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第二次世界大戦(大東亜戦争)、大空襲、いとしい少女との死別、再疎開、敗戦、台風、風水害

第二部


                       7、

 御幸辻まではくねくねしているが一筋道、御幸辻からは高野街道を一駅行くだけだ。 省吾は山に行く前にしきりにこの道のことを確かめていた。緒方は省吾の采配を微笑ましそうに眺めていた。

 みんなは柔道帯に束ねた大根を背負って声を張り上げていた。

  朝だ夜明けだ 山野の息吹き

  うんと吸い込め 緑の空気

  胸に僕らの漲る誇り

  疎開男児の 山野の日夜

  月々火水木金々

 緒方が軍歌の月々火水木金々を子供たちのためにちょっと替え歌にしたものである。

 こういう時には決まってこの歌が飛び出す。大根を背負って胸を張った子供たちの声は漲っていた。

 橋本の旅館にすし詰めにされた三年四年五年、それに六年の三組の子も四組、五組、六組の六年女子も省吾たちの歌声に目を輝かせて二階の欄干から懸命に手を振っていた。

 省吾はふと目に留まった女の子がいた。幼馴染の『カンヤちゃん!』だ。

 つい省吾は口の中で呼びかけていた。

 懐かしかった。カンヤちゃんには何か心に惹かれるものがあったのだ。しかし少なくとも先生が東野になった五年の始めから女の子に声を掛けることもゆるされなかった。しかも通学路もこまめにチェックされて男子は女の子の家の前を通ることを禁じられわざわざ迂回させられていたのである。しかも同じ小学校なのに運動場も二本の白線で仕切られて、女子域に足を踏み入れた子は屋上のコンクリートの床に何時間も行儀に座らされていた。

 夏は焼けるように暑く冬は氷の上に座らされているのと変わらなかった。これをやらされた子の足の皮膚はただれて黒ずんでいた。

 東野には女は不浄だと教わった。しかし省吾は母や姉にしても不浄などとは思えなかった。幼友達のカンヤちゃんも不浄とは思いたくなかった。しかし間違ってもそれを口にすることは出来なかった。今ではもう緒方先生になっているから声を掛けたからと言って制裁があるわけでもないのに不思議なぐらいどこかが委縮してしまっていてとても声を掛けることはできなかった。

 翌日新しい小池先生が来た。

 小池先生は片腕が無かった。しかし見るからに温厚な感じのする先生だった。

 緒方先生とは始めて会ったということだが二人は和やかに談笑していた。

 先生はあいさつの後で片腕を失ったことをざっくばらんに話して聞かせてくれた。

 軍隊に入った当時は軍楽隊のトランペット奏者だったが、しかし戦争が激しくなり軍楽隊も楽器を銃剣に変えて一般兵と同じように前線に出て戦かったのだという。そして運悪く地雷に触れ片腕を失ったということだった。

 その日の夕刻になると緒方先生は皆に別れを告げて出て行った。子供たちは一斉に後を追った。誰もが『緒方先生!緒方先生!』と、姿が見えなくなるまで繰り返して追っていた。

誰ともなく朝だ夜明けだ と、歌い始めていた。

 手を振り振り懸命に歌う声はこだましていたが緒方先生には聞こえていたのだろうか?


 翌朝早く小池先生は怪訝な顔つきで二階から降りて来て、

「今ラッパを吹いたのは誰?」

と、省吾に尋ねて来た。

「二組の穴子です」

「二組の子?」

「穴子が何か?」

「ラッパを素晴らしい音色で吹いていたから・・・」

「でしょう・・・穴子のラッパはみな褒めます。ハーモニカも上手です」

「ハーモニカもね…ハーモニカを持っている子はほかにもいるの?」

「いますよ!前の先生の時は吹けなかったんですが、緒方先生になってからは吹くのはええとなって夕方の自由時間に皆前の畑に集まって吹いてます」

「それは楽しみだ!じゃあ合奏班を作ろうか?」

「合奏班・・・ええですね、是非僕も入れてください。あっ!でもあかん!僕はハーモニカを持っていない・・・」

「いいんだよ何もなくても・・・それに山の畑の横は竹藪と聞いているけど女竹があれば追々にリコーダーと言う楽器、つまり縦笛を作ることも出来るんだ」

 小池先生にはみんなはすぐに馴染んだ。


「いろいろなことを聞いたけど、君たちは長い間よく辛いことに耐えて頑張ったね・・・後二か月ほどの疎開だけどその間少しでも気持ちを癒やすために合奏班を作って今までの鬱積(うっせき)した気持ちを払拭(ふっしょく)してもらおうと思うんだ(と、鬱積と、払拭を黒板に書いて)もし合奏班に興味があれば今日の自由時間にここに集まってください」

と言って教室を出て行った。

「うっとか、ふっとか?それにがっとか・・・何やそれ?」

こうなると秋山宗男の出番だ。

「お前、東野の嫌な思いを心にためとるやろが…それが鬱積や、それを晴らすのが払拭や、そのために皆が同じ歌をいろいろな楽器で演奏したり歌ったりするのが合奏や・・・」

「へぇ~そう言えば俺ら四年生までは唱歌があって先生のピアノに合わせてみんなで合奏しとったな」

「それは合唱や」

「五年になって東野が担任になるなり『唱歌なんて女の腐ったのがすることや』ちゅうて唱歌の時間は心身の鍛錬時間にされてしもうたもんな~」

「足広げてふんばれ、歯くいしばれ、言うてはビンタやられたな~」

「今度、緒方先生が月々火水木金々を教えてくれるまで唄うことなんて忘れとったな~」

その時一度教室を出た小池先生が戻って来て教室に首を覗かせ、

「穴子君ちょっと職員室に来てくれないか」

 と、声を掛けた。

 穴子裕樹は既に省吾からラッパの話を聞いていたので不信の風もなくもなく頷いて先生の後を追って教員室へ入った。

「これ何だかわかる?」

 と、小池先生は穴子の前に少し煤けた色はしていたがよく手入れの行き届いたトランペットを出して見せた。

「変わったラッパですね」

「トランペットっていう楽器なんだよ、吹き方は先生が教えるからこれからはラッパの代わりにこれを吹いてごらん」

「えっ!僕にくれるんですか?」

「そのつもりなんだけど、御家の人にこれを見せてお許しが出るまでは貸しておくということにするよ」

「わっ!すごいな~でも先生がなぜ吹かないんですか?」

「先生は片腕がないだろう・・・トランペットは両手が必要なんだ。だから懐かしんで飾っておくだけになってしまうんだよ。それよりも上手になる人に吹いてもらった方がトランペットも幸せだろう…」

「僕は上手になれるかどうか分かりません!」

「いゃ、ラッパであれだけの音が出せる君ならきっとすぐ上手くなるよ」

「じゃぁ頑張ってみます!」

「では初めにこれはね・・・」

 と、言いながら口のところを引き離して、

「マウスピースっていうのだけど、これだけなら簡単に持ち運びできるだろう、だから始めのうちはこれを吹いて呼吸の練習をするんだ…」

 さすが穴子である。初めてとは思えないほどすぐにうまく息を吐き出して吹いている。

「次にマウスピースをトランペットにつけて今度は口元が緩まないように左手でしっかり握って支え、右手の人差し指と中指それに薬指でこの三っのピストンをいろいろ押して音色を変化させるんだ…」

 と、早速コーチが始まった。

 その日ほとんどの子が合奏に興味のあるといって自由時間に集まってきた。ハーモニカを持っている子も持っていない子もいた。

「さぁ!今日は楽器はいらないんだ。みんなの呼吸が一つになる練習からだ。つまり合唱だ・・・。何の歌がいいかな?みんなが知っている歌、聞いたことのある歌…『春の小川』だとか『ふるさと』…あっそうだ始めに『月々火水木金々』がいいな~」

「えっ!先生、それならわざわざ合唱なんて言わんでもしょっちゅうみんなで歌っているよ」

「いや、ただね、口を閉じたままで唄うんだよ」

 子どもたちは唖然とする。

「口を閉じたままでどうして歌えるん?」

「しかし君ら鼻歌を歌ったことあるだろう」

「あっ!そうか鼻歌か、なら口閉じて歌える」

「じゃあ始めるよ、口を閉じて・・・はい!アイン、ツバァイ、ドライ」

「何、それ?」

「ドイツ語の1、2、3だよ」

「なんでドイツ語の1、2、3なの?」

「なんて言つたって音楽はオーストリアのウィーンだからね、オーストリアの言葉は通常ドイツ語なんだよ」

「あぁそれでアンツバドンなんや」

「アンツバドンでなくて、アイン、ツバァイ、ドライだからね」

「アイン、ツバァイ、ドライ」

 皆が一斉に復唱する。

「いいかな、『月々火水木金々』だよ・・・ではアイン、ツバァイ、ドライ」

『フン、フフフン、フフフフフン…フフフフフフフフフン…』

「そうそう、その調子!その唄い方をハミングって言うんだ、

 さぁ、今度はうさぎおいしかのやまを最後まで一声に歌うんだよ…ではアイン、ツバァイ、ドライ」

しだいにうまくなるようだ。声の良し悪しも関係ないし歌詞を忘れても歌える。

「特に先生が好きな曲は『アメイジング・グレイス』って言うんだ。まず声を出して歌って節を覚えよう」

と、言って黒板に歌詞を書いた。

  やさしい愛の手のひらで

  今日もわたしは歌おう

  何も知らずに生きてきた

  わたしはもう迷わない

 一節づつ先生が唄い。続いてみんなが歌う。

「どうだい言葉が優しいからすぐ覚えられるね…大阪へ帰るころにはうまくなっているよ…じゃあ後は明日だ!日常は人に迷惑かけないように、決まった時間に決まった場所だよ・・・」

