは言うまでもない。
あれから何人かと交際してみたが、彼女以上に心を動かされる人はいなかった。
可愛いだとか癒されるだとか特にそういうものはないけれど、何故だか今も林さんが、頭の片隅に存在している。
「森くん、私たち二人だけ目がいいの覚えてる? 」
「覚えてるよー。俺はもう悪くなっちゃったけどね。普段仕事のときは眼鏡なんだ」
俺は鞄からメガネケースを覗かせる。
「そっかぁ、そうだよね。やっぱり下がっちゃうよね。私もなんだ、この前免許更新でさ、ぼやけちゃってびっくりしたよ。運転中は眼鏡かけてるの」
林さんは眉を下げて困ったように笑った。
二十代半ばを過ぎても、林さんは林さんだ。
どこか大人びたところもあるけど、中身は林さんのまま変わっていなくてホッとする。
と、同時にもっと近づきたくてモヤモヤする。
俺たちは大人だから、積極的に近づいたって構わないのだ。
冷やかすような人もいないし、林さんは今も"林さん"と呼ばれているようだから、論理的にNGでもない。
俺は胡座をかいた太股を叩いて気合いを入れ、連絡先を交換しようとスマホを取りだそうとした。
その瞬間、ピカッと閃光が走ったかと思うと、居酒屋の店内が真っ暗になった。
「停電? 」
「雷落ちたねー」
少しだけ店内がトーンダウンし、耳をすますと、確かに稲妻のゴロゴロとした音が聞こえる。
外を走る車のライトで、窓際に座っている新婚カップルがたまに明るく照らされる。
壁の隅の俺たちの席は、スマホでも取り出さないと、暗くて何も見えやしない。
あ、そうだ。
ふと、俺の脳裏にいやらしい考えが浮かんだ。
真っ暗闇で何も見えないことを利用して、林さんに近づこう。向こうも視力落ちたって言ってたし、そう簡単に気づかないはず。俺、林さんの横顔好きなんだよなー。
……そう、俺が視力が落ちたというのは実は真っ赤な嘘である。
何でも見える、見えるけれども、見えすぎて気持ち悪いと思われたらどうしようと咄嗟に近視と偽った。
ちなみにメガネケースには、未だに有線ユーザーである俺の結構大事なイヤホンちゃん。
俺は音を立てずに人ひとりぶん空いていた距離を詰め、そして彼女の顔を凝視する。
鼻筋が通った整った横顔は昔、授業中に外を見るふりをしてよくチラ見したのを思い出させる。
好きだなぁ、林さん。
可愛いなぁ……
鼻の下を伸ばして、たいそうだらしない顔をしていたら、ムニッと何かが唇に触れてしまった。
「……えっ」
「え……」
俺たちは顔を見合わせた。
しまった!近づき過ぎてチューしてしまったじゃないか!!?
俺は顔が真っ赤になる。
停電していて心底良かったと、火照る顔を手で扇ぐ。
きっと俺に気づかぬ林さんが、俺に声をかけようと振り向いたのだろう。
咳払いをして、俺は彼女に忠告する。
「ごめんね。俺、見えてないからもっとパーソナルスペース多く取った方がいいと思うよー。じゃないとまたしちゃうかも」
「そ、そっか……じゃあ、移動するね」
林さんはそう言うと席を立ち、暗い店内を移動した。
どのくらい離れるつもりなのか、離れすぎじゃないのか?
横にいた彼女は長机の反対側へ周り込んだ。
なんかもう、ここまでくるとパーソナルスペースどころじゃない。
「申し訳ないです」
きっと俺との事故チューが死ぬほど嫌だったのだ。
だからあんなに離れて、わざわざ手探りで移動して。
……ん?
雷がまた眩しく光り、轟音を轟かせた。
反対側へ周り込んだ林さんは、そこへは着席することなくほぼ一周して俺の左側へ腰を下ろしていた。
「森くん、怖い」
「全然怖く無さそうだけど」
俺はようやく違和感に気づいた。
もしかして彼女は最初から全部見えているのではないか?
でなければ、暗闇でこんな風に流暢に動けないし、事故チューというのも俺の視点で、彼女は俺の気配に気付いてわざと顔を向けたのではないだろうか?
もしそうなら一大事だ、こんなところでその他大勢と飲んでいる暇はない。
俺は財布からレシートを取り出して、スマホで照らしながら連絡先を書きなぐった。
そしてそれを隣に居座る林さんの眼前にかざした。
「捨てていい? 」
「だめ、貰う」
「ねぇ、林さんって見えてるよね。本当はまだ充分視力あるよね」
「……そういう森くんだって見えてるよね。衰えたなんて嘘でしょ」
俺たちは暫し見つめあった。
しかしなかなかに恥ずかしいことをしていると気付いて、俺は林さんから顔を背けた。
停電が長くて良かった。
こんな中二みたいなこと、他の人に見られてなるものか。
「誰も見えてないよ。だって視力いいの私たちだけだもん」
「君はさぁ……」
彼女は俺が自分に気があるのを分かっているような口ぶりだ。
確かに外れていないけど、そこから一歩踏み出す勇気が過去の俺にはなかった。
だが今は違う。
俺は彼女の手にレシートを握らせた。
「ほら、登録しなよ。見えてるんでしょ?」
林さんは重ねられた俺の手をゆっくり愛おしそうに撫でた。
「うん。でも、せっかく停電してるから今しかできないことをやりたい」
林さんは首を傾け、何かを期待する眼差しを向けた。
その瞳はキラキラ潤んで、心の奥に潜んでいる庇護欲を刺激する。
あざといと分かっていながら、俺は彼女の期待に歯向かうことができない。
昔ずっと、彼女はあざといキャラなのだと思っていた。
他の男もこんな風に誘っているのだろうと、彼女を好きだという感情にずっとブレーキをかけていた。
それが誤解だと判明したのは、卒業式が終わったあとだった。
普段の林さんは控えめで一歩下がってついてくるような女の子で、どうやら彼女、俺に気に入ってもらうために頑張ってあざといキャラを演じていたらしいのだ。
それに気付かず俺という男は、卒業後と同時に心機一転しようとして、彼女の連鎖先を消したのだった。
さて、この潤んだ瞳の奥のそのまた奥にきっと秘めている羞恥心を、どうやって暴いてやろうかと考えるのも楽しいが、彼女もまだ自分のことが気になっているということが、何よりも嬉しい。
俺は彼女の頬に手を添えた。
そろそろ期待に応えてやらなければいけないしな。
俺たちは視力がいいけれど、それはつまり見えない人の世界は分からないことを意味する。
こんな暗闇では、見えない人は例え矯正していても見えにくいのだと思っていた。
「おまえらさぁ、暗順応って知ってる? 」
全て見えていたことを知ったのは、明るくなってからのことだった。