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悪魔退治は放課後で

作者: 浅井基希

(0)

 ゴールデンウィークが明けたある日の事、私立冬月学園(とうげつがくえん)の正門前に長旅を終えた少女がひとりたどり着いた。

 少女の名は八瀬(やせ)七緖(ななお)。今日から冬月学園高等部の二年生に編入する事になっている。

 七緒は至って普通の女子高生――というつもりではいるが、少々特殊な肩書きを持っていた。

 『八瀬流剣術(やせりゅうけんじゅつ)宗家総代(そうけそうだい)』 

 それを示すように七緖の背中にはレザーケースに入った日本刀が(たずさ)えられている。

 勿論、正真正銘の真剣だ。

 話によると代々受け継がれてきた由緒のある刀らしいが、正直どうでも良いと七緖は思う。

 それよりも問題は何故この学校に来なくてはいけなかったのかという事だ。

 高校生活も二年目に入り、新学年にも慣れ始めたのでアルバイトでも始めたいなと思っていた矢先にいきなりの転校である。

 七緖はここに至るまでの経緯を思い出し、軽くため息をついた。


 ――一週間前


 家族で囲む夕食、そこは他愛ない話を交わす場でもある。

 学校で起きたこと、面白いテレビの話、時にはニュース。

 食卓を囲む一般的な光景のはずだった。

「荷物の準備は済んだのか?」

 味噌汁椀を手に持ち、良く通る落ち着いた声で言葉を発したのはこの家の主、八瀬(やせ)総一(そういち)だ。

 無口ではないが言葉はいつも必要最小限しか発しない。

「ええ、もうバッチリ」

 ピースサインと共に答えるのは総一の対面に座っている妻の里深(さとみ)である。

 夫が話す必要最小限の言葉をフォローするかのごとくよく話すタイプだが、どこか抜けている一面も持っている。

「なに? 旅行でも行くの?」

 季節外れの牡蠣フライを食べながら、両端の二人に向けて質問をしたのはこの家の一人娘、七緖である。

 七緖の両親は時々やる事が突然すぎるのだが、高校二年ともなれば七緖も慣れてきて、そうそう動じなくなっていた。

「アルゼンチンまで」

 総一が簡潔に答える。

「そっか、じゃあ帰国はゴールデンウィーク明けだね」

 両親が日本の裏側に行くというのに七緖は全く動じない。慣れというものは怖い。

「五年後だ」

 またもや総一が短く答える。しかし、この回答には流石に七緖も面食らった。

「ご、五年? 何しに行くの?」

「剣術を広めに」

 慌てる七緖とは対照的に、総一は落ち着いている。答える内容も至極当然かのようにさらりとしたものだ。

 八瀬家は代々続く小さな流派――八瀬流剣術の道場である。総一は継承者であり、一人娘の七緖もまた幼い頃から教え込まれている。高二にして既に宗家総代を譲られた。小さい流派故にほぼ一子相伝の状態というわけだ。

 ちなみに先祖代々受け継いだ土地を管理して収入を得ている。

「広めにって……家はどうするの? 私の学校は?」

 七緖はこの春に二年生に進級したばかりである。今がゴールデンウィーク前なのでまだ一月も経っていない。

「寮生活になるけど同室の人と仲良くしないと駄目よ?」

 里深はマイペースに七緖に告げる。

「いやいや、言葉とかどうするの? 私外国語話せないよ?」

 七緖はアルゼンチンの公用語が何語だったか必死で思い出そうとしているが、どちらにしても話せない事に変わりはない。

「お前には国内の学校に転校してもらう」

 総一があっさりと言った。

「ど、どうしてそんな大切な事を相談も無しに決めちゃうわけ?」

「あら、一人部屋がよかった? 頼めば何とかしてもらえるかしら」

 里深がピントの外れた答えを返す。

「そっちじゃなくて!」

 七緖も遠慮無く突っ込む。それでも里深は「今から間に合うかしら」とどこかずれたままだ。

「八瀬流剣術の宗家総代として、剣の修行だけは怠らずにな」

 総一が重く言い聞かせるように告げる。

 この二人には何を言っても無駄だとつくづく思い知らされた七緖だった。


(1)

「――という訳です」

 学園の理事長室で、七緒はことの顛末を話し終えた。

「相変わらずというか、僕の所にも連絡があったのは十日前くらいでね」

 笑いをこらえながら話しているのは学園長の冬野(とうの)である。

 聞くところに寄ると学園長と七緖の父親である総一とは中学からの友人だそうだ。

 昔のからの友人という事もあるが、この学校は部活動にも力を入れていて、珍しい事に剣術部なる部が存在している。おそらく総一もそちらを重視していたのではないかという事だ。

「突然でご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」

「いやいや、迷惑だなんてとんでもない、逆に嬉しいぐらいでね」

「嬉しい……ですか?」

 急な転校生が――? と思ったが、七緒は口にしなかった。

「八瀬流剣術の総代だとか。優秀な人材が増えて人手不足も無くなった。僕も安心だよ」

「はあ……」

 これでも七緒は一応剣術を教えることができる立場でもある。

 剣術を教えられる人材が少なかったのだろうか、学園長は微笑みを絶やさない。

「剣術部の部長が来てから詳しい話をしようか」

 学園長の話では、剣術部の部長は七緒と同じ二年生、寮でも七緒の同室になる予定で、この学園での七緒の世話――というか案内を一通りしてくれるということだ。

 七緒は学園長室の豪華なソファに座り、その人を待つ。


 チャイムが鳴り、数分後――学園長室にその人が現れた。

 涼しげな目元が印象的で長い黒髪が美しい。美人――と言っても差し支えない人だった。

 どこか落ち着き払っているような空気を醸し出していて、とても七緒と同い年とは思えない。

橘内(きつない)(ゆい)と申します。よろしくお願いします」

 深々とお辞儀をする所作も無駄がなく、綺麗だ。

「ああ、彼女も八瀬流剣術の使い手でね」

 学園長がにこやかに結の紹介を始めた。

 その昔、各地に散った中で現代でも残っている、数少ない流派の師範代――なのだそうだ。

「宗家とお会い出来るなんて光栄です。是非一度お手合わせをお願いしたく思います」

 結は嫌みのない笑顔で七緖に握手を求める。七緖も慌ててそれに答える。

 宗家と言っても大したことはないと思っていたが、こういう風に対応されると改めて肩書きが重く感じる。七緒も、剣術は嫌いではないのだが、少しの反抗心というものもある。

「あーそれも良いんだが、また例の場所が不安定になってきてね」

 冷や水を指すようで悪いと前置きしてから冬野が続ける。

「――わかりました、では今回から二人で仕事をすれば良いのですね?」

「話が早いね、よろしく頼むよ」

「七緖さん。早速で申し訳ありませんが、仕事に行きましょう」

 結と学園長が七緒を置いてきぼりで会話を進めていた。

 『仕事』とかいうワードが出てきてたが、何のことか七緒にはサッパリわからない。

「あ、あのー、仕事って何ですか?」

 恐る恐る――という感じで七緒が二人に尋ねた。

「勿論、悪魔退治だよ」

 学園長がサラッと答えた。

「――――は?」

 七緖は思わず聞き返す。今、学園長は確かに『悪魔退治』と言った。

 『悪魔退治』文字通りだとすれば『悪魔』を『退治』する事なのだろう。

 ――そもそも『悪魔』って何なのだ?

