【神の加護】
「ふむ、今朝撒いたばかりだと言うのに、やはりもう乾いておる…。
最近は聖水を使う回数もすっかり増えたのぅ。」
お爺さんは門の前に立つと地面を見つめて呟くと、小瓶の蓋を取り再度門の前に聖水を撒く。
俺はと言うと、お爺さんがレイスの試し切りをさせてくれると言う事で門の前まで戻って来ていた。
「先程も言ったが、一回キリじゃからの。準備は出来ておるか?」
「勿論。」
お爺さんは棒の先に銀で出来た輪っかが付いた器具を持つとそこにも小瓶に残った聖水をこれでもかと振り掛ける。
それで準備が完了したのか、出来るだけ門の外側から手を伸ばすと門に手を掛けて再度確認するかの様に俺の方を見た。
俺が頷いて返すとお爺さんはほんの少し、10㎝ほど片側の門を慎重に空けた瞬間気持ちよさとは真逆の冷たい風が吹き、一枚の白い布がフワフワと宙を舞い、門の間をすり抜ける様にレイスが姿を見せる。
「此処までじゃ!!!!!」
お爺さんは何処にそんな力があるのかレイスが門を出た事を確認すると、すかさず門を蹴り閉め素早く器具の先の輪っかの中にレイスを通した。
「…これで動けぬ筈じゃ。」
輪の中のレイスは見えない何かに遮られる様に輪の中に閉じ込められる。
「そら、一度キリじゃ。お主の攻撃が終わり次第、ワシが聖水を掛けてレイスを消滅させる。」
お爺さんは手慣れている様に見えるが、額に冷や汗が流れている事が分かる。きっとこの一回も命懸けだったに違いない。
俺は鉄の剣を鞄から抜くと一歩一歩輪の中に捕らえられているレイスの下へ近付いて行く。
◆◇◆◇◆
門を開けてレイスを捕える。それは過去の隆盛は今は昔、現在の挑戦者の数だけこなして来た動作だ。
新人と言えど、この青年もまた挑戦者である。他の挑戦者と同様の扱いをしなければならないだろう。
毎度の事ながら、手が震える。その白い姿が何時何時この聖水で作った簡易結界を破って襲い掛かって来るかはわからない恐怖は言い表せぬ物がある。
万が一私が襲われたとしても、過去に神殿の者達が張った結界のお陰でこの穴倉からは彼等が今すぐ溢れ出る事は無いだろう。
それ以上に恐ろしいのは"憑依"で私が私で無くなる事である。
この迷宮は狩る者が何年も居なかったせいで迷宮内はレイスで溢れ返り、本来はまだ迷宮内ではない門のこの門の先ですら今にも溢れそうなくらい増え続けている。
せめて万が一が起こったとしてもこの青年だけは逃がさなければならない、彼はまだ若く先があるのだから。
私が彼に合図をすると彼は腰に取り付けた鞄から一振りの剣を取り出す。
この動作の中で既に私は二度驚いた。
明らかに質量を無視したあの袋は"魔法の鞄"である事に相違なく、それがこの新人冒険者が持っている事だ。
確かにそれだけならばお金さえあれば手にする方法はいくつかあるので、貴族の関係者等々無理矢理ではあるけれど納得する理由はあった。
だが納得出来ないのは二度目だ。見た目は何の変哲もない、そこらの武具屋で売られていそうな鉄のロングソード。
この街の冒険者や騎士団の者達が見ても何の眼も止められず、驚きもしないただの剣である。
ただ1つ。それを聖職者や高レベルの聡明な冒険者が見た場合、ただの凡品とは言うまい。
何せアレには、とても薄いが確実に"神の手"が加わっている。
そして私の驚きはそれだけでは収まらなかった。
彼が悠然とレイスの前へ歩を進めるとレイスは彼の存在を畏怖し拒絶し彼が居る方とは逆の方向へ逃げようと聖水の結界へ身を何度もぶつけていた。
これはまだこの迷宮に神殿の聖職者の方々が来てくれていた時の話ではあるが、彼等は己が身に聖水を被る事で一時的に神の加護と同等の魔除けの効果を出していると言っていた。
そう、彼等は聖水を被る事でその効果を得ていたが目の前の青年は違うのだ。
聖水を使ったのは私だけで道を塞ぎ、閉じ込めただけで彼には何もしていない…。
そこから導き出される答えはただ1つである。
―――彼は"転生人"だ。
「ハァー!!!」
