第46話 戦闘旅団1400人 VS カザルス
スタジアムがざわついていた。フィールドで綺麗に整列していた軍人たちは、今では滅茶苦茶に乱れている。
翔一 ――金月成―― の前に、桂養沢が立った。
「失礼いたします。主席」
そう言う彼の顔には、尊敬の念などまるでない。声はマイクによってスタジアムに響き渡り、皆がその会話に注目した。
「お聞きになっていたと思いますが、国務委員長の任を解いていただいて宜しいですかな。ついでに貴方も、この舞台から完全に退場していただきたい」
翔一は迷った。オレが勝手に決めていいのだろうか? もし、そうしたら、すず先輩や日本人の拉致被害者はどうなるのか? 無事に帰れるのだろうか? その後、日本との国交は……。
翔一は、そう考えながら、何とか口を開いた。
「君は」
「申し遅れました。護衛司令部、独立戦闘旅団団長、ケヤンテクです」
「少し聞いてもいいか」
翔一が尋ねると、養沢は少し考えてから、「どうぞ」と言った。
「日本やアメリカ、諸外国との関係はどうするつもりだ?」
「無論、改善します」
「アメリカは核の完全放棄を突きつけているが」
「致し方ありません。すべて廃棄します」
「日本は拉致被害者の返還を求めているが」
「調査して返還します」
「なぜクーデターを起こした」
「飢えた国民を救うため」
スタジアムがどよめく。
翔一は、彼の言うことなら聞いても良いのではないか、と思いはじめた。核兵器もなくなるし、日本人も返してくれる。この国の食糧問題も改善してくれるみたいだ。願ったり叶ったりじゃないか。
彼が、それなら……と、思っていると、今度はカザルスが翔一の代わりに質問を続けた。
「南朝鮮との統一は」
「このまま交渉を継続します」
金泰南が立ち上がった。
「馬鹿な! 核を捨てたら統一は夢に終わる。過去を見ろ! 今を見ろ! アメリカは常に戦争を求めているのだ。イラクを忘れたのか! たとえ大統領が変わっても本質は変わらない。台湾を見ろ! 米国製の兵器で武装され、大国、中国ですら統一を阻まれている。我が国は、ロシアと中国に近接しているからこそ、これで済んでいるが、もし少しでも離れていて、もし核を持たなかったら、アフガニスタンのように無差別爆撃され、デイジーカッターやMOAB(大規模爆風爆弾兵器)を落とされていたのだ。お前は、53年の休戦協定後も、半世紀にわたって、アメリカが平壌の核爆撃演習を続け、国民が恐怖に震えていたのを忘れたのか!」
MOABは核兵器なみの破壊力を持つ大量破壊兵器だ。翔一は、日本の近くに、こんなに危うい地域があったのかと恐ろしく思った。
「ご老体は、少し控えていてください」と、養沢は静かに言った。カザルスが質問を続けた。
「ここにいる、国務委員長や政府首脳陣はどうするつもりだ」
「裁判にかける」
「そしてどうなる」
「然るべき判決が下されるだろう」
貴賓席の幹部たちが慌てふためいた。
晶勇は、「殺さないと言ったじゃないか!」と叫ぶ。それを見て、養沢は「抵抗しなければ撃たないと言ったのだ。判決を下すのは、公正な判事である」と言った。
「クーデターを起して何が公正だ!」と晶勇は喚き、養沢の部下に銃を向けられた。
翔一は、裁判をするだけで死刑にするとは言っていないのに、と思った。
カザルスが「主席は」と言うと、養沢は「同様だ」と答えた。スタジアムが大きくどよめく。
「偉大なる建国者の名を騙った罪は重い。死罪でも軽い」
養沢は翔一に近づき、彼の曲がってもいないネクタイを整えた。翔一はゾクリと背筋を凍らせた。
その時だった。
養沢の身体が、貴賓席の外、フィールドに向って吹っ飛んだ。
黒服の翔一が、空中で身体を一直線にして「たま屋ぁー」と叫んでいる。変身したエラリーがドロップキックしたのだ。
下の観客席まで二階ほどの高さ。この辺りはロープが張られ、空席となっている。養沢はプラスチックの椅子にガアンと叩きつけられ、観客たちは、「うっ」と痛そうに肩をすくめた。
エラリーはマイクを掴み取ると、印籠のように持って啖呵を切った。
「ひかえーい! ひかえおろー! このお方を誰と心得る! こ、このお方こそ……」
