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六話『野良猫と救世主たちと威力偵察』

アンリくんサイドの魔王討伐です。しばらくミシュリーヌちゃんは出てきません。悲しい。


同シリーズ内の別作品、「人類最強のお嫁さん」とのクロスオーバーになっております。併せてお読みいただけると嬉しいです。

 ――ここ、ブリッシュ王国と、隣国、ハイラキア王国との国境にある山脈、トリア山脈。そこにある亜竜の住処に、突如魔王が出現したらしい。


 魔王は異世界からの漂流者であり、こうしたことはパルムでは度々起こる。こういった不測の事態にも対応できる救世主が、今回の件でもいろいろな手配をしていた。


 ――ミシュリーヌとアンリの下へ亜竜が現れ、それを苦もなくアンリが撃退。その後すぐに彼が自らの住処へ戻った時には、既に予言者からの遣いが訪れていた。


「――アンリ様」

「わかってる。案内しろ」

「かしこまりました」


 どこにでもいそうで、目を離せばすぐに忘れてしまいそうな、存在感の薄い人相の男。そんな輩の顔も、アンリが目にするのは二度目だ。予め予想できていたこともあり、アンリは必要最低限のやり取りを交わすだけで終わらせる。


 ――この男は予言者からの遣い。未来を予知する能力を持った救世主が派遣した、世界を救うための最善手だ。


 男はアンリを連れ、ミシュリーヌの街とは反対側へ歩を進める。しばらく歩くと道が二股に別れており、森の出口へ向かう方へ進む二人。


 森が開けたところには豪奢な馬車が置いてあり、御者の男もいた。アンリと男がその馬車に乗り込むと、馬車は目的地に向かって走り始める。


 ――道中、男はアンリへと、此度の魔王についての情報を説明していった。


 曰く、異世界からの漂流者。


 曰く、この世界の救世主をも凌駕する、理をその身に纏った者。


 曰く、全てを食らう捕食者。


 呼称名を、「悪食」。


「精霊魔法使い、そのお連れ様、魔弾の三名にアンリ様を加えた、四名の救世主で討伐に当たっていただきます。つきまして、具体的な戦術の検討をご当人様方で行っていただきたく存じます」

「わかった。向かっているのはそこだな?」

「はい」


 未来を予知できる予言者が手配しただけあって、ご都合主義のように段取りが組まれていた。アンリはそのことにえも言われぬ不快感を感じて眉をひそめ、浮かんだ不満を目の前の男にぶつける。


 ……以前のアンリならばしなかったであろう、親しくない相手への不満の吐露。それを行ってしまった理由に、アンリはまだ気づかない。


「……そこまで仕組めるなら、なぜ今日の竜を放置した? 事前に知られれば、もっと穏便に処理できただろう」

「申し訳ありません。ですがアンリ様であれば問題ないかと存じますが」

「…………」


 確かに問題はなかった、と、アンリは不満を飲み込んだ。現れた竜はたかが亜竜であり、無造作に力を振るうだけでも仕留めることができただろう、と。


 つまり予言者は、あの場でタイミングよくアンリと亜竜が遭遇することも予見し、その上で「問題なし」と判断して通達を行わなかったのだ。事実、その判断は間違っていない。


 ならば、とアンリは疑問に思う。自分はなにを不満に思ったのだろう、と。


 そりゃあ、亜竜が急に襲ってきて、それを事前に予期できる人物がいたとなれば、「事前通達くらいしても」と思っても無理はない。だが、アンリ自身は亜竜に対して危機感は覚えておらず、心構えも必要ではない。事前通達の必要はないのだ。


 ――ならば、自分はなぜ、亜竜が襲ってきたことを不満に思ったのだろう?


