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第69話 エピローグ2

 スイス。


 チューリッヒ・ユニオン銀行。頭取室。


「では、貴国の民主化に向けて、我々も最大限の協力をさせていただきます」


 頭取と、晶勇の側近、李宜栄リウィヨンは固く握手を交わした。


「その代わり……」

「分かっています」


 彼らは目で意思を確認し合う。


 宜栄は李仁万リインマンを連れて、銀行を後にした。


 頭取は、彼らを見送ると部屋に戻り、電話をかけた。




 ボーデン湖、湖畔の古城。


 美術品に彩られた豪華な書斎。


 一人の老人が受話器を執事に渡した。執事はそれを持って静かに退室する。


「おじいさま。何かいいことがあったのですか?」


 小さな少年がアンティークのロングチェアに腰を掛けていた。


「なに、朝鮮の件でな」

「東洋の猿どもですね」

「ヨハン。そういう言葉は心の中にしまっておけ。外で不意に出てきたらどうする」


 少年は「すみません」と姿勢を正した。


 白髪の老人は少年の目の奥をジッと覗いた。


「選抜管理委員会の中枢に、我々の傘下が入り込むことが出来たのだが、ヨハン、どういう意味か分かるか」

「ええと……、韓国のように、財閥か何かを使って、経済的植民地化を進めることができる、という事ですか」


 老人は目を細めた。


「うむ。七十点をあげよう。今は、朝鮮でレッセフェールを一気に進めさせる良い機会だ。軍産複合体の連中は、戦争終結を阻止するため、躍起になってるだろうがな」


 少年は目を輝かせて言った。


「もし朝鮮戦争を終結させるのなら、新たな戦争が必要ですね。でないと……」

「ヨハン……」


 老人は眉をひそめて言った。


「戦争をしても良い時の条件は知っているか」


 少年は顎をつまんで考えた。


「ええと、戦場が、自分の国や隣国、貿易上関係のない国の場合……と、兵士や労働力、インフラが有り余っている時……、それから、資金がある時……、あと……、えーと、勝てる時です」


 老人は眉間にしわを寄せて首を振った。


「四十点だ。終結条件が明確であることが必要だ。戦争をするには、必ず、はじめる前に、落としどころを、はっきりさせておかねばならん。勝負は二の次だ。そして、最も大事なことは……」


 老人は少年を見つめた。


「利益だ。儲からない場合は、戦争をしても、させてもいかん。忘れるな」

「はい。おじいさま」


 老人は椅子から立ち上がると、窓の外に目をやる。


 そこには、美しい湖と森が広がっていた。湖の向こうには白いアルプス山脈が見える。


 少年は老人の背中に顔を向けていた。


「おじいさま、金月成キムウォルソンは、民主化すれば、大衆が僕たちにコントロールされて、国が支配されると知らなかったんでしょうか」

「知らなかったのなら、大馬鹿者だが……」


 老人は青く透き通った空を見つめた。




 日本。


 首相官邸。閣議室。


「いやあ、内閣支持率、うなぎ上りですな」


 国土交通大臣の水井は破顔していた。


 一方、防衛大臣の尾道や、厚生労働大臣の顔色は晴れない。


 日朝の条約調印により、軍需産業の株価が下落していた。尾道は個人で株を大量にもっており、年金は軍需産業に投資されていた。


 麻原財務大臣が言った。


「ま、これなら、当分ひと安心だから、来年度の税制改正大綱も予定通り……」

「ちょっと、待ってください。景気回復もまだまだなのに、今、消費税を増税するのは得策では……」と経済産業大臣の瀬古。


 須田官房長官はいらいらして「決定事項だ」と言った。


「しかし、来年の参院選に影響も……」

「これ以上、延期は出来ません」


 矢部総理大臣は険しい顔で言った。



 十六年前、大泉純一郎はプッシュ大統領と親密な関係を築き、自衛隊をイラクに派遣させ、郵政を民営化し、莫大な金をアメリカに投資した。


 にも関わらず、日朝平壌宣言を表明し、日朝国交正常化を進めようとしたことで、大泉は、プッシュ大統領とバウエル国務長官に恫喝された。


 アメリカに激しく妨害され、日朝平壌宣言は履行できず、念願の憲法改正も果たせなくなった。



 矢部は考えた。


(幸い、サランプ大統領は北朝鮮に融和的だ。表の外交ルートからの妨害工作はない。彼が、軍産複合体と戦っているうちが、憲法改正のチャンスだ。国民の支持率だけ高くても、何の役にも立たない。財務省、官僚、日米の経済界、何より米軍を、絶対に、敵に回してはいけないのだ。そのためには、何でも、やらねばならない。たとえ国民の不利益になろうとも……)



