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第53話 ワールドサミットホテル

 日本。外務省。


 山野は次官からの報告を聞き、耳を疑った。椅子から立ち上がり、窓の外の国会議事堂に目をやり、そしてまた視線を戻すと、「本当ですか」と聞き直した。


 次官は「はい」と腑に落ちない表情で答えた。


「こちら側からの提案をすべて飲んだ上、さらにこの条件を提示してきた、と……」


 山野は顎に手をやって考えた。


 向こうのメリットはなんだ? 朝鮮の立て直しには日本の経済援助が不可欠だ。しかし、その要求がまったくない。


 彼は次官を見て「信用できそうか」と聞いた。


 次官が「この最後の条件ですが……」と言うと、山野はさらに理解に苦しむ顔をした。


(これでは、向こうに不利ではないか? それとも、やはり官房長官の言ったように、何か罠があるのだろうか……)


「とにかく総理に報告しなければ」


 そう言うと山野は、急いで電話をとり、車を用意させた。




 ヨンケイ新聞、大阪本社。


 社会部は、けたたましい声や電話の呼び出し音が飛び交っていた。三柱町から戻っていた楠田順子は、今日もデスクにたて突いていた。


「なんで記事にしちゃ駄目なんですか!」


 佐々木は別の原稿に目を通しながら「まだその時期じゃないよ」と言った。


 順子は上司の理解のなさにムカッときた。彼女は、彼の頼みで休日を返上し、三柱町で拉致された高校の生徒、大野秀樹とその周辺を調査しているのが、公安であると突き止めたのだ。


「なにが『まだその時期じゃないよ』ですか!」


 順子は口を尖らせて、佐々木の口調を真似た。


「今、何かが起きてるんです! あの町の少年少女たちに危険が迫っているかもしれないんですよ!」

「だから何が起きてるのさ。それが分からないのに、なに言ってるんだよ」

「分かってからじゃ遅いかもしれないじゃありませんか! それともなんですか。自主規制ってやつですか」

「似たようなもんかな。デスク規制とでも呼ぼうか」佐々木は書類をめくりながら言った。

「ベタでもいいから載せてください。わたしには三柱町の住民や日本国民にそれを伝える義務があるんです!」


 佐々木は咥えた電子タバコを上下に動かし、面倒くさそうに「そういうのはSNSとかでやってくれる?」と言った。


 順子はカッとして「佐々木!」と怒鳴って、思いっきり彼の机を拳で叩いた。


 彼はビクッとしてタバコを落とした。積み重なった書類やゲラが大きく揺れた。社会部内は一瞬にして静かになったが、順子がエヘンと咳払いして大人しくなると、周りの部員たちはすぐさま自分たちの仕事に戻り、部内は再び騒がしくなった。


 順子には、局長の安部が佐々木はメディア最後の砦だと評価したのが信じられなかった。


 テレビの海外ニュースを見れば、木の上から下りられなくなった猫を救助したとか、どこかの交差点で自動車事故が起きたとか、そんなことばかり。本当に重要で、知らなければいけない事は放送しないか、触れても当り障りのないことばかり。合法的に受信料を徴取するNHT(日本放送テレビ)は、今では娯楽教育番組を放送するか、政府の主張を代弁するテレビ局になってしまった。


 今起きている事実を、色眼鏡を通すことなく、ありのまま伝えるのがジャーナリズムじゃないか、それをしないで何がメディアだ、何が新聞だ、と順子は思っていた。


 何より、先日、佐々木が「どうせ彼氏とかいないんでしょ」と言ったのが許せなかった。


 順子は、それを思い出し、ムカッときたので、もう一度、机を叩いた。佐々木は、またビクっとして、持っていた書類をそっと置くと順子の顔を見た。


「あの、楠田ちゃん。その、掲載しないって訳じゃなくてさ……」

「何です!」

「もうちょっと深く調べてよ。情報のクオリチーが低いんだ。そんだけじゃスポーツ新聞か都市伝説の雑誌くらいしか載せてくんないよ」


 順子が佐々木を睨むと、彼はあわてて言った。


「いやいや、公安が動き回ってるんだよね。それも普通の高校生をつけ狙っている。いや、普通じゃない。北朝鮮に拉致された高校生と同じ学校の子だ。相手は公安だ。絶対に秘密は洩らさない。て言うか、よく公安だって分かったね。さすがだ。うん。楠田ちゃん、良くやった。偉いよ。ホント……」