 見違えるように子供たちは目を輝かせすつかり虜になってしまっていた。

 しかし午後四時の自由時間には宿題もこなしておかなければならない。毎朝一番に前日習ったことの十分間テストがあるのだ。真剣に復習してマスターしておけば誰でも満点が取れるのだ。だから子供たちはこれにも一生懸命に取り組んでいた。子供たちの日常は見るからに健全さが漲っていた。

 東野や馬場の時とこうも違うものなのか。先生次第でこんなに子供は変わるものなのか・・・。

「今日はこれから皆で山に行きます」

「えっ!こんなに寒いのに、畑に種まいても芽でえへんのとちゃいますか?」

「リコーダーのために山へ行くや…」

 省吾から聞いていた伊藤が得意顔で言う。

「えっ!そのリコダとやらが山にあるん?」

 小池先生が黒板に図を書いて、

「山の畑の横にある竹藪から竹を切り取ってくるんだよ。それをこうして必ず節を一つ付けて三〇センチほどの長さに切り取って・・・」

 と、笛作りの説明を始めた。 子どもたちは胸を膨らませた。

「でも先生!竹藪にはマムシがおるで…」

「も少し暖かくなると出てきて危ないけど今の寒いうちは大丈夫」

「あぁそうか!マムシは冬眠しとるんや」

 と、宗男が声を上げる。こと勉強となるとからっきしだが雑学は博士だ。

「お前も早よ冬眠から目、覚さんかい」

 こういう時は、誰かが必ず良平を引出す。

 しかし今の良平はボケ役に徹している。そしてときには的の外れた突飛な言い返しをして結構笑わせることが多い。 良平を中心にしたひと時は疎開児童の一つのリズムでありいじめとはちょっと違うのだ。

 第一、大場良平はみんなに好かれているし、みんなの親しみを一身に受けている方だろう。険悪陰惨ないじめとはおよそ趣がちがっている。

「俺はもう少し冬眠してたいよ~寝るほど楽はなかりけりけり…ほいほい」

 大場踊りが始まり皆も手拍子をとる。

 開墾で使った鋸を持ってみんなで月々火水木金々をハミングしながら山に向かった。

 大なり小なり不揃いだが適当に竹を切とって帰ってから黒板に書かれているように節のところを斜めに削って吹き口を造り、笛の穴は竈に備えてある火箸を真っ赤に焼いて差し込んで穴を開けた。

完成!一同は飛びつくように吹き始めたがそれぞれがフーフースース―とても音楽にはほど遠い・・・

「あかんわ~こりゃ」

しかしさすが穴子はピーヒョロピーヒョロと音を出している。そしてやがて『若い血潮の予科練の曲』が見事に演奏されている…みんなの瞳が吸い込まれるように穴子の笛に集まった。

「どうしてお前のはそんな音が出るん?」

「お前ら勢いつけて吹きすぎや、吹くのとちごぉて(違って)」

 と、唇の両端を両手の人差し指で引くようにし、真ん中から静かに息を吹きだす仕草をして、

「こうして静かに息をだすんや…」

 みんなが同じようまねて吹き始める…やがて誰彼となくピーヒョロロ・・・と曲らしい音調になってきた。

「さぁ!明日からの吹く場所と時間はハーモニカの時と同じだからね。それに穴子君はトランペット、それからハモニカで挑戦したい人はハモニカ、竹笛の人は竹笛、もちろんハミングしたい人はハミングで全員の合奏だよ、曲は…」

 月々火水木金々、ふるさと、野ばら、アメイジング・グレイス」と、黒板に書いて、

「上手も下手も関係ありません。自分なりに頑張ってください。なおハミングは合唱でなければ別に場所は問いません。でもみんなが勉強している時とか寝ている時はもちろんやってはいけないよね…」


                       8、

 二月の末には卒業でいよいよ大阪に帰れる。

 疎開児童たちは一斉に片付けを始めた。

 各自の持ち物の内、行李と布団袋は後日運送屋さんが集配してくれると言う。差し当たってすぐ使う洗面具とか教科書や学用品をしばらく使わなかったランドセルに入れて支度を整えて出発に備えた。

 ところがその後が解せないのだ。まるで催眠術にでもかかったように省吾はなぜかこの後のことが空白になってしまって何があったのか何一つ思い出せないのだ。どのようにして疎開地を離れ大阪へ帰ったのか?後日みんなに尋ねてみたが誰一人こまやかに記憶しているものはいなかった。大阪へ帰れる…ただその興奮が意識を空白にしたのだろうか? この空白は省吾たちの永久の謎になった。 

 ともかくふと意識付いた時には省吾は家の布団にもぐりこみ、黒い覆いをかぶせた裸電球の秘かな明かりで夢中で一冊の本を読み耽っていた。長い間読書ということを忘れていた。本は何でもよかった。たまたま通りがかった道端でどこかの大学生が売っていた本を買ってきた。新聞紙の上に僅か並べられていた本は辞書とか参考書とかばかりで物語的なものはこれ一冊だけだった。

 本はイギリスの地下鉄のスリの親子の話であった。もちろん本の内容は誰も知らない。両親に知れたら早速取り上げられでしまうだろう。警察に知れても敵国イギリスと言うだけで売っていた大学生も厳しい咎めは避けられないだろう。なにしろ聞きなれない言葉がふんだんに出てくるのだ。ビッグベン、オックスフォードストリート、トラファルガープレイスなどなど、知れたら黙認されるわけがない。しかし省吾は眠くてたまらなくても片目づつ交互に開きながら夢中になって読み耽っていた。

 突然!うーうーうーと空襲警報のサイレンが鳴り響く・・・

 母や姉に言われるがまま着衣を身につけて裏庭の中央にある防空壕に避難する。

 省吾の父が職人に造らせた本格的なものだが近所の数名がいつも入っている。

 もちろん灯火管制で一瞬の明かりも許されない。誰もが月明かりを頼ってくるのだが月明かりがない闇夜はまったく手探りなのだ。

 省吾はスリの本はがっちり握って出てきているがもちろん読む機会はない。その時…激しい大音響が闇夜の空間に響き渡った。

 一キロ程先の高架の駅に爆弾が落とされたのだ。

 飛びあがって天井に頭を打ち付けるほどの衝撃だった。この時、防空壕に入っていなかった人は激しい爆風に飛ばされて死傷者も出たと言う。

 駅に入ってきた電車が乗客の昇降のために一瞬、ほんの一瞬明かりをつけたらしい。何と米軍の爆撃機はその一瞬を逃さず寸分の狂いもなく爆弾を落としたのだ。

 運不運が如実に表れた。電車に乗った人と降りた人だ。

 人を乗せた電車は間もなく発車して難を免れ、電車を降りて一斉に改札口に向かっていた人たちはみんな犠牲になった。

 高架の駅は墳火山のように中央に大きなえぐり穴を開けてこんもり小山が出来ていた。

 省吾の家の向いの数軒の屋根には大きな穴が空いていた。爆風の周期的な関係で省吾の家の並びは被害がなかった。                           

 毎日深夜になると空襲と解除の警報が繰り返し鳴り響いた。

 集団疎開の日中は寸分も気の休まることはなかったが、深夜の山村は静寂で一晩中ぐっすり眠れたのだ。そればかりは集団疎開が羨ましかった。

 大阪へ帰った後は卒業式までは休みだし、特に省吾たち一、二組は、学習させてもらえなかった五年と 六年の勉強を一年間尋常高等小学校に通って学習することになっているから差し当たって中学受験の追い込みの勉強もなく昼寝の時間には事欠かなかったが、やはり昼寝は昼寝で深夜の眠りとは違うのだ。

 でも深夜の警報の合間にぐっすり眠る生活に慣れる日はおいそれと来そうにない。

 近頃の省吾は集団疎開の間中ずっと懐かしんできた我が家の周辺を老人の散歩のようにぶらぶら見て歩くのが日課になっていた。しかし子供の自分がどうしてそうなのか省吾自身も分からなかった。ただそれは寝不足の頭を癒やすのには役立っていた。

 集団疎開は僅か半年のことだったがずいぶん長い間のように思われた。その間ずっと郷愁してきたのがこの眺めだったのだ。

 戦争ごっこをして戦艦にした電柱も、穴を掘って隠した宝さがしの道端も、以前と少しも変わっていなかった。

 省吾を引き付けているのはおそらくそれだろう。ただ共に遊んだ仲間の姿がなくて空虚なのが寂しかった。

 六年生は卒業のため帰っているのだが、近所の同学年はわずかな女の子だけでなお賑あいは無いのだろう。

 ふと省吾はカンヤちゃんが甦った。カンヤちゃんも集団疎開から戻ってきているのだから必ず居るはずだ。そう思うと省吾の足は自然にカンヤちゃんの家の方に向かっていた。

 松川緩夜(まつかわかんや)、カンヤちゃんの本名だ。緩夜は晴れた夜に緩やかに夜空を流れる天の川のようにと両親がつけてくれた名だそうな、その名の通りカンヤちゃんは物静かだが利発な大和撫子だった。