 おおかたの議題を確認し終わると、大門が口を開いた。


「ところで、魔人の件ですが……」


 閣僚たちは、露骨に嫌な顔をした。




 京都市。


 京都駅の南口から歩いてすぐの裏通りに、古民家風の喫茶店があった。


 カランカランとベルを鳴らし、一人の男が入店した。


 ダークスーツを着こなしたモデルのような美男子に、女性店員の目は釘付けになった。


 店員が「お一人さまですか?」と聞くと、彼は「いえ、待ち合わせをしてまして」と答えた。


 店の奥で、立ち上がって手を振る男性がいる。株式会社アトムの会長、兼、研究開発所の責任者、田中信一だった。


 男は先客の前に立ち、名刺を差し出した。


「初めまして。羽黒探偵事務所の羽黒祐介と申します」


 彼は、東京の池袋に事務所をかまえている、関西まで名の知れた探偵だ。


 二人は珈琲の甘い香りを楽しみながら世間話をした。店員や、他の女性客は頬を染め、彼らをチラチラと横目で見ていた。


 店内は落ち着いた感じのジャズが流れていた。


「それで……依頼と言うのは」


 羽黒が聞くと、田中はカバンから、写真を数枚取り出して、テーブルに広げた。


「彼を探して欲しいのです」


 羽黒は一枚の写真を取り上げた。そこには黒服姿のカザルスが写っていた。


「経費はいくらかかっても構いません」


 そう言うと、田中は、十センチくらい厚さのある茶封筒を、羽黒の前に置いた。




 三柱町。桜田高校。


 文芸部、部室。


 翔一は、剛士が突っ込んで来るので、慌てて身構えた。


 翔一の脳裏に、殴られた記憶が蘇る。


 覚悟したが、剛士は、すずと翔一の間に割って入ると、翔一の肩を抱き寄せて言った。


「すず、こいつ、ちょっと借りてくぜ」


 そう言って、剛士は翔一を廊下に連れ出した。


 剛士は、戸から離れるように、翔一を廊下の壁の方に連れて行った。翔一が壁に背をつけると、剛士が手を、翔一の顔の横の壁につけた。


 壁ドンだ。剛士の顔が近づく。


「おい、翔一」

「はい……」

「お前、すずに何か言おうと思っていただろ」

「はい……」

「もしだ……」


 剛士は、さらに顔を近づける。鼻と鼻が触れそうだ。


「告白だったら許さねえ。もし、したら、ぶっ殺すからな」

「ど、どうしてですか」


 翔一は目を泳がせた。


「すずはな、俺たちに負い目を感じてる。拉致から救ってやった。お前は、すずの命を救い、代わりに大怪我を負った」

「ええ」


 翔一は剛士を見つめた。


「もし、命の恩人から、例えば、付き合ってくれとか頼まれたら、どうなる? すずの性格を考えてみろ。たとえ、好きでもねえ奴でも、断れねえだろ」


 翔一は、はっとした。


「そうでした……、そうです、先輩なら、たとえ嫌でも……、あ、いや、嫌じゃないといいですけど、あ、いえ、その……、ええ、きっと、すごく、悩むと思います」


 剛士は表情を緩めた。


「あいつを、絶対に、苦しめんなよ」


 翔一が「はい」と言うと、剛士は翔一の肩を叩いた。


「ところでだ……。お、お前、すずの、何処がいいんだ? あんな、芋みたいな女の……」

「先輩は、芋みたいじゃありません!」

「いや、どう見たって、田舎の芋だろ」

「違います! ぜんぜん違います! たとえ芋だとしても、芋は、煮ても焼いても、美味しいんです!」

かしても美味いよな」


 剛士が同意すると、ガラガラと戸が開いて、すずが顔を出した。


「なに話してるの?」


 壁ドンしていた剛士と翔一は、ギクッとして、愛想笑いした。


「え、えーと、芋の話です」

「う、うまい食い方についてだ」


 すずは嬉しそうに言った。


「そうなんだ。私も大好き。お芋って干しても美味しいんだよね」


 剛士と翔一はお互い少し離れた。


 それを見て、すずはニッコリした。


「剛士くんと翔くん、いつの間にか、すごく仲良くなってたんだね」

「違げえよ!」

「違いますって!」


 剛士と翔一は同時に否定したが、すずはいきなり二人に飛びつき、両腕を二人の肩に巻き付けた。


「わたしは、二人のこと、大好きだよ」


 すずは、剛士と翔一の頬にキスをした。


 とたんに、彼らの顔が真っ赤になった。


「い、今から、三人で干し芋ケーキ、食べに行こうよ」

「え、い、今からですか?」

「夕飯前だぜ」

「ほら、デザートは別腹っていうじゃない」

「順序が逆だろ。デザートは後じゃねえか」


 とか言いつつ、結局、二人は喜びを隠し、すずに連れられて校舎を出た。


 すずは、剛士と翔一の手を握り、強引に引っ張って行く。



 夕焼け空は、水彩画のように美しかった。


 紅葉の山。田んぼには幾つもの藁山が作られていた。


 家路につく中学、高校の生徒たち。閉店間際の魚屋では主婦がおしゃべりしていた。



 茜色の世界。


 すずと剛士と翔一の三人は手をつなぎ、長い影を伸ばして、港町へと歩いて行った。






































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