プロローグ
眼を空けて見えたのは何度も見慣れた、真っ白な天井だ。
そしてこの部屋は309号室。無駄に縦に長いだけで3階建ての小さな地方の病院だ。
3階の一番外側に位置しているこの病室は個室であり、何度も何度も入退院を繰り返しているせいで俺の私物で溢れかえっている。
起きるとまず、時間と気温を確認する
14時20分 26.6℃ …少し布団が暑いな。
「えっと…今回は何があったんだっけな」
ふと、何故自分が入院しているか思い返す。
「通算4度目の心臓病、しかもえーっと何だっけあの血が固まっちゃう奴さ
調子はどうかな、琥珀クン?」
ガラガラとノックもせずに入ってくる若い白衣の男。
愉快そうな口調で患者の病を唄いながら入ってくる男、この男を誰が医者だと信じれようか
「ええ、今の所後遺症の一つも見受けられない完璧なオペでした。
仮にもオペをした患者の病名を忘れないでくれますかね"先生"。
心筋梗塞、まぁ…今までで3番目にヤバイ奴でしたね。」
因みに一番目はデパートの崩落事故に巻き込まれた時だ。あの時はヤバかった。
先生と呼ばれた白衣の男軽く考える仕草をしながら右手でメスをクルクルと回しながら遊んでいる。
この人曰く、回していないと落ち着かないらしい。
初めの頃は刃を剥き出しで回していたが現在は刃の部分に分厚いカバーが掛けられている。
かと言って遊んでいい物ではないのだが、慣れてしまった。
「アハハ、そんなに怒らないでくれよ。
僕は君の"専属"。例え最高の女と寝ていたって、君の下に飛んで来て治してみせるよ!!」
この人は控えめに言って精神異常者の一種だ。
だが手術の腕だけは世界中探しても彼の右に出る者はいないとまで称される名医だ。
曰く、生きてさえいれば治して見せると豪語している。
そんな大先生が何故俺の専属医なのかと言えば、俺の病歴のせいだ。
先程心臓病が4回目だと言っていたが、あんなもの氷山の一角でしかない。
俺の身には病気や事故が波の様に押し寄せる。そしてそれには特に原因は無いのだ。
そんな存在が居れば噂くらいにはなる。聞きつけたこの大先生は身一つでこのちっぽけな病院にやってきた。
それはそうだろう、俺は未知だ。そして先生は手術が大好きな変態である。
みるみる内に病院内の機器は最新の物に塗り替わり今でも増え続けていると言う話を聞く度に病院自体が俺の急変に備えた施設になりつつあると錯覚しそうである。
その証拠に――――
「今回の手術では此処から此処まで切って、手術をしたんだ。
前回は此処から此処。そして前々回は―――。」
等と言いながらカバーのかかったメスを俺の服の上からつーっとなぞる。
やめろ、俺にそんな趣味は無い。
「もう新しく切れる所がないなぁ…残念だ。」
残念がっているが、もう新しく切る所が無い位には手術している訳だ
良く生きている物ではある。
「失礼する、元気してるか琥珀。」
俺が物思いに耽って、先生が次は何処を切るか考えていると開いていたドアからもう一人が入ってくる。
「何だ、冥水か。」
「何だ冥水か。ではない。また仕事中に倒れおってからに。
心筋梗塞と聞いて葬式の準備くらいはしておこうかと思っておったのに杞憂であったな。」
奴は冗談を残して、先生に挨拶をして俺の現状を聞いて礼を言っている。完全にオカンである。
目の前のスポーツ刈りの男の名前は冥水。
俺の棲んでいる家の隣の神社の長男で俺とは高校から付き合いが続いている親友である。
もう一人も俺が起きたと聞きつければすぐにやってくるだろう。
「受け取れ琥珀。此方がお前の働いていた会社からと此方が今年の回忌についてだ。」
「そうか、もうそんな時期か。」
会社からの封筒は見るまでも無い。解雇通知だろう。
それより回忌の方だ。俺の両親と妹の十七回忌だったかな。
俺がまだ保育園に上がって少し経ったくらいの頃だ―――
良くある交通事故で車に乗っていた俺と両親と妹。
ガタンと揺れて前の座席に居た両親が俺と妹がいる後部座席へ飛び込んできた、勿論俺達を助ける為だろう。
その後ろには迫ってくる大きなトラックが見えて、幼いながらも"助からない"と思った。
結果としては妹は助からず、俺だけが助かった。両親と妹の死体に囲まれ俺は生き残ってしまった。
そこを皮切りに日本中の親戚をたらい回しにされ、病気や事故に遭う様になったのもこの頃からだ。
本来、俺はあそこで死ぬべきだったのかもしれない。
そして最後にはこの地元に戻ってきたと言う訳だ。
ピピピッ!!