 カンヤちゃんの家のある所は省吾の家より少し高台で学校へ行く途中にあった。だからカンヤちゃんの家の前を通って学校に通うのが当然なのだが、五年生になって先生が東野になった時から女の子の家の前を通ることは禁じられ、わざわざ迂回して通学させられていたのだ。それがどうしてなのか東野教師の考えは理解できなかった。

 四年生までは毎日のように前を通って見ていたカンヤちゃんの家は変わらなかった。

 一階が印刷工場で省吾は下校途中格子窓の外からバタンバタンと印刷する機械を厭かずに眺めていたものだ。今はもう印刷工場は閉めてしまっているのか何の物音もしなかった。

 省吾は家の前に立ち止まって二階の窓に目をやっていたら以心伝心か、カンヤちゃんが窓を開けて顔を覗かせた。そして省吾を目ざとく見つけると、

「省ちゃん!」

 と、すぐ声を掛けてきた。

「今降りるから待っててね…」

 省吾は感激した。 集団疎開の終わりに橋本の駅前の古びた旅館を寮にする疎開児に大根を届けに行った時、二階の欄干にズラリ並んで手を振っていた子供の中にちらりと姿を見て以来だ

 カンヤちゃんは背が伸びていてすっかりスマートになっていた。

 二人は道端の程よい石垣に並んでもたれて顔を見合わせた。省吾は話したいことが山ほどあったがカンヤちゃんがそばにいることだけで胸がいっぱいになり何も話せなかった。でもカンヤちゃんの話を聞くだけで幸せだった

 カンヤちゃんは集団疎開では読む本もなくなってひたすら教科書を読んでいたのだという。知らない漢字は担任だった年取った女の先生が小まめに教えてくれたし、国語や歴史は繰り返し読んでいたのですっかり覚えてしまったらしい。理科は実験の無いのが物足りなったが挿絵で想像しておおむね理解をしたが算数は何度か行き詰まったという。担任の先生も今一算数が苦手で鶴亀算や差集め算くらいまでは何とか教えてもらえたがニュートン算などになると先生自体が解けなかったらしい。

 でも府立の高等女学校の入試問題の程度なら問題はないのだという。

 省吾は羨ましい限りだった。

 カンヤちゃんは省吾が一年間高等小学校に行くことを聞いて、

「省ちゃんのような頭のいい優秀な子に勉強させないで落第させるなんて、よっぽどひどい先生やったんやね」

 と、本気で憤ってくれた。

 確かに省吾たち東野先生の組の生徒は四年までしかまともな授業は受けていないのだ。

 五年になって担任が東野に変わるなり、

「お前らは天皇陛下の御ために戦って死ねる立派な大日本帝国軍人にならなくてはならないんや!」

 そればかりではない、

「兵隊は勉強なんていらんのや!そんな暇があるなら身体と精神を鍛えることや、わしはお前らを立派な兵隊にするために鍛えにきた教官なんや!」

 と言うことで、実際五年生から授業らしい授業はしたことが無い。

 下校のチャイムが鳴るまで、大雨でない限り一日一杯柔道の型の稽古や竹槍で『えい!やー』と人を突く練習を繰り返しやらせられていたのである。そして大雨の日には精神を鍛えるのだと廊下で座禅を組ませて黙想させられた。

 だから省吾は町内に一軒しかない勉強塾に一度通わせてもらったが、ここもひどいところで、漢字を少し書き並べるとか学校の宿題など、自分でした学習を見せて『了』の印を貰えば帰っていいというようなたわいのない所であった。本来は書道塾だったようで習字だけは朱色で正してくれていたが学習の質問には、

「これだけ大勢の子がいるんや~一人一人質問に答えていたら明日になってしまうがな…明日学校の先生に聞いたらえぇがな…」

 と言う調子であった。間違っても学力の助成にはならなかった。省吾はすぐ辞めて自宅で分からないことは姉に教わり六年の夏休みの終わりに集団疎開に行くまでは自習をしていた。

 集団疎開はそれに輪をかけたようにさらにひどかった。授業をまったくしない上自習すら満足にさせてもらえなかった。

 当然分からないことがあっても質問は出来なかった。うっかり質問しょうものならどんなとばっちりが返ってくるか知れたものではなかったのだ。誰しもがそれを心得ていて質問は飲み込んでいた。

 ただ一日のうち二・三時間ほどの自由時間があってみんなは手紙を書いたりマンガ本を貸し借りして時間をつぶしていたが、その間はあまり干渉されなかったので省吾は自習に当てていた。

 しかし、やはり一人勉強には限界があった。当然読めない字の多い科目はすぐ行き詰って行李の奥底に仕舞い込んでしまったが、なぜか算数だけはこつこつ進むにつれて不思議と理解が出来て履修出来たのだ。ちょうどヘルニアの手術で大阪へ帰った時に姉から貰った中学一年の数学の教科書や問題集にすっかり夢中になって取り組んでいた。

 その問題集の巻頭に『数学は拡張学』だと書いてあった。一の知識が十にも百にもなるので『分からないことにぶっかっても投げ出さず次々とやって行けば必ず理解が出来るようになる』というような内容だったのだ。正に省吾はそのとおりであった。でも数学だけでは中学受験は無理なのである。

 その後、省吾は夕刻になるとカンヤちゃんの家の前に行くのが日課のようになった。カンヤちゃんもそれに合わせて表で待つようになった。二人は毎日話し込んだが話は尽きなかった。

 ふと思うと、省吾たちは授業をしてもらえなかった五・六年の勉強をするために一年間高等小学校に通うわけだが、中学を受験する時には既にカンヤちゃんは二年生になってしまうということだ。なんだかカンヤちゃんがぐんと遠く行ってしまうような気持ちになって寂しくなった。

 しかしカンヤちゃんはそう言うことにはまったく拘らないで、別れ際には必ず手を差しのべて省吾に握らせる。

 かんやちゃんの手は柔らかくふっくらした可愛い手だった。

 そしてカンヤちゃんは家に入る前には必ず省吾の手を自分の頬につけて省吾の手に小声で『また明日ね』と言うのだ。

 省吾はまだ愛も恋も分からなかったが、こういったカンヤちゃんの仕草の中に生まれて初めて異性をいとしむという気持ちを芽生えさせていた。

 女の子は早熟で男の子は奥手だということを知ったのはかなり後のことだが、近所に孝子という子がいて省吾を見つけるとすぐにまとわりつき、そして『省吾が好きやねん、省吾のお嫁さんになりたいねん』などと露骨に口にした。 間違ってもカンヤちゃんにはそんな幼児のような端たなさはなかった。

 カンヤちゃんの家から西の方に小学校があり省吾の家は反対の東の方にある。

 市場などの商店は省吾の家からさらに東にあって前に爆弾を落とされて小山のようになっている美章園の駅の近くにあった。だからカンヤちゃんはお使いの時は必ず省吾の家の前の道を通って行くのだという。その時はいつも『省ちゃんは今何しているかな?』などと考えて通るのだという。

 それを聞くだけで省吾は胸にあついものを感じていた。

 美章園の市場の周りにはいろいろなお店が並んでいるが、今では食品も衣料も配給制度なので商店街らしい活気は微塵もなかった。しかし省吾も緩夜もこの付近を通るだけで集団疎開から大阪へ帰ったというような気持ちになれるのだった。

 美章園駅からちょっと西に下がれば雑木林の公園があって、そこに省吾がかわいがっていた愛犬の『あか』の墓がある。墓といっても墓標に程よい小さな平石を父が立てただけのものだが。

 もう二、三年前になるが『あか』が省吾の家に始めて来た時は鉄格子の檻のような犬小屋に入れられていて三日三晩何も口にせず唸り声をあげていた。

 まるで狂犬のようだった。父が知人から貰い受けて来たものだが、

「気性が荒いので慣れるまでは絶対に手を出したり檻から出さないようにしてください」  

 という能書きのついた犬だった。たしかに鼻に縦皺を寄せて唸り声を上げる『あか』には怖くてとても手は出せなかった。

「とても無理やね」

「返すより仕方がないのね」

 母も姉もあきらめかけていた時、なぜか省吾が近付けた玄米パンを始めて口にした。

以来省吾に吼えることはなくなった。それどころか省吾が近付くと尾っぽを振り始めたのだ。

『あか』の餌はご飯に味噌汁か煮汁をかけたものだが、その餌やりは当然省吾の役割になった。しかもまもなく鎖をつけて散歩につれて歩けるようにもなった。

 ある日何人かの不良中学生に省吾が絡まれた時『あか』はまるでそれを察したかのように果敢に飛びついて中学生を撃退したのである。

 決して大きな犬ではなかったが、『うー』と唸るだけで迫力があった。

『あか』の怖さは有名になって、以来悪がきどもは『あか』を避けて通るようになった。

 やがて『あか』は省吾の家族にもよく懐いて尾っぽを振った。父は自転車に乗って美章園の公園に『あか』を散歩に連れて行くのが日課になった。

 ある日いつものように自転車に乗った父が『あか』を連れて公園に向かっていると、突然脇道から酒を飲んで真っ赤な顔をしたやかん頭の男が運転する小型のトラックが飛び出してきたのだ。その時咄嗟に『あか』は自分の何十倍もあるその車に飛びかかった。

