影帝伝説と白きモノ
「本はお好きですか?」
小さなランプに照らされながら、書類の処理の合間にエリナが問う。
「まだよくわかんない。
でも...この影帝伝説ってのはすごいべ。」
イールが目を輝かせながら言った。
「この影帝って人は本当にいたの?」
さらさらと流れるように作業を行うメイドに問いかける。
「随分昔のことですからねぇ...」
「じゃあ、この"白きモノ"っていうのは?」
それを聞くと、メイドがぴたりと動きを止め、僅かな逡巡の後に答える。
「影帝がこの世界の果てで邂逅した存在で、絶大な力を彼に授けた、というアレですか...
どうでしょう?影帝の存在すら疑わしいのですから、そんな伝説上のモノが実在するかどうか...」
「そっかぁ...じゃあ、この伝説の続きってどうなるんだべ?」
ページをぱらぱらとめくりながらイールが再度問う。
「絶大な力を授かった後も彼の治世は続くのですが...
最後には政治的な失策を繰り返し、かつての部下に反逆され、命を落としたとされています。」
「あんなに強いって書かれてた影帝に勝てる人なんていたの?」
「良い質問ですね。
そう、強大な彼を討ち倒すにはかなりの戦力が必要でした。
そこで立ち上がったのがかつて世界の果てへの遠征に同伴した者たちです。
大英雄達...と伝説ではそう呼ばれています。
いずれも強大な英雄で...特に有名なのは"魔女"と"剣士"でしょうか...
かつての遠征では大きな助けになったとされていますね。
まぁ、最後にはその大英雄達に彼が討たれてしまったというのは皮肉ですが。」
「その人たちはどうなったんだべ?」
イールは熱が入ったように興奮気味で質問を投げかける。
「最終的には一つの強大な国家というものは崩れ去ってしまいました。
影帝の圧倒的なカリスマによって人々が一つになっていたものが瓦解してしまったのかもしれません。
国や人々が徐々に分かたれ、ゆるやかに独立した都市が作られ、そして今のこの世界へと至る。
英雄たちもそうしていく中で方々へ散り散りになってしまいました...
と、こう続くのが大抵の本でのお約束ですね。あくまでも伝説では、ですが。」
「すごいべ!勉強になる!」
「まぁ、影帝伝説を知らない者などそうは居ない世の中ですから。
一般教養として知っておくのも悪い事ではないでしょう。」
久方ぶりに伝説について語った後、心の内でその物語を反芻する。
遥かな過去の物語だが、少しだけ懐かしい気持ちになるのだった。
「この影帝の遺産って本当にあるのかな!?」
ぺらぺらと適当にページをめくって、興味を惹かれるようなページを探していたイールが嬉しそうに再びメイドに尋ねる。
「影帝の遺産ですか...
最も有名なのは樹海の奥地にあるとされる財宝、になるのでしょうか。
そこに隠されているのは財宝の他にも、強力な兵器であったり、あるいは白きモノに関連した何か
であったりと、伝説が記されている本によってまちまちですからね...
ただ、その秘匿された何かが途方もない価値を持つ物であるという点は一致していますね。
もしかしたら、本当に存在するのかもしれません。」
財宝の存在を否定しないことによってイールの関心をそれとなく刺激する。
この伝説は夢見がちな年頃の少女には少々刺激が強かったようで、目を輝かせてメイドの話に聞き入っていた。
「樹海の奥地...行ってみたいなぁ...」
「今樹海に踏み入るのは大変に危険ですから、妙な考えを起こしたりはしないでくださいね?」
すっかり伝説を信じ込んでしまっているイールをメイドが軽く窘める。
「もしかすると、イール様が大人になられる頃には樹海の奥地へと人類が至るかもしれませんね。
今はまだ無理ですが...」
意味ありげな風に、少女に向かって言葉を投げかけ、暫し待つ。
しかし、返事が無い。
「あれ?」
と、言いつつメイドが目をやると先ほどまでうるさい程であったイールがうつらうつらとしていた。
少女の子供らしい寝顔に、先ほど投げかけた自分の言葉に、自嘲してしまう。
「もう深夜ですし、そろそろお休みになられた方がよろしいでしょう。」
メイドはイールを寝室へ連れて行こうと思ったが、本を抱いて眠る彼女の安らかな表情を見て、
自分の書類仕事が終わるまではその寝顔を楽しむことにした。
そうして、その夜は更けていった...