七話『野良猫と悪食』
負傷した哲をアンリが抱え、ノワールはノエルによって助けられながら歩き。
なんとか一行は、初めに作戦会議をした街へと戻ってくる。
元より泊まることになると予言者が予見していたのか、手配されていた宿の部屋にて哲をベッドへ寝かせ、その脇で新たに作戦会議を行うこととなった。
威力偵察を行い、獲得した情報や所感を交えた、本命の作戦会議である。
「……あの悪食は、どう見えた?」
口火を切るのは、ここでも進行役を買って出たノエル。悪食の印象を問う質問だが、彼女の声色は重い。
それもそのはず。超常の力を宿す者として、かの悪食の異常さをその目で見てきたのだ。
――曰く、この世界の救世主をも凌駕する、理をその身に纏った者。
予言者の遣いが知らせたその言葉の、意味するところ……それがいかなるものなのかを、しかと。
「……俺の魔法が効いていなかった。あれは単純な強度とかじゃない」
それに答えるのはノワール。彼が苦し紛れに放った魔力の礫のことである。アンリが同意した。
「俺も同意見だ。あれは魔法の影響を受けていなかったんだろう」
初めの回避行動以外、悪食の監視に徹したアンリだからこそ気づけたことがある。それに予言者の遣いの言葉を合わせると――
「……つまり悪食は、私たちから行う干渉を根こそぎ跳ね除けてしまえる、と?」
ノエルがそうまとめた。ノワールとアンリが頷いて同意し、続けてアンリが次の言葉を口にする。
「それから、アレは反応がよすぎる。自身へ向けられたものじゃなくても魔法に反応していただろう」
ノエルが撤退の判断を下し、その直後にノワールが離脱用の魔法を編んだ瞬間。まるでその魔法に返事をするかのように、打てば響くようなタイミングで悪食は〝捕食〟を繰り出した。
そも、一番初めに哲が行った小手調べこそ、反応がよすぎるというもの。徹底して無音で実行された哲の魔弾に、悪食は撃たれた瞬間に反応してみせたのだ。しかも、その魔弾だって悪食に効いていない。
それは、まるで――
「……確かに。あれはまるで、魔法に〝返事〟をしてるみたいだった」
ノワールがその言葉を口にする。アンリの内心に浮かんだ言葉とピッタリ同じで、彼は頷いた。
――そして、アンリにも通ずるところがあったからこそ、彼はこの結論に辿り着けた。
「ああ、悪食は〝食べること〟しか知らない。アレはそういう手合いだ」
「……と、言うと?」
アンリの言葉だけではわからなかったか、ノエルが聞き返す。アンリは悪食の姿を思い出しながら、あくまで淡々と答えていった。
「誰かに話しかけられたら、俺たちは言葉で答えるだろう。或いは無視をすることもある。だが悪食は、それに〝捕食〟という反応しか返せない」
「それしかできないんじゃないのか」と、アンリは言う。
――そう。つまり、誰と接した時にも〝拒絶〟を返す、アンリと同じなのだ。
「他も同じだ。周りでなにかが起こって、俺たちならそれに目を向けるだけでも、アレは〝捕食〟をする。……お前たちの魔法への反応がよすぎたのは、そういうことだろう」
重い沈黙が、その場を支配する。手酷くやられて逃げ帰ってきた今だからこそ、彼らはアンリの推測を重く受け止めていた。
言わば、「悪食に対する行動には、全てあの〝捕食〟が凄まじい反応速度で返ってきて」、「どんなに邪魔をしたとしてもそれは全く効かない」、ということである。
――絶望的な状況だ。悪食が活発に動き回る素振りがない、ということ以外、救いはない。
けれども、手立てがないわけではない。
「……ノエル、アレの〝捕食〟は防げるか?」
「――――」
アンリが、沈黙を切り裂いてノエルへ問うた。その質問が予想外だったのか、彼女は一瞬だけ面食らう。
しかしその驚きをすぐさま捨て、ノエルは真剣に考え込み始めた。自身が持ち得る超常の力と、今しがた見てきた出鱈目な攻撃を、頭の中で見比べる。
「……発動するまでの時間を稼いでもらって、それから防ぐことだけに専念すれば、弾く程度はできるだろう」
そうして、その結論を下した。断言をしない物言いだが、その根底には確固たる自信が敷かれている。
――アンリが見た精霊魔法とは、守る力だった。
彼が持つ黒い力と比べれば、たとえそれが冒涜的なほど絶対的なものでも、精霊魔法は慈悲深い力だったのだ。