 ゲームなどで敵として出てくるあの悪魔の事なのか、それとも業界用語的な隠語か何かで、手に負えない問題をそう呼んでいるのか――考えても七緖には全くわからない。

「もしかして……何も聞かされていないのですか?」

 七緒の様子を見ていた結が、怪訝そうに訊いてきた。

 そう言われても一体何のことだか七緒には見当もつかない。

「はあ……その、お二人が何を言ってるのか……まったく」

 結が信じられないものを見たかのように目を見開いた。

 そして、

「八瀬流剣術は古来より悪魔退治を生業(なりわい)としているはずですが」

 ――と。言った。


 初耳である。

 七緖は生まれてから今日に至るまで悪魔の「あ」さえ聞いた事はない。

「申し訳ないのですけど、なんのことやらです……」

 七緒は正直に答えた。むしろ混乱しなかっただけ褒めてもらいたい。

「で、では、剣だけを指南されていたと?」

 結が慌てている。

 美人は慌てていても美人だなと思ったが、とてもそんなことを言える空気ではなかった。

「……そうですが」

 それ以外に何を教えるというのだろうか。

 七緖の答えを聞き学園長は落胆を隠せない様子で項垂(うなだ)れていた。


(2)

「流されてここまできたけど、悪魔とか言い出してるの、どう考えても普通じゃないよね」

 結局その後、七緒は八瀬流剣術の歴史における悪魔との戦いの説明をされて、結に案内されながら、学園長が「例の場所」と言っていた地下通路へと向かっていた。

 勿論、帯刀をして――だった。

 八瀬流剣術は現代の服装に合わせてベルトで刀を下げられるようになっている。

 刀も、そのベルトも、七緒が学園長室に持って行っていたおかげでこうなっていた。

 もっとも、刀は鍵付きのロッカーなどで管理しない限りは、持ち主が目を離してはいけないので至極当然のことをしたまでだったが、裏目に出たと思う。

「……この場所は普通ではありません。そういう風に作られた学園だと聞いてます」

 結は入口の生体認証で地下通路の扉を開けて、七緒に地下通路に進むように促した。

 『悪魔』とか言っていたわりには、設備がやけに現代的だと七緒は思った。

 勿論、口には出せない。出せる空気じゃない。

 地下通路だけあって、ひんやりとした得体の知れない冷たさを身体に感じたせいもある。

「作られたって……まあ良いけど……」

「敢えて学園の敷地内に結界を作ることによって、周辺地域の治安維持を担っていますよ?」

 結は何も疑問に思った様子でもなくそう続ける。

「はあ――そういうものですか……」

 七緒は適当に相槌を打っていた。正直な所、早く済ませて寮で休みたい。荷物の片付けもしなくてはならないし、長旅の疲れも少し出ている。

 しかし、大の大人の学園長と、真面目そうな結が本気で話していたからには、何かがあるのだろう。それが何かは七緒には全くわからないけれど――


 地下通路を歩いていると、ぼんやりと動く影が七緒の視界に入った。

 目を凝らして動くものを捉える。

 それはどう見ても犬――多分和犬の血が入った雑種犬だった。

「……犬?」

 入口は最新式――何故こんなところに犬が入り込んでいるのだろう。

「気を付けてください――」

 七緒の一歩後ろでは結が刀を構えようとしていた。

「いやいや、何処かの飼い犬が迷い込んだだけ――っ!?」

 近寄ろうと一歩踏み出した瞬間、七緒の背筋に冷たいものが走った。

 この場所に居ては危ない――咄嗟に後方に飛び退いたが、その時にはもう遅かった。何処かの飼い犬だと思っていた生き物が、驚くべき早さで七緒の喉元を目掛けて飛びかかってきた。

 地面に転がるように倒れ込み、なんとか喉笛を喰い千切られる寸前で回避できたが、防御しようとした右手の甲にはうっすらとかすり傷が付いていた。ピリピリと小さく痛む。

「な、な……何なの……」

 七緒は慌てて体勢を立て直し――思わず刀の(つか)に手をかけていた。

 犬――のような生き物は七緒との間合いを計っている。

「だから言ったでしょう、気を付けてくださいと」

 結も携えている刀の柄に手をかけ、臨戦態勢だ。

 二人で挟み撃ちをしている形勢だが、結のほうが少し間合いが遠い。

 得体の知れない生き物は突然の事態に焦っている七緒に照準を合わせているように見える。

「だって普通こんなことあり得ないでしょ!?」

 七緒は得体の知れない生き物から視線を外さずに答えた。

『フン――よく(かわ)せたな』

 低く唸るような声が聞こえた。

 結の声ではない。勿論、七緒でもない。

「……犬が……喋った? いや、そもそも犬?」

 どうなっているのか――七緒の思考は混乱一歩手前になっていた。

 それでも、手の甲に受けた傷の小さな痛みが、七緒を現実に引き戻してくれていた。

『ボンクラかと思ったが、最初とはまるで気配が違う。一撃を外したのは厄介だ』

 得体の知れない生き物は、やたらと偉そうな言葉遣いで七緒を見据えていた。

「これでもまだ『普通』を信じますか?」

 生き物の向こう側、後ろを取っている形の結が七緒に問いかけた。

「――無理」

 七緒が短く答える。どっちにも取れる答えだった。

 手に受けた傷――聞こえてくるヒトのものではない声――この目で見ないとわからないものは世の中にまだ沢山あると思ったが、七緒の思考はそれを拒否したくてたまらない。

 そんな状況の中でもただ一つ、七緒に確実にわかるのは、この得体の知れない生き物を倒さないと、こちらが殺られる――それくらい緊迫した空気が充満していた。

 その空気は、瞬き一つ許されない程にヒリヒリしている。

 一太刀で仕留めるしかない。間合いは二拍――踏み込んでからの抜刀――いや、一拍――踏み込みと同時に斬り込むくらいでないとこちらのリスクが高い――七緒は静かに息を吸う。

 得体の知れない生き物が、間合いを少しずつ詰めてきた。

 七緒はその足の動きを注視する。相手の足に力がこもった。今だ――

「――やあっ!」

 踏み込みと同時に抜刀――居合いでの一閃。

 得体の知れない生き物は、弾かれるように大きく宙に投げ出され、やがて重力に引かれるように地面に叩き付けられていた。

 動かなくなったそれは――これが結たちが言う『悪魔』なのだろう――霧散して消えた。

「――お見事です」

 結が七緒を見てそう褒め称えている。

 褒められるのは基本的に嬉しいけれど、全く喜べないこの状況は一体何なのだろう。

「……何なの、この学校」

 刀を納め、思わず七緒は唸るように呟く。

 これからの七緒の学園生活を簡潔に表すなら――前途多難だった。


(3)

 結が言うには、とりあえず今のところの怪しげな気配はさっき倒した悪魔だけだということで、二人は地下通路から出て、学園長室で報告をしていた。

「いやーお疲れ様。流石は八瀬流宗家だったね」

 学園長が安心したような笑顔で七緒を見ていた。

「何なんですか、あれ……」

 実際に目の当たりにしたし、右手には確かにかすり傷が残っているのだが、七緒としてはまだ信じたくない現実だった。

「あれが『悪魔』なんだよ。時々結界から漏れ出てくるんだ」

 学園長の様子は、冗談を言っているようには見えない。

「それを退治する……と?」

「そういうことになります」

 結が七緒の隣で静かに頷いていた。その表情は、とても真剣なものだった。

「……わからないけど、わかりました」

 ――認めたくないが、これは、現実なのだ。

「これからもよろしく頼むよ」

「はい……」

 それなら、腹を(くく)る以外に七緒に出来ることはない。

 八瀬流剣術の宗家として課せられた運命――のわりには一切説明されてなかったので、後で父を問い詰めようと思ったけれど。


「そういえば剣術部って何人いるの?」

 案内と傷の手当てを兼ねて、寮までの道を案内されて歩く途中、七緒が結に尋ねた。

 七緒がさっきまで帯刀していた刀はレザーケースに収めて、また背負っている。

 結はまだ帯刀したままなのだが、学園の敷地内とはいえ良いのだろうかと心配をしてしまう。

「全員で四名――うち二人はマネージャーで先程の地下通路への入口の管理などをしています」

「じゃあ今まで二人でその――さっきの『仕事』をしてたんだ」

「いいえ? 私一人ですよ?」

「え、今四人って言ったじゃない。あとの一人は?」

 あと一人居ないと計算が合わない。七緒はさらに尋ねた。

「七緒さんと、私、マネージャーの二人で四人です」

 結がゆっくりと指を折り、人数を数えていた。

 なるほど、七緒を入れれば計算が合う。じゃなくて――

「もう部員にカウントされてる……!」

 七緒はまだ入部するとも、しないとも言ってないのだが、サラッと頭数に入っていた。

 どのみち自分には剣術しかないので入るつもりではいたのだが。

「私より強い人が入ってきてくれたので良かったです。何と言っても宗家ですから」

「そこはあまり期待されると……悪魔っていうのを見たのもさっきが初めてだし……」

 全てが急転直下すぎて、まだ実感が湧いていないが、七緒は今日、今までの常識がひっくり返るような経験をしているのだ。

「でも初見なのに一撃で倒せましたよね?」

「いや、まあそうなんだけど……」

 あの時は自分でもよくわからない生存本能が機能していたと思う。

「安心できます」

 結が華やいだように笑う。

 こんな笑顔を見せられたら、文句が言えなくなってしまうと思った。


(4)

