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第39話 拉致と核

 話は少し戻る。


 金晶勇キムジョンウンは後悔していた。突然現れた祖父、金月成キムウォルソンの目の前では、取り乱してしまったが、よくよく落ち着いてみれば、死んだ人間が生き返ることなど、あるはずがない。


 彼は、すぐさま錦繍山クムスサン太陽宮殿の調査を指示した。ここには月成の遺体が埋葬されることなく、ガラスケースの中に永久保存され、人々が参拝できるようになっている。


 命令を受けた晶勇の部下が太陽宮殿に確認したが、月成の遺体が安置されていた場所はケースごとすっかり消失している事が明らかになった。


 実は、晶勇の指示を耳にしたカザルスが気をきかせて、遠隔から透明化の魔法をかけていたのだが、晶勇らはそれを知る由もない。


 晶勇は、あの月成が本物の可能性を捨てきれず、月成と話をして事実確認しようと思った。が、月成は貴賓室に閉じこもってしまう。立ち入れるのは、どこの国の人間か分からない彼のボディーガードだけだ。


 数時間後には、若いボディーガードが日本人村の女性を三人引き連れて、部屋に消えていき、その後、謎の老人と少年も部屋に入ったと、晶勇は連絡を受けた。


 晩餐の準備ができたと言っても、月成たちは部屋から出ようとはしない。晶勇は、彼らの怪しすぎる振る舞いに、危機感をいだいた。


 もし――その確率は高いが――月成の姿をした人物が偽物であるなら、彼を殺害するのが手っ取り早い。本当なら、そうすべきなのだろう。


 が、彼が復活したと信じている人民が多い中、もし晶勇がそれを実行に移すと、今度は自分の殺害を試みる者が増え、体制の崩壊につながる惧れがある。


 そう考えると、晶勇の頭はミシミシと痛み出す。


 しかし、心の奥底では、祖父が本物であって欲しい、復活が事実であって欲しい、そう期待していた。


 晶勇は、表向きは月成をもてなす態度をとり、月成の近く、同じ棟の第二貴賓室に身を置くと、情報を集めつつ監視することにした。


 正当な権限がある月成が、官僚や軍隊を勝手に動かさないよう、用心してのことだった。



 晶勇は、ソファーに浅く座っていた。


 彼の近くには、中年とまだ若い二人の腹心が別のイスに腰かけ、黒服の護衛数人がドアの脇に直立不動でいる。隣の部屋には晶勇直属の特殊部隊が詰め、彼から声のかかるのを待っていた。


 晶勇が、マホガニーのテーブルの上で組んだ両手にあごを乗せて、月成の次の動きを待っていた時、ドアがノックされた。


 入って来たのは、労働党作戦部部長の白晶ペクジョンだった。彼は、まるで現役の工作員のように体格が良い。白晶は、晶勇の元に歩み寄ると敬礼する。


「どうした」晶勇は不機嫌に言った。


 先週、白晶の末端の部下が日本から少女を拉致して来たから、この国は国際的な立場を悪くしたのだ。



 実は、晶勇は密かに、彼女を日本に返還しようか検討していた。が、結局、少女一人、日本に返還しても、祖国にとってデメリットはあっても、メリットは何もないと結論づけた。


 晶勇は考えた。


 拉致の事実を否定しているうちは、国同士の水掛け論ですむ。しかし、事実を認めれば、いままで判断を保留していた国からの信用も確実に落ちてしまう。


 少女を返還したら、日本はどうするだろうか。


 彼らは謝罪と賠償を求めてくるだろう。しかも、現在日本が我が国に対して行っている経済制裁を解くことはない。日本政府の主張する「全ての拉致被害者の安全の確保と即時帰国、拉致に関する真相究明、拉致実行犯の引渡し」は、ある程度は可能だとしても、今となっては、どう考えても《《完全には》》不可能だ。


 そもそも、日本の北朝鮮に対する経済制裁は、日本人拉致があったからではない。アメリカのプッシュ大統領の攻撃的外交戦略に追随するために行われたのだ。拉致は、それを実行するための建前でしかない。日本が、ウクライナ問題でロシアに対しておこなった制裁と一緒だ。


 あの国は、たとえ正義がなくてもアメリカの言いなりに動く。たとえ拉致に関して判明している情報をすべて開示し、全員を返還しても、日本は「それが全てではない」と主張できるのだ。


 アメリカもそうだ。「永久的で、検証可能で、不可逆的な全破壊兵器の廃棄」なんて、どう検証するのだ。仮にすべて廃棄したとしても、アメリカは我々が核をどこかに隠し持っていると主張して、制裁を解除しないだろうし、平和条約を結ぶこともしないだろう。


 核を放棄すれば、どのみち南北の統一は不可能になり、イラクのように侵略されるかもしれない。


 日本は「非核三原則」などとうたっているが、核兵器を搭載した米艦だって日本に入港している。50年代から、米軍は平壌の核爆撃を行う軍事演習を繰り返している。その爆撃機が飛び立つのは日本の基地からだ。