対する悪食の〝捕食〟も、強力無比なものである。ともすればアンリやノエルの力、つまりこの世界の救世主の力にさえ匹敵するほど。
――逆に考えれば、悪食の力に救世主の力が届きうる、ということだ。
「俺の力なら、悪食にも干渉できる。……どうだ?」
アンリの提案に、周囲が息を呑んだ。ノワールが、言葉数の少ないアンリの言葉を補足する。
「つまり、ノエルがアンリさんを守って、アンリさんが悪食に攻撃する……そういうこと?」
「ああ」
アンリが頷く。ノワールは今一度その提案を吟味し、彼も勝算があると結論を下した。
「……なるほど、それなら行ける。いや、というか――」
――そうすれば勝てるから、予言者がこの二人に声をかけたのか。
そんなことを思いついて、ノワールは微妙に顔を顰めた。予言者によって全ての段取りが組まれているこの戦い、顔も見たことのない輩の手の上で踊らされているようなもの。彼は嫌悪感を覚えた。
……が、そこでハッとする。
「――待った。その作戦で勝てるなら、悪食討伐にはアンリさんとノエルしか必要ない。牧瀬さんと俺が呼ばれた理由があるはずだよ」
そう。予言者によって全てが仕組まれているのなら、ノワールや哲の戦力だって計算に入れなくてはいけない。
「……それなら、陽動じゃないのか」
ベッドに横たわりながら、今まで黙っていた哲がそこで口を開いた。「陽動?」とノワールが首を傾げ、次の瞬間に納得した顔になる。
「……そうか、魔法に必ず〝捕食〟を返してくるなら、弾幕を張ればそれら全てに反応が返ってくる。つまり――」
「――ああ、奴の対応能力を削ぎ落とせる。ノエルの負担が減るだろう」
哲が締めくくり、ノワールが顎に手を当てて思案を始めた。その役割に関して、詳細を詰めていく。
「回避はどうするんですか? 魔法を使えば、必ず〝捕食〟が飛んできます。今日のアレはあまり連発できないでしょう」
「離れたところに魔法を展開して、そこから攻撃すればいいんじゃないか? 〝捕食〟は全部、魔法を発現した空間に飛んできていただろう」
「なるほど……わかりました、その線で行きましょう」
ノワールが頷き、他の面々からも異論は出ない。これにより、悪食を討伐するための布陣が決定した。
――哲、ノワールの二人で、悪食に向けた飽和攻撃を行う。それら全てに〝捕食〟を返すことで、悪食は彼らの本命であるアンリを狙いづらくなる。
だが、悪食の対応能力の限界はまだわからない。二人の全力を超える能力を発揮するかもしれないが、そこはノエルがアンリを守る。
そうして守られたアンリが、満を持して悪食を攻撃する。魔力という限られたエネルギーによる飽和攻撃を援護とするのだ、可能な限りの速攻が求められる。
――大筋が決まれば、あと残るのは細かい部分だ。
「牧瀬さんが回復するのを待って……明日、明朝から仕掛けますか」
「私もそれがいいと思う。悪食は大胆には動かないようだしな」
ノワールがそう発言し、ノエルが答える。アンリは元から無口、哲は休むことに専念するため聞くだけで、会議は静かに進んで行った。
◇
その夜。
アンリは、彼に割り当てられた部屋でベッドに寝転がり、ぼんやりと天井を見上げていた。
滅びの黒勇者としての特性として、睡眠時間が極端に長いアンリ。起きようと思えば起きられるため、言うほど苦労はしない特性だが……それがあるため、今宵のアンリは眠ろうと思えばすぐにでも眠れる。
しかし、彼がまだ起きている理由は。
(……食べることしか知らない、か)
物思いに、耽っているから。
(……。……俺と同じだな)
――アンリは、拒絶しか知らない。
誰からも嫌われる彼は、同じように誰もを嫌ってきた。その果てにあるものなど、孤独の二文字でしかない。
それ自体に不満はない、とアンリは考える。孤独など怖くはないし、面倒極まりない人付き合いがないのなら万々歳でさえあると。
(……けど)
どうしてだか、アンリは悪食を見て、言い様のない危機感を覚えたのだ。
今の自分がこのままでいると、いつか自分もああなってしまう――と。未来の自分を突きつけられているようで、アンリは落ち着かなくなる。
(……なんで、こんなことを考えるんだ?)