 父は自転車ともども横転したが幸い怪我もしなかった。ただ倒れた父の傍らに血を流した『あか』が横たわっていたのである。

『あか』が飛びついたので運転をしていたやかん頭の男は咄嗟にブレーキを踏んだという。

「このワンちゃんのお蔭で轢かんですんだんですわ・・・よかったよかった~犬で…」

 と、胸をなでおろして平身低頭していた。何が『犬でよかった、よかった』だ!『あか』は立派な家族の一員なんだ。『あか』はもう帰らないのだ。父も、

「飛びついた『あか』のお蔭で轢かれんですんだんや『あか』は命の恩人や」

 と、家に帰ってからも何度も何度も繰り返していた。

 恩人・・・『あか』は恩人の人、つまり人になって死んだんだ。

『あか』は一度は父に抱かれて帰ったが、

「家の庭よりも好きだったあの公園に埋めてやろう」

 と、父の提案で美章園の公園の雑木林に埋葬したのである。

 

 夜ごとの空襲のサイレンは想像以上のものだった。警報!解除!警報!解除!何度も何度も繰り返され省吾はゆっくり眠ることも出来なかった。これからずっとこういう日が続くと思うとぞっとした。しかし寝不足になるのは省吾に限らないはずだ。

『でもみんなは寝不足をどうしているのだろうか?』父も母も姉も昼寝はしないのだからやはり夜半の短時間にぐっすり睡眠をとる術を心得ているのだろう…省吾も早くそれを会得したいと思った。

 その日も省吾がカンヤちゃんの家に向かっているとカンヤちゃんが高台から手を振って降りて来た。

「今、市場に行くとこなの…」

 と言う、省吾は

「ちょっと待ってね」

 と言いざま家に飛び込んだ。

ほどなく出てきて、

「一緒に行っていいって」

「うわっ!嬉しい」

 二人は寄り添ってあちこちで買い物をした後で『ちょっと道草をして帰ろう』と言うことになった。そしてしばらく行かなかった公園に行ってみた。公園は金属類の供出のため何もかも取り払われていてノッペラボ―になっていた。

「まぁ…」

 カンヤちゃんは驚いていた。

 カンヤちゃんは買い物かごから出したコッぺイパンの一かけらを雑木林の『あか』の墓に備えて手を合わせていた。

「いいの?それ…」

 各戸別に割り当てられている配給切符で買ったものなのだ。

「ちょっとだけ『あか』ちゃんに上げただけやもん…」

 二人はその後石に並んで腰かけていろいろな話をした。

 カンヤちゃんの受ける大手前高等女学校は大阪の高等女学校でも一番学力が高いのだ。

 カンヤちゃんは来年からの夢を膨らませてどのように通うかなどとしばらく夢中で話していた。 が、ふと口を噤んで、

「ごめんね」

と、言った。

 省吾が中学に行かないことに気が付いておもんばかったのだ。でも省吾はかんやちゃんの話を聞くだけで楽しかった。

「ぅうん!えぇよ、それよりまたかんやちゃんの唄聞かせてほしいな~」

 大東亜戦争(第二次世界大戦)が始まってたしか二年目ぐらいの時だったと思う。最後の学芸会でカンヤちゃんは『月の砂漠』を歌ったのだ。カンヤちゃんの声は透き通って綺麗だったし歌がうまかった。

  月の砂漠を はるばると

  旅のらくだが 行きました

  金と銀との くら置いて

  二つならんで 行きました

 生徒はもちろん先生も父兄もみんな聞き惚れていた。

「カンヤちゃんは童謡歌手になったらええな~レコードで毎日カンヤちゃんの声が聞けるもん…」

「有り難う省ちゃん…そう思うてくれるだけでうれしいわ、でもこんなに戦争がはげしい時にそんなこと考えられへんもん」

「ところであんなええ学校に行くんやから将来何になるん?」

「それより省ちゃんは?建築屋さんになってお父さんの後を継ぐんでしょう」

「ううん違うよ…高等小学校へ一年通って勉強してなかった五年と六年の勉強をしたら次の年に北野中学を受けるんや…」

「ウワッ!すごい…省ちゃんなら絶対行けるわ~それで省ちゃんは将来何になるん?」

「海軍士官学校に行きたいねん」

 カンヤちやんは省吾の士官姿を想像していた。

「しかし近頃毎日のように近所のお兄ちゃん達が戦死して帰ってくるやろう、そやからお母ちゃんも姉ちゃんも兵隊さんはあかんって言うねん」

「ほんなら…兵隊さんでなかったら何になるつもり?」

「お医者かな・・・それよりカンヤちゃんは?」

「な~いしょ」

「あっ!狡い」

「ん・・・ほんとはまだ決めてなかったの、でも今、き~めた」

「えっ!今決めたんやて、どう決めたん?」

「やっぱりひ・み・つ」

「ずるいよ、それ考えてたら何もでけへんやん」

「じゃあ教えてあげる」

 カンヤちゃんは省吾の耳元に口をつけて、

「あのね・・・お・い・しゃ・さん」

「うわ!ほんと…一緒や…カンヤちゃんやったら女医さんの白衣姿かっこええで~」

「省ちゃんと同じ夢追うの楽しいもん…」

 二人は将来を描いた。

 やがて公園もうっすらと宵闇が迫まり夕空には星がちりばめ始めた。

「あっ!星のかくれんぼ」

 星がちかちかと現れたり消えたりしていた。天候のせいか?…何か悪い兆しの前兆か?


                       9、

 その晩・・・つまり1945年3月13日深夜、その日も再三サイレンが鳴り響いた。眠い目をこすりながら起きては防空壕へ、そして解除のサイレンでまた寝床へと何度も繰り返した。

 翌日は小学校の卒業式で省吾が答辞を読むことになっている。答辞は一組の級長が読むことが恒例なのだ。

 今日は一日中母や姉に聞いてもらって精一杯練習し結構疲れているのだ。なのに…眠ったと思うとすぐ起こされるのだからたまったものではない。

「もうええやん、ひやかしばっかりやもん…寝不足で明日の答辞、失敗してしまいそうや」

 しかし姉が、

「爆弾落とされたら手足無くなるんよ…」

 と、無理に着衣をつけさせた。

 それがその日の何度目の避難だったかも定かでなかった。ただその時ばかりは様子がちょっと違っていたのだ…

 いつもなら爆撃機はサーチライトの光も届かない上空を飛来し、日本の高射砲も爆撃機のかなり下の方で炸裂していて見上げる者に歯がゆい思いをさせていたのだが、その夜の爆撃機は手の届きそうな頭上で爆音をとどろかせていたのだ。

 つまり今までの高々度空襲と違って民家を対象にした夜間低空の空爆だった。かえってそれで照準も定まらないのか高射砲も的外れな上空でさく裂していたがやがてほとんど発射されなくなった。そればかりか迎え撃つ日本の戦闘機などはまるで目につかなかった。

「日本にはもう飛行機ないんとちやうか? (無いのと違うか?)」

 子ども心にも日本の状況が汲み取れた。

「本当やね…もう日本もあかんのやろか?」

 珍しく母が愚痴った。

「おかぁちゃん、そんなこと口にしたらあかん!」

 姉が必死で諭した。省吾の家の防空壕にはいつも近所の人が何人か入りにくる。

 母の言うことは誰しもが思うことだが他人の口は閉ざされない、特高(特別警察)などの耳に入ったら大ごとになるのだ。

 省吾は子供心で考えてもこの戦争は一方的な戦いとしか思えなかった。

 姉に促されて省吾が防空壕に飛び込んだ直後、ヒューヒューバリバリ…という物音がし始めた。

 しかし爆弾が美章園駅に落とされた時のような大きな衝撃はなかった。鈍くて低い物音が続いていてかえって気味が悪かった。不審に思って省吾が防空壕から覗きだしてみるとなんと一面がすっかり見渡せるような明るさになっていた。

 ただ明るさと言っても真昼のような明るさでなくまた電灯の明るさでもなかった。星や月明かりでもない、まったく違った明るさだったのだ。空も周りも全体が真っ赤な色をした見たことのない明るさだった。

 間もなくヒューバリバリという音が次第に重なってやがて空間の全てがヴァーと唸るような響きになっていった。

 省吾はたまりかねて飛び出した。

「省ちゃん出たらあかん!戻んなさい!」

 母と姉の声が重なって追ってきたが省吾はかまわず隣との間にある狭い路地を走って表道路に飛びだした。が、一瞬『うわ!』と思わず立ち止まった。

 何と…省吾の家の玄関も向かいの家も隣も、真っ赤な炎を上げて燃えているのだ。

 道路に落ちた焼夷弾の空筒からもすごい勢いでまだ赤い炎が吐き出されいた。

 省吾は急いで防空壕に取って返した。

「えらいことになってるよ!どこもかしこも燃えてる…」

 それを聞いて母は、

「ここで待ってなさいね」

 と言いざま裏口から家の中に飛び込んだ。姉も後を追った。

 省吾はずいぶん長いこと待ったように感じた。だんだん心細くなって待ちきれず家に入ろうとして裏木戸に近付いた時母と姉が大きな風呂敷包みやトランクを抱えて出て来た。裏木戸の隙間から見えた家の奥の方はすでに赤い炎に包まれていた。

