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宴(1)

 毎夜繰り広げられる、奇妙ではあるが美しい光景が、今宵こよいも浦島太郎の眼前で繰り広げられた。たい平目ひらめあじ秋刀魚さんま、他にも名前も知らない今まで見たこともない魚たちが、太鼓のリズムに合わせて舞っている。尾鰭おびれから胸鰭むなびれまで、全身を滑らかに動かす様子はなんともなまめかしい。演目が一段落すると、浦島はもう何十、何百と繰り返されている自らへの歓迎の舞に対して賛辞さんじの拍手を送った。



「ブラボー!」


 どこで覚えたのか定かでない異国の言葉によって、浦島は魚達に賛辞を送った。横一列に並んだ演台の魚達は、浦島の拍手が鳴り止むまでお辞儀を続けた。



 拍手が終わったところで、列の真ん中にいた平目がスルリと演台を下りた。平目の海中での動作は機敏である。浦島が瞬きをした次の瞬間には、平目は浦島の目の前にいた。



「浦島さん、今夜も満足いただけましたか?」


 平目は浦島に振る舞われた懐石料理の横に並んだ。

 薄ピンク色の鱗はキラキラと輝いており、仮に浦島が料理の大半をたいらげた直後でなければ、食欲の対象にもなっていたかもしれない。それくらいにこの平目は美しい。これまた美しい平目のつぶらな黒目が、浦島にまっすぐ向いている。



「ああ、今夜も最高だったよ。いい気分だ」


 そう言って浦島はお猪口ちょこの酒をあおる。毎晩自らのために高級な酒と料理が用意され、趣向を凝らした舞まで振舞われる。こんな贅沢ぜいたくな体験を、浦島が過去に陸地で経験したことはない。ましてや、浦島の生家は質素で貧しかった。竜宮城の夜を一夜でも再現しようものならば早晩そうばん破産する。



「それは良かったです。ただ…」


「ただ?」


 平目がなかなか次の言葉を継がないので、浦島は、平目の腹鰭はらびれの少し後ろのあたりを指でツンと突いた。



「…う、浦島様、何をするんですか!?」


 そう言って身体をよじる平目の様子は、どこか嬉しそうである。



勿体振もったいぶるからだ」


「勿体振っていたわけではないです」と断った上で、平目は意地らしい言葉を吐いた。



「ただ…ただ、浦島様のお気に入りはやっぱり乙姫おとひめ様の舞ですよね?」


 なるほど。平目は勿体振っていたわけではなく、訊きにくかったのである。浦島は、平目が自らに恋心を抱いていることをひしひしと感じていた。魚類が人類に恋をするだなんて、まるでお伽話の出来事である。とはいえ、竜宮城に訪れて以降の浦島の日々自体がお伽話そのものなのだから、魚と人間が恋仲になってもどこもおかしくない。仮に子供が生まれれば、人魚姫にでもなるのだろうか。


 そして、浦島に恋心を抱く平目が嫉妬をする存在、それが乙姫である。

 乙姫は魚たちの舞に先立ち、演台上で古舞踊こぶようを披露していた。乙姫は浦島と同種族、つまり人間である。竜宮城は魚類の坩堝るつぼと言って差し支えのないくらいに世界中の種々多様の魚達が集合していたが、人間は、浦島が訪れるまで乙姫一人だけであった。



「乙姫ねえ…」


 浦島は言葉をにごす。



「遠慮しないでください。乙姫様は大層美しいですから」


 魚である平目に人間の美醜が判別できるのかどうかはさておき、乙姫が美しいことは紛れもない真実であった。もしかすると、浦島は酔った勢いで、乙姫の美貌を褒めたことがあったのかもしれない。それを聞いていた平目が、嫌味っぽく「乙姫様は大層美しい」と言ったに違いない。



「たしかに乙姫は美しいかもしれない。ただ、魚たちだって美しいし、この城だって美しい。ここにあるすべてが美しい」


 浦島の返答に満足したのだろう、平目はくるりと一回転をし、喜びを表現した。



「浦島さん、ゆっくりしていってくださいね。いつまでもここにいて良いですから」


 平目はウインクをした。

 魚は瞬きができないのではなかったかと、浦島は自分の常識を疑ったが、そのようなことを考えるのは竜宮城ではあまりにも無粋ぶすいなことだと思い、すぐに思考を止めた。



 浦島は顔を上げて今自分がいる宴会場を見渡した。

 竜宮城で最大の広さを誇るこの部屋は、民家20軒分くらいのスペースがある。天井は、浦島の住む村にある大樹よりもさらに高い。壁に全面的に施されている調度は、極彩色ごくさいしきでインパクト重視のようであるが、その一つ一つが微妙に異なっており、繊細なディティールを有する。しかも、竜宮城には規模こそ劣るものの、ここと同じような部屋がいくつもある。そのうちのいくつは使われずに空き部屋となってしまっているそうであるから,まさに贅沢ぜいたくの極みである。

 



 子どもたちにいじめられていた亀を助けた浦島が、その亀に連れられて竜宮城に来てから、すでに200日近くが経過している。光陰矢こういんやごとしとは言うが、これほどまでにあっという間に時が過ぎていったのは、浦島の人生において初めてであった。悩みも面倒もなく、ただただ快楽しかない日々であった。このような日々をさらに継続していけば、いずれ神様からバチが当たりそうな気もする。



 ただ、この竜宮城内では時間が止まっている。


 この超常現象の意味を、浦島は未だによく理解していない。時間が止まっているということはどうやら確からしいが、その意味がよく分からない。

 たとえば、時間が止まっているとはいえ,別に全てがストップしているわけではない。普通、時間が止まれば、万物はまるで凍ったかのように動けなくなるようにも思う。時間が止まっているというのは、すなわち停止ではないのか。静止画の中に閉じ込められたかのように、全てのものの動きが止まるということではないのか。しかし、竜宮城では、浦島、乙姫、魚達、いずれの者たちも普通に動いている。ごくごく普通に日々を営んでいる。

 

 だとすると、いわゆるタイムループのように同じ日々が延々と繰り返されているのかといえば、それも違う。一昨日と昨日、そして今日は、全く違う日である。たしかに毎晩宴会はあるが、そこで出される料理、披露される舞の演目は全く違っている。デジャブは起きない。昨日起こった出来事が、今日になって全てなかったことになっている、などということもない。日々は積み重なり、日々の経過とともに、浦島は竜宮城での生活に馴染み、竜宮城の住民たちとの親密度を上げている。



 ただ、たしかに竜宮城の時間は止まっている。


 その証拠の一つが、稚魚ちぎょの成長である。魚類は成長が早く、稚魚が稚魚である期間は短い。200日も経てば、立派な成魚になるに決まっている。それにもかかわらず、竜宮城ではそうはなっていない。浦島が竜宮城を訪れた頃から現在に至るまで、稚魚は稚魚のままであり、現在に至るまで全く成長していない。これは非科学的な現象であり、時間が止まっているとしか思えない。


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