冥水の携帯の着信が俺を物思いから現実に引き戻す。
「……ふむ。今日は窓からか。
琥珀、すまんが窓を開けてくれるか。」
「了解、今回は早いな。」
「シェリーのお嬢ちゃんは没落してしまったとは言え、正真正銘の"お嬢様"だからね。
外へ出るのも一苦労だろうねえ。」
ガラガラと窓を開けると即座に窓辺に手が掛かる。…三階なのによくやるよ。
ヤレヤレと言った感じで俺が手を貸してやるとそのまま部屋の中に彼女は飛び込んだ。
そのままもう一度窓から顔を出すと筋肉隆々の正装をした執事さんが俺に向かって頭を下げて親指を突き上げる。
俺が笑って同じ様に返すと即座に走って自宅の方まで駆けて行った。
―――ワガママお嬢様のアリバイ作りの為に。
「心配しマシタァァァー!!!!」
まだ傷が完全には塞がりきってない俺の身体に飛び込んでくる"お嬢様"、シェリー。
母方は元々、別の国の偉い貴族だったらしいのだが、日本人と駆け落ちを切っ掛けに徐々に没落していったらしい。
それでも人望は厚く、元々仕えていた者達がシェリーの家に集まり何時の間にか立派な豪邸を建ててしまえるくらいの資産家になってしまったという経緯だ
俺は日本中を転々としていたせいで友達が少なかったが、その中でも親友と呼べるのが冥水とシェリーだ。
この二人の存在が今でも生きていて良かったと思える俺の唯一の証拠である。
「イダダダダダダダ!!」
「oh...阿鼻叫喚…。」
「シェリーちゃん加減はいらないよ。
痛みは有るだろうけど、既に抜糸は済んでいるし肉もつながっている筈だからネ!!!」
これが医者の言う事だろうか。完全に俺の事を患者とは見ていない。
「センセイ!琥珀の退院は何時になるノ?」
「別にこのまま退院していって貰っても構わないよ。
琥珀君の私生活は僕が当分、直接監視するし。
それに、スグに帰ってくるハメになるだろう?」
「それもそうデスネー!
メイスイ!!!今日はパーティーヨ!!!」
「そう言うと思って既に執事さんには連絡しておいた。」
シェリーは「ナイスデース!!」と言いながら冥水に向かって親指を立てた。
いつもの流れである。
「パーティか、それは楽しみだな。」
俺が点滴台を掴んでベットから立ち上がると一早く先生がサッと手を貸した。
細かい事ではあるが、こう言う所でこの人も根っこは医者なんだなと思ってしまう。
「何処行くデス?」
「トイレだよ、トイレ。すぐに戻る」
「んー麻酔の効きが悪い気がするなぁ。
次からは麻酔の量を増やした方が良いのかなぁ…。」
確かに初めの頃は目覚めた時でも指一つ動かせなかったが今は目覚める頃には全身が普通に動くようになっている。
耐性が出来てきたのかもしれないな。
俺は扉に向かってゆっくりと歩き出す。
これもいつも通りだ。誰の手も借りる必要もないし、先生もそれで俺の術後の経過を見る。
そう言えば今日はパーティーだったな。
シェリーの家の御飯は凄く美味いしメイドさんは皆美人揃い嬉しい事だらけだが執事さんが問題だな。
あの人パーティの最中は常に俺に張り付いて来るからな。
"将来の方針は"とか"結婚相手は"とか仕舞には"うちの執事なら何時でも歓迎"だとか言ってくる
風呂を借りれば背中を流されるし気が気でない。
(でもまぁ…楽しいな。この時が少しでも永く続くといいがな…。)
俺は病室の扉に手を掛ける。
その時―――身体が不思議な寒さを感じた。
冷たい飲み物を飲んだ時の清涼感とは程遠い冷たさで先程まで出ていた汗もピタリと止まる。
眩暈か何かかと思ったが何かがおかしい。
ドクンッ!
「――――っ!!」
心臓発作。
即座に先生の方を向くと既に俺の方へ向かっていた。
そして自分の意識が"倒れた"と知ったのは思ったより遅かった。
ああ、これはマズイと明らかに感じる様な苦しさが遅れてやってきてカタカタと身体が震える。
―――これは"いつも"とは違う。
先生がスグに俺を背負うとそのまま病室を飛び出した。
これは知っている、明らかな死の予感だ。
子供の頃トラックが迫ってくるのが見えた時の様に、人の手も及ばない誰かに押し付けられる様な
理不尽な死の予感だ。
それでも思った以上に死に恐怖はない。
こんな急にとは思わなかったが、俺には明日にでも死んでしまうかもしれないと言う覚悟が既にできていた。
それはそうだろう。
俺は―――目黒琥珀は最期まで自分らしく生きたからだ。
家族を幼い頃に亡くし、日本中の親戚をたらい回しにされたが
割と行動的な性格だったからやりたい事は大体やることが出来たし、大きな病気や事故は何度も遭っているがここまで死ぬ事無く生きて来れた。
それに掛け替えのない友人が二人も出来たのだ。
こう言うのを"不幸中の幸い"とか"悪運が強い"とか言うのだろうか。
―――だから後悔はあまり無かった。
あまり感傷に浸らせてはくれる時間はくれなかった。
最期に霞んだ瞳に映ったのは窓から見えた憎たらしい程清々しい蒼でまるでこれから描き足していくだろうキャンバスの様に見えた。