「ベッドが一つ……?」

 案内された寮の部屋。勉強机と本棚、クローゼット完備。それに加え、刀を収納できる頑丈な鍵付きのロッカーもあるし、そこそこ広くて快適に過ごせそうなのだが、七緒のベッドがない。

「あ、七緒さんのベッドが届くのは明日になるそうです」

 手配の関係で入居に間に合わなかったそうだ。寝床は大事なのに残念だと思ったが、一日我慢すれば良いだけ――今日はそんなことよりも早く寝たかった。

「じゃあとりあえず毛布か何かを――もう今すぐにでも寝たい……あ、その前にシャワーだ」

 この寮は幸いにも各部屋にシャワールームがあるので、いつでも自由に使える。

「眠るなら、私のベッドを使って下さいね」

 結が刀用のロッカーの鍵を渡しながら七緒に言った。

「え、橘内さんは?」

 七緒は鍵を受け取り、刀を納めたレザーケースを丁重にロッカーに入れる。

「私は今日は床で寝ます。あと、どうぞ『結』とお呼びください」

 にっこりと結が微笑んだ。美人の笑顔は絵になる。というか結は何をしても絵になる――多分。

「いや、駄目でしょ。名前の件は了解したけど、結が風邪引いちゃう」

 季節はゴールデンウイークが終わった頃。まだ初夏にもなっていない。床で寝るには流石にまだ冷える時期だろう。七緒は自分が床で寝ようとしていたことを棚に上げて、結にツッコんだ。

「宗家を粗末に扱っては橘内家の恥です」

 面倒な――少なくとも七緒はそう思っている――『家』や『流派』の関係性のようなものが、結の口から出てきた。

「そんな昔の人みたいなこと――あ、一緒に寝れば良いじゃない」

 シングルベッドとはいえ、一晩くらいならお互いに我慢もできるだろう。

 七緒はそう思ったのだが――

「それはできません」

 結には即座に却下された。

「窮屈だろうけど一日くらいなら我慢して――」

 互いが譲り合えばどちらもそこそこ快適に眠れる――そう続けた。

「――橘内は本来八瀬家にお仕えする立場だと曾祖父から聞かされています。ならば、お仕えする立場の人間が譲るのが筋です」

 結から時代劇の台詞みたいな言葉が飛び出した。

「え、問題はそこなの……?」

 二人で寝ると狭いとかそういう実質的な問題ではなく、上下関係――しかも時代遅れ――で拒否をされている。

「ただでさえうっかり『七緒さん』と呼んでしまっている以上、失礼を重ねては――」

 そう言われて思い出したが初対面の時からサラッと「七緒さん」と呼ばれていた。七緒自身でも気付かなかったくらいなので、ごく自然だったのだろう。不快感もない。

「お仕えするってもすっごい昔の話でしょ? 名前で呼ぶのも別に失礼とかじゃないし」

 そもそも同じ高二で同室、そして学園の生活では結のほうが先輩だ。

「曾祖父の話では、戦後に主従関係ではなくなったそうです」

 戦後――もう半世紀以上経っている。

「じゃあ昔の話だよ。ね? 敬語もなしで良いくらいなんだし」

「曾祖父は戦前生まれなので、昔でもないです。それに私は敬語のほうが楽です」

 結が困ったようにそう返した。

 敬語で話すほうが楽だという人がいるのは、七緒も耳にしたことがある。

「あーじゃあ敬語はそのままで。でも、もうそういう主従関係はないんでしょ?」

 ここは七緒が一歩譲ってなんとか交渉を――

「ですが……」

 結は全く譲らない様子だった。

 七緒は考えを巡らせる。

 自分がベッドに寝て結を床に寝かせたせいで結が風邪でも引いたら困るし、かと言って自分が床に寝る――風邪を引いても自分の責任だ――と言っても、それでは結が納得しないだろう。


「あ、お仕えする立場って言ったよね」

 七緒の頭に一つの考えが浮かんだ。

「はい」

「じゃあ、命令です。今夜は私と一緒に寝ること」

 これはきっと反則に近い言葉だと七緒もわかっている。

 それでも両者譲らない中で、一つの解決策でもあった。

「――わかりました」

 七緒が予想してたよりも驚く程にすんなり聞き入れられる。

「……夜伽(よとぎ)の覚悟をしておきます」

 突然、結が決意を秘めた目で、とんでもないことを言い出した。

 夜伽――七緒でも一応意味は知っている。

「ちっがーう!! 違うからね!? そういう意味で一緒に寝ようって言ったんじゃないからね?」

「違うんですか?」

 結は不思議そうに七緒を見ているが、こちらのほうが不思議だ――

「そもそも女同士でなんでそういう発想になるの!」

「今の時代、多様性が尊重されていますし」

 さっきまで時代遅れなことを言っていたのに、今度は時流に乗った結の発言だった。

「その進歩してるのかしてないのかわからない思考は何なの……」

 今日はツッコミ疲れる日だと思った。

 とりあえずシャワーを浴びて早く眠りたい――七緒の頭を支配しているのはそれだけだった。


(5)

 深夜、七緒は息苦しさで目覚めた。誰かに抱きつかれている。

 その誰かとは他でもない、結だ。ベッドが一つしかないということで一緒に寝たのだが、まさかこんな状態になるとは思いもよらなかった。

 結は気持ち良さそうに寝息を立てている。ただ真横で寝ていたから抱きつかれたのだろう。

 変に動くと起こしてしまう――別に起こしても良いのだが、安らかに寝息を立てている相手を起こすのは何処か申し訳ない。

 なんとか結の腕から抜け出そうと身をよじるが、あまり大きく動けない。

 そんな状態で数分間抱きつかれたままだった。

 苦しい――けどいい匂いがする。違う、そんな場合じゃない。

「ん……」

 抜け出そうとしているうちに結の目が覚めたようだ。

「あ……ごめんなさい」

 何故か七緒が謝る。結はしばらく七緒に抱きついていたが、慌てて腕を離した。

「私、抱きついてましたよね?」

 まだ少し寝ぼけた感じの結が訊く。七緒は「うん」と短く返事する。

「申し訳ありません。子供の頃の癖が抜けていませんでした」

 何でも結は子供の頃にぬいぐるみに抱きついて眠る癖があったと恥ずかしそうに続けた。

 寮に入ってからはその癖は治ったはずなのに。と。

 美人で隙がなさそうな結にも、可愛いところがあるのだなと七緒は思った。

「きっと七緒さんの抱き心地がよかったんですね」

 何か結にサラッと変なこと――内容は変ではないが、状況が変だ――を言われた。

「……な、何を言っているの!?」

「何かおかしなことを言いましたか?」

 結はまだ寝ぼけたような目でぼんやり七緒を見ていた。

 これでは過剰に反応している七緒のほうがおかしな感じになってしまう。

「……なんでもないです。おやすみなさい」

 いちいちツッコミを入れていては追いつかない。七緒は早々にツッコミを諦めた。

 それにしても、剣術をやっている人は何故少し変わっているのだろう――七緒も普通とは言えないかもしれないけれど。

「おやすみなさい」

 返事をした結は、また瞼を閉じた。悔しいことに美人は寝顔も美しいと思った。


(6)

