第45話 クーデター
平壌の何百万人もの国民は、固唾を飲んで、翔一の言葉が発せられるのを待っていた。
翔一は、ゆっくりと観客席、そして芝生のフィールド上で整然と並ぶ、数万の軍人たちを見た。
ある人は涙を流している。ある人は憧れの眼差しを向けている。無表情な顔で見ている人も多かった。
晶勇は、金月成の姿をした翔一が、いったい何を言うのかと不審な目をしていた。
翔一は秀樹の言葉を思い出した。
「上手くやらなくていい。スピーチなんて噛んだっていいんだ。情熱を語れ!」
心の中で、カザルスの言葉も聞こえてくる。
「翔一君。君ならできる。一人じゃない。大丈夫だ。一度決めたら前を向いて振り返るな……」
翔一は目を閉じ、深く息を吸った。
(彼らを平和へと導く演説……責任重大だ……。でも……できる。やるしかない)
彼は目を開き、温かい大きな声で話しはじめた。
「70年前、9月9日……。我々は、独立と革命の精神にはぐくまれ、民主主義と社会主義にささげられた新しい国家を、この朝鮮に誕生させた」
翔一の言葉に、すべての人が静かに聞き入った。
「我々は、南北の戦いの最中にある。戦うことにより、革命の精神をはぐくみ、革命の心情に捧げられたこの国家が、あるいは我々と同じような国家が、長く存続することが、はたして可能なのかどうか、今、試されている」
その日は透き通った青空だった。上空は風が強いらしく、ヒツジ雲が音もなく流れていた。西の空には厚い雲のかたまりが見える。スタジアムは時々、雲の影に入り、明るくなったり暗くなったりした。
「私は、この国家が生き永らえるように、遠い所からやって来た。この愛する祖国は、今、大きな問題をかかえ、また大きな障害が我々を狙っている。我々は一丸となって、それに立ち向かわなければならない」
翔一は、スマートグラスに表示された原稿を、心をこめて読み上げていった。晶勇の目つきが変わりはじめる。彼は身を乗り出して演説を聴いた。
「過去から現在に至るまで、我々の敬愛する祖先、同志、家族が、朝鮮の独立を目標に、勇敢に戦い、そして死んでいった。世界の国々は、我々がここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶にとどめることもないだろう。しかし、彼らがここで成した事を、決して忘れ去ることはできない。ここで戦った人々が気高くも、ここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここで捧げるべきは、生きている我々なのである。我々の目の前に残された偉大な事業に、ここで身を捧げるべきは、むしろ我々自身なのだ」
スタジアムの各所から咽び泣く声が聞こえてくる。金泰南は激しく滂沱していた。
「名誉ある戦死者たちが、最後の全力を尽くして身命をささげた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、われわれが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために……」
そこまで翔一が言った時だった。
「パン!パン!」と銃声が響き、貴賓席の周囲で慌ただしく人が動きはじめた。「パパパパパン!」と自動小銃の音が聞こえ、黒服を着た護衛たちが、一斉に椅子に座る晶勇や、演説台に立つ翔一たちの周囲を取り囲んで守ろうとした。
カザルスはいつの間にか翔一の前に立っていた。
話は少し戻る。
独立戦闘旅団の桂養沢は部下を引き連れ、スタジアムのトンネルのような通路を歩いていた。競歩のようなスピードだ。
止める者はいない。
五十人を超えるエリート兵士がPASGT( Personnel Armor System for Ground Troops )と呼ばれるボディアーマーと最新の自動小銃を装備して行進している。一目見た者はすぐさま物陰に隠れた。
貴賓席周囲を担当している護衛部第六処の要員数人が、養沢に近づいて来て尋ねた。彼らは背広を着ていた。
「桂団長! 何ごとです!」
「宋部長は」
第六処の要員は、クーデター鎮圧を任務とする独立戦闘旅団が険しい目つきをしているので、これはただ事ではないと感じ、彼らを制止することなく、一緒に並んで進んだ。
「貴賓席の右にいます」
「副部長は」
「左です」
養沢は、あらかじめ配置は聞いて知っていたが、確認すると、それを別動隊に無線で知らせた。
「いったい何があったのです」
「部長に直接言う」
旅団は通路から、明るい貴賓席に出ると、一直線に宋部長へ歩み寄った。席の隅に控えていた宋は、驚いたように養沢に近づいた。
「どうした。何があった」
「すまん」
養沢は拳銃を抜き、宋の腹を撃ち抜いた。宋は「桂……、なぜだ……」と言い、崩れ落ちる。席の反対側からも銃声が聞こえた。副官が自動小銃を上空に向けて連射した。
「銃を捨てろ! 抵抗すれば撃つ!」
拳銃を抜いて戦おうとした警護要員は次々に撃たれていく。貴賓席のあちこちから悲鳴や怒声があがり、政府高官たちは逃げ惑った。が、すべての逃げ道は、すでに旅団によって封鎖され、誰も逃げられない。
スタジアムは騒然となった。取り乱して逃げ出そうとする者もいたが、それ以上に、この成り行きを見守ろうとする人が多かった。フィールドに整列する軍人は、命令を待つが、命令は何も下されない。
「貴様ら! 気でも狂ったのか! 一族全員処刑……」
そう言った軍服を着た高官は言い終わる前に撃たれた。
貴賓席の中央では、晶勇直属の護衛たちが肉の壁をつくり、彼を守ろうとする。
養沢はゆっくりと晶勇に近づいた。
「国務委員長。もう終わりです。彼らに銃を捨てるように命令してください。抵抗しなければ撃ちません」
晶勇は養沢を睨み、ギリギリと歯ぎしりした。
「委員長」
養沢の後ろに控える兵士たちが、晶勇と護衛に銃を向けた。晶勇が悔しそうに「捨てろ」と命令すると、護衛たちはゆっくり銃を床に落とした。養沢の部下がそれらを回収する。
「さて、これで終わりです。この場で国務委員長の座から降りると宣言してください」
「お前! この国を乗っ取るつもりか!」
晶勇は、護衛たちの後ろから、養沢を怒鳴りつけた。
「いいえ、これから真の民主主義の国を作り上げるのです。独裁はもう終わりです」
金泰南が叫ぶ。
「愚かな! 南朝鮮、日本、アメリカを見てみろ! ただカネを持つ人間が政治をコントロールする国じゃないか!」
養沢は憐れむような目つきで泰南を見て言った。
「あの国々は、真の民主主義国家ではない。まあ、それは良いとして、ご老体はもうお休みください。それより、委員長。よろしいですかな」
晶勇は、鬼のような軍団長が迫り、おずおずと一歩下がった。そして首を動かし、演説台で護衛に囲まれている翔一を見た。
「主席に聞け」
「は?」
「私の決める事ではない」
養沢とその部下たちは、一斉に翔一を見た。
翔一は、「オ、オレ!?……」と戸惑った。
「ご冗談を、この期に及んで……。ま、確かに、瓜二つですな。が、芝居は結構。今すぐ……」
「本気だ! 私の進退は……主席が、お決めになることだ」
そう言って、晶勇は下を向いた。
養沢は少し考えてから、「なるほど」と言い、鷹揚に翔一に歩み寄った。
そして演説台に上った。
翔一の周りの護衛たちは、自動小銃を持った養沢の部下に囲まれると、養沢をさけるように道を開けた。
演説台の上では、カザルスだけが翔一の傍に付き添っていた。