 その疑問を思うと、頭の片隅になにかが引っかかる気がして……アンリはそれを不快に思って、考えることをやめた。


「……目的の場所までどれぐらいかかる?」

「しばらくかかると思われます」

「そうか」


 脳内の考えをごまかすように、アンリは男とそれだけ言葉を交わして。それ以上なにかを考えることがないよう、それきり目を閉じた。


 ◇


 ――ハイラキア王国側、件のトリア山脈の麓にある宿場町。そこにある高級宿の食堂スペースにて、アンリは悪食討伐に参加する救世主と引き合わされ、作戦会議を始めていた。


「……アンリ=ルイ・カース。滅びの黒勇者だ」

「ノエル・ブランシュ。精霊魔法使いだ」

牧瀬(まきせ) (てつ)、牧瀬が苗字で哲が名前だ。魔弾と呼ばれている」


 いつもの如く無愛想なアンリを皮切りに、ノエル、哲の両名が名乗る。


 ノエルは、長い白髪と白い瞳、陶磁器のような肌ととにかく白い外見に、齢14程度の幼い外見の少女だ。外見だけならば儚い、いっそ存在感がないと言えるほどの少女だが、言動は意外にハキハキとしていて男らしい。


 哲は、アンリと同じ黒髪黒目をした、齢20歳程度に見える男性である。言動もアンリと似て無愛想だが、アンリよりも対人コミュニケーションに慣れている雰囲気があった。


 ――そして残るもう一人、精霊魔法使いのお連れ様、と案内役の男が言っていた人物の番だが……彼は哲に視線を釘付けにし、なぜか呆然としていた。


 精霊魔法使い、ノエルが怪訝そうに肘で彼をつつき、我に返った彼が慌てて自己紹介をする。


「っ、す、すみません。ノワール・ブランシュです」


 金髪碧眼の、甘いマスクという言葉の似合う美少年。言動はいかにも礼儀正しく、やや童顔なこともあり、男らしさよりも可愛らしさや仕草の綺麗さが目立つ青年だ。


 そんな彼の自己紹介には、他の三人と違って救世主としての名乗りはない。まだ呼び名がないのだろうかとアンリは思ったが、「まあどうでもいい」とその考えはすぐに頭の片隅に追いやられる。


 ――がしかし、それが終わってもノワールの視線は哲に釘付けだった。さすがに不審に思ったのか、哲が警戒心を宿した目でノワールへ問いかける。


「……なんだ?」

「あっ、いや……」


 ノワールは視線を泳がせる。あからさまに怪しい反応を見せ、彼は数瞬後に「御髪の色が珍しかったもので」とごまかした。


 哲の髪の色は、アンリと同じく黒。確かにそれは珍しく、奇異なものへと視線を向けていたのならば無理はない。


 けれどもアンリは、そう言う割に自分の方には視線が来なかったが、と不思議に思う。黒髪が珍しかったから見ていた、と言うが、ノワールは哲の方ばかりを見ていたのである。


「……あまり見ないようにしてくれ。慣れてはいるが、視線があると落ち着かない」

「はい、すみませんでした」


 しかし哲はノワールの言葉に納得し、その注意で手打ちとした。アンリも特別口に出すようなことではないと思い、また会話を行うという面倒を嫌って、彼は口を出さずにその場は収まる。


 それを見て、会議を始めるためにノエルが口火を切った。


「では、作戦会議を始めたいと思う。まず、今回の魔王の情報を確認するぞ」


 そう言って、彼女は悪食についての情報を一つ一つ確かめていく。


 彼女たちにも案内役がいて、そこから悪食についての情報を聞いているのだろう。予言者からもたらされたそれに齟齬はなく、やがて何事もなく情報確認は終わる。


「それでは作戦立案の前に、まず救世主としての力を開示してもらいたい。初めは私からだな」


 と、次の工程としてノエルがそう切り出した。具体的な立案の前に、味方の戦力を把握したいのである。


 ノエルは椅子から立ち上がり、全員に見えるよう、少し離れた場所に向けて手を突き出す。


「――■■■■」


 精霊魔法使いの名に違わず、精霊魔法を使用しようとしているノエル。彼女が発した、恐らくは精霊魔法の詠唱と思われる〝それ〟は、アンリには理解不能な音だった。


 生まれつき力を持っていた救世主として、ぼんやりとアンリは察する。精霊魔法とは、魔法と言えどもアンリの力と同じもの。つまりはノエル以外に使える者のいない超常の力であり、それが他者に理解できない代物なのは道理である。