 母は省吾に、

「目を瞑って耳を押さえてなさい」

 と言いざま防空壕の傍らに置いてあった防火用水の水を省吾の頭からかぶせた。母も姉もそれぞれ水を被ると省吾の手を引いてずぶ濡れのまま裏の家の路地に入った。

 路地を抜けると後ろの方の道路に出れるのだ。少しでもこの方向…つまり南に向かうと中心街から遠ざかりやがて郊外に出れるのだ。しかしまだ火の気のなかった路地脇もまたたく間に燃え始めてその赤い炎が三人を追った。

「熱い!」

 たまりかねで省吾が声をだした。

「火が付いたわけやないんやから少し辛抱して走りなさい」

 路地から出たものの裏の道路も真っ赤になっていた。しかしまだ両脇の家の全部に燃えうつてはいなかった。

 ふと省吾はカンヤちゃんが気になった。まだ全部延焼していないこの道路を遡ればすぐカンヤちゃんの家に行ける…、

「ちょっとカンヤちゃんちを(家を)見てくる…」

「何をあほなこと言うてんの?火の中へ飛び込みに行くようなもんやんか…」

「もうとっくに逃げ出してはるわよ…」

 と、母も姉も必死に諭す。

「そやろな…」

 それから三人は裏手の方へと夢中で走った。三々五々悲鳴を上げながら走る人の姿があった。またたく間に四辺は火の海になった。

 真っ赤な炎を上げて燃えている家から火だるまになった人が転げ出してきてただ喚いていた。暑さと恐怖でもう何も考えられないのだろうか、母は持っていた荷物を投げ出して、

「早くその着物を脱ぎなさい!」

 と言いながらその人のほっぺを叩いては火のついた着物を剥ぎ取手は踏みつけていた。姉はほとんど空になった防火用水の底からかろうじて汲み取った水をその人にかけていた。

その後はどこをどれだけ走ったのか省吾は何も覚えがない。しばらく時間が経ってようやく放心から解かれるように我に返ると、小さな部屋に母と姉とそしてその家の人と思える小父さん小母さん、それに姉ぐらいの女の人が灯火管制で乏しい明かりの下に輪になって座っているのが目に入った。

 母も姉も省吾も頭からかぶった水でびしょ濡れになっていた着衣はもうすっかり乾いていた。

 そこは姉の高等女学校のお友達のお家ということだった。そこの人たちは深夜にかかわらず親切だった。

 姉たちは高等女学校をもう卒業しているのだが、その後も勤労動員で引き続き軍需工場で働かされているのだ。

 ここは省吾の家の近くの駅から五駅ほど郊外にでた駅のあたりだということだった。しかし結構家は密集しているが中心街から離れているせいか焼夷弾が落とされた気配はなかった。

 母たちは歩くのでさえ大変なところをようもここまで走って来れたものだと話し合っていた。

 その晩はそこへ泊めてもらった。

 翌朝、昨夜走って来た道を母と姉と共に戻った。焼け跡のすごい悪臭の中に所どころで焼香の香りが漂っていた。

 省吾の家の周辺もほとんど焼けていて見る影もなかったがなぜか焼けていない一角も目に付いた。ここにも運不運が如実に介在していた。 焼けた我が家の前で父が呆然とたたずんでいた。

 家はまだくすぶっていてところどころで時たま小さな炎を上げていた。

 その地区の防空班長の父は昨夜から家を出たきりになっていだけに母と姉は父と抱き合ってしばらくは泣き濡れていた。

「なんで焼け残った家があるん?」

「このあたりは大阪の中心から離れているから焼夷弾の流れ弾がところどころに落ちたんやね」

 日本の木造家屋を焼くためにアメリカが開発したという焼夷弾で、一発が三十メートル四方を焼き尽くすという油脂焼夷弾三十八発を内蔵する大きな収束弾を空中で花火のように炸裂させて落とすのだ。

 ふと目に付いたものがある。

 お隣の離れに住んでいたおばあさんのむき出された焼けた死体だった。

 おばあさんは前日亡くなったということだった。日頃から姑いじめをする嫁に食事も満足に与えてもらえずミイラのようになった体で裏口から入ってきて『何か食べ物の残りがあったら恵んでください』と、泣いて来ていたそうだ…

 母は食糧事情の悪い中なのにわざわざおばあさん用の御粥をつくっておばあさんが来るのを待つようになったという。おばあさんは、

『持って帰って見つかるとどんなひどいめに遭わされるか分かりまへんのでここで食べさせておくんなはれ…』

 と、手を合わせていたのだという。

 おばあさんは大阪の船場に老舗を持つお金持ちのいとはん(家付きの御嬢さん)だったそうな。どこでどのように運命の歯車が狂ってこうなるのだろうか…やはり省吾は運命が納得できなかった。

 昨夜、隣ではお通夜も何もしないので父と母は気をもんでいたんだという。

 おばあさんの怨念なのか、本来ならば焼け跡に埋まってしまいそうだが不思議なことにおばあさんの部屋の壁も天井も屋根もすべて外側に焼け崩れておばあさんの焼けた屍がすっかり露出していたのである。

 父と姉が、

「おばあさんは空襲の火災の怖さを知らずに死んだんやな~」

「ほんと…空襲の火災で恐ろしい思いをしながら苦しんで焼け死んだ人もあるのにね」

 と話していた。運魔のいたずらか…省吾はつくづく運命を感じていた。

「何か上にかけてあげられるようなものはないかな?」

 と、父は四辺を探していた。そこへ隣家の若奥さんがやって来てしばらくおばあさんを覗いて見ていたが、すぐ、

「後で始末に来ますんで…」

 と父や母に会釈して立ち去ってしまった。父は焼け跡から焼け残っていたトタンを取り出してきておばあさんに丁寧に掛けてあげて手を合わせていた。

 省吾はふと焼ける前は建物が遮っていたので見えなかったカンヤちゃんの家付近まですっかり見渡せることに気が付いた。

 無事に逃げのびただろうか?そういえばカンヤちゃんの家は地下に鉄筋の丈夫な防空壕があると話していたことを思い出した。だったらきっと無事なんだろう…省吾は気を和ませた。

 翌日は卒業式だった。母が付き添って学校には行ってみたが卒業生はほんの二、三人父兄と共に来ていただけでカンヤちやんの姿もなかった。省吾はがっかりした。

 見知らぬ先生が居て名前を告げると卒業証書らしいものを手渡してくれたがよく見るとそれは卒業証書でなく終了証書と書かれた紙っべらだった。卒業式もしていないのだから卒業でなく小学校を終えたという意味なのだろうか。もちろん省吾の卒業祝辞の答辞も絵空事になってしまった。

 高等小学校の話も立ち消えた。ただ中学はどこも無試験だと掲示されていた。

 緒方先生も小池先生も消息が知れなかっだ。

 相談する先もないので父と母と姉が話し合って、やはり五、六年の勉強していない省吾が学力差で落ちこぼれるのはかわいそうだからと結局専門教科に重点を置く工業学校の建築科に進学することが決まった。

 海軍兵学校の省吾の夢は消えたが父は『跡取りが早よ一人前になるんやからそれでええがな』なんて気慰めなことを言っていた。

 入学の手続きなどは母と姉がしてくれたので省吾はただの一度もその工業学校には行かずじまいだった。

 次の日は姉のお友達の家からさらに南の方の父の会社の人の家に移った。大阪からかなり郊外で家もまばらだしこのあたりは空襲の心配もなかった。

 三日後そこのリヤカーをかりて母と姉の持ち出した風呂敷包みとトランクを積み込み家の焼け跡に戻った。そして近くの焼け残った家に立ち寄って預かってくれていた父が最後に持ち出したきょうびつ(木で出来た行李箱)をリヤカーに乗せた。それから大阪を縦断して大阪の北方の叔父の家まで行くことになった。

父は最後に家の焼け跡に立ち寄り、しばらく茫然と見つめていた。父の目は潤んでいた、母も姉も咽び泣いていた。そして最後に父は隣のおばあちゃんに線香をたてていた。

 その時省吾はカンヤちゃんのことが気がかりになって何度が背伸びをして覗いていた。それに気付いた父が、

「省吾と同じ年ぐらいの女の子の居たあの印刷屋さんやけどな~」

 と、ちょっと口ごもった後で、

「あそこの社長さんもあの地区の防空班長さんやから班長会でよう顔を合わせて親しかったんや、空襲の時も一緒に居たんやけど…」

 しかしこの空襲は今まで役所の指導で消火訓練していたものとはまるで違っていて最初から火の海だつたという。結局手の施しようがなくせめて自分の家でも守ろうということでそれぞれ家に戻ることになったという。

「お父さんが家に向かっているとあの社長さんの大声が聞こえて来たんや・・・それでお父さんが急いで駆けつけてみると、なんと燃えているものを素手で気ちがいのように取り払いながら、