 また、日本は三十七基の原子力発電所を持つだけでなく、核燃料を用意するフロントエンド事業と、核廃棄物を再処理するバックエンド事業も、国内で行っている。そんな国は核保有国以外ほとんどない。


 これらとロケット技術があれば、今すぐにでも、核ミサイルを組み立てられるのだ。日本は核武装しているに等しい。地震や津波での原発の安全性が疑われているにも関わらず再稼働したのは、それが理由に違いない。


 それなのに国際原子力機関(IAEA)は日本に何も言わない。NPTにすら留まっている。


 イスラエルなどは、すでに――建前上は違うが――公然と(・・・)核兵器を所持している。もしこれが他の国であれば、アメリカは、即時攻撃対象にするはずだ。


 苦しくても民族の誇りをもって生きるか、それとも大国の犬として生きるか……。


 世界は不公平だ。結局は、力がすべてなのだ……。


 そう考えるたびに、晶勇の目に宿る憎悪の光が濃くなった。



 白晶も、自国がそんな状況の中で、工作部が失態を犯してしまったと、痛いほど理解していた。彼は、晶勇の顔を見ないようにし、おそるおそる口を開いた。


「はっ、実はたった今、部下の一人が、総書記のいる貴賓室に盗聴器が仕掛けてあると報告しまして……」


 晶勇が、「なに」と彼を睨みつけると、白晶の額からは、冷や汗がにじみ出てきた。



 白晶。彼は小さい頃から英雄にあこがれており、いつか自分もそうなりたいと思っていた。彼は、まだ青年だった頃、ある記念式典で、はるか遠くからだったが、月成の姿を見たことがある。それは彼の大切な思い出だった。


 先ほど大会議場で、伝説の将軍の姿を間近に見て、白晶は感動した。が、感動したことは事実だが、白晶は、人間が生き返るなど、信じていないし、現れた金月成が本物だとは、これっぽっちも考えてはいなかった。


 白晶の部下もそう考えただろう。彼はまだ若く、入念な思想教育を受けていたが、自分が生まれるはるか昔に死んだ首領に対しての思い入れは少ない。彼は月成を肖像画か記録映画でしか見たことはない。彼は、労働党の老人どもが騒いでいるのは、何かの陰謀が隠されているのでは、と考えたのかもしれない。


 しかし、国の最高中枢において、国家のトップである晶勇が泣いて「お爺さま」と言った瞬間、金月成キムウォルソンの復活は、絶対的「真実」となったのだ。


 白晶は、晶勇の計画した芝居である可能性も考慮した。部下はその計画を妨害したのかもしれない。ましてや、国の最高指導者の部屋に盗聴器をしかけるのは、国家反逆罪になるほどの重罪だ。


 報告しなくても、すぐにそれはバレる。白晶は一刻も早く報告することで、部下の命、そして自分の地位を守りたいと考え、少しでも罪が軽くなるように、必死に言い訳を考えていた。



「盗聴したのか」

「いいえ、それは厳重に禁じました」


 白晶は、汗をダラダラ流しながら、目を合わせないようにして答えた。


 晶勇は、仕掛けられた盗聴器を、これは渡りに船だと密かにほくそ笑んだ。部屋の中にいる月成たちの正体が分るかもしれない。彼は、その思いを悟られないように言った。


「受信機を持って来い」

「はっ?」白晶は拍子抜けした。


 晶勇は立ち上がると、ガンッと、テーブルを蹴飛ばした。


「盗聴の受信機を、今すぐ、ここに持って来いって言ってるんだ!」


 晶勇は怒鳴ると、作戦部部長を蹴ろうとする。白晶は、あわてて廊下に飛び出ると、三号庁舎へと向かって走って行った。


 晶勇は、扉が閉まり、しばらくすると、痛そうに自分の右足をさすった。




 貴賓室。


「おい! お前、何考えてるんだ! 俺たちは、お前を命がけで助けに来たんだぞ! お前のお袋だって、毎日お前のことを心配してるんだ! 何が、帰れないだ! ふざけるな!」


 気を取り直した剛士が、すずを怒鳴りつけた。


「そうですよ! 先輩、バカなこと言ってないで、一緒に帰りましょう! ねっ。もしオレが先輩の機嫌を損ねたんなら謝ります。車の中で、肘が先輩の胸に触ったのは、車が揺れたからです。事故です。悪意はありません! 道路のせいです!」


 翔一は、すずを必死に説得しようとしたが、剛士は「胸だとぉ!」と怒り、翔一の右腕を背中側にまわして締めあげた。翔一は「イタタタタ」と身体を折って苦しむ。


 すずと英女は「やめて!」と剛士を止めにかかった。


 カザルスは彼らを、やさしい笑顔で見守っていたが、一瞬だけ、遠くを見るような悲しい目つきをした。カザルスの死んだ息子と友達がじゃれ合う姿が脳裏にうかんだのだ。


 エラリーは、すずに尋ねた。彼女は、今は、金月成の姿ではなく、女の子の姿に戻っている。


「お姉ちゃん、わけを聞かせてくれる?」


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