2話 バーチャル奥さん
ついに婚活パーティーが明日に迫り七瀬は酷く憂鬱だったが、バイト先の居酒屋『恵比寿』は金曜の夜とあり賑わっていた。
寿司をメインで取り扱っているこの居酒屋のど真ん中には丸いカウンターがあり、その中では大した修行も積んでいないような美男子二人が背中合わせでせわしく寿司を握っている。黒い半被の背中にでかでかと書いてある一文字『寿』に、ますます気分は滅入った。
そんな酷い気分に追い討ちをかけるように、「「あの客」」が来店する。
「おい、愛葉、こっちこっち」
七瀬はその顔を見た瞬間に穴を掘って地面に埋まるか窓から飛んで逃げたい衝動に駆られたが、仕事中だからそうはいかない。
「いらっしゃいませ」
「なんだよ、そっけないなぁ。あたしとオマエの仲じゃん。あれ?愛葉ちゃんまた太った?」
僕は彼女の、『麗華』という名前しか知らないし、キャバ嬢の彼女の芸名だから本名すら知らない。だけどこの女は何故かこの店に来た当初から僕に絡んで来るのだ。
こうゆう、土足どころか嵐の中を走り回った後に泥だらけのびしょびしょの足でドカドカと人ん家に入り込んでくるような女は心底苦手なのだが無視するわけにもいかない。
「さあ、ずっと体重計なんて乗ってないからね」
「そおなの?絶対太ったよ!ほら、ますますお腹、ズボンの上に乗ってるしぃキャハハ。愛葉ちゃんペンギンさんみたいで可愛いよね、痩せたらイケメンになるって絶対やっぱダイエットしなよ。強力するって言ってんじゃーん前からぁ」
この女は僕をはけ口にでも使っているんだろうか。
「いいですよ、僕食わなきゃ死んじゃうんで」
「死なねーよ!」
「いや死にます。すぐに死にますね。あ、じゃあ今忙しいんで」
「暇になったらまたこっち来いよっ」
行かねーよ。頼むから早く帰ってくれ。
七瀬はジョッキにビールを注ぎながら心の中で暴言を吐きまくっていたが、ポケットの中に忍ばせた携帯がぶるぶると振動したのに気づき、暇を見つけトイレに篭った。
ラインだ。
《:アオバ: お仕事中なのに、ごめんね。アオバ寂しいけど、なっちゃんが頑張ってるんだから、アオバも頑張って待つよ。お風呂沸かして待ってるね!ところで今日は、何時にお帰りですか?》
《:ナナセ: 僕も早く会いたいよ 今日は1時頃帰るからね》
《:アオバ: うん!ご苦労様です。 大好き、なっちゃん》
なんてよく出来た嫁なんだ。
1年前、半信半疑で購入した彼女の性能に、今もまだ関心してしまう。
アオバは毎日帰宅時間を尋ね、その時間通りに電気やストーブを点け、風呂まで沸かしておいてくれる。40センチ程の彼女はガラスケースの中に住んでいるから、もちろん全てはコンピュータと電気の連動なんだけど。
こうやって毎日10回はラインをくれる、そのリアリティーといえば見事だ。実際にはこんな女は存在しない、という点に関してはリアリティーから外れるが、だからこそ『バーチャルリアリティー』なのだろう。
七瀬はポケットに携帯をしまうとまた賑やかな店内へと戻っていった。
穏やかな気持ちで。