 翌朝――七緒が目覚めた時には結はもう起きて身支度を整えていた。

「おはようございます」

 結は爽やかな挨拶を投げかけてくる。

 なんだかんだで夜中に目覚めているのだが、よく眠れていたようだ。

「おはようございます……」

 対して七緒のほうは、よく眠れたのか眠れてないのかわからなかった。

 とりあえず疲れは取れているので良しとしておかないと、余計な気苦労が増えるだけだと思った。それでなくとも今日は父の総一を問い詰めるというミッションがある。

 今頃、両親はまだ飛行機の中の予定――問い詰めるならホテルに到着予定の今夜だと思った。


 七緒も素早く身支度を整えて、朝食を食べるために寮の食堂へ向かう。

 朝食は注文形式で、和食か洋食かを選べるスタイルだった。

 結はイメージに反して洋食、七緒は和食を選び、一緒に食べる。

「今日は学園内を軽く案内――その前に部室にご案内しますね」

 食べながら、結が今日の予定を七緒に話す。

 文句は何もないけれど、入部届などを出していないのに、すっかり部員にカウントされていた。


「……結さん。その姿で行くの?」

 朝食も済み、鞄やその他諸々――一応刀もロッカーから出して、いざ校舎へ――と思ったのだが、結の腰には当然のように刀が下がっていた。

「呼び捨てで結構ですよ。何かおかしいですか?」

 七緒の刀はレザーケースに入ったまま――見る人が見れば刀だとわかってしまうものなのだが、大っぴらに見えるようには持ち運びはしていない。

「隠したりしないのかなって」

 七緒は刀を指差して尋ねる。

「私が剣術部なのは皆さんご存じなので。あ、授業中には部室のロッカーに入れてますよ?」

「そういうものなの……?」

「はい。校則でも帯刀での登下校は禁止されていませんので」

 結は大真面目な顔でそう返した。そもそも帯刀での登下校は想定外なのでは――

「うん……まあいいや。わかった」

 昨日でツッコミ疲れていた七緒は、細かなところは流すことにした。


 登校時間よりだいぶ早く寮を出て案内された剣術部の部室も、出入口は生体認証だった。

 部室の中はモニターが並び、昨日行った地下通路も含めて、校内を監視――というのだろうか――できるようになっていた。同じ設備が学園長室にもあるらしい。

「生体認証のデータ登録をしますので、右手を腕まくりして出してください」

 結がPCを操作して、スーパーのレジでよく見るような感じのハンディスキャナーを取り出す。

「あれ? 結がそういうことやるの? マネージャーは?」

 結に言われるまま七緒は制服のブレザーを脱いで、シャツの袖を捲り上げた。

「朝早いので、まだ登校の時間では……」

 結はスキャナーを七緒の腕の内側にゆっくりと添わせて、PCに七緒のデータ登録をする。

「意外とホワイトな部活なんだね。朝練みたいなのがあると思ってた」

 もういいと言われたので捲り上げた袖を元に戻しながら七緒が話していた。

 ――冷静に考えて、なんでもうこんなに馴染んでいるのだろう。とは思ったが。

「基本的には結界の守護がこの部活の目的なんですが――」

 初日の説明で七緒にもなんとなくわかってはいたが、学校での部活の趣旨とは随分とかけ離れた目的を結が口にしていた。


 不意に、校内放送のチャイムが鳴る。

 まだ授業も始まってない時間に何だろうと耳を傾けていたら、七緒と結を学園長室に呼び出す放送だった。あの学園長は職権乱用じゃないのかと一瞬思った。


「やあ、おはよう。またちょっと悪魔が漏れちゃってね」

 学園長が苦笑いで二人を迎えてそう言った。

「なんでそんなにしょっちゅう悪魔が漏れ出てるんですか」

 もっともな七緒のツッコミだった。実は毎日漏れ出てるんじゃないかとさえ思う。

「いやあ、結界にも二段階あって、本当に手こずるものはガッチリと封じているんだけどね」

 小さいものはどうしても――と学園長は続けた。

「一度結界の確認もしたほうが良いかもしれませんね」

 結は何も不思議がることもなく、落ち着いた感じで話していた。

「ああ、手配はしているんだが、あと数日はかかりそうなんだよ。今日のところはとりあえず退治してくれたらなぁ……と」

「でも私まだ転校の挨拶とかもしてませんよ」

 そもそも今はまだ登校時間だった。七緒の学校での新生活はまだ本格的に始まっていない。

「勿論、結界があるから急ぎではないのだけれども――昼休みが良い? 放課後が良い?」

 話を聞いてない上に二者択一なのか――七緒はツッコミたいが安易に口に出せない。

「放課後でお願いします。まだ自分の教室にも行ってないですから」

 こうなったら自棄(やけ)だ。七緒は念押しを兼ねて答えた。

「OK、準備しておくよ。それじゃあ、授業頑張って」

 学園長は腹が立つほど爽やかに笑っていた。


(7)

 放課後――七緒と結は、またもや地下通路を進んでいた。

 初めて来た時に七緒が感じた冷たい気配は、今日も変わりがない。

 今日は七緒の転校の挨拶も、授業も、昼休みも、全て順調に済ませた。少なからず話しかけてくれる人もいて、そのうちの数人はメッセージアプリのID交換もできた。

 それだけなら普通の学園生活だったというのに、放課後の悪魔退治だけが異色すぎると七緒は思う。これも自分がそういう『家』に生まれ育ったからなのだとはいえ、少々の理不尽を感じる。

 しかも、七緒がそういう運命にある家に生まれたのだということを知ったのは、昨日だ。

 もっと詳しいところは今夜、父の総一を問い詰めることにしている。


 地下通路の奥にまたもや生体認証に対応したゲートがあったのだが、その前に、大きな黒い影が鎮座していた。

 七緒がこの嫌な気配を感じるのは二度目。――悪魔だ。

 悪魔は二人を視認してゆっくりと動き出す。

 今回の悪魔は、人間に近い形をしているが、少なくとも人間の二倍の大きさはある。

 目の辺りが紅く光り、腕もやたらと長い。懐に入り込むのは難しそうだと瞬時に思った。

「これで『小さいもの』とか冗談でしょ……」

 七緒は『それ』に慣れてきている自分に対して自嘲気味に笑った。

 悪魔は腕を振り上げ、七緒に近付いてきた。七緒は刀を抜き、静かに構える。

 幸いにも動きは前回見た犬のような悪魔よりも、はるかに遅かった。

 悪魔の手が七緒に向けて振り下ろされる。七緒は余裕で(かわ)していた。

 それくらい悪魔の動きは遅かった。しかし、振り下ろした腕の下にあるコンクリート製の床が大きく窪んでいた。速さがない分、力があるタイプだった。

 七緒は上段から刀を振り下ろし、その腕を斬り落とす――が、斬った箇所の肉がすぐに盛り上がり、また腕のようなものを形成し始めた。

「――急所を突かないと無理そうです」

 結の声が飛ぶ。結も反対側の腕――手首に近い場所を斬り落としていたが、そこもまたすぐに肉が盛り上がり、再生を始めていた。

「了解――」

 腕が再生する前に急所――おそらく身体の真ん中、いわゆる正中線(せいちゅうせん)の何処かにはあるはず――確実なのは心臓か頭のどちらか――七緒は悪魔の心臓の辺りに狙いを付けて、右上から袈裟懸(けさが)けに斬り込んだ。

 七緒の踏み込みがほんの僅か――あと数センチほど浅かったようだ。

 斬り付けた手応えはあったのだが、まだ致命傷にはなっていなかった。

「七緒さん、そのままで――!」

 結がこちらに走り込んでくる足音が聞こえた。七緒は体勢を維持して待つ。

 七緒の肩に、結のつま先が乗った。結は七緒の肩を踏み台にして、高く宙に飛び上がる。

 悪魔は左手を伸ばし結の身体を捕らえようとするが、先程浴びせた七緒の一撃で、動きは極端に遅くなっていた。結は空中で身体を右に半回転させ、優雅ともいえる身のこなしでそれを(かわ)す。 そして――次の瞬間にはもう抜刀して、身体を回転させた勢いをそのままに、横一文字で悪魔の首元に斬り付けていた。