「――■■■■■■」


 やがて、長く続いたその詠唱は終わりを告げる。朗々と響いていたそれが止むと同時に、ノエルが向けた手の先の空間に、光が集まった。


 ――それは、圧倒的な力だった。


「――これだ。見てもらえたらわかると思う」


 ともすれば呑気と言えるほど、ノエルの説明は手短で杜撰だった。けれどもそれは彼女が説明を省いたのではなく、する必要がなかったから、言葉通り見ればわかるものだったからだ。


 ――精霊魔法とは、強大な力だった。


 人間であれば……否。この世界に住まうモノであれば、すべからく理解できるその御業。古くは世界を創造したとも言われる精霊の、その力の集合。


 掛け値なしの創造神の力だ。これほど単純明快で、絶対的なものはない。


 ――言わば、世界から認められた特権とも言える、世界の理そのもの。


「次は……ノワールを見てもらった方がわかりやすいか。ノワール、頼む」

「あぁ、うん」


 ノエルとノワールの二人は、この理不尽な力を見慣れているのだろう。精霊魔法の前だというのに極めて平常運転な彼らの会話で、無意識に凝り固まっていたアンリの意識が現実に帰ってくる。


 アンリは強ばっていた身体を解しながら、今しがた見た精霊魔法について考える。もう既にノエルの出した光は消えてしまったが、それでも相当彼の印象に残っていたのだ。


 彼にとって超常の力は、自身が持つそれのおかげで見慣れている。なればこそ、自身の力と比べることで見抜けるものもあった。


 精霊魔法とは、守ることに優れた力のようだ。アンリの力が、憎しみのままなにかを侵して壊すものならば、精霊魔法は、なにかを慈しみ守るものである。


 ――そうアンリが分析していると、今度はノワールが己の力を開示し始める。彼は一般的に知られる魔法を用いるようだ。


 ……が、ここでもアンリは、力の本質を見ただけで悟るという経験をすることになる。


 ――ノワールが実演してみせた魔法が。正確には、それに込められた魔力が、先ほどの精霊魔法と似ている。


 ノワールが発現したのは、小さな炎。宙に浮かぶ掌ほどの大きさの、一つの火である。


「……えっと、俺のも見てもらえたらわかると思います。生まれつきの体質で、精霊に似た魔力を持っているんです。既存の魔法と同じ要領で、ノエルの精霊魔法のようなものが使えます」


 彼はそう付け加え、それによってアンリは自身の感覚が間違っていなかったことを知った。なるほど確かに、精霊魔法に似ているのは当たり前だと、アンリはいつもの無表情の下で納得する。


「――次は俺の番だな。俺は魔法を使う。……そうだな。ノワール、と呼んでも構わないか?」

「はい、なんでしょう?」


 次に哲が名乗り出て、彼も実演をするつもりらしくノワールへと協力を依頼した。


 先ほどの魔法の実演で、ノワールの魔法の腕を見込んだのだろう。空中になにか的を作ってくれと、哲が彼に要求する。


 ノワールがそれに従い、平べったい丸型の的を中に浮かべた。


 ――そして哲は、魔弾と呼ばれる所以を見せる。


「――――」


 彼に、特に目立ったアクションはなかった。けれども突然、哲の眼前に筒が――否。やけに細長く、トリガーやグリップもない代物だが、銃身が現れた。


 ――パァン!


