【始まりの日】
今回で一章が最後になります。
次回からは二章が始まり、本格的に異世界を旅する事になります。
力一杯書こうと思いますので、どうか楽しんで頂ければ幸いです!
目が覚めるとそこは外だった。辺りを見渡すと無数の男達が倒れて眠っている。
起きた時間は丁度日の入り時ではあるが簾の様な物が設置されている為、眩しすぎる事は無い。
蘇ってくる昨夜の記憶を探るにこの簾を掛けてくれたのは女性達だろう。村長を除く男達は皆酔いに酔い、そんな事が出来る状態ではなかったからだ。
むくりと上体を起こすと両腕を伸ばしながら立ち上がる。
簾から出た所で気付いたが、とんでもなく頭が重い。これが二日酔いと言うやつか。
「……旅立ちの日に二日酔いでダウン何て笑えんぞ。」
身体を引き摺りながら水場まで何とか辿り着くと桶で水を掬おうとするが、上手くいかずそのまま顔面から水場にダイブする形になる。
早朝のせいか、冬場より冷えた水が残っていた眠気を一気に吹き飛ばす。
そのまま水の中に顔を突っ込みながらボーっとしていると、身体が酸素を欲し徐々に息苦しくなっていく。
一気に水場から顔を引き抜くと何者かが俺に向かって布を差し出す。そう言えば持ってき忘れた事を思い出しながら受け取った。
「誰か知らないがありがとう。」
乾いた布で顔の水分を一気に拭き取ると冷たい外気に晒され、眠気は完全に覚めた。
布を持って来てくれた相手にお礼を言うとそれは見知った顔だった。
「何だ、エンフィルだったか。」
「何だとは失礼だな。折角二日酔い覚ましの薬まで持って来てやったが、これは後で捨てておくか。」
「あはは、冗談だよエンフィル!」
思い出すと頭痛が蘇り、頭を押さえるとエンフィルが1つの薬包紙を渡してくる。
中身の粉末を一気に口に放り込むと手で水を掬って流し込む。独特の苦みが口に染みわたるが、慣れているので全く気にならない。
「流石に慣れているな…。他の男達はあまりの苦さに悶絶していたぞ。」
エンフィルも水を被り布で拭き取ると、長い金髪を振り乱しながら軽く水分を飛ばす。
水に晒された金髪を振り乱す姿は俺の眼にはあまりにも幻想的に映る。"水も滴る良い女"とは正にこの事だ。
全体像を見るに、水の滴る長く光る金髪とそれを後押しする様に静かな表情は芸術の一言に尽きる。
現実離れした長く尖った耳が強制的に非現実である幻想を突き付け、スラリと細い身体を包む漫画や小説で語られるような緑の纏衣にその上から羽織る長い白衣は風に煽られて揺れるスタイルはエンフィルをエンフィルたらしめる。
思わずエンフィルの姿に見惚れているとスグにエンフィルは俺に向き直る。
「やはり私も捨てた物ではないな。」
エンフィルはニヤリと笑い珍しい笑顔を見せると思わずドキリと感じてしまう。
「エンフィル、揶揄うと本気にするぞ?」
「ほぅ…言う様になったな。」
向かい合った俺とエンフィルの間に一時の静寂が訪れる。
「まぁ、この話の続きは次に外の世界で再開した時にでも取っておこうか。」
「成程、それは面白い。」
エンフィルは俺の横を歩き去るとそのまま自身の家に向かって歩いて行く。
その背を追う様に俺も歩き出すが、ついには家に到着するまでエンフィルに追い付くことは無かった。
◆◇◆◇◆
時が過ぎるのは早い物で、特に俺には纏める様な荷物も無くドタバタする事も無くあっという間旅立ちの準備は出来てしまう。
此処はエンフィルの家であるが、いざ見渡すと今だ変わらず本や紙が散らかっている。
住めば都と言うが、今まさにそんな状態で、深い感傷に浸っていた。
勝手に神とやらに殺され、この世界に降り立ち早一週間。三日は眠っていた訳だが思いの外濃い七日間だった。
無理矢理剣を振りかぶってゴブリンを討伐し、エンフィルに救われリエンの村へ辿り着く。
ドルゲやその子分、村人達と出会い、その二日後にはあの侵攻だ。平和な世界で住んでいた俺はそりゃあ怖かったし、何度も死を覚悟した。
たった二日間であるがドルゲ等との訓練は本当にしておいて良かったと思う。
そして特に瀕死のエンフィルの姿を見た時は本気で焦った。あのゴーレムの前に躍り出た時は生きた心地はしなかったし、アレが別の魔物であったのなら俺は生きてはいなかっただろう。
足の遅い、瀕死状態のゴーレムだったからこそ時間を稼ぐ事が出来たのだ。
俺が倒したと言っても、最後の最後までエンフィルにおんぶに抱っこであった。
……そう言えば、ただの一度としてエンフィルとまともに模擬戦さえ出来ていない。
