第54話 連行
矢部総理は緊張した面持ちで日朝首脳会談が催される会場に足を踏み入れた。
カメラのシャッター音がタイプライターのように響く。広い会場内には、会談のテーブルを遠く囲むようにマスコミ関係者の特別席が用意され、何台ものテレビカメラ、マイクがコードを伸ばしていた。
誰もが真剣な表情をしていた。和気あいあいとした雰囲気は微塵もない。中国共産党の習禁屏総書記の口角が上がっていたが、その眼は笑っていなかった。
矢部は、この場に習禁屏がいることに違和感を感じていた。この場は日朝首脳会談である。日中首脳会談は明後日だ。もちろん事前に説明は受けているし了承している。
日本側から第三者立ち合いをそれとなく提案すると、北朝鮮は中国であるなら良いと言い、さらにそれに上乗せする形で条件を出してきた。
会談の模様を終始マスコミに公開する。
矢部は高を括っていた。北朝鮮側が出した条件だったが、これは日本を交渉のテーブルに就かせるための方便であり、実際は直前だけを公開し、会談がはじまる前にマスコミを退出させるだろうと思っていた。それが通常である。
が、彼ら各国のジャーナリストたちにも席がしっかり用意されているのを見て、矢部は、本気で、このマスコミの前で会談をするつもりだろうかと、北朝鮮の真意を訝しんだ。
矢部の隣では公安委員長の大門が鋭い目を光らせている。その後ろを歩く麻原財務大臣は、いつも以上に右頬を引きつらせていた。
矢部が習禁屏と握手をしたとき、金月成が、金晶勇と数人の幹部をつれて、会場に入って来た。皆の視線がひとつに集まった。
取材スペースには、アジア人白人黒人たちに混ざり、楠田順子の姿もあった。
話は少し戻る。
順子と佐々木は社長室に呼び出された。彼らは奇妙な表情の社長と編集局長を前に、何の用だろうかと身構えた。席をすすめられ、ソファーに対面するようにして座ったが、そのあと、安部の口から出た言葉は、彼らの想像を遥かに超えていた。
楠田順子が日朝首脳会談に立ち会うジャーナリストの日本代表に指名されたのだ。
「マジか」と佐々木が立場を忘れてタメ口で言うと、高級スーツに身をつつんだ白髪の社長は「マジや」と答えた。
「な、なんでわたしが……」順子はなんとか声をしぼりだした。
「官邸の説明では、北朝鮮側からの直接の指名らしい」と安部。
「立ち会うって、どういうこと?」佐々木が聞いた。
「首脳会談を生でつぶさに聴けるってことだ」
佐々木は「ははは」と乾いた声で笑って言った。
「あれだ。ドッキリだ。でしょ。社長も局長も、やだなあ。ありえない。ありえない。報道の自由度ランキングが最低の北朝鮮と、原発報道問題とか特定秘密保護法でどんどん順位をさげつつある日本が、会談を公開する? 国会中継はされるのに、もっと重要な内閣じゃ、どのように政策決定されるのかブラックボックスの日本が? 記者クラブなんておかしな仕組みを作ってフリージャーナリストを村八分にして、でも紛争地帯の報道は彼らに任せっきりにして、武装勢力の人質になったら、自己責任だと言って個人攻撃を始める日本が? もう、安部ちゃん。冗談は、よし子ちゃんっ」
佐々木は指で安部を小突こうとしたが、局長は蠅を追い払うように、それを平手ではねのけた。
「あの、どうして、わたしなんですか」
順子がきくと、局長は「そうだな」と組んだ両手の上に顎をのせて言った。
「いまから38年前、日本人失踪事件に、外国情報機関、つまり北朝鮮が関与していると初めて報道したのは、わがヨンケイ新聞だ。当時は各所から叩かれ、根拠のない戯言だと馬鹿にされた。そして先日、女子高生拉致事件を真っ先に報道したのもわが社だ。拉致問題について話し合う首脳会談を報道するに当たって、わが社以上に適任者がいるだろうか」
「まってよ、安部ちゃん。それは判らないこともないけど、こないだのスクープの記者名は公になってないし、たとえ調査したとしてもおかしいでしょ。なんで北朝鮮が、こんな楠田ちゃんを指名するんだよ」
「《《こんな》》ってなんです」
順子はムカッときたが、社長と局長の前なので、声を荒げるのを我慢した。
「つまらん記事は書くし、融通はきかないし、男勝りで攻撃的で、スピード違反するミリオタだよ。彼女が行ったら、絶対トラブルを起こす」
順子は、なんでミリオタだって知ってるんだ、と驚いて、佐々木をガン見した。佐々木が「罰金だって僕が払ったんだ」と愚痴っていると、安部は「とにかくだ」と言った。
「理由は不明だが、許可が出たのは彼女だ。あと一人随伴できる。佐々木、お前も行け」
「ええ! 行っていいんですか! 行きます行きます。大悟、行っきまーす!」
中年の佐々木は、自分の年を忘れたように、はしゃいで敬礼した。
社長が「歴史の変わる瞬間や。とことん掘り下げて来や。それから、べっぴんさんの彼女に手、出したらあかんで」と言うと、佐々木は「ないない。それはない。べっぴんじゃなくて、ペッタンですよ」と楽しそうに手を振った。
詳しい話を終えると、社長と局長は、彼らが退室するのを見送った。するとドアの向こうから、「ぎゃあ! 痛ってえ!」と佐々木の悲鳴が聞こえてきた。社長は「大丈夫やろか」と局長を見ると、彼は、あたたかい目をして「良いコンビになるかも知れません」と言った。
北京。ワールドサミットホテル。
順子は興奮していた。
コの字型に配置されたテーブルの真ん中に中国の習禁屏総書記および数人の共産党の幹部。東側のテーブルに日本の矢部仁三と二人の大臣。西側には金月成と金晶勇ともう一人の幹部。それ以外に、通訳や秘書官が緊張した顔をして周りに控えている。
(やっと巡ってきた国際的な取材。頑張るわ)
順子は、そう思って気合を入れていると、会場の入口で騒ぎが起こった。
見ると、佐々木が警備員に連行されそうになっていた。