 その銃身から、銃声と共に銃弾が放たれる。その速度は銃の名に相応しいだけの速度で、目にも止まらぬほど。気づけば的が撃ち抜かれ、的の中心が銃弾によって凹んでいた。


 ポロリと、的に命中した銃弾が落ちる。そのまま虚空へ塵に変わるように弾が消え、それと同時に哲の出した銃身も消失した。


 ノワールも倣って的を消す。哲が補足の説明を始めた。


「これが〝魔弾〟だ。要は遠方からの射撃で、威力は今のものよりも上げられる。今のサイズを目いっぱい展開したり、大きいものに変えてより威力を上げたり、着弾すると爆発する弾も撃てる。他にも自由度は高い」


 「以上だ」と締めくくり、哲は椅子に座った。


 魔弾というより、もはや一人軍隊と言えるだけの火力だ。それも、彼の魔力が続く限りは用意し続けられるバ火力である。


 魔法ということもあって人間が持つ必要もなく、彼一人がイメージするだけで虚空に浮かんだそれらが猛威を振るう。絨毯爆撃や十字砲火、洒落にならない規模の斉射……そんなものも、彼一人だけで可能だ。


 救世主に数えられるだけはある、その魔法の苛烈さ。もちろん手札を全て開示したというわけではないし、今のが全力ということもない。


 ――底が知れない。


 アンリは哲の力を認め、当然ながらノエルやノワールのことも認めた。


 異世界から訪れた災厄、それに対抗〝できるよう〟、未来を視ることのできる予言者が集めただけはある。


 アンリは、彼らが自身の背中を預けるに足り、また彼らの信頼を自身が預かる価値があると、珍しく損得と警戒抜きで他者のことを認めていた。


「……俺の力はこれだ」


 ――最後に、そんなアンリの番。


 元より、これから悪食と戦うというのに隠せるものでもなく、その意味もない。だからこそアンリは、自らの力を明かすことへの躊躇いを、難なく捨てた。


 言葉少なに、アンリは机の上に手を出して、掌を上にする。


(――憎い)


 アンリの力の原動力、それは掛け値なしの憎悪である。


 心に憎しみを作り、外に出して形にする。その点だけならば、魔力を放出して形とする既存の魔法と似ていると言えるだろう。


 ――アンリの掌の上に、黒い力場が生み出された。


 これこそが、滅びの黒勇者の力。憎しみをこれでもかと詰め込み煮詰め、そっくりそのまま現世へ放り出した憎悪そのもの。


「――――」


 場に沈黙が広がる。ノエル、ノワール、哲……誰もがアンリの出したそれに目を奪われ、言葉を失くしていた。


 もちろんそれは、感嘆で呆けていたのではない。少しの驚愕と――その力は必ずなにかを壊すもの故に、それが自身に向かって来ないかという恐怖で、皆が揃って呆然としたのだ。


 ――アンリの力もまた、精霊魔法と同じく、見ただけで本質を悟る単純明快なものである。


 なにかを害することにかけては、創造神の力である精霊魔法をも超える。


 感情を持つ者ならば誰しもが行える、〝最も簡単な呪い〟……最も簡単であるが故に、そして世界から認められた呪いでもあるからこそ、精霊魔法とは別の意味で最強だ。


 精霊魔法が、世界を守る力なら。


 ――アンリの力は、敵を殺す力である。


「…………」


 場の沈黙は、もう充分だと判断したアンリが黒い力場を消した後も、しばらく続いた。


 ――踏んだ場数の違いか、年の功か。


 沈黙を破ったのは、哲。


「……ああ、それなら頼もしいな。早速この後、悪食の討伐に向かうか?」

「い、いや、それはまだ早い」


 ハッとなって、ノエルが彼に答える。


 アンリは、再び黙り込んで静観の構えをとった。


「予言者から事前に情報は聞いたが、私たちはまだ実物を見ていない。撤退を視野に入れた威力偵察に留めるべきだ」

「道理だな。異論はない」


 哲が同意し、アンリもノワールも頷いてノエルの意見が可決される。


 自己紹介、悪食の情報の確認、各々の力の開示、方針の決定――それらを経て、彼らは行動を開始した。


 ◇


 ――トリア山脈は、深い森に覆われた山脈である。


 ハイラキア王国、ブリッシュ王国を隔てる国境にして、長い間人の手が入ることのなかった深い森林だ。


 この世界の空気中には魔力が漂っている。その濃度は地域によって異なり、濃すぎる場所は怪物が生まれる「魔族領域」と呼ばれていたりもするが……ここ、トリア山脈も、魔族領域に片足を突っ込むくらいには魔力の濃度が高い。