アンリは、心底不思議にそう思った。なぜ、自分はそんなものに危機感を覚えるのかと。
――孤独が怖くなったわけではない。万々歳なのも変わらない。もちろん今でもそう思う。
だからアンリは、未来の自分が悪食のようになることへ、危機感を覚えたわけではない。
彼が危機感を覚えた――怖くなったのは、その先のこと。
――自分がああなると、その周りにいる者は、いったいどうなってしまうのだろう……?
「…………」
アンリの脳裏に浮かんだ一抹の不安。危機感という名の恐怖心は、果たして誰のことを指し示していたのか。
アンリはそのことを努めて脳内から振り払うと、逃げるように目を瞑った。
◇
翌朝。
哲の体調を確認し、作戦が可能だと判断した一行は、昨日と同じように警戒しながら森へ入っていった。
昨日悪食を発見した場所を目指しながら、一行は会話もなく森の中を進む。
「――いた。昨日から移動してない」
遠方から悪食を探すため、視力増強の魔法を使っていた哲が言った。
一行がいる位置はまだ悪食の射程範囲ではないのか、それとも悪食に捕捉されるよりも前から魔法を使っていれば〝返事の捕食〟は飛んでこないのか……いずれにせよ、作戦開始だ。
アンリの背後に、彼の守護に集中するノエルがついて行き、二人は悪食の背面へ。ノワールと哲は彼らから別れ、別の位置に待機。
位置取りは30秒で行い、その後哲の魔法一斉展開を合図に戦闘開始である。
また、少しでも悪食の行動にイレギュラーが見られれば、その場の判断で立ち位置を変更することも作戦の内だ。各々の役割を損なうほどにイレギュラーが大きければ、先日のように無理やり撤退して仕切り直すことにもなっている。
「――!」
そして、哲が魔法を発現した。
無音であっても意味がないのだからと、隠すこともなく空中に銃身を展開していく。それらは術者である哲から遠く離れた場所にあり、悪食を挟んだ哲の反対側に展開されたものもある。
上空から地面を狙う角度で設置されるそれらは、味方へと攻撃を当ててしまわないようにという気遣いが見て取れた。
そうして無数の銃身が浮かぶが、しかして哲の周囲に展開されたものはなく、本人は遮蔽物に隠れて悪食からの視線を切っている。
個人の限界を悠に踏み越えた量の火力を展開し、一斉に攻撃開始――
――これが、魔弾と呼ばれる救世主の十八番。
魔力とイメージが続く限りいくらでも攻撃手段を用意し、たった一人で万軍に比肩してみせる、牧瀬哲という魔法使いの本気だ。
「――――」
悪食が顔を上げる。口を開きながら、キョロキョロと周囲の銃身を見やった。
――その死角を突くように、光の塊が飛来する。
それはノワールの放った魔法。光で構成された剣を真似た、刃のついた棒状の物体である。
彼が初めて見た精霊魔法を模している、縦横無尽に宙を舞う剣。当然一本だけで終わるはずもなく、木々の間を埋め尽くすほどに光の剣が浮かべられていた。
当然本人は悪食の視線から逃れ、咄嗟にノエルやアンリの助けに入れるような位置取りもしている。
――後に剣の魔法使いと称される、ノワールの本気だ。
質より量、とにかく悪食の注意を引くことに専念した、正しく飽和攻撃。それをたった一人に向けて放つという暴挙に――悪食は、平然と対応してみせる。
「――――」
号砲はなく、けれども魔弾が一斉に放たれる。
銃声のないそれらは雨の如く降り注ぎ、悪食を頭上から蹂躙しようとし――
――前触れなく消え失せる。
「――――」
悪食が口を閉じ、〝捕食〟は広範囲に及ぼされた。悪食へ降り注いだ魔弾、それを放った銃身……その全てが、呆気なく一度に平らげられる。