『この下の防空壕に子供たちが・・・』

 と、絶叫してはったんや…」

 結局、焼けた建物が地下の防空壕の上に覆いかぶさってとても逃げ出すことも出来ず外から助け出すことも出来なかったらしい。

「つまり・・・」

「えっ!」

 省吾は絶句した。

『ほんならカンヤちゃんも…』

「そんな無茶なことがあるわけないやん。昨日まであれほど元気でほがらかに話をしていたんや、そんな惨いことがほんとにあるん?」

 省吾は受け入れられなかった。夢中で現実を否定したが現実は無情であった。

「なんで!何でや!なんでカンヤちゃんがそうなるねん」

 省吾は自分の身の一部がえぐり取られたような気持ちになった。こんな辛い思いが世の中にあるなんて・・・こんなむごいことが自分の人生にあるなんて…

 省吾の頭は錯乱状態だった。

 そうだ!集団疎開で運命の話に夢中になったことがある…

 生き物の全ては定められた運命のままに生きなければならない。その定めには逆らえないんだと…。そしたらこれも定められていた運命か…

 その運命を定めているのは神でなく運の悪魔だとみんなで話し合った。

 神というのは昔の偉人を担ぎ出して、悪い運命の苦しみから救ってほしいと人が勝手に祀りあげて気慰めに拝んでいるだけのもので全く悪い運命を良くする力はないということになったのだ。

『これも運の悪魔、運魔の仕業なのか!』

 しかしそれにしても運魔はどうしてこうも善良なものにえげつない運命を押し付けてくるんだろう…いや、えてして悪い奴は弱いものをいじめるものだ。つまりそれ自体が運命なのだ。

溢れる涙はとどまらなかった。

これがカンヤちゃんとの別れだった。あっけない別れ立った。

 こうしてカンヤちゃんとの宝のようなほのかな思いも無情に消えはててしまったのである。

 リヤカーを引いて大阪市中を縦断しながら省吾ば何度か目を伏せた。ぃや目ばかりではない持っていたタオルで鼻も押さえた。とにかく激しい悪臭なのだ。

 焼けただれた死体が道路のあちこちに並べられていた。焼け跡から引き出したもののその先の処置に困って道路に放置したのであろう。しかし何故だ?いや家族だったら、いや身内だったら何とか抱いて帰ってでもねんごろに葬らねばならないのではないだろうか。こうして道路に放り出したままというのはどういう心境なのだろうか。省吾には解せなかった。

 叔父の家では数日過ごした。後で考えるとなぜ二度目に移った父の会社の人の家のあたりの空家でも借りてそこに住まわなかったのだろうか?いやしかし空家があるわけがないじゃあないか。

 結局大阪に仕事のある父だけ叔父の家にとどまって家族は岡山の西大寺に近い農家の母の実家、つまり省吾の母方の祖父母のところに移ることになった。姉が工業学校に行って転校の手続きも済ませてくれた。父は集団疎開に行ったままだった小学校三年生の十一才の弟良雄を連れて帰って来た。

 そして母と姉、弟の四人は岡山の西大寺に向かった。

大阪からの汽車は下りになるので比較的空いていた。汽車が大阪を離れるにつれてカンヤちゃんとの思い出が甦りいっそう寂しさがつのった。

 カンヤちんは愛くるしい笑顔を見せて手を振って今にも現れてくるように思えた。そして頬に当てた省吾の手に『また明日ね』と言ってくれるような気がした。しかしそのカンヤちゃんも、大阪も、遠く離れていっててしまった。

  月の砂漠を はるばると

  旅のらくだが 行きました

  金と銀との くら置いて

  二つならんで 行きました

 知らず知らず省吾は口ずさんでいた。

 考えてみると省吾は集団疎開の和歌山県の菖蒲谷飛び地からせっかく帰れた大阪の家は数日寝泊まりしただけで空襲で焼かれ、姉の友達の家、父の会社の人の家、そして叔父の家と半月ほどの間に寝所は点々としたのだった。

 これが運命と言うものなんだろうか~と思いながら車窓からぼんやり外を眺めているとまたしても甦るのはカンヤちゃんだった。

 カンヤちゃんが歌って聞かせてくれた歌は多かった。

『月の砂漠』『七つの子』などは特に省吾は好きだった。戦争が始まる前に『青い目の人形』や『赤い靴』を歌っていたカンヤちゃんがありありと思い出された。

  青い目をしたお人形は

  アメリカ生まれのセルロイド・・・

 省吾はいつぞやカンヤちゃんが歌う間ハミングするようになっていた。

 カンヤちゃんはそれが伴奏のようだと言って喜んでくれていた。

「ハミングは合奏すると素晴らしいよ、集団疎開から大阪へ帰る少し前に来た小池先生に教えてもろうてん~合奏班も作ってくれはったし」

「私もその合奏班に入れてほしかったわ~そしてみんなとハミングしたかった・・・」

                                  

10、

 省吾たちが着いた西大寺の町は見るからに田舎町と言う感じだった。しかしそこにある西大寺の祭りは日本の三大奇祭の裸祭りの一つで喧嘩祭りとも言い毎年二月の真冬にふんどし一つの裸男たちが傍らの吉井川に飛び込んで身を清めた後二本の宝木(しんぎ)を巡って激しい争奪をくり広げるので有名らしい。

 省吾の祖父の家はそのお寺からおよそ二里(八キロメートル)ほど吉井川をさかのぼった農村にある。

 省吾は岡山市内の工業学校に編入したが、毎日母が夜なべして編む藁草履を履いてそこから通うのは大変だった。予備の藁草履を一足鞄にぶら下げて通うのだが子供の足で西大寺までは二時間は優にかかった。そこから岡山市の後楽園までマッチ箱のような軽便鉄道に乗りさらに後楽園から岡山市内を流れる旭川に沿ってしばらく歩いて通った。

 その学校は工業学校としての設備が何もなかった。すべての商業学校が工業学校に変えられていたからである。

 母と姉は母の子供の頃の友人から田を借りて稲作を始めていた。しかしそこは吉井川の本流と堤防にはさまれた河川敷きの田でちょっと雨が降って川が増水する度に水につかるという厄介な田だった。しかし春先には省吾も姉も慣れない手つきで手伝って一応田植えも終えた。


 大東亜戦争の戦況も日増しに悪化していた。

 敵機来襲と言っても立ち向かう日本の戦闘機はまったく見かけなくなった。それに対してアメリカの艦載機グラマンはどこかの帰りにちょっと覗きに来たという感じで昼間も我が物顔で飛び交い無造作に地上に機銃掃射を浴びせていた。それが何故か少年をターゲットにしているとに思われることも多かった。

 軽便鉄道が急にがたんと止まると空襲警報の合図なのだ。乗客は急いで列車の下に潜りこまなくては間髪入れず車窓を目がけた弾が飛んでくる。しかし列車の下もすぐに満員になる。幅の狭い汽車だから縦長に四人並べば腕半分がはみ出していることもしばしばだった。それを狙ってグラマンはまるでゲームでもしているかのように…いや実際ゲームのつもりだだったかも知れないが、すっかり潜り込めていない子供を姿を見かければ否応なしに射撃をしてくるのだ。

 省吾が潜り込んだ時に予備の藁草履を落したことに気付いてそれをとろうと手を伸ばすと、旋回してきたグラマーは省吾の左腕の傍らの砂地に機銃掃射の弾をブスブスブスと撃ち込んだ。

 運よく銃弾の被害はなかったがこのようなことは茶飯事だった。子供達は敵機が去ると穴の開いている砂地を掘ってまだ熱のある銃弾を掘り出し学校で見せ合ってその話に興じた。


 敵の戦闘機がこんなことをした後には必ず近くの都市を空襲をするという噂があった。

 たしかに直後、つまり六月一九日深夜岡山は大空襲を受けたのだ。省吾は自分が大阪で直接被災した時と違って今度ははるかかなたの西大寺のはずれからこの空襲を見た。深夜に誰かが岡山市の方面が真っ赤になっているというので起きてみたのだ。警報のサイレンで起きたのではない?

 岡山市中に警報のサイレンが鳴ると当然周辺の町も一斉に鳴りだすが、なぜかこの時は何処も警報は鳴らなかったのである。つまりまったく不意の空襲で被災した岡山市の人は大変だったろう。サイレンをならす係りの者が寝込んでしまっていたのだろうか?

 数日後少し落ち着いたというので省吾は学校へ行ってみたが、どう言うわけか省吾の工業学校は焼けていなかった。


 学校の生活も集団疎開の東野教官の頃とあまり変わらなかった。

 道で先生とすれ違う時は直立不動の姿勢で敬礼させられた。上級生にも歩調をとって敬礼しなければならなかった。上級生と言っても三年生から上は勤労動員で学校には居なかったから一年上の二年なのだが一年生は敬礼が悪いと言っては二年生になぐられていた。

 

 しかし省吾は神戸で戦災を受けて転校してきたという真鍋健人と友達になった。真鍋健人も省吾とよく似た境遇でまともに小学校の授業をしていないということでやはり普通教科は苦労していた。ただ省吾は数学は良く出来たので真鍋健人に宿題を丸写しさせたりしていたが始めて学習する専門教科は二人とも際立って優れていた。

 学校では毎日朝礼後空軍飛行場の近くまで往復走らされた。しんがりからの十人は午前中校庭を走らされていた。

 二人は走りながらでも何かと話をするほど仲がよくなった。ある日走りながら目に付いていた道脇の草原のあちこちにテントをかぶせてあるものに興味を持って一度覗いて見ようということになった。『絶対近付な!』というおおきな掲示板があったが…二人はこそっと立ちションのふりをして近づき被せてあったシートの中に潜ってみた。と、何とそれは木でこしらえた大きな模型飛行機だったのだ。上空からはいかにもたくさんの飛行機があるように見せかるためのものなのか、そこに無駄な攻撃をさせるためのものなのか?