 そのせいかはわからないが、亜竜の巣があるだけでなく巨人や魔狼と言った怪物がうろつくこともあり、奥地では虫型の怪物も見られる。


 詳細は省くが、それらの怪物はすべからく人間の脅威となるもの。ハイラキア王国とブリッシュ王国がトリア山脈で国境をわけているのは、この怪物たちのせいで侵攻が難しかったのが一番の要因である。


 今でもそれは解決されておらず、開拓もろくに進んでいない。かろうじて通れるだけの寂れた街道が敷かれた、深い森が広がっているのみだ。


 ――その森の中、いると言われていた怪物の姿を一切見かけないまま、アンリたち四人は奥へ進んでいく。


「……静かだな」


 哲がポツリと呟いた。彼は両国間を行き来する隊商の護衛に就いたこともあり、この森は初めてではない。


 その哲から見て、この森は異常らしい。それは初めて訪れたアンリにもわかった。


 森であれば必ずいるはずの、生物の音がしない。ともすれば気配を感じないとさえ言える完全な静寂。――要は、静かすぎるのである。


 この静寂が悪食の影響なのは、この場の全員が察していた。ここにいた怪物たちは、亜竜のように逃げ出すなり、悪食に食われるなりしたのだ。


「…………」


 先頭を歩いていたアンリが、無言で後ろを振り返る。言葉を紡がずとも彼が「このまま進むのか?」と疑問を示したのは、他の三人もわかったらしい。


 先の会議によって、アンリの無口っぷりを理解しているのか。特に文句や不満が出ることもなく、問題なくアンリの意思表示を受け取ってノエルが考え始める。


 ノワール、哲を挟んだ最後尾のノエルが、難しい顔で数秒沈黙。その後、「……進もう」と発言した。異論は出ない。


 元々、ここへは威力偵察をしに来たのだ。撤退することを前提にもしており、それなのに目的の悪食に接触する前から、森が静かだからと帰ることはできない。


「――――」


 緊張感を強めながら、一行は森の奥へ進んでいく。延々と続く登り坂、その風景に、アンリたちが少し見慣れてきた頃――


「――いた」


 アンリが呟く。先頭を歩く彼だからこそ、いの一番に気がついた。アンリの視線の先へ、一同が揃って目を向ける。


 ――そこには、ボロボロの白い服をまとった、痩せぎすの男が。


 男はアンリたちの位置よりももう少し登り、街道から外れた木々のただ中をヨロヨロと歩いていた。


 髪色は、ノエルのように真っ白。しかし彼女のそれとは違い、随分くすんでいて手入れもろくにされていない。生来のものではなく、生気が抜けたが故の脱色にも見える色だ。


 頬は少し窪んでおり、目は虚ろでぼんやりと目の前を眺めるのみ。格好は薄汚く、まとう雰囲気も正しく〝浮浪者〟だ。


 場所が場所なら、単なるスラムの住人にも見える装い。住処がなく、食べるものもない、見るからに貧しい〝いかにも〟な人間。


 ――だが、超常の力を身に宿す者である救世主が、〝アレ〟の異質さを見間違えるなどありえない。


 〝アレ〟が、件の悪食だ。


「……あれだな」

「手筈通りに」

「ああ」


 哲とノエルが、短く小声で会話する。事前の打ち合わせ通り、まず哲が魔弾で小手調べだ。


 この面子の中では、実力の水準はともかく、能力の性質は哲が最も一般的である。


 生まれ持った超常の力を使うアンリでもノエルでも、精霊に似た魔力しか使えないノワールでもない、普通の魔法を使う哲……ひとまずの小手調べとして、彼の魔法が選ばれたのはそのためだ。