エラリーは、「えーと、誰だっけ?」とカザルスにこっそり聞いた。カザルスが呆れた顔で教えると、エラリーは続けて言った。
「えー! このお方こそ、なんか偉い人、金月成にあらせられるぞ! ひかえおろー!」
エラリーが決めポーズをした。
スタジアム中の人、観客席、貴賓席の幹部、フィールドの軍人、独立戦闘旅団たちは、唖然とした顔でエラリーを見つめた。翔一は、「それは、みんな知ってるって……」と思い、目の前で『巫女黄門』の真似をする自分の姿を見て、顔を赤らめた。
「き、貴様!」
気を取りなおした旅団員たちは銃をエラリーに向けようとした、その刹那、
「まて!!」
地を震わせる怒号があがった。カザルスだ。その迫力に兵士たちの手が止まった。
「危険を顧みず、人々の幸せのために、命を賭ける、その勇気! 見事だ! 尊敬に値する! あとは力を示せ! わしを倒してみろ! もし出来れば好きにしていい!」
下の客席の間から養沢が立ち上がった。怪我はしていないようだ。彼は悠然と見上げてカザルスに言った。
「いい度胸だ。下りてこい」
そう言って養沢はフィールドに歩いて向かう。
観客席から旅団の兵士、数十人が集まり、養沢の脇を固めた。芝生の上に降り立つと、そこにたむろする数万の軍人たちを無言で押し分け、軍服の海の中に、巨大な芝の円が出現した。
「よし!」カザルスは嬉しそうに応える。
彼は貴賓席から下の客席へと軽々とジャンプした。誰もがそれを見守る。彼は円の中心に並ぶ旅団員の前に立つと、うきうきした声で言った。
「さあ、君たちの力を見せてくれ」
養沢は「生意気な男だ」と、にやりと唇を曲げ、「ギョンナム! 相手してやれ」と一人の大男を前に出した。
大男は拳銃と自動小銃を仲間に渡すと、カザルスの前に進み出た。カザルスより頭二つ分、背が高い。首と手首を回し、コキコキと音をたてた。
彼は、屈強ぞろいの隊の中でも豪傑で知られていた。その昔、陸軍の一個中隊とケンカをしたことがある。非番中に因縁をつけられたのが原因だが、彼はその全員を重傷にした伝説を持っていた。
ざわついていたスタジアムに、ふたたび静寂がおとずれた。
「本気で来い」とカザルスが言うと、彼は「一瞬で終わる」と言ってカザルスに殴りかかった。
ボグッと鈍い音が響いた。
見ると、その大男は白目をむいて、芝生の上にうつ伏せになっていた。誰も何が起きたのか理解できなかった。旅団員たちは驚く。スタジアムは大きくどよめいた。
「彼は正直者だ」
カザルスが言うと、馬鹿にされたと思った兵士が十人、カッとなって飛び出した。息をつく暇もなくカザルスを取り囲むと、前後左右から攻撃を繰りだした。ひとつひとつが、太い鉄パイプを折り、厚いレンガを砕き割るものだ。気の弱い観客は目をそらす。誰もがカザルスの敗北を予感したが、三秒後には、十人の兵士が芝の上で動かなくなっていた。
養沢は眉をひそめて腕を組んだ。
彼との勝負は、人民に、旅団の力を誇示するデモンストレーションのつもりだった。反体制派の求心力となり、体制派の意気を挫こう思っていたのだ。が、彼の当ては完全に外れた。
(この男を味方に出来たら心強いのだが……。だが、体制側の彼を生かしては置けない。この男を殺すのは惜しい。出来たら殺したくない。が、これも祖国のため……)
養沢はそう思い、無線を使い、貴賓席以外の全部隊を、この場に集結させた。
千四百人の兵士が四方八方からフィールドに雪崩れ込む。軍服の海は大きく荒れてうねった。声を上げて逃げ出す軍人もいた。その場にいた警備隊大隊長の桂慶大は「ひいい!」と叫んで逃げ惑った。
芝の円の中心にカザルスがひとり立ち、その周囲を、自動小銃を構えた兵士たちがぐるりと取り囲んだ。猫の子一匹逃げられる隙間はない。
翔一は、カザルスさんでもこれでは殺されてしまう、何かしなければならない、そう思って、翔一は叫んだ。
「やめろ! 殺すな!」
その声はマイクを通しスタジアム中に響き渡った。
「よし! 分かった」
答えたのはカザルスだった。観客の誰もが「あんたに言ったんじゃないよ」と思ったその時、養沢の命令を受け、兵士たちが、銃を一斉射撃した。