 同じ流派とはいえ、結の剣術はまるで舞踊(ぶよう)のような身のこなしだった。

 悪魔の上半身が大きく、七緒の目の前に傾ぐ。

 七緒は刀を持つ手首を返して、下方から斜め上――丁度悪魔の頭部に当たる場所――に刀を斬り上げた。

 芯を突くような確かな手応えがあった。だが、まだ油断はできない。

 もう一撃で止めを――結も同じく追撃の刃を悪魔に向けていた。


「お仕えする立場とか言ってたわりには上手く踏み台にしたよね」

 悪魔だった形のものが無事に消滅するのを見届けてから、七緒が呟いた。

「……咄嗟のこととはいえ、申し訳ありません」

 結が頭を下げる。優雅な動きはそのままに、戦いに挑む気配だけが消えていた。

「逆だよ。その――信頼してもらえてるからああいうことが出来るわけだし、嬉しい……かも」

 剣術――しかも数少ない流派で門下生も居なかった七緒には今まで、仲間という存在がなかった。刀を持つ者は、全て――とは言わないが――倒す相手、つまり敵だと教えられてきた。

 敵に背中を向ければ、すなわち負けになる。それは親でさえも――

 だけど、結は違う。七緒と同じく刀を持つ者だが、背中を向けられる。

 ほんの二日で、こんな感情になるだなんて、いつもの七緒にはなかったことだ。

 現実離れした状況が続いて、どうかしてしまったのかもしれない。

「七緒さん――!」

 結が感極まった様子で七緒に抱き付いてきた。

「うわぁ! いきなり抱き付かないで!」

「私、ずっと一人で心細くて――でも、七緒さんがここに来てくれて良かったです」

 結は離れるつもりはないようだ。七緒に抱き付いたまま、少し涙声だった。

 それに、思わず結の口を吐いて出たであろう言葉は、七緒にはとても重たかった。

 考えてみれば、七緒が転校してくるまで、結は一人で此処を守っていたのだ――

 自分が負ければ、街の治安にも関わるかもしれない。そんな重責を結は一人で背負っていた。

 立場も状況も違うが、二人は負けられなかった者同士――何か小さな繋がりを感じる。

「うん、結は偉いね」

 七緒はまだ抱き付いている結の頭を、(ねぎら)うように撫でていた。

 サラサラした結の髪が七緒の手に馴染む。

 因果な運命だけど、こんなのも悪くない――七緒はそう思っていた。


(8)

「いやー先輩方お疲れ様です。モニタで見てましたよ」

 部室に戻った二人を出迎えたのは、活発そうなショートカットの小柄な女子生徒だった。

 デスクの上にはノートPCが置いてある。画面には二人がさっきまでいた地下通路の入口が映し出されている。

 初対面のはずだけど、何処かで会ったことのあるような雰囲気だなと七緒は思った。

「こちらは冬野(とうの)(つかさ)さんです」

 結が女子生徒をそう紹介した。

 冬野――学園長と同じ苗字――既視感の正体はそれだ。七緒は頭を抱えたくなった。

「よろしくお願いします」

 七緒は色々な葛藤を押し隠して挨拶する。一応学園長の娘なので丁寧に、頭を下げて。

「よろしくー。先輩なんだからもっと偉そうにしてくださいね」

 偉そうにしろと言っているほうが若干偉そうだが、そこを気にしたら何かの負けだと思った。

「じゃあ……司はマネージャーって認識で良いのかな?」

 七緒が訊く。いきなり呼び捨てにしたが、司は全く気にしていない様子だった。

「はい。結界の異常察知などを任せています。結界の数値に異常があればここに情報が」

 結はいつものように――と言ってもまだ出会って二日目だが――淡々と説明を始める。

 先程、地下通路で垣間見えた、ほんの微かな結のか弱さは、もう上手く消えていた。

「剣術も少しやったんですけど、向いてませんでした。そもそも一キロ近くある鉄の棒を軽々と振り回すなんて、()(かな)ってないですよ」

 司は笑いながらそう言うと、ノートPCに向き直った。

 結界とか悪魔とかは理に適っているのか――七緒はそうツッコミたいけど、全員がそれなりに真面目に取り組んでいることなので、そう易々と口に出来ない。とてももどかしい。


「あ、そうだ、結先輩、サンプル採れましたか?」

 司がPCを操作する手を止めて、部室の冷蔵庫からペットボトルのお茶を出している結に尋ねていた。部活の範囲に入っているのかよくわからないが、何気に設備が充実している。

「サンプル?」

 結に差し出されたお茶を受け取りながら七緒が訊く。

「悪魔の組織の一部でもあれば、もう少し精度の高い結界を張れるって結界師(けっかいし)が」

 司の口から結界師という聞き慣れない言葉が出てきたが、そういう人もいるらしいという認識でサラッと流せた。昨日から常識を覆されることばかりで七緒も徐々に麻痺してきたようだ。

 はたしてそれが良いことなのか悪いことなのかわからないけれど――

「それが……今回も蒸発するように消えたので、組織は一切残りませんでした」

 確かにあの悪魔の身体は、七緒と結の目の前で霧のように消えていった。

 そもそも大胆に斬りかかったりしているが、悪魔からは血――のようなもの――が飛び散ったことさえない。

「やっぱりー。モニタでも確認できてたんですけど、なんとかならないものかなー」

 司はPC前に突っ伏す。

「そこの空気をちょっとだけ持ってくるとか?」

 七緒がお茶を飲みながらポツリと呟いた。

「……それです! 次回それでやってみましょう!」

 結が興奮したように七緒の両肩を掴む。その目は純粋に輝いていた。

 それにしても結のような美人に間近に迫られると、色々と心臓に悪い。

シリンジ(注射器)とか用意しておきますねー」

 司は棚にある「備品」と書かれたラックに手を伸ばしていた。

「え……もうとっくにやってるものだと思ってたんだけど……」

 生体認証などの最先端の技術を使ったりしているわりには、肝心なところが抜けている。

 そもそも、その技術の中、刀を振るって悪魔退治をしているという時点で意味がわからない。

 ――勿論、そんなことは言えないけれど。

「流石七緒さんです……」

 結はまだキラキラした目で七緒を見ていた。


(9)

「訊きたいことがあります」

 夜、七緒は寮の自室に戻り、スマートフォンを使ったテレビ電話で総一と話していた。

 両親は二人とも無事にアルゼンチンに着いたところだったという。

 急な転校はさて置いても、八瀬流剣術が悪魔退治を生業にしているということなど、一切聞かされていなかった。と総一に言った。

「七緒には話したはずだが?」

 総一は画面の向こう側で眉をひそめていた。テレビ電話はこういう時に便利だと思った。

「一切聞いてません。大体そんな重要なことなら覚えています」

 七緒は敬語で総一に詰め寄る。

 基本的に稽古の時以外は家族に対して、それほどかしこまって話してはいない。

「ふむ――あれは七緒が二歳の誕生日のことだったが――」

「に、二歳? 覚えてるわけないでしょ!?」

 何処をどう考えたら二歳児に言い聞かせて覚えていると思うのか――

「二十歳になったらもう一度説明しようと思っていたのだが」

 そういえばあと数年だな。と感慨深げに総一が頷いていた。

「いや、後を継がせた時に説明してよ!」

 父親だとか師匠だとかそういうことはもうどうでもいい。七緒は思う存分ツッコんでいた。

「それもそうだったな。我が一族は古来より――」

「……その話、長くなりますか?」

「いや。二時間半程で終わる」

「充分長いよ!」

 七緒の容赦ないツッコミが飛ぶ。

 基本無口な総一が二時間半も喋る姿を見てみたい気もするけれど、そんな時間はない。

 結局、一族の歴史が書かれた本を送るとのことで、今夜は一段落した。

 昨日も、今日も、七緒にはツッコミ疲れる一日だった。


(10)

「あの……ベッドがまだ一つなんだけど……」

 なんだかんだで総一との会話も終わって、シャワーを浴びた七緒が、部屋の中を見てとても大変な事に気が付いた。今日届くと聞かされていたはずの七緒のベッドがどこにもない。