 その哲が、ノーモーションで銃身を展開する。体外への魔力の放出から魔法の発現まで、タイムラグが極めて少ない。年季を感じさせる展開速度、もちろん弾だって無音で即座に放たれる。


 ――しかし。


「――?」


 無音で放たれた、瞬速の銃弾に――悪食は、哲の方へ振り向いただけだった。


 正確には、哲の方へ振り向いて口を開いた、それだけだった。


 ――それを見て、寒気を通り越した痛みが、虫の知らせとして一同の背筋を走る。


「ノエル――ッ!」

「ノワ――」


 まず動いたのはノワール。自らの仲間を庇わなくてはいけないという心構え故か、それとも彼は虫の知らせに殊更敏感なのか。彼は誰よりも早く身を翻し、背後のノエルを抱きしめて魔法を展開した。


 展開されたのは飛行魔法。悪食から距離をとることだけを考え、ノワールは一方向への推力のみを飛行魔法に命じる。


「――ッ!?」


 次に哲が動いた。救世主として、また傭兵としても戦い慣れている哲は、こうした直感には一日の長がある。離脱用の魔法を使い、哲がその場から離れる。


 ――本来の彼の〝魔弾〟においては、反動まではイメージしていない。そのため、普段は反動などなく、ブレることもない弾が放たれる。


 しかし、その時哲が用いた魔弾には反動があった。いや、そもそも反動そのものを目的とした魔法なのだろう。


 急激な反動によって哲は自らの身体を吹き飛ばし、その場から身を投げ出す。


「――!!」


 遅れて――とはいえ一瞬の差である――アンリがその場から飛び退いた。


 踏んだ場数は哲に劣り、危機を感じ取る本能はノワールに劣り、離脱手段は魔法を使った両方に劣る……けれども救世主として生まれ持った副作用に助けられ、アンリは身体能力のみでその場から飛び退いた。


 その場に残されたのは、移動することを考慮せず発現したせいで、術者に取り残されてしまった小手調べの銃身だけ。


 ――その銃身が、なにかに潰されるようにしてその場から消失した。


「――あれは」


 ノエルが、ノワールの腕の中で呆然と呟く。着地のことを考えていなかったノワールが咄嗟に彼女を庇って下敷きになっていたが、そのノワールも痛みに呻くことをしない。


 それほど、悪食の攻撃は理不尽かつ唐突だった。


 ――消えた銃身は、〝食われた〟のだ。


 場にいた全員が、それを本能で悟る。


 悪食は先の場所から動いていない。もちろん彼の口は、彼らのところになど届いていない。ただ、口をその場で開けて閉じただけ。


 ――だというのに、銃身は食われた。もしあの場から離脱していなければ、きっとアンリたちも一緒に食われていた。


「ッ――牧瀬さんッ!」


 未だに衝撃を受け止めきれないアンリたち。しかし悪食は待ってはくれない。また危機感を感じ取ったノワールが、哲に向かって叫ぶ。


 再び悪食が口を開いた。今度は先ほどより大きく、哲の方を向きながら。


 ――それは、魔弾を放った哲へ悪食が「なにをするんだ」と、文句を言っているかのように、アンリには思えた。


「――ッ!!」


 ノワールの叫びと同時、哲は先ほどの緊急離脱と同じく、身体に連動させた銃を撃った反動で吹き飛び、立ち位置を急激に変える。


 ノワールが咄嗟に、悪食に向かって魔力の塊をぶつけた。固めた魔力の礫をぶつけるだけの、石を投げるかのような魔法攻撃。それでも妨害くらいにはなるはずだと、そんな刹那の判断で。