一度目は話にならず。
二度目はただ怯えて逃げていただけである。
(ドルゲじゃないけど、カッコ悪ィなぁ…。)
『琥珀ゥウウウ!!!!』
家の外からドルゲが叫ぶ声が聞こえた。思った以上に感傷に浸っている時間が永かった様だ。
そろそろこの村とも別れを告げる時、名残惜しくなるのは人間の性だろう。
俺はエンフィルの家を出ると村の入り口に向かって歩き出した。
◆◇◆◇◆
オレがこの村へ来て三年。短い様で永かった。事の始まりは所属していた騎士団とそりが合わなくなった事だ。
その日はヤケになって酒を煽り、次の日には当ての無い旅へ出た。
気づきゃこんな辺境の辺境まで足を延ばしちまっていて、いつのまにかリエンの森へ迷い込んでいた。
丁度リエンの調査をしていた姐御を見付け、荒れていたオレは姐御の名も知らず勝負を挑み襲い掛って、見事に返り討ちだ。
姐御があの"エンフィル・シャンデール"だと知った時は驚きを通り越して自分を呆れちまった。
そんなオレでもこの村は優しく受け入れてくれて、とんでもなく良くしてもらった。
この村は全てを無くし、それでも生きようと願う者達の楽園だ。それ故に住民は皆年齢が高い。
その中で産まれたのがあの二人だ。オレはとりあえず森へ狩りへ出掛け少しでも恩返しができりゃ良いとくらいに思っていた。
だが、その二人は事もあろうかオレに憧れ。オレはオレの知る限りの基本を教え、戦う事を教えた。
それがオレの三年だ。姐御も特に襲い掛かった事など今更口に出さねえし、もしかしたら忘れちまってるかもしれねえ。
そして周期の二日前に"目黒琥珀"つう転生者のアンちゃんと出会った。
コイツがノリが良くてよ、すげぇ波長があうのなんのって…っ!
最後の最後は周期を終わらせちまった。知った時思ったな、コイツァデカくなるってよ。
だがオレも負けてられねえ、騎士に返り咲き、オレの騎士団を作り上げて頂上を取るんだからな。
「どうした、ドルゲ。」
「いんや、この三年楽しかったって思ってよ。」
今オレ達は村を後にし、姐御の案内の元、村長と琥珀のアンちゃんと共に森を突っ切ってリエンの領域外へ向かっている最中だ。
村の連中はオレとアンちゃんへこれでもかと水や食料を渡して来て、持ち切れねえからアンちゃんへ頼んじまった。便利だよなぁ、魔法の鞄って奴は…オレも外へ出たら金貯めて買うべきだな。
村からの道は姐御が元々準備をしていたのか、真っ直ぐと森は領域外まで切り取られて道が出来ていた。
だから迷う事は無かったし、例え無かったとしてもオレや姐御にとってこの森はもう自分家の庭みたいなモンだから迷う事はねえだろうがな。
(おっと、もう着いちまいそうだな。)
前方に見えてきたのは赤い布で出来た目印だ。
正しい方角を指し示し、外へ出た際の安全を保証しと街へ続く街道へ出してくれるらしい。
姐御は魔力波形がどうとかとか言ってたが、オレにはそう言う細かいのはてんでダメだ。
オレはリエンの出口へ思いを馳せ、自慢の斧を担ぎ直した。
◆◇◆◇◆
「ここだ。」
エンフィルはピタリと足を止めると、杖で一本の線を引いて俺達へ向き直る。
とうとうやってきてしまった別れの時だ。エンフィルが線を引いた場所こそ神域と現世への境界線。
此処を越えれば二度とリエンへ戻る事は出来ないだろう。
「琥珀、先に手紙を渡しておく。街へ着いたら一区切り付いた後でもいい、コルエへ届けて欲しい。
ポーションも急で少量ではあるが用意した、受け取ってくれ。」
「確かに受け取った。」
エンフィルから以前から頼まれていた手紙と餞別のポーションを受け取ると魔法の鞄へ収納する。
「琥珀殿、ドルゲ殿。此度は本当にお世話になりました。
これで我々も明日を生きる事が出来るでしょう。」
村長は一歩踏み出し俺とドルゲの前へ立つと言葉と共に頭を下げた。
そして、頭を上げたその眼はしっかりと俺とドルゲの姿を捉え、握手を交える。
エンフィルの言う通り、"前国王の右腕"と言うのが本当ならば相当デキる男だったのだろう。
身分を笠に立てず必要とあらば頭を下げてまで感謝を表せる男だ。普通は簡単に出来るモノではない。
「姐御よぅ…。」
今度は頭をボリボリと掻いて、バツの悪い顔をしながらエンフィルに話しかけるドルゲだ。
エンフィル自身は視線を向ける事で返答とし、特に声を出す事は無い。
「有耶無耶になっちまって結局謝れてなかったからよ。
二年前、俺が此処に来た時。姐御を八つ当たりの様に斧を振るっちまった。
その事が今でもよ―――。」
バチッッッッ!!!