彼はただ一刀の下にレイスを切り裂くと、当然の様にレイスは真っ二つに切り裂かれて消滅し、そこには"霊府の布"が残されていた。
◆◇◆◇◆
「…ふぅ。」
振り下ろした剣の切っ先はレイスを切り裂き、そのまま地面に突き刺さる。
当然だと感じていても結局は実際に斬ってみるまで不安は拭えなかったが、結果は成功だった。
お爺さんは途中まで驚いている様に見えたが、どうやら俺の想い違いだったのかもしれない。
思いの外冷静で運よく落ちた"霊府の布"だと思われる素材を拾うと、眼を閉じて懐かしむ様に笑っている。
高鳴った心臓の鼓動が安定し剣を仕舞い込む頃、お爺さんも満足した様にニカッと笑うと"霊府の布"を持たせてくれた。
「お主は…いや、深くは追及すまい。久々にレイスが斬られる様を見た、良い一撃だったぞ。」
俺はお爺さんのその顔を見て正体がバレたと悟った。
それでも彼はそれを俺に追及したりはしない、ならば俺からも伝える事は何も無いだろう。
「さて、お主はどうする?冒険者ギルドにこれを報告すれば、この迷宮への立ち入りも快く許してくれるかもしれぬぞ。」
「いや、それは止めておこう。俺はまだ完全に冒険者になった訳じゃない、報告すればミラさんも心配する。それに…報告すれば大事になるでしょう?」
「確かにのぅ。現状、この街でレイスを狩れるのはお主かコルエ殿位。更に安全に狩れるとなると、お主一人だけだろう。間違いなく、大事になるだろうのう。」
「俺は必要以上に目立ちたくないんですよ。」
先日も新人であるのに関わらず、冒険者の先輩方の前でオーク相手に大立ち回りを見せてしまい目立ち気味だ。
シャーロットの衝撃が大きすぎて上手く影に隠れてくれたが彼女が派手にぶっ飛ばしてくれなければ更に目立つ羽目になっていただろう。
「ほほほっ、無欲だのう。」
「バレれば諦めるが、それまでは精々影に隠れながら動かせてもらうさ。」
…しまった。お爺さんの呑気な煽りに飲まれて素が出てしまった。
「どうやら人を敬う言葉を使うのが苦手と見えるのぅ。」
そう言って口元を抑えた俺を見てケラケラと笑うお爺さんを見て、作り顔を崩しながら俺も敬語を使う事を止めた。
「悪いが、これからは素で話させてもらうよ爺さん。」
「其方の方が話し易くて良いわい。」
更に笑い声を加速させる爺さんに釣られる様に俺も口を緩める。
「それじゃあ俺はそろそろ行こうかな。予定してた下見は爺さんのお陰で予想以上の収穫で済んだし、次に来る時は中に入って狩りをさせて貰うよ。」
「何じゃ、もう行ってしまうのか?」
「ああ、なんせまだ仲間探しの途中でね、これから其方の下見に行かなきゃならんからな。」
爺さんは髭を擦りながら成程と言って納得する。
「それはそれは良い仲間が見付かると良いのう。」
「きっと、今度来る時には連れて来るよ。」
「それは楽しみじゃわい。」
そう言って爺さんは一頻り笑って見せると、背を向け去って行く俺の姿を見えなくなるまで見送るのだった。
「目黒琥珀…と言ったか。もしかしたら、もしかするかもしれんのう。」
◆◇◆◇◆
爺さんと離れて白霊の庭園を後にしておおよそ1時間。
俺は冒険者達から聞いた、新しく開いたと言う奴隷商のお店…つまりはメイガスさんのお店への道則をメモした紙を取り出しながら移動を繰り返す。
「奴等からの話じゃ迷宮を出てからは店までは5分もあれば着くと聞いていた筈…。」
俺は書かれたメモと睨めっこを繰り返し、シンプルであった表街道から離れ、複雑になった裏街道をアレは違う此処は違うと頭を捻り迷いながらも悪戦苦闘を繰り広げている。
表街道からは外れたこの場所は奴隷を売る奴隷館や風俗店等々、所謂少々ディープな店が軒を連ねているのだが今は昼。お店が空いている訳も無く、道を聞ける人っ子一人居やしない。
俺は頭を掻きながら、何か糸口が無いかと昨日の会話を思い返すが裏街道での奴等独身冒険者共の話はどの店のどの娘が良いか悪いかくらいの話しかしていない。