 ――ノワールの魔法は悪食に命中した。けれど、悪食は怯むどころか、微動だにしなかった。


 そう、まるで、ノワールの魔法による影響を受けていないかのように。


「――――」


 アンリは悪食を観察し、微かな手がかりを見つける。しかしそれが言語化される前に、悪食が口を閉じた。


 哲が先ほどまで立っていたところに、またしても悪食の〝捕食〟が襲いかかる。幸い今度は食べられたものはなかったが、その間隔の短さは脅威だった。


「ぐ――!」


 辛くも攻撃を躱した哲が、着地と共に苦しげな声を漏らす。当たり前だ、成人男性の身体を急激に吹き飛ばすだけの銃の反動をまともに食らって、三半規管が無事であるはずがない。むしろ、この短時間に二度も繰り返して、今も立っているのが不思議なほどである。


 ――手立てがない。


 アンリが現状を見限り、撤退の判断を下した瞬間。


「――撤退だ! 逃げるぞッ!」


 ノエルも同じようにそれを口にし、アンリは逃亡のための算段をそこから考え始めた。


 ――が、ノワールの方が先を行く。


 ノエルの指示からタイムラグなしで、ノワールが即座に逃亡のための魔法を発現した。二人は苗字が同じでもあるし、夫婦かなにかなのだろうなとアンリは場違いに考える。


 ノワールが展開したのは飛行魔法。先の緊急離脱と同様に、速度を手加減抜きで発現する。


 同時にノワールは、自分とアンリ、哲を魔法によって固定した。相互の位置がズレないよう――つまりは、飛行魔法によって吹き飛んだノワールに、二人がついてこられるようにするためだ。


 ノエルのことは抱きしめることで固定したノワール。彼による魔法で、三者の固定が万全になったタイミングで、


「やば――ッ!」


 再び悪食が口を開いた。視線はノワールを向いており、彼は敏感な直感によってそれを感じ取ったのだろう。


 まるで、ノワールの魔法行使に〝返事〟をするかのような、打てば響くタイミング。それを見て手がかりが形になっていくのを感じながら、アンリは身を伏せて衝撃に備える。


 ――ノワールの魔法によって、元より自分で動くことは不可能。また、離脱用の魔法もノワールが用意している。ならば、下手に身動きを取らない方が賢い。


 アンリはそう結論を下し、ついでに味方の被害状況を確認する。――この中では哲が最も深刻で、魔法を使うノワールも消耗があるだろう。


 この場では自分とノエルが一番無事そうだと、アンリが胸中で考え……そこで、ノワールの魔法が発動した。


 ――悪食とは反対方向。その上空へ向けた、ノワールを弾き飛ばす激しい推力。


 ノワールと紐付けられていたアンリと哲も、タイムラグなしでノワールについていく。ノエルは彼の腕の中だ。


「――ッ!」


 身体が激しく揺さぶられる感覚に、アンリは歯を食いしばって耐えた。そういえば着地はどう考えているのかと、今更な心配を彼が思い浮かべた途端、今度は真横への推力が発動する。


 先ほどが上空へ打ち出す推力なら、今度は悪食から本格的に距離をとるための推力。方向も来た道の方であり、随分冷静に魔法を使うのだなとアンリは感心した。


「……ぁ、あぁあ……!」


 ノワールが咆哮を上げる。声を出すだけの余裕もない彼の声では、風に持っていかれるだけの囁きだ。


 だがそれは、今一度無理をするための空元気の雄叫び。


 ――魔法によって位置を固定した時の記憶を頼りに、ノワールはアンリと哲の位置を割り出す。落下方向を掠れる視界で確認してから、空気をかき集めたクッションを森の木の上に展開した。