悪食の頭上、広範囲に渡って〝捕食〟が展開されたのだろう。ついでとばかりに、周囲の木々のある一定の高さより上の部分が、齧り取られたかのようにして消失している。
悪食が口を閉じた、その瞬間――狙い済ましたかのように、背中からノワールの剣が飛来する。
死角を縫い、〝捕食〟の間隙さえ突いた攻撃。本命は背後からの2本、囮として悪食の正面と側面に5本だ。
「ぁ――」
悪食が口を開き、そしてすぐに閉じた。
微かに開かれたのみのそれが放つ〝捕食〟、範囲は狭いようだった。悪食の眼前に飛来した3本のみが消失し、残る4本は悪食に命中する。
――だが、効かない。
やはり、既存の魔法では効果がない。まるで影響を受けていないかのように意に介さず、悪食はまたしても頭上を見上げた。
そこには、数瞬の内に再び展開された数多の銃身が。それらは間髪入れずに魔弾を放つ。今度は直進する魔弾ばかりでなく、先ほど悪食の行った〝捕食〟の範囲から外れた位置を通って飛来する、曲線を描いて飛ぶ魔弾もある。
「――――」
しかしこれも効かない。悪食が口を閉じることでまたしても平らげられ、魔弾たちとは違うところを狙ったノワールの剣も意味をなさなかった。
――相次ぐ幾多の攻撃。絶えず実行されるそれは、刹那の戦闘の中で試行錯誤を続け、意味をなさないとわかっていながらも悪食を仕留めようと工夫が重ねられる。
それら全てを〝捕食〟によって、または纏った理によって無に帰す悪食。
「――――」
けれども、悪食がそれらの対応に追われ、見失っていたものが――もとい、見失っていた者が、二人。
「■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■――」
長く朗々と続けられた、ノエルの精霊魔法を行使するための詠唱が終わる。
ノエルの周囲に光が集まるように。初めの作戦会議で披露された、冒涜的なほどに強力無比、けれど慈悲を秘めた力が、彼女に付き従った。
「準備ができた。いつでもいいぞ」
「――ああ」
ノエルの合図。アンリは言葉だけで了解を返し、今度は自らの内に意識を集中させた。
――アンリの背後にあるは、精霊魔法の力。救世主である彼の背筋さえ凍らせる、強大すぎる代物。
けれどもそれは、彼を守る力だ。そのためアンリは精霊魔法への恐れを封じ込め、自らの心に刻んだ言葉を引き出す。
(――憎い)
憎い。誰かが憎い。
憎い。世界が憎い。
――憎い。悪食が憎い。
(ああ、そうだ)
自分に似た姿で、自分の未来を暗示するかのような悪食の姿に、アンリは苛立っていたのだ。
アンリの心は、悪食を見れば見るほど落ちつきを失くす。それはとても腹立たしいことで、すなわち憎しみだ。
――眼前の敵を憎む理由を見つけ、アンリの力に薪がくべられた。
「――――」
アンリの黒い力が現出する。それと同時に、悪食がアンリの方を向いた。
「――ッ!」
今一度、哲が今度は上空に加えて水平方向に銃身を展開し、同士討ちを避けながら即座に一斉掃射。
「――!」
ノワールは容赦なく悪食の頭と胴体、足元を狙い、悪食を仕留めようとさえ試みる。
悪食はそれのほとんどを無視し、一番の脅威と見なしたアンリへと〝捕食〟を放つ――
「ぐ――あぁッ!」
――不可視の〝捕食〟、見えない顎が振り下ろされ、しかして光に阻まれた。
ノエルの精霊魔法、その具現たる光の壁は術者の命令を忠実に実行し、アンリを守りきる。
「――死ね」
アンリは無意識に言葉を放ち、それと同時に己の力を解き放った。
黒い力はなにもかもを害する呪いへと変じ、狙い違わず悪食を射抜く。魔弾も、光の剣も、尽くを弾いた悪食の肉体を――その黒い力は、こともなげに食い破った。
「――?」