 総一を問い詰めることばかりに気を取られて、寮に帰ってきた時には全く気付かなかった。

「注文ミスでクイーンサイズが届いたそうなので、部屋に入らなくて、明日だそうです」

 結がシャワールームに向かう準備をしながら答える。

「どういうミスなの……」

 七緒は力なく呟く。もしかしたら七緒の寝床はこのまま届かないんじゃないだろうか――

「また一緒に寝るしかないですね」

 バスタオルと着替えを胸に抱えて結がそう言った。

「結も迷惑だろうし、今日は床で寝るよ」

 二日連続で結の大事な睡眠の邪魔をするわけにはいかないと思う。

 それにまた寝ぼけて結に抱き付かれるのも、変に意識してしまいそうでちょっと困る。

「宗家を床で寝かせるくらいなら、私も床で寝ます」

 また例の『家』とかの関係性が出てきた。

 結がそういった価値感を大切にして生きてきたのも事実だし、理解だってできるので、七緒としてもむやみに否定したくはない。だけど――

「だからね、結を床に寝かせるわけにはいかないでしょ?」

「でも、七緒さんがベッドで一緒に寝ないのなら、私も床で一緒に寝ます」

「だから床で寝かせられないんだって――あれ? なんかコレ変なやりとりじゃない?」

 昨夜と違って、ベッドの主である結はベッドに寝ることには同意している。

 しかし、七緒が床で寝るからといって結がベッドをすんなり使うという話ではなく、一緒に寝るけど、どちらもベッドを使わないか、それとも使うかの二択だった。

 昨夜のように反則技とも言える「命令」をしても良いかもしれないけど、あの技は余程のことでないと、発動させて気分の良いものではない。

「……どうせ一緒に寝るなら、ベッドに寝れば解決しませんか? 床よりも良く休めますし」

 結が首を傾げていた。

 どうでも良くはないけれど、一緒に寝るのは当然のように決まっていた。

「その……結が迷惑でなければ……」

 七緒が困ったようにそう返した。持ち主が了解しているのなら、それ以上の文句は言えない。

「じゃあ決まりですね」

 結は爽やかな笑顔を残してシャワールームに消えていく。

 なんだかよくわからないけど流されていると七緒は思った。


 ――結局、その夜も一度、寝ぼけた結に抱き付かれたが。


(11)

 翌日。七緒は何事もなく授業を受けて、昼食を食べて、いざ放課後の自由時間――と思っていたら、また学園長室への呼び出しがあった。


「また、ちょっとね」

 学園長が苦笑いで待ち受けていた。

「三日連続じゃないですか。どうなってるんですか。こんなこと今までなかったでしょ?」

 七緒は学園長のデスクに詰め寄る。

「そう珍しいことでもないですよ。十日連続で出たこともありましたから」

 後ろでは結がサラッとブラックなことを言っていた。

「あー……あるんだ……」

 七緒は頭を抱えた。それじゃあ三日程度で文句は言えない。

「まあでも、朗報が一つある。結界師が明日来てくれることになった」

 結界を増強すれば頻度も減るだろうと学園長が続けた。

「じゃあ、それまで待つわけには――」

 七緒の言葉に、学園長は無言の笑顔だった。笑顔の圧がとても強い。

「――待てないんですね。わかりました。行きます」

 我ながら場の空気を読みすぎるのも問題だなと七緒は思った。

「あ、悪魔のサンプルも頼むよ」

 そう言うと学園長がシリンジを二人に投げ渡す。

 ――昨日、余計な事を言わなければ良かったかもしれない。手間が増える。

 七緒は少しだけ後悔していた。


(12)

「今度は二体――二匹? 悪魔ってなんて数えるの?」

 地下通路の深部、生体認証がある扉の前――話によると第一段階の結界がこの奥にあるらしいのだが、明らかに異形の生き物が二体、彷徨(うろつ)いていた。

 一体は大きな熊のような姿、もう一体は角がある牡鹿のような姿だった。

 こちらの姿を確認できないのか、ただ彷徨(さまよ)っているだけなのだが、これも倒すしかない。

 一目見て、鹿のような悪魔のほうが素早くて厄介そうだと思ったので、結に意見を求める。

 ――悪魔退治三日目にして、どうして七緒が率先しているのか、よくわからなかったけど。

「今までの経験だと、角の部分は相当硬いはずです」

 と、結が答えた。悪魔も見た目に応じて変化するものだということだった。

「了解。じゃあ鹿から、行くよ――」

 七緒は二体が大きく離れたところで、素早く鹿のほうに近付き、居合いでの一太刀を浴びせた。

 悪魔の咆哮(ほうこう)が地下通路に響く。その声で、もう一体の熊のような悪魔が弾かれたように七緒に向かって走ってきた。見た目に反して、存外にスピードが速かった。

 七緒は鹿のほうに素早く致命傷となる一撃を食らわせて、そこから飛び退く。

 突進してきた熊のような悪魔は、もう一体にぶつかり、止まる。

 そして、音を察知しているのか、七緒が飛び退いた方に向かってきた。

 刹那――結がその間に割って入り、寸前で突進を(かわ)して後ろから斬り付ける。だが、少し斬り込みが浅かった。熊は悲鳴を上げ、一瞬立ち止まったただけで、また七緒に向かってくる。

 結が追撃を加えようと、大きく踏み込んでもう一太刀を真一文字に後ろから浴びせた。

 と、同時に七緒も熊のような悪魔の身体の前方から、真後ろに向けて、真横に()ぐように斬り込む。二人の刀が、丁度、悪魔の身体の中心で、ほんの数センチの間を開けて、交差していた。

 確実に仕留めた、のだが――

「あっぶなー……」

 七緒が大きく息を吐く。悪魔に対してではなく、交差した刀に対してのものだった。

 どちらかの太刀筋がもう数センチでもズレていたら、()()で打ち合っていたところ――

 通常、相手の刃を受ける時は「(しのぎ)」と呼ばれている刀身の厚みのある部分で受けるものなのだが、刃と刃で直に受けてしまっては刃毀れは必至だった。下手をすれば折れていたかもしれない。

 七緒の刀は一応由緒ある刀らしいので、修復にも時間がかかっていたことだろう。

 そして、結の刀もきっと、それなりの業物(わざもの)のはずだ。

 剣術をしている者にとっては、刀は命の次に大事な存在――人によるが――それが壊れてしまうという、ある意味での悲劇を寸前で回避出来たのは幸いだった。

「――あああ、申し訳ありません!」

 結がこれまでにない程の慌てぶりで謝っているが、刀を持つ者として仕方のないことだった。

「謝らなくて良いよ、どっちの刀も無事だったし。それにしても――呼吸が合うのかもね」

「え……」

「こんな偶然みたいなこと滅多に起こるものじゃないよ。あ、それより空気だ」

 余程でないと、あんな奇跡みたいな刀の交差の仕方はあり得ない。

 七緒は渡されたシリンジを取り出して、今まさに消え逝こうとしている悪魔の身体近くの空気を吸い取った。同時に受け取っていた保存用ビニール袋にシリンジのまま突っ込む。

「ねえ、これでいいのかな?」

 七緒は結に尋ねる。

「多分、それで大丈夫かと……私も採取しておきます」

 結はしばらく何かを考えていたが、すぐに七緒と同じようにサンプルを採取していた。


(13)

 部室で司に採取したサンプルを渡して、学園長に報告を済ませ――やっと自由な放課後の時間になったのだが、もうすぐ寮の門限の時間だった。

 普通とは言えない放課後生活を送っているのだから、もう少し融通して欲しいと思うのは我が儘だろうか――しかし今日は、おとなしく部屋に戻って、真っ先に七緒のベッドがあるかどうかを確認する使命があった。