 あのクッションの上に落ちればいい、そもそもじっとしていてもあそこに落下する――ここでもアンリは、ノワールの腕前に感心した。


 あれで救世主としての呼び名がないのは信じられないと、そうも思ってしまう。さすが救世主、よくもまあここまでやるものだ、と。


 ――少し前まで命の危機に立たされ、今も落ち着いた状況とは言えない中で、そうした呑気な思考を浮かべられるアンリも人のことは言えないが。


「――――」


 ノワールが、自身の飛行魔法、アンリたちへ向けた位置固定を解除。並行して、木の間に落下することになる現状を嫌い、腕の中のノエルを庇うために空中で体勢を整える。


 その直後、アンリたち四人は、ノワールの用意したクッションによって受け止められ――落下の勢いを完全に殺し切ったところでクッションを突き抜け、無数の木の枝によって出迎えられた。


 木の枝がアンリの全身を打ち付け、一秒ほど続いた後に今度は地面とのご対面。


 がしかし、アンリは力の副作用で体重が異様に軽いという特性を持つ。そのため地面に落下した時の衝撃はほとんどなく、着地した音も異様に小さかった。


 トサッ――


「…………」


 猫のように器用に着地して、無言で起き上がるアンリ。ノワールによる位置固定の魔法は頑強だったので、彼は離脱直前の四人の位置関係は変わっていないだろうと当たりをつける。


 ――哲は三度の急速移動により恐らく動けない。彼に庇われて無事なはずのノエルがノワールの傍にいるため、無理な魔法行使が祟っているであろうがノワールは後回しだ。


 冷静にアンリはそう考えると、哲がいる方へ木々をかき分けて進む。元よりこうした森の中で生活するアンリ、移動はお手の物である。


「ぐ――ッ、ふ……!」


 草むらに埋まるようにして、蹲って動けない哲をアンリは発見する。


「おい、無理に動くな」

「すま、ん……」


 元々一人で戦ってきたのだろう。哲は助けが来る前に自分で行動しようとしていたらしく、その心理はアンリにも共感できるところがあった。


 そも、哲は咄嗟の緊急回避を二度も成功させている。その上仲間に甘えることをしない、一匹狼として染み付いたその行動。


 ――やはり、こいつらは信用に値する。


 救世主としての実力を認め、信頼を抱く。それらを口にはしないものの、アンリは確かに、並び立つ〝仲間〟として彼らを信用した。


 あくまで、戦場に並び立つ仲間として、だが。


「――私を庇ったりなんかしなくてもいいんだ、大馬鹿者!!」


 哲を担ぎながら、アンリがノワールたちの方へ向かう。なぜか、行き先からはノエルの怒声が響いていた。


「そのせいで君は無理をしたんだろう!? そこに怒っているんだぞ、私は!!」


 戦闘中の緊張感がまだ抜けていないのか、それとも命の危険に立たされたせいで平静を失っているのか……いずれにせよ、ノエルはノワールを組み敷き、その状態で激しく罵声を浴びせていた。


 またしてもノワールはノエルを庇って下敷きになったのだろう。彼が組み敷かれているのはそういうわけだが、しかしそのことによってノエルを怒らせては目も当てられない。


「……おい、なにをしてる」


 そんな二人の様子に呆れ、いかにも信頼や愛情を感じさせる両者の過剰な触れ合いは見ていたくないと、アンリが不機嫌な声色でノワールたちに声をかけた。


 アンリの不機嫌な声色はデフォルトではあるが、ここで発した彼の不機嫌は心からのものであった。


「えっ!? あっ、す、すまない! ……だ、大丈夫か!?」


 そんなアンリの声にビクッとなり、ノエルがノワールの上から飛び退いた。


 彼女の蹴り足によって踏みつけられ、しかもノエルの心配はアンリに担がれた哲に向かっており……さすがに不憫だなとアンリは思うも、ノワールは安心したように微笑むのみである。


 ノワールは、自らが助けたアンリと哲が無事であること、なによりノエルが無事であることに安堵し。また合流を果たしたことで安全になったと、そのことにも安心したのだ。


 ――人がいいんだな、と。


 アンリはそんなノワールを見て、なんとなくそう思った。

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