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宴(2)

「ああ、極楽だ」


 浦島は再び日本酒を煽った。浦島の地元は有名な酒の産地であり、美味い酒には慣れているつもりだったが、ここの酒の美味さは格別である。美味いだけでなく、一切の悪酔いをしない。常に心地の良い浮遊感だけを与えてくれる。

 

 浦島がお猪口を置こうとしたとき、浦島の薬指の先端にズキンと鋭い痛みが走った。



「…っ痛」


 すっかり気分がのぼせていた浦島は、冷や水を浴びせられた思いであった。

 とはいえ、手元を確認してみたところなんてことはない。刺身で出されていた巻き貝のからとげで指を切ってしまったのである。思いのほか大量の血が流れているのは、アルコールで血流が良くなっているために違いない。薬指に乗り切らなくなった赤い液体がポタポタとしたたり落ち,大根のツマを赤く染める。



 そのとき、浦島の目の前に、金銀に煌めく布がヒラリと舞い込んだ。同時に花畑のようなふんわりとした良い匂いが鼻腔びこうを満たす。

 金銀の布からは、百合ゆりの花の花弁のように白く滑らかな腕が伸びる。その腕が浦島の腰を抱き、ぬらりと伸びた首が浦島の方へと伸びる。

 そして-


乙姫が、浦島の薬指から滴る血液を、ちゅうちゅうと吸っている。



「…乙姫?」


 乙姫は浦島の問いかけに答えないばかりか、浦島の顔をチラリとも見ない。ただただ、浦島の血を吸っている。あたかもおことでも演奏するかのように、丁寧に正座をして。

 しばらくして頭を上げた乙姫は、長く蒼々とした黒髪を払い、西洋人形のように小さな顔を露出させた。口元に付いた血を舌先でめとる妖艶ようえんな仕草に、浦島は思わず息を飲んだ。



「浦島様、大丈夫でしたか?」


「…え? あ…いや…」


「クラクラしますか?」


 乙姫が正座をしたまま、心配そうに浦島の顔を覗き込む。乙姫が呼吸が浦島のほおにかかる。急激な心臓の鼓動の高まりに焦りながら、浦島はかぶりを振った。



「でも、浦島様、目が泳いでらっしゃるから」


「…いや、これは出血のせいではない。乙姫のせいだ」


「…私のせい…ですか?」


 今度は乙姫の目が泳いだ。罪なことに、乙姫には浦島の内心が読み取れていない。



「…その、違う。怪我が乙姫のせい、というわけではない。乙姫が突然来て、このようなことをするから、俺は戸惑っているのだ」


「このようなこと?」


 童のようなキョトンとした顔をした乙姫が、浦島に問い返す。先刻の大胆な行動にはあまりにもそぐわない態度である。



「指の血を吸うことだ。女子おなごにそんなことをされたら、男の心が惑うのも詮方せんかたなきこと」


 あ、と乙姫がまだ少し血の付いた口を、真っ白な手で押さえた。わざとらしい動作ではあったものの、乙姫の定まらない声色こわいろはそれが演技ではないことを証明していた。



「う…浦島様、申し訳ございません」


「いや、乙姫が謝ることではない」


 浦島が制止したにもかかわらず、乙姫は深々と頭を下げた。長い黒髪が乙姫の顔を覆い、床にまで届く。



「浦島様、申し訳ございません。ただ、竜宮城では血を流すことはご法度はっとゆえ、私は浦島様の血を止めようと思い…」


「血を流すことがご法度? どういう意味だ?」


「浦島様、ご存知ないんですか?」


「ああ、初耳だ」


 次の瞬間、乙姫の美しい顔が再び浦島の顔に急接近した。女子の良い匂いが、浦島の心拍数を際限なく上昇させる。乙姫の小さく膨らんだ唇が、浦島の耳に徐々に迫る。乙姫に耳を食い千切ちぎられたとしても構わない気分であったが、乙姫がしたかったのは耳打ちだった。



「浦島様、この竜宮城には…」


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