「ベッドだー!」

 今日はちゃんと、部屋に新しいベッドが運び込まれていた。七緒はベッドに俯せに寝転ぶ。

「七緒さんとても嬉しそうですね」

「だってこれでゆっくり寝れるじゃない?」

 七緒は自分のベッドを堪能して、寝返りを打って、横に立っている結のほうに身体を向ける。

「……私と一緒に寝るのは嫌でしたか?」

 結が不安そうな顔をしていた。

「そういうことじゃなくてね……やっぱりお互い遠慮しちゃうじゃない?」

 結は何故そんな顔をするのだろう――寝にくいのはお互い様なのに――

「そうかもしれませんけど……少し寂しい気がします……」

 今度は少し不満気な表情になった。見慣れてきたけれど、結はどんな表情でも絵になる。

「あ……すみません。変なことを言いました。晩ごはん食べに行きましょう」

 結は慌てるように部屋を出て行った。七緒も後を着いていく。

 結の言動が変だと言えば、そもそもとして今七緒が置かれている状況やその他のことが全て変になるような気もしたけど、それは言わなかった。


 七緒は夕食を済ませ、就寝までの自由時間で、結や他の寮生と大広間のテレビを見ながらダラダラと宿題を済ませる。若干特殊なことをしているのだから、この辺りももう少し融通して欲しいのだが、それはそれで、後々自分が勉強が出来なくて社会で困ることになりそうだと想像したら、それにも文句は言えないと思った。


 就寝時間が近づき、それぞれ自室に戻る。

 七緒はシャワーを済ませて、自分のベッドに思う存分身体を預けていた。

 やがて、疲れのせいで瞼が重くなる。今日はゆっくり眠れる――

 寝入る直前――不覚にも、隣に体温がないことを、少し寂しいと思ってしまった。


(14)

「あーおはようございます」

 本日の始業前――七緒と結の二人が、刀を部室のロッカーに預けに来たら、司が居た。

 デスクの上には空になったエナジードリンクの缶が二本転がっていたのだが、徹夜でもしていたのだろうか。司は大きな欠伸(あくび)をしている。

「昨日のサンプルなんですけど、地球上の大気の構成とほぼ変わりませんでした」

 欠伸をかみ殺しながら司が残念な事実を告げた。

「空振り……ですか」

 結の言葉は溜息交じりだった。

「でも先輩が調べたら微量の蛋白質が検出されたんです。蛋白質ということは遺伝子情報があるかもしれないので、結界師にも昨夜のうちにバイク便でサンプルとデータを送りました」

 どうして、ただの高校の施設にそこまで分析できる装置があるのだろう――口にはしなかったが七緒は疑問に思っていた。

「そういえば、先輩はどうしたんですか?」

 結が尋ねる。

 二人が口にした先輩とは、七緒がまだ会ったことのない剣術部のマネージャーのことだろう。

「なんか捜査協力で警察に呼ばれて、朝方飛び出して行きましたよ」

 高校生に捜査協力を依頼する警察が実在しているのか――七緒の新しい驚きだった。

 なんだかどんどん七緒の考える「普通」からかけ離れて行っているような気もしたが。


(15)

 放課後――学園長室に七緒と結は居た。

 今日は結界師が来ることになっていた。なんだかんだで連日学園長室に入り浸っている。


 現れた結界師はヒョロッとしていて眼鏡でスーツという、押しの弱いセールスマンといった風情の人だった。そう思った証拠にアルミのアタッシェケースを持っている。

 見た目で判断してはいけないが、頼りなさそうにも思えた。


「この装置を三つ、ポイントに設置してスイッチを押すだけで良い。昨夜届いたサンプルを分析して反映させた最新版だ」

 手渡された装置は想像してたよりもとても小さい――スマートフォンくらい――だった。

「一緒には来ないんですか?」

 装置を手にした七緒が訊く。

「悪魔と戦えない僕が行っても足手まといだよ。それに今は遠隔コントロールが出来る」

 とても便利で安全な時代だ――結界師は続けた。

 そんな時代の最先端の技術を使っているのに、剣術に頼ったとてもアナログな悪魔退治をしているのが、いまだに七緒には不思議でならなかった。

 それに、安全なのは最前線に立たない人であって、最前線に立つ七緒たちはとても危険だ。

「全部設置してから結界が作動するまでに、少し時間がかかる。そして新しい結界が作動する前には結界が緩むから一時的に悪魔が増える。頑張ってね」

 結界師はアルミのアタッシェケースの中から取りだしたPCやトランシーバーのような機械を色々と準備しながら爽やかに手を振る。

「気軽に言ってくれますね……」

 一時的に悪魔が増えるだなんて――やはり七緒たちが一番危険ではないか。

 それでも、やるしかない。七緒と結は二人で地下通路に向かった。


 地下通路の入口、七緒は慣れた手つきで生体認証を通して地下通路への扉を開ける。

 今回の目的は何度か見た地下通路の奥、もう一つの生体認証ロックが設置されている扉の向こうだった。道中、今日は悪魔は出現しなかった。

 「毎日がこうならいいのにね」という七緒の言葉に結が苦笑いをしていた。


 地下通路の奥、生体認証の扉――その奥に第一段階の結界がある。

 第一段階の結界を抜けると、冷たい空気が更に強くなった。

 本当に厄介なものは、もっと深部の第二段階の結界で封じられているのだが、それは言ってみれば編み目の大きな網で蓋をしているようなものであり、隙間から漏れ出す悪魔はそれなりの数が存在していた。

 次から次に湧いてくる悪魔を慎重に仕留めながら、結界装置を設置するポイントに進む。

 まずは一つ目のポイント、此処までは順調――出てくる悪魔も数は多いが、雑談をしながらでもなんとかなる程度だった。


「二つ目設置OK――っと。あと一つ」

 七緒は二つ目のポイントに装置を置いて、スイッチを入れた。

「最後のポイントはここから五百メートル対角線上にある広場です」

 結が地図を見ながら七緒に告げる。

「了解。あと少し――頑張ろう」

 地下通路というわりに、広場があるのにも驚いたけど、なによりも地下通路が広い。

 迷路のようになっていないだけ、ありがたいと思うくらいだった。

 

「それにしてもさ、なんでこんなことしてるんだろうって思わない?」

 最後のポイントに向かって、辺りを警戒しつつ歩きながら七緒が言う。

「――何故ですか?」

 結は不思議そうに聞き返した。

「だって、放課後に友達と遊びに行ったりとかバイトしたりとか、私の普通の高校生活は何処へ行ったんだーとか思ったりしない?」

 素朴な疑問なんだよね――と七緒は続ける。

「……私はずっとこういう生活だったので、考えたことないです」

 結が困ったように目を伏せた。

「そっか。じゃあ今度、一緒に遊びに行こうよ。買物とか甘いもの食べるとかなんか色々。この街のことも知りたいし」

 七緒としては、高校生の放課後の醍醐味はその辺りにあると思う。

 無理強いはしたくないけれど、出来るなら、結にもたまには息抜きをして欲しいと思った。

「――はい」

 何かを躊躇(ためら)っているような結の返事だった。


 三つ目――最後の装置を設置して、スイッチを入れる。

 途端、周囲の空気が重く、禍々(まがまが)しいものに変わった。地響きのような音が聞こえ、今まで何もなかった地面から次々に有象無象(うぞうむぞう)の悪魔が出現してくる。

