形見
気の重い二人旅であった。行きは良い良い帰りは怖い、とはよく言うが、まさかこのような事態になるとは、海亀は微塵も想像していなかった。往路では自らの背中の上で子供のようにはしゃいでいた浦島太郎は、復路ではまるで別人であった。項垂れて口を開くこともない。死人を運搬しているかのような気分だ。
とはいえ、竜宮城から地上までの道のりは長い。元々おしゃべり好きな海亀は、気まずさに耐えかねて浦島に話しかけた。
「この度はご迷惑をお掛けしました。私が竜宮城に連れてきてしまったがために」
話しかけるといっても、選択肢は謝罪の言葉以外になかった。海亀は恩返しのために浦島を竜宮城に連れてきたのに、結果的には浦島に最悪の経験をさせてしまった。自分の目の前で乙姫が食いちぎられるという最悪の光景を目の当たりにさせてしまった。あまりに精神的なショックの大きさに、これ以上竜宮城にはいられず、すぐにでも地上に帰して欲しい、とその日のうちに浦島が帰郷を申し出るのは至極当然である。
「こんなことになるとはつゆ思わず…」
「いいや。俺が悪いんだ。俺が乙姫に日本刀を触らせるようなことをしてしまったがために…」
浦島が沈んだ声を出すのを聞くのは初めてだった。
「…それに、俺は知っていたんだ」
「知っていた?」
「ああ。鮫の習性をな。数日前、俺が貝殻で指を切って血を出してしまったことがあった。そのときは乙姫が応急処置をしてくれるとともに、俺に教えてくれたんだ。『竜宮城で血を流すのはご法度です。血の匂いを嗅いで狂乱した鮫に襲われてしまいます』と」
「そうでしたか…」
海亀は、乙姫殺しの犯人である鮫とは仲が良かった。しかし、海亀は今回の件が起こるまで、鮫にそのような習性があるとは知らなかった。鮫は穏やかで温厚な性格である。いくら生来の本能があるとはいえ、あのような惨劇を引き起こしてしまったことは未だに信じがたい。
「くそ…くそ…」
浦島が甲羅に突っ伏すような格好で泣き崩れる。初めて出会ったとき、浜辺で子供にいじめられていた海亀を助けたときの勇敢な青年の面影はもはや失われている。
浦島の嗚咽が止まるのを待って、「ところで」と海亀は切り出す。
「浦島様、その背中の荷物は何ですか?」
浦島は背中に黄色い箱を背負っている。千両箱よりも少し横幅があるくらいの大きさの箱である。竜宮城に来るときに持っていたのは一本の釣竿だけであったはずだから、その箱は竜宮城から持ち帰ってきたものということになろう。
「乙姫に言われてたんだ。地上に帰る日が来たらこの玉手箱を持って帰りなさいと」
まさかこれが形見になるとはな、と浦島はぼやく。
「中身は何なんですか?」
「分からない」
「なかなかの重量があるようですが」
浦島が背中に背負っている玉手箱は、浦島自身の体重とさして変わらないくらいに重い。地上に上がっていくときは浮力を利用できるため、運搬には支障はないものの、浦島を背中に乗せたときには予想外の重さに驚いた。
「中身は分からないんだ」
「開けて中身を確認しないんですか?」
「乙姫からは絶対に開けてはならない、と言われている」
絶対に開けてはならない玉手箱。そんなものに何か意味はあるのか。単なるお荷物ではないのか。海亀は疑問に思ったものの、思慮深い乙姫のことなので、それでも玉手箱にはちゃんとした用途があるのだろう。海亀は玉手箱の中身がますます気になってきた。
「中身については何も聞いていないんですか」
「ああ。全く聞いていない」
「それは両方ともですか?」
しばらくの沈黙ののち、浦島は「ああ」と短く答えた。
浦島が背負っていた玉手箱は2つあった。その両方が開けてはならないものだということらしい。海亀の疑問は深まるばかりであった。
次回より謎解きパートに入ります。