夜の二人、少女への言及
「お前はどう思う?」
杯を傾け、ノーラがエリナに問う。
「何のお話でしょうか?」
わざとらしくあくびをしつつ適当な返事を返す。
「イールのことだよ。当たり前だろう。」
「イール様がどうかされましたか?」
妙に機嫌の悪そうな対応が目立つ。
夜に呼びつけたのがそんなに気に障ったのだろうか。
「イールの全てだよ。お前は何も思わないのか?」
「一応"有り得る"範疇でしょう。
それほど珍しいものでもないと思いますが...」
「それでも、あんなに似ているなんて...瓜二つなんだぞ...」
ノーラが頭を抱えて深刻そうに呻き声をあげる。
「第一、年齢の辻褄が合わないのでしょう?」
メイドは呆れた様子で鋭い指摘をする。
「まぁそもそも私はその"ご本人"との面識があるわけではないですし、
イール様の容姿については言及できませんが...」
「それでも、私は...
もしかしたら生まれ変わりということも...」
何を言われてもそう簡単には考えを変えられない。
それはノーラ自身が一番理解していた。
「お茶を淹れましょう。」
エリナが話題を変えようと落ち着き払った様子で言う。
「寝酒などするものではありませんよ。お体に障ります。
第一そんなに強い方でもないのですから...」
「うう~、イール~...」
普段とは異なり、まるで子供のように涙をぼろぼろと流す。
とても他人には見せられない。
メイドは主人の体裁が保てるように努めようとの決意を更に固くする。
「では、お茶の準備をしますので」
酔っぱらった主人を置いて部屋を後にする。
「容姿のよく似た、記憶喪失の少女...」
扉を閉めてしばらく歩くと、先程までとは異なった真面目な表情へと変わる。
出来過ぎている。ノーラはむしろ鈍感なくらいである。
これを怪しいと思わない方がおかしいのだ。
極めつけはあの剣術である。
茶を淹れる合間にも怪訝そうな表情を崩さない。
何故?どこから?どうしてあんな場所で倒れていた?
疑問は次から次へと湧いてくる。
いつの間にか結構馴染んでいたが、あの少女については知らないことの方が多いのだ。
茶の用意が整うといつものように笑顔を浮かべ、先ほどの部屋へと向かう。
「あら?」
主人が居ない。
飲みかけのままワインの注がれた杯が放置されている。飲めよ。
「...イール様のところでしょうか」
根拠はない。
ただ、なんとなくそんな気がした。
手早く用意した物を片付けると、少女の寝室へと向かう。
ノックをする。
返事はない。
と、すると主人は?
扉を開けば答えはわかる。
ドアノブに手をかけ、扉を開く。
主人は居ないが、少女は暖かそうなベッドで眠っている。
ベッドまで近づくと気付く。涙の跡だろうか、布団が少し湿っている。
先客がいた事を理解するとふっと微笑む。
今はこれでいいのだろう。
こんな楽しい生活が長く続けばいい。
少女は静かに寝息を立てている。
わざわざ事を荒立てるような真似をしなくとも、時間は確実に経過している。
ただ待てばいいのだ。
これまでのように、長い時間を。
少女の寝顔を堪能すると、部屋を出て静かにドアを閉める。
次いで、本題である主人の行方を追う。どうせ寝室にいるだろうが。
普段通り、扉の前でノックをする。
返事はない。寝ているのだろう。
普通に扉を開ける。
寝酒をあおっていたからか、主人の寝相が芸術的なことになっていた。
布団を軽く整えてきちんとした位置に寝かしつける。
「う~ん、イール~...私のイール...」
夢の中でも自身の"妹"の事が忘れられないらしい。
このまま平和な日々が続くならば、それは彼女にとっても良いに違いない。
最近、ノーラはよく笑う。
以前はもう少し落ち着いた、少しとっつきにくいような印象もあったのだが。
もしかすると、彼女の素は今の明るい、こちらの方なのかも知れない。
少し抜けたところがある主人の方が、従者としてはやりがいが持ててありがたい。
先程まではうなされていたが、今はもう静かに寝息を立てている。
きちんと寝かしつけたからだろうか。
今夜はこの辺りにしておこう。あまり眠りを妨げるのも考え物だ。
足音を立てないようにドアへと向かい、静かに扉を開く。
「エリナ」
後ろから主人の声が聞こえた。
「いつもありがとう」
振り返ると、もう声はしなかった。
薄暗くて眠っているのか起きているのか判然としない。
しつこく確認するような無粋な真似はしない。それが淑女である。
「おやすみなさい」
扉を閉めつつ、小声で退出の挨拶をする。
コツコツと足音が響く。
これで今日の仕事は終わり。
疲れてはいても、エリナはうっすらと笑みを浮かべていた。
また、明日からの忙しない日々に思いを馳せながら...