 数はこれまでの比ではない。それは紛うことなき、悪魔の群れだった。

「うわ……なにこの数……」

 七緒が思わず溜息交じりに呟いた。これを全て倒すのは――無理ではないが、相当骨が折れることだろう――それに、まだあとどれくらい悪魔が湧いてくるのかもわからない。

 体力を温存できたままでたどり着いて良かったと思えた。

「――装置が作動するまで私が引き受けます。七緒さんはもう地上に戻ってください」

 結が刀を構えて、群れに対峙(たいじ)する。

「そんな無茶は――」

 ここに来て、結はいきなり何を言い出したのだ――

「これでも、今まで一人で戦ってきました。それに、宗家にお仕えするのが橘内の使命です」、

「そんなこと言ってる場合じゃ――」

「――七緒さんは『普通』に戻って!!」

 結が感情を荒げて叫んだ。それは、何よりも悲痛な叫びだった。結が悪魔から一瞬だけ目を離したその隙を突いて、悪魔の群れが結に飛びかかってくる。

「させるか!」

 七緒は結を真横に突き飛ばして、素早く刀を抜き、その塊を()(はら)った。

 悪魔たちの悲鳴のような声や唸るような声が響き、群れが少し小さくなった。

 何体か倒せたようだ。この程度なら、数が多くてもなんとかなる――七緒はまた刀を構える。

「七緒さん――どうして」

 七緒に突き飛ばされこそしたものの、結はすぐに体勢を立て直していた。そして、七緒を見て責めるような口調でそう訊いた。

「一人で背負わない。今までは一人だったかもしれないけど、その……今は私も居るんだし」

「でも……七緒さんは、普通に……」

 結があんなことを言い出したのは、やはりさっきの会話が原因だった。

「ごめんなさい。結に余計な気を使わせた。結だって、私と同じなのに」

 二人とも、使命を持つ家に生まれ育った。

 それを知ったのが早いか遅いかだけの違い――いや、結はそれを早く知ってしまったが故に、ずっと一人でそれを背負って戦ってきたのだ。

 それなのに――七緒は――

「あと――あんなこと言ってたけど、私だってこれでも一応八瀬流剣術の宗家総代だから、それなりの覚悟は持ってる」

 もっとも、そんな使命があると知らされたのは、ほんの数日前だけど――

「七緒さん……」

「全部、倒すよ――一緒に」

 七緒は迫り来る悪魔の群れを大きく薙ぎ払うように剣を振るう。

「はい!」

 七緒の言葉に、結は気合いを入れ、刀を静かに構え直していた。


「次から次に――」

 倒しても、倒しても、キリがない。

 悪魔から血が出ないおかげで、刀の斬れ味こそ鈍らないものの、戦いの疲れは確実に溜まってくる。これを乗り切れるのは余程タフ――フルマラソンの世界記録を笑顔で走れるくらい――でないと、無理だと思う。

 七緒でさえ持ってあと十数分と言ったところか――七緒は結の様子を見る、こちらもおそらく同じくらいの時間しか持たないだろう――

 悪魔を次々に斬り捨てながら、早く装置が起動してくれないか。それだけを考えていた。


 数分――不意に装置のアラート音が鳴る。

 そして――今まで有象無象に湧いてくるかのように思えていた悪魔が、全て消えた。


『結界が作動しました』

 装置が発したその音声を聞いて、安心したかのように、結がその場にへたり込んだ。

「結? 大丈夫?」

 七緒は慌てて結に駆け寄り、結が思わず手から取り落としていた刀を鞘に収めた。

「七緒さん……」

 結は七緒を見上げている。その目には涙が溜まっていた。

「泣かない――あ、でも今までずっと一人で戦ってたんだもんね。思いっ切り泣いていいよ。あと、これからはもっと頼って。私はこれでも、一応宗家です」

 七緒は結と同じ場所に座り込み、結の身体を優しく抱きしめて、頭を撫でる。

 相変わらずの綺麗な長い髪が乱れていた。七緒の指先に少し絡むが、それはすぐに解けた。

 結は七緒の肩に顔を埋め、声を押し殺して泣いている。

「そんなこと……言ってくれる人、居なかった……私、今初めて、橘内の家に生まれて良かったと思いました。もし、違ってたら……七緒さんに、出会えてなかったです……」

 結は泣きながら、途切れ途切れに、一生懸命に七緒に思いの丈を伝えてきた。

 数日前にも「ずっと一人で心細かった」と言っていたが、良くも悪くも――いや、悪いほうが大きかったかもしれない――『家』というしがらみに囚われていた結の重荷を、七緒がほんの少しだけ軽く出来たような気がした。

「大袈裟だよ。でも、私も結に出会えて良かった――ちょっと変な出会い方だけどね」

 そう答えて七緒は笑う。

 今、此処には刀を持って戦う者同士――通じ合えるものが確かにあった。

 結と普通に出会えていたら、一体どんな関係になってたのだろう。

 考えても仕方ないけれど、それでも、今よりは良い関係にはならなかったと思う。


(16)

「結界は無事起動――お疲れ様」

 学園長と結界師が疲れ果てた二人を出迎えていた。

「気楽ですよね……」

 最前線で戦っている身としては、恨み言の一つも言いたくなる。

 現に七緒は、疲れを言い訳にして、それを口にしていた。

「いやあ、君たちを信頼してるからこそだよ」

 学園長が爽やかに笑う。これだから大人は――と思ったが、それなりに大変なこともあるだろうし、自分たちも将来大人になるのだから、それは言わないことにした。


(17)

「今日は疲れたね……」

 寮の部屋に戻り、先にシャワーを済ませた七緒は既に自分のベッドに寝転んでいた。

 早く寝ようと思っていたのが、戦いのせいか神経が(たか)ぶっていて、なかなか寝付けなかった。

「はい。疲れました」

「でもしばらくは安心だね。っていうかもう、寝る……おやすみ」

 雑談でもしようと、結がシャワーから戻るのを待っていたのだが、いざ結が戻ってくると何故か眠気のほうが強くなってきた。安心感だろうか――この感覚の正体がわからない。

 七緒は布団に潜り込もうとしたが、結に掛け布団を小さく引っ張られた。

「――どうしたの?」

 結にはまだ何か話したいことがあるのだろうか――勿論、七緒にも沢山あるけれど、時間はいくらでもある。今日に限らず同じ部屋なのだから、いつでも話せる。

「……えっと……一緒に寝ていいですか?」

 結はしばらく、宙に視線を彷徨(さまよ)わせてから、意を決したように七緒に訊いてきた。

 それはきっと、結にとってはとても勇気のいる言葉――

「――夜中に抱き付いてこなければ」

 七緒は自分の隣を少しだけ開けて、結を迎え入れた。


「七緒さんが七緒さんで良かったです」

 結がほとんど眠りに落ちる寸前で、そう呟いた。

 狭いベッドの上、二人は向かい合うように横向きに寝ている。

「意味がよくわからない……」

 七緒は静かにツッコミを入れる。そこには照れ隠しもあったのだけど。

「多分、他の人だったら……こんな風に――」

 半分寝言のような結の言葉は――最後まではっきり聞こえなかった。

「おやすみ――」

 七緒は眠りに落ちた結の手に、自分の手を重ねて、自らの瞼を閉じた。


(エピローグ)


 夏休みに入る前の終業式の後――


「またちょっと悪魔が漏れちゃってね?」

 二人を学園長室に呼び出した学園長がまた苦笑いをしていた。

「いい加減に人手を増やすとか、結界を増やすとかしてくださいよ」

 新しく結界を張ったとはいえ、四、五日に一回はこうして悪魔退治に駆り出されている。

 もう放課後の悪魔退治が七緒の日常になっていた。

「結界は予算が下りればなんとかなるけど、なかなか優秀な人材がね?」

「予算が下りるのはいつなんですか?」

 七緒が学園長に迫る。

 人材については元々が少ない流派だけに宗家として文句が言えない。ならば設備の増強だ――

「君たちが三年生になる頃には」

 七緒たちが三年生になるまで、ザックリ数えてあと十ヶ月くらいある。

「……今まだ夏休みに入ったところですよね? そんなに経営が苦しいんですか?」

「そういうこと。理事の人たちがなかなかね……学園の経営も大変なんだよね……」

「この頃、悪魔退治より人間のほうが面倒だと思えてきました……」

「ははは……違いない」

 学園長は力なく笑っていた。やはり大人の世界も大変そうだ。


 いつもの地下通路を、いつもの二人で歩いていた。目の前に大きな影が立ち塞がる。

「わー……今回のはちょっと手こずりそう……」

 今日の悪魔は人のような形に近いが、腕のような器官が六本もある。

 しかし、動きは普通の速さ――いや、悪魔の普通って何だ。七緒は自分にツッコミを入れた。

「七緒さん、どうします? 私が(おとり)になって――」

「またそういう風に無茶をしようとする」

 結は元からあまり融通が利かないタイプだと思うが、最近輪をかけてこういうことを言い出すようになっていた。七緒を守ってくれようとしているみたいなのだが、少し不器用だと思う。

「ですが――」

 そして、簡単にはその主張を譲らない。

「……じゃあ、命令です。無茶しない。私が背中を預けられるのは、結だけなんだから」

「わかりました。私もです」

 やはり思っていたより素直に受け入れられる。

 結の返事にはちょっと照れるような一言が添えられていたけど――

「よし、行こう――」

 七緒の合図で、二人は悪魔に向かって、駆け出す――


〈了〉

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