「えらいもの見てしもぅたな~知られたら銃殺やで~」

 二人は一生懸命走って列に戻り『二人の秘密』にすることにした。


 真鍋健人が疎開していた家は倉敷だった。だから学校からの帰りは岡山駅まではいろいろ話しが出来て楽しかった。

 二人の時は岡山弁でなくて関西弁だった。

 健人の父親は港湾警察の刑事で大がかりな密輸組織を追っていたとき撃たれて殉死したが、その時逮捕した組織の幹部の供述で芋づる式に一団を捉えることができたので三階級特進してその恩給を受けているのだという。

 健人とはいろいろな話をしたが二人には同じように淡い恋人がいたことがいっそう二人の気持ちを引きつけた。真鍋健人は心を惹かれていた女の子と神戸で泣く泣く別れて来たのだという。  

 健人が心を惹かれていた子は中国人で姓は(ルゥオ)、名は可心(カッシーン)だそうだ。

「お前、支那語しゃべれるん?」

「しゃべれるわけないやん」

「しかし今、ルゥオ・カッシーンなんて言うてるやん」

「名前だけやん」

「そのカッシーンちゃん、どうなったん」

「強制的に送還ちゅうて国に帰らされたんや」

 日本人になりたい、健人といつも会いたい・・・と、言って泣く泣く船に乗っていったんだという。


 一方学校の授業は次第に少なくなって軍事教練が多くなった。敵が日本国土に上陸するのは時間の問題だという。

「敵が上陸したらお前らが最初に受けて立ち一番手柄を必ず立てろ」

 と、錆びた日本刀を振り回していた教官が熱に浮かされていつも怒鳴っていた。

 錆塊になっていた日本刀の峰でぶたれた子の頭には大きなこぶが出来ていた。


 八月二十三日の学校帰りのことだった。省吾が西大寺から一人で川沿いを歩いていると後ろから軽快な車の音が聞こえてきたのだ。

 たまに、それこそたまに見かける自動車は全体が木枠のトラックで、荷台には煙突の付いた竈を乗せそれで沸かした蒸気でエンジンを回転させているというが、その音は何とも耳を塞ぎたくなるような聞き苦しい駄音だったのだ。しかし今耳にしたのは間違ってもそんなのじゃない。省吾は不審げに立ち止まって振り返ってみると、何と荷台の無いトラックの頭だけが走ってくるように見えた。しかし『えっ!』と思う間もなくその車は省吾の傍らを颯爽と追い抜いて行ってしまった。見たこともない変な様相の人間が四、五人乗っていたがしっかり見定める暇もなかった。

 何とトラックの頭と思ったのは後で聞いて知ったアメリカの兵隊の乗るジープだったのだ。

帰ると日本は今日無条件降伏をしたのだと大人たちは寄りあって大騒ぎをしていた。

『じゃああれはアメリカ兵?』省吾は身震いした。あのジープのアメリカの兵隊が、ほかに人っ子一人いない田舎道をたった一人で歩いていた省吾に何もせず走り去ったことが不思議だった。

 それに無条件降伏したというその日に、もうアメリカのジープがこんな片田舎の道を走っていたなんて、その電光石火も不思議だった。帰って地図でこの先をしらべてみたがこれぞと言ってめぼしそうな地点もなかった。

『道にでも迷っていたんだろうか?それとも日本軍がこの奥の方に何か隠してでもいたんだろうか?』

「男はみんな殺されて、女はアメリカ軍の娼婦にされるんじゃ」

物識りで村の皆も一目を置いているという郵便局勤めの男が耳にしたばかりの情報だといって捲し立てていた。

『馬鹿な、こんなばかげた大人が多いから日本は負けるんじゃないか』と、省吾は呆れた。


 その年の九月、台風一六号つまり枕崎台風が突如来襲したのだ。激しい雨風であっという間に川は増水し土手の上にあふれはじめていた。

 省吾たちが身を寄せている母方の祖父の農家は前方が川で後方と左右が小山に囲まれた小さな村落であった。

 川の向こう側の土手はバス道であって頑丈だが、こちらの土手はこの村のものだけが使う、か細い農道だった。

 当然川に溢れる水は弱い土手を崩すだろうと長老の指図で小山に寝具を抱えてみんな避難した。

 長老の言うとおり溢れる川の水はあっという間に手前の土手を崩壊し小さな村落をすっかり水浸してしまった。しかも崩壊した土手からは止めなく水が流れ込んでくる。村落の若い衆が何度か土嚢を積みに行ったが焼け石に水でたちまち流されていた。

 まさに手が付けられない状態だった。しかも追い打ちをかけるように小山で夜眠っている人々にムカデが襲って耳の穴などに入り込んでくるのだ。

 たまりかねて男衆は密議を凝らした。省吾は傍らでうとうとしていたが男衆の声がいやでも耳に入ってくる。

「向こう土手が崩壊すりゃ~向こうはぽっけぇ(すごく)広いけんな~川の水はぜ~んぶ向こうへ流れよるが・・・」

「そうじゃそうじゃ、向こうは広いけん、土手が崩壊してもここみちょうに溜まることもねぇけんの~」

「このままじゃあ川の水が涸れるまでこっちへ流れ込んで来るんぞな」

「いつまでもけぇれんぞな(帰れないぞ)」

「ほんじゃやるか」

「よしすぐ行くけんな」

 と、なってその夜、男衆が今にも流れ落ちそうな橋を渡って向こう土手に行き、

「作った溝に水が流れだしたらすぐ崩れるけえの~すぐ逃げれるように橋に近けえ方で溝掘りしんさいよ(しなさいよ)」

 長老の低い掛け声で一斉に溝掘りを始めた。と、すぐに水が伝わり始めた。

「きょうていぞな(怖いぞ)、すぐ逃げんさい…」

と、長老が言う間もなく作ったばかりの溝の両脇は抉られて行ってあっと言う間にどっと水が流れ始めた。

 ほうほうのていでみんな走って小山について振り返ってみると既に向こうの土手が十数メートルに亘って崩壊し、怒涛のように水があふれ出しているのが月明かりでもよく見えた。

「ぽっけぇ(すごい) ~」

 皆、驚嘆した。

 翌朝、明るくなって見渡してみると、広い土手向こうは一面海のようになっていた。。

 勿論これはこの村だけの秘密であった。


 あらしの後の静けさで、大空襲、台風、風水害のその後は平穏な天候が続きやがて水害の水も引いた。母と姉は倒れた稲穂を建て直したりしてこまめに田の手入れをしていた。

 やがて稲穂はほどほどに実をつけていった。そして通常の半分にも満たないが一応収穫もあって形ばかりの供出もできた。

 しかし日常の母と姉は近くに住む叔母やその娘たちに露骨にいびられて毎日のように泣かされていた。 夏休みに数日滞在した時の楽しい思い出のあった田舎の風情など微塵も残ってはいなかった。夏休みの時の優しい叔母たちが鬼女のようになったのは自分たちがやがて貰い受ける家を奪われると思ったからのようだった。特に若い小姑は鬼千匹であった。


 母の兄だったという倉敷の水島に住む叔父が、時々大きな荷台の付いたすごく頑丈な自転車に乗っていろいろな食べ物を運んで来てくれた。

 叔父はかなりの大きさの食堂を営んでおり、戦中飛行機を生産していた工場が戦後は小さな車の生産を始めていたのでその工場の独身寮の工員の食事を賄っているのだという。

 叔父は十一人もいる兄妹の一番上で親子のように年の離れた一番下の母をわが子のようにかわいがってくれていたのだという。

 戦後と言っても食べ物は規制されていておいそれと手に入らなかったが、叔父のおかげで省吾たち親子は食べ物には不自由しなかった。。

 叔父の乗る自転車は戦中竹で作った自転車と違って軍需品だった太い鉄鋼のパイプなどを使った見るからに頑丈なものだった。

 その叔父が倉敷の水島から西大寺の奥まで延々四十キロほどある道のりを土産をいっぱい積んで走って来てくれるのだ。

 そしてある日のことだがたまたま母と姉がいじめられている所を目撃したのである。

 叔父はすぐ、

「倉敷の水島は戦時中飛行機の生産工場じゃったけん、ぽっけい数の社宅があっての~、今ではそれを戦災者に開放しとるけん、帰ったらすぐ空家を見つけるけえすぐ引っ越ししてきんさい(来なさい)」

 と、言ってくれた。

 数日後叔父は社宅の空家が見つかったことを知らせに来てくれた。ありがたいことだった。省吾たちは早速水島に移ることになった。

引っ越しには岡山の六校(第六高等学校=現、岡山大学)の自動車部の学生を叔父が手配してくれた。警察の取り締まりに注意してコメは俵のまま、がたがたのトラックの荷台に敷きつめて板を張り布団など僅かばかりの家財と家族が上に乗って水島に向かった。途中二度三度と検問にかかったが、車は六高の自動車部のものだし母は大阪の罹災証明書を見せていろいろ説明もしたので摘発もされず水島の新しい住まいにたどり着いた。