 取ってつけたように褒める佐々木を、順子はジト目で見た。その時、佐々木のデスクの電話が鳴った。彼は上目遣いで順子を見て、「出ていい?」と聞くと、彼女は「どうぞ」と、つっけんどんに答えた。


 佐々木は電話に出ると、とたんに顔色を変えた。そして何やら話を聞き、真顔になると、大きな目で順子を見た。




 話は少し戻り、北朝鮮。平壌。


 会議をはじめるまで、必死に歴史の勉強をした翔一。


 彼は日本と仲良くする方針を打ち出したが、朝鮮の幹部たちの説得には、まる三日かかった。


 国家主席である金月成キムウォルソンがいる内は、彼らが、その方針に逆らうことはないだろう。が、月成がいなくなった後も、そうするかどうかは疑問だった。あるいは、彼らがそのつもりでも、他国からの妨害がある可能性がある。


 MOTAでも悪質プレーヤーはゼロではない。力を持ち過ぎたプレーヤーは、他のプレーヤーの気持ちを考えず、攻撃的になるのだ。


 ではどうしたらいい?


 国と国が付き合うには、相手の国を利用するという気持ちは害があるんじゃないかと翔一は感じていた。利用じゃない。信用と好意じゃなかろうか。一方通行じゃ意味がない。その気持ちをお互いに持っていないと。でも、それだけじゃダメだ。精神論だけじゃ解決しない。


 そう思った翔一は、考え抜いた。そんな方法はないと何度もあきらめかけた。


 悩む翔一を見て、すずは「大丈夫だよ。きっと翔くんならできる。わたし、信じてる」と言った。翔一は嬉しくなった。


 すずの目の下には、うっすらとクマができていた。それを見て翔一は「すず先輩も頑張ってる。オレに期待してくれてる。オレも頑張んないと」とやる気を出した。


 剛士は翔一に「大変だろうけど頑張れよ」と言った。翔一は「はい!」と答えたが、続けて「失敗したら、ただじゃおかねえからな」と言われると、翔一は「はい……」と答えた。剛士先輩にはあんまり期待して欲しくないと思った。


 翔一は、朝鮮幹部たちの説得を続け、そして、ある秘策を彼らに告げた。



 晶勇ジョンウン泰南テナムたちは驚き、「そのようなこと聞いたこともございません」と口々に言った。


 晶勇は「実現するでしょうか」と聞くと、翔一は、カザルスの言葉を思い出して言った。


「実現するかしないかではない。我々がさせるのだ」


 会議室の高官たちは「おおー」とどよめき、翔一に尊敬の眼差しを向けた。



 彼らの説得には一応は成功したので、それが実現するのは、日本政府の対応にかかっていた。翔一はドキドキしながら日朝首脳会談までの日を過ごすことになった。


(最低でも、拉致被害者を全員帰国させないと……)


 彼はそう決意した。


 翔一は、どうして大人たちは偉くなっても争ってばかりなんだろうと、少し腹を立てていた。




 北京。


 三カ国の首脳会談が行われる市内の警備は厳重に厳重を重ねられていた。中国、日本、朝鮮の首脳に加えて、世界各国からの記者たちが通常の倍の規模で集まっていた。


 会場のワールドサミットホテルの周りでは、路上で何人ものマイクを持ったリポーターがカメラに向かって話している。取材陣はひしめき合い、無数の警官がホテルを囲み目を光らせていた。



 翔一は豪華なスイートルームの中で待機していた。その高層ホテルの窓からは故宮博物院、その西側に広大な緑地と池、中南海が見える。空はスモッグのせいか、どんよりと濁っていた。


 部屋にはピリピリとした空気が漂っていた。翔一は、幹部や護衛のカザルスのいる中、ソファーに深く腰掛け、険しい顔で目をつぶっていた。周りの空気が痛かった。


 翔一が目を閉じ、この先の会談をシュミレーションしていると、ドアをノックする音がした。


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