作家との邂逅
少し実験的に書いてみた作品です。楽しんで頂けたら幸いです。
私は行きつけの喫茶店でいつものようにコーヒーを飲んでいた。それはまるで南国の海を見つめながら寝転んでいるような、そんなリラックスした一時だった。
その喫茶店は、オーナーの言うところによると、文人達が集まる歴史のある店だそうで、私はオーナーのその話に感心して聞き入ったものだった。未だにその文人の方とは会えていないが、私はこうしてコーヒーを飲んでいる中でも、普通の客と交じってその文人がコーヒーを飲んでいるのではないか、とそんな予感を抱いていた。
そこでふと、入口の扉が開いてドアベルが響き渡った。一人の青年が入ってくる。背の高いほっそりとした人で、バッグを肩に掛け、どこか爽やかな笑顔が浮かんでいた。ゆっくりとカウンターの前を通り過ぎる際、奥の方を何故か見つめて、笑みを浮かべると、こちらへと近づいてきた。
彼はそのまま私の隣に腰を下ろし、オーダーを取りに来たオーナーが彼に向って「いつものでいいな?」と慣れた口調で言った。彼は快くうなずき、「お願いします」と頭を下げた。
それで、私は少し予感を抱いてしまう。この青年、もしかしてオーナーが言っていた、かの文人ではあるまいな、と彼が澄ました顔でバッグから小型のパソコンを取り出すのを見守った。
私の予感はますます深まり、彼はパソコンに物凄い速さでタイプを始めた。ディスプレイを見つめる彼の目はまさに真剣で、本当に集中しているのがわかる。私はほとんど確信していたが、それでも実際に彼に話し掛けることができるかと言うと、臆して何も言えなくなってしまった。
そのまま彼のことを気にしながらも、お気に入りのミステリー小説を再び開いて読み始めると、そこでふとその青年がこちらに振り返った気配があった。私が振り向くと、彼が私の開いていた本の表紙を凝視していた。
そして、ふと――悪戯っぽく笑ったのだ。
私はその表情が見間違いではないかと再び彼を見たが、そこで彼が私へと振り向き、「笹山浩二、好きなんですか?」と楽しそうにつぶやいた。
「え、ええ……一番好きな作家でしてね。長年のファンなんです」
「そうですか……それは」
彼はますます笑みを深くし、満足げにうなずいた。そして――とんでもないことを言った。
「私も作家なんです」
は? と私は間抜けな声を出してしまうのを抑えられなかった。
「笹山さんに会ったことありますよ。ちょっと変わり者でしてね、気に入らない相手とはほとんど付き合わないし、相手にしないんですよ。でも、私は不思議と気に入られて、作品もたくさん読んでもらいました」
「本当ですか? サインも……もらっていたりして」
すると、彼は短く顔の前で手を振って、笑い声を上げた。
「これがまだ、もらっていないんです。そんなのいつでも書いてやるから、と言って未だに書いてくださる気配がないんです」
それでは本末転倒ですが、と彼は可笑しげに肩を揺らした。
「私はずっと彼の作品を読み続けてきたので、本当に羨ましいです」
私が興奮で胸を詰まらせながら言うと、そこでカウンターからマスターが出てきてトレイを握ってこちらに近づいてきた。
「ブルーマウンテンだ。新作の執筆は進んでいるかい?」
その若き作家はカップを受け取り、笑いながら「おかげさまで」と頭を下げる。
「この店で執筆をすると、本当に捗るんです。マスターのおかげですね」
「そうだな。今まで色んな作家がここを訪れたが、これだけこの店に入れ込んでいるのはお前だけだよ」
「そんなご謙遜なさらずに」
彼らは親しげに笑い合っていたが、ふと青年が私に視線を向け、「それより、マスター」とつぶやいた。
「彼、この店の常連みたいですが、貴方、肝心なところを見落としていましたね」
マスターが青年の言葉に眉をひそめて私を見つめ、そして青年が私の握っているハードカバーの本を指差すと、目を見開いたようだった。
「貴方も本当に意地悪だなあ」
青年は今にも噴き出しそうに笑っている。私は彼らの反応がよくわからずに交互にその顔を見比べていたが、そこで青年がマスターに掌の先を向けて私に言った。
「彼が、その笹山浩二です」
…………は?
今度こそ私の声は、長く間延びした。
彼が、その笹山浩二? 一瞬その言葉の意味がわからずに、マスターを見つめたが、徐々にその事実が喉元からせり上がってきて、そして口から「えっ」と驚きの声となって零れた。
「い、いや……ご冗談でしょう?」
でも、そこで私は少し思い直す。確かにマスターは自分も小説を書いていると言っていたし――そうだ、確か笹山浩二は喫茶店を経営しているとプロフィールに書いてあった。なら、まさか本当に――?
「嘘ですよね、マスター?」
私が恐る恐る言うと、マスターはどこか苦虫を噛み潰したような顔を浮かべて頭を掻いた。
そして何かを言い掛けてすぐに回れ右すると、そのまま歩き出してしまう。
「笹山さん、彼、貴方のサインをすごく欲しがっていますよ」
青年がその背中にそう声を掛けると、マスターはゆっくりと振り向き、そしてどこか照れたような顔をして言った。
「そんなのいつでも書いてやるから、別にいいだろ。俺は忙しいんだからな」
そうつぶやき、カウンターの奥へと消えて行ってしまった。
青年は「でしょ?」と言いたげにこちらに振り向き、「ほら、ああやって先延ばしにしようとするんですよ?」と片目を瞑ってみせた。
そして、「私もやられたクチです」と私に笑ってみせ、うまそうにブルーマウンテンのコーヒーを啜った。
了