幸い、狭いこの街では新しい事が起きればスグに噂になるので情報に事欠かないらしく、冒険者達に質問すれば大体良い返答が返ってくるのだが…。
連中の裏街道での話はどの店どの娘議論が中心。それはシャーロットが戻って来るまで続き、その上酒が入って酔っ払って居たのでこの折角書いたメモも正確性に欠けるのだ。
「結局このメモの正確性を確認もせず、納得して飲み始めた俺も同罪か…。」
既にこのメモの信用は既に地に落ちた。
俺は昨日の自分を恨むと、また新たに情報を収集する為、表街道を目指す事にする。
「あ、琥珀さんじゃないですか。」
「え?」
背後から何となく聞いた事のある声が掛かる。
紫と白の服を着込み、見覚えのある紺の短い髪…そう、彼女はメイガスさんの所の魔法使いの…。
「メリィです。」
「そう!」
「いくら影が薄くても忘れないで下さいよ。」
彼女は俺の心を読む様に自身の名前を俺に教えると、少しだけ俺を睨んだ。
そう言えば、戦闘中の言動は激しいが、普段はかなりダウナー系だったので道中でもあまり喋る機会が無かった。
「…すまない。」
「いいえ、構いませんよ。」
・
・・・
・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・・・
沈黙。
余りにも申し訳なく、話し辛い。
そんな様子を見かねてか、彼女から俺に話しかけてくれる。
「琥珀さんは此方へは何か御用で?」
「え、ああ!実はメイガスさんの店に顔を出しに行こうと思っていたんだが、道に迷ってしまってな。」
そう言ってこの状況に追い込んだ元凶であるメモをヒラヒラさせると、メリィは見せて下さいと言うので素直に彼女へメモを渡す。
「……このメモ、間違ってますよ。」
「だよなぁ…。」
案の定である。やはり酒が入る前に聞いておくべきだった。
「ですが、私に会えたのは幸運でしたね。私も今買い物を終えてお店に戻る所ですから、付いて来て下さい。ご案内します。」
これは僥倖だ。
メリィはゆっくりと歩き出すと俺はその後ろ歩き、彼女の後ろを付いて行く。
まずは右に曲がり、メモの通りである。
次にスグに左、もう既にメモには無い道を通っている。
真っ直ぐ突き当りまで進み、更に左へ曲がるとその突き当りで彼女は歩を止めた。
「着きました。」
その建物は大きな横長の木造造り、窓の数からして2階建てで奥にも広そうだ。
メリィ曰く、メイガスさんの店の前に着いたらしいが特に何処にも看板は掛かっていない。
「看板は掛けてはおりません。なんせまだ開店しておりませんから…。」
俺が不思議そうに建物を見ていると、またもや心を読む様に彼女は答える。
「まだ開店していない?何か問題でもあったのか。」
「ええ、この店の前の持ち主が面倒な物を残して行ったのでその処理に追われています。」
「俺で手伝える事があれば手伝うが?」
どうやら店の中に問題はあったらしい。
俺が何か手伝える事はないかと聞くと、メリィは何かを考える仕草をすると俺の顔をじっと見つめる。
「琥珀さん。超強力な魔力感知や鑑定スキルの様な扉の向こう側にある物を確認できるスキルは持っていますか?」
扉の向こう側の物を確認できるスキル。
俺の持つ"神の瞳"には透視能力までは付いていないが、俺の眼は対象の能力をみる。
それを応用して、方向さえ合っているのならある程度遠くてもその能力を確認することが出来るのだが、それは魔物や人に限る。
残念ながら無機物には反応しない。
「近い物があるにはある。だが、残念ながら無機物には反応しない。」
「ならば、人でしたらどうでしょう?」
メリィの俺を見る眼は恐ろしい程、真っ直ぐだ。その眼はまるで希望に縋るかの様で―――
扉の向こうの人を確認したい、それとメリィのこの眼を考慮に入れればそれは十分な答えだろう。
事情があるのなら、何も言わず手を貸そう。
メイガスさんやメリィ相手ならこの眼や俺自身の事が知られたとしても後悔はない。
「やれる、手を貸そう。」
俺は短くメリィへそう伝えると、メリィは俺の手を引いて店の中へ招き入れた。