自らの〝捕食〟が防がれ、影響を受けないはずの肉体が傷つけられ……悪食は、倒れるまでの刹那に、不思議そうな顔を浮かべていた。
◇
悪食が地面へ倒れ、数秒の間油断なくそれを監視する一行。
アンリは心構えをしながら。ノエルは変わらず光でアンリと自分を守りながら。ノワールは光の剣を浮かべ、哲も再び無数の銃身を展開して。
「……やったな」
悪食が完全に動かなくなったことを確認し、哲がそう言葉を発することで、戦闘は終了した。哲とノワールが魔法を解除して、僅かに気を抜く。
異世界から訪れた災害、世界を滅ぼしかねないほどの大厄災、救世主にさえ迫る理を身に纏う者――
そんな危険極まりない悪食に、彼らは勝利を収めたのだ。
「――違う。待て」
けれど、アンリはそう言って哲の言葉を否定した。彼の目は依然として悪食を捉え、そしてそれはノエルも変わらない。
生まれながらの救世主、世界から力を与えられた者。そんな二人が警戒しているとあって、気を引き締め直す哲とノワール。
――悪食は、まだ生きていたのだ。
肉体の生命活動が今にも終わろうとしていて、それでいて非戦闘時のように自発的行動をとろうとしていない……そんな状態を、生きていると言うのならば。
「……こいつ、不死身なのか」
ノエルが呻くように言う。アンリも同意見だった。
――干渉を跳ね除ける絶対性と、不死身の肉体。それに加えて、あの異様な能力。
悪食は、およそ〝人〟とは呼べないモノだ。ノエルたちは眉をひそめ、悪食に感じる不快感を紛らわせる。
「……不死身だが、殺せるはずだ」
「っ、そうなのか?」
アンリが確信を持って言い、ノエルがハッと我に返って聞き返した。
アンリの力は壊す力。ことなにかを害するという点において、彼のそれを上回る力などない。
その力を以てすれば、死なないモノを殺すこともできる。現にこうして、悪食は息絶えようとしているのだから。
「……なら、頼む。苦しませるのはいけない」
ノエルはアンリにそう言った。
いかにも精霊魔法の担い手らしい、慈悲を感じさせる決断。それは正しく〝哀れみ〟であり、
――アンリの力を行使するにあたっては、邪魔なものだった。
「…………」
故にアンリは言葉を返すことなく、けれど行動で同意を示す。再び意識を集中させ、彼は心に刻んだ言葉を引き出そうと――
「ぅ――あ」
――悪食が、口を開いた。
アンリ以外の全員に緊張が走る。こんな状態でも〝捕食〟を行うのかと、彼らは驚愕によって行動を鈍らせた。
けれどアンリだけは驚かなかった。
――〝捕食〟しか知らないのなら、まともな人間がなにかをする際、悪食ならば必ず〝捕食〟を行うのだから。
死に際の最期の抵抗にそれを行うのは、当たり前でさえある。
「…………」
しかし、アンリの力はまだ用意できていない。
彼の力は一度放出して使い切ってしまえばなくなるもので、今はもう使い切ってしまったところ。再びやりたいのなら、もう一度作り直すしかない。
そしてそれは間に合っておらず、ノエルも精霊魔法の展開が間に合っていないようだった。
ここは回避を選択するしかない――
――そうアンリが決断し、行動に移すよりも早く。
「――ノエルッ!」
倒れふす悪食の身体に光の剣が幾本か突き刺さり、それを成したノワールはノエルを抱いてその場から離れた。続けてアンリもその場を離脱する。
ノエルとアンリの立っていた場所に〝捕食〟が発現するも、それはなにも食らうことなく……それを最後に、ノワールの光の剣によって悪食は息絶えた。
――敵の不意の行動に驚き、その次の瞬間に選択した行動が〝嫁を庇うこと〟とは。
「いっ、つつ……ノエル、大丈夫?」
「だ、大丈夫だ……」