良い話だった。良い話の途中だったんだが…。
エンフィルはドルゲが全てを言い終わる前にドルゲの腕を思いっきり叩いた。
「イッ――ッッッテェェェエエ!!!!」
「これから自身の騎士団を作ろうと言う大の男が細かい事を口にするな!
お前には確かに出合い頭でいきなりその斧を振るわれたが、咄嗟に片手で受け止めて全力で殴り飛ばしてしまったのは私だろうが。
研究の邪魔をされた当時の鬱憤はその一発で既に清算している。」
エンフィルも良い事言ってるっぽいんだけど、ドルゲは腕の痛みがまだ消えないのか腕を抑えながら蹲っている。
これでは聞こえていないのではないのだろうか。
それに片手で全力の斧を受け止めて殴り飛ばしたとか、当時のドルゲの威厳はもうボロボロですね。
やがて痛みが治まったのか、ドルゲは立ち上がるとエンフィルと村長に向き直る。
「姐御がそう言ってくれるのならオレがこれ以上何か言うのはお門違いって奴か…。」
「それでいい。」
「へへっ。村長、アンタにも村の奴らにも本ッ当に世話になった!!!
この恩はきっと返し切れねえ。だからこれから迷い込む奴らが居たらよ、聞いてくれ。
このドルゲの…騎士道の生き様を―――よ!!!」
そこまで言うとスグに後ろを向いて、ドルゲは境界へ飛び込んだ。
"線"の上を通ると水の波紋の様に空間が揺らぎドルゲの姿が飲み込まれていった。
「ドルゲの奴め、言うだけ言って一人で退散とは…。」
「良いではないですか。お陰で私の余生にも楽しみが出来ました。」
そう言う村長の表情は本当に穏やかで楽しそうであった。
「あまりドルゲを待たせるのもいけないだろうし、俺も行くよ。
村長殿。本当にありがとう、漸く俺の人生も始まりそうだ。」
「琥珀様の今後の御活躍を期待しております。」
「参ったな…。俺はドルゲとは違ってのんびり生きるつもりなんだけどなぁ。」
「御安心を、私の眼には既に将来の琥珀様の姿が見えておりますので…。」
ハハッ、気味の悪い笑えない冗談だ。この人が言うと割とシャレにならない気がしてならない。
俺は村長に向かって一礼すると、境界の一歩前に立っているエンフィルの横を通り過ぎようとする。
丁度俺とエンフィルの姿が背中合わせになった瞬間を俺は狙った。
踵を軸に身体を半回転させるとそのままエンフィルの身体を背中から抱き締めた。
「先に行って待ってるぞ。」
バッとエンフィルは後ろを向くが既に俺の姿は"神の瞳"全力で使用して捕まらないギリギリを見切りながら後退を終えて境界の向こう側へ消えた後。この一週間で俺が初めて一本を取った瞬間だった。
「ええいくそッッ!!やられた!!!
まさかこのタイミングとはしかも無駄に"神の瞳"まで行使しおって…。」
「ハハハッ、一本取られましたなエンフィル殿!!!」
「琥珀よ、安心するがいい。今度会った時は念入りに可愛がってやる…!
そうと決まれば急いで村に戻るぞ、クライス殿!!」
「ホホホッ、相変わらずですなぁ。」
こうして目黒琥珀のリエンの物語は一時、幕を閉じた。