異世界キター
何気ない日常の朝。
いつものように会社に向けて家を出たマモルは、満員電車に耐えていた。
「つり革を左手に持ち変えな」
突然、誰かに話しかけられた。ただ、確かに話しかけられたのだが、どこにいるのか分からない。乗車率250%の車両で運良くつり革をゲットしているマモルは、右手でつり革を持ち、左手に通勤カバンを抱えたままキョロキョロと周囲を伺った。
(左手に持ってるカバンが、誰かの邪魔になっているのかな?)
不要なトラブルを避けたいので、すぐさまカバンを網棚の上に載せ、つり革を左手に持ち変えた。
タイミングを同じくして電車は小さな途中駅に到着し、乗降口のドアが開く。
その時だった。
『ピロリン ピロリン。地震です。ピロリン ピロリン』
乗客のスマートフォンが一斉に鳴り響いた。ほどなくして大きな揺れがあり、車内に点検による運行停止のアナウンスが流れる。
(震度5強か。これはしばらく運転再開しないな……。もう今日は休んじゃうか。)
まだまだ会社まで1時間は電車で移動しなければならない。このまま待っていても何時に着くか分かったもんじゃない。幸い、取引先との打ち合わせは昨日終わったところだったので、今日出社できなくても仕事に大きな支障はない。
メールで上司に出社しないことを告げ、のんびり歩いて帰ろうと駅を出た。うちの会社は急な休みとか、そういう点では緩い。要は、結果さえ出せば良いというスタンスだ。
(1日ずれてたら大変だったな。昨日だったら打ち合わせの約束もあるし、なんとしてでも出社しないといけなかった。)
駅前は、代替手段でなんとか会社に行こうとするサラリーマンが、バスやタクシー乗り場に行列を作っている。
そんな人混みを避けるように、マモルはとりあえず家の方向に歩き始めた。この駅からなら、我が家まで歩いても40分くらいの距離だ。少し距離はあるが、あの行列に並ぶよりましだ。
ようやく人混みを抜け、朝の通勤ラッシュが続く幹線道路沿いを歩いていると、またもや電車の中と同じ声の『誰か』に話しかけられた。
「良かったじゃないか。ちゃんとつり革を左手に持ち変えたおかげだよ。」
「え?」
周囲を見渡すが、誰も近くにいない。
「あ~、姿は見えないよ。ちょっと訳ありでね。でも会話はできるから心配しないで。」
「え? どういうこと?」
ハタから見たら、ひとり言をつぶやく変なおじさんだ。
「誰も見てないから気にしないで会話しよう。ところで、僕の言う通りにしたおかげで君は今ここにいられるんだよ」
「あんた……の言う通り?」
「そう。つり革を左手に持ち変えたよね。それが、あの瞬間、君にとってのグッドな未来のひとつ。」
「じゃあ、あのまま持ち手を左手に変えなかったら?」
「地震は75秒遅く発生していた。つまり、さっきの駅を出発した後に地震が起きていたんだよ。その未来だと、君はまだ満員電車に閉じ込められてるよ。そして、あの電車から3時間出ることができない。」
『誰か』が言っている意味は分からないが、乗車率250%の電車に3時間も閉じ込められるのは勘弁して欲しい。絶対にいやだ。
「まじか……。それって、風が吹けば桶屋が儲かるってやつ?」
「近いかな。ただ、そのことわざと違って、君の行動と結果には明確な因果関係があるんだ。つまりは、君が左手でつり革を持つと地震の発生が75秒早くなる。」
「うわ~。あんた大丈夫か?」
今日は暇になったし『誰か』の話も少し気になるので、マモルは会話を続けることにした。
「ところで、あんたは誰なんだ?」
「僕は、自然の摂理を研究しているセドリック。こっちの世界で言えば物理学者に近いかな。少しニュアンスが違うんだけどね。」
「こっちの世界?」
「そう。君も聞いたことあるだろ、異世界。流行ってるじゃないか。」
「た、確かに流行ってるけど、あれはオタの人たちの脳内にのみ存在する世界だよ。」
何を隠そう、マモルもその脳内異世界の持ち主だ。自称セドリックと会話をしながら、(異世界召喚キター) と一人大興奮してしまった。