よくやるものだと、アンリは心底からノワールに感心した。
――誰かを愛する者とはああいうものなのかと、アンリはそうも思った。
◇
悪食を埋葬したい――
それは、初めはノエルが言い出したことだった。ノワールは彼女が言うならばと同意して、意外なことに哲も同じく同意する。
こいつらの人柄を見誤っていたのだろうか、とアンリは不思議に思った。ノエルはともかく、ノワールも哲もそこまで甘い考えを持っているようには見えなかったのである。
だがしかし、その程度であれば反対する理由もないと、アンリは首肯する。
「ありがとう。……どこか静かな場所を見つけて、穴を掘ろう」
ノワールの光の剣でトドメを刺された、悪食の死体。奇妙なことに、その肉体からは血が流れ出ることがなかった。
元から悪食がそうであったのか。それとも、アンリの力によって呪われたせいで、そのような身体になったのか――それはどうでもいいことだと、アンリは気にしないことにする。
――哲とノワールが魔法で悪食の死体を運び、ノエルが先導、アンリが周囲の警戒を行い、やがて一行はその場所を見つける。
「……うん、ここにしよう」
森の中を流れる、湧き水の小川。そのほとり。
程よく見晴らしがよく、また清涼な空気が流れ日差しも暖かな、酷く居心地のいい場所――ここならば不足もないと、ノエルはそう考えたのだ。
ノワールと哲は傍らに悪食の死体を置き、川のほとりに深い穴を魔法によって掘った。野獣などに掘り起こされることのないよう、深い穴を。
「…………」
その作業を無言で見つめるノエルの内心には、果たして如何なる感情があったのか。
「……ノエル」
「……ああ、頼む」
穴を掘り終わり、ノワールが彼女に呼びかける。名前だけを呼ぶそれに、ノエルも心得ているかのようにそう返した。
ノワールによって、悪食の死体が穴の中に収められた。余裕をもって大きめに掘られた穴は、すっぽりと彼を収めてしまう。
ゆっくり、土が被せられていく。変わらずそれを眺めながら、ノエルは言葉を紡いだ。
「……お前は、人の温もりを知らないんだな」
――悪食に向けられた哀れみの言葉。
それは、アンリの心をも、打ち据えるもので。
「それは、悲しいことなんだ。……それさえも、お前は知らないんだろう」
強かに打ち付けられたアンリの心は、彼が身動きをとれなくなるほどに、痛みを発した。
「私たちには、せめてお前を終わらせてやることしかできなかった。……すまない」
ノエルの謝罪に込められた、彼女の悲痛な思い。
それを正しく理解して――けれども、それによって自身の内に生じた思いを、アンリは理解することができなかった。
――悪食の埋葬を終えて、一行は街へと帰る。昼にさえなっていない時間帯、彼らは各々の目的を持って、それぞれの家へと帰った。
ノエルとノワールは、嫌な新婚旅行だったと言いながら、沈んだ気分をなんとか盛り上げようと寄り道を約束して。
哲は、いつかまた会えるかもしれないなと、名残惜しげに残し。
……アンリは、未だに把握のできない自分の心を持て余しながら、馬車に揺られて。
昼頃になってようやく家へと帰りついたアンリが、その小屋の扉を開けると――
「――あっ……!」
――アンリの心の片隅へいつも居座る少女、ミシュリーヌが、彼の帰りを待っていた。
※悪食くんの超無敵、あれ実は捕食攻撃を行っている最中にしか発動しないものなので、仮に悪食くんの意識の外から一撃で仕留める攻撃を行ったりすれば、アンリの力でなくとも普通に仕留められました。現在作中に存在している救世主たちの中でそれができる者がいなかったため、この度このような方法で倒されることになったわけです。