 水島の新生活が始まった。

 母や姉にとってはうって変わって夢のような平穏な生活になったし、父も気兼ねする人も居なくなったので頻繁に帰ってくるようになった。父は帰るたびに衣服や靴や学用品を買って来てくれた。父は大阪で米軍関係の建築の仕事をしているのでチュウインガムやチョコレートやいろいろな缶詰を持って帰ってくれた。ソーセージは特においしかった。それに子の居ない叔父が度々菓子を作って持ってきてくれたりした。

 省吾の場合はさらに真鍋健人と倉敷まで一緒に帰れることが嬉しかった。しかも今までは岡山駅で分かれてから後楽園まで歩き、そこから延々四時間ほどかけて西大寺の農家までただ一人で帰らなければならなかったのだ。今では健人と倉敷まで一緒に帰れるし倉敷からは水島の工場の専用鉄道に三〇分ほど乗れば家に帰ることが出来るようになったのだ。

 この専用鉄道(専鉄)のレール幅は本線と同じだが機関車も客車も長さが本線の五分の一ほどの短いもので実に不格好だっが、西大寺の奥の農村に帰ることを思えば省吾にはまるで天国の列車のようだった。

 ただ帰りの汽車は二時半と夕刻六時半と夜の十時半の三本だけなので万一乗り遅れると大変だった。歩くとすると延々二時間以上はかかる道のりなのだ。それと本線とは連絡が悪くかなりの時間差があったがたいてい健人が付き合ってくれたし図書館にも行けたので苦にはならなかった。

 水島の省吾の家は専鉄に沿って延々四キロメートルほど連なっているもと社宅の一番南のはずれにあってその先は独身寮が立ち並んでいた。

 何百も有る社宅は形も大きさもみんな同じで優劣が無いことだけでも心が休まる住まいだった。

 何棟かの独身寮も今は工場が一棟を使っているだけで他は岡山市で罹災した警察学校や女子師範学校の教室や寮になっていた。


 省吾はこの汽車で通うのに幸を感じていた。

 それは大阪の戦災で亡くなったカンヤちゃんの姿だった。省吾と同学年か一学年下ぐらいの女の子が実にカンヤちゃんによく似ていたのだ。

 やはり岡山市内の学校に通っていて学校から帰りに乗る専鉄は限られているのでいつも同じになる。だから毎日のように今日こそ声を掛けようと思うのだがどうしても勇気が出なかった。手紙も書いてみたがとても手渡せずいつもポケットでよれよれになるまで持っていた。ただ省吾はいつも専鉄の倉敷のホームで待ってその子の乗る客車にわざわざ乗るようにしていた。

 女の子は弟の通う小学校に近い福田駅で降りる。福田駅は水島駅の一つ手前の社宅街の中央付近でこの間は歩いてもたかが知れている。省吾はそっと福田で降りて後ろに付いて家や苗字を確かめてみようかと思ったこともあるが、それは後ろめたくてとても出来なかった。


 朝は省吾は母や姉にぎりぎりに追い出されてたいてい駅まで走って一番手近いデッキにとび乗るのだが、福田駅ではデッキから首を覗かせていつも女の子を探していた。しかしなぜか一度も姿を見かけたことが無かった。もっとも水島駅と違って福田駅は社宅街の中央にあるので乗る人も多く僅かな停車時間では無理なのかもしれない。ただ倉敷駅では降りてくる女の子を見つけてそっと後に付いて本線には同じ客車に乗るようにしていた。

 これは今でいうストーカーだが言葉を掛けるチャンスの無い男の大半が一度や二度はやってることなのだ。

 どうせ岡山駅で降りても学校の方向が違うので駅前からは離れてしまうのだが・・・、

 帰りの岡山から倉敷までは山陽本線でも伯備線でもいいので6時半の専鉄に乗るには何本かの列車があるし、また列車も長いし人も多いからその間一緒になることはまれである。しかし6時半の専鉄では必ず一緒になる。

 省吾が一番心を躍らせる時だ。


 ある日の帰り健人と話し込んでしまっていたのでやや遅れて専鉄のホームに入ったが、その日はなぜかその子の姿はなかった。省吾は改札口を気にしながらしばらくホームに立って待っていたがホームの時計が六時二十分になっても女の子は現れなかった。省吾は本線の倉敷駅に向かって走って戻った。何となく女の子が乗り遅れるのをおもんばかったのである。

 駅に着くとちょうど下りが着いたところで改札口からその女の子は小走りに出て来た。

 駅の時計は既に六時半直前を指している。普通に歩けば優に二・三分はかかる道のりなのだ。

 省吾は咄嗟に女の子の手を取って引っ張るようにして走った。女の子も黙って省吾に手を引かれたまま走っていた。

しかし専用鉄道のホームに辿り着いた時には既に列車はホームの先端を抜け出るところだった。

 二人は『はぁ、はぁ』と大息を吐きながらしばらく呆然と列車を見送っていたが息が静まると省吾は『はっ』として手を離した、

「ごめんね」

 しかしなぜ『ごめんね』なのか自分でも分からなかった。自然に出た言葉なのだ。

「うぅん・・・私が遅いから~」

「そぎゃんことねぇが、僕が精いっぱい走っとったのに同じように走っとったが…」

「次は十時半なのね?」

「どげんすりゃ? この時間の四時間も~ 図書館も7時で終わるけん・・・それとも歩く?」

「夜道なのね」

「この頃は月明かりがあるけん」

「それじゃあ歩きましょう」

 となって二人はすぐ線路沿いの道に入った。しかし延々と続く道の先を見て二人はまず同時に大きなため息をついた。そして顔を見合わせて笑った。もう何年も知り尽くした間のようだった。

「九時までには帰りつくけん」

「汽車だったら十時半ですものね」

「汽車も三十分かかるけん十一時じゃが…」

「あらそうよね、どのくらいの距離なの?」

「十キロ(メートル)ぐらいと言うことじゃが、汽車もせいぜい時速二〇キロメートルじゃけん三〇分もかかりよるんじゃ」

「歩くとどのくらいかかるの?」

「ちぃと(ちょっと)速足にして歩けば・・・つまり分速八十メートルなら、一万わる八十じゃけん…」

 と、手のひらに人差し指で計算して、

「百二十五分、じゃけん二時間ちぃと(二時間と少し)」

「頭、いいのね」

「そぎやんことねぇぞな、天くらじゃけん(アホだから)」

「私!市川百合、ユリって呼んで」

「わしは・・・いや僕は早川省吾」

 省吾は百合の胸の記章を見て、

「わっ!一女(県立第一女学校)じゃが!優秀なんじゃな」

 一女も二女も県立は同じ制服なので記章を見るまでどの学校か分からなかった。

「どういたしまして、東京から転校する時に市の教育課で向こうの学校に合わせてこの学校にされただけよ。東京では大した学校でもなかったのに~」

 百合は東京出身なんだ!だから言葉も歯切れがいいんだ。省吾もようやく使えるようになった岡山弁は封じてこれからは百合には出来るだけ標準語で話すことにした。これで家族と健人には大阪弁、学校では岡山弁、百合とは標準語と言うことになる。ドイツ語と英語とフランス語と言うならかっこいいんだが、

「僕はレベルが低かったから編入学試験も受けさせられて・・・でもそれもほぼ〇点。行ける学校はないと言われたけど大阪の空襲の罹災者ということでなんとか市立第二工業学校に入れてもらえたってわけ、つまり落ちこぼれ」

「大阪では勉強しなかったの?」

 省吾は東野教師になった五年生からのあらましを話して聞かせると百合もカンヤちゃんと同じように憤っくれた。

「でも徐々に勉強は取り戻しているけど今更どうなるかって感じ・・・」

「そんなことないわよ・・・これからの勉強に役に立つじゃない」

「ユリちゃんは学童疎開に行かなかったの?」

「行ったわよ・・・栃木県の塩原温泉」

「えっ!温泉だって~いいな~全然違うな~僕らと」

「温泉の御湯にも入れてもらったし食事もおいしかったわ、そこの人たちもみんな親切でよくしていただいたし」

「運の問題だな~僕らはタコ部屋」

「な~に、そのタコ部屋?」

「閉じ込めよって労働だけさせよる地獄部屋のことや」

 つい興奮して関西弁が出ていた。

「まさか・・・ほんとう?小学生の疎開児に労働させるの?」

「嘘みたいな本当の話」

 などなどいろいろ話しているうちに水島の社宅団地の北端に差し掛かりやがて福田の駅前まで来た。

「福田だけど、どの辺?お家?」

「福田でないも~ん」

「えぇっ、でもいつも福田で降りてるんじゃぁない?」

「お母さんとこ寄って一緒に帰るの…」

「な~んだ、で、どこまで帰るの?」

「省吾さんとこからすぐのとこ」

「なんだって!」

「駅に行く時いつも省吾さんのお家の前を通るのよ」 

 省吾はただ唖然とした。自分が知らなかっただけでこの子はすっかり自分のことを知っているのだ。だから気を許して手を引かれて走ったりしていたのか・・・、

「お母さん?福田のどこかで働いてるの?」

「水島病院」

「で・・・何の…」

 仕事か?と言いかけたが、それは仕事によっては聞いて悪い場合もあるので口を閉ざした。

 しかし百合はそれを察してか、

「内科医よ」

「わっ!すごい!女医さんなんだ~じゃあお父さんも?」

「お父さんは東京に一人残って大学で働いてるの」

 もう聞かなくても分かる、どこかの大学病院の先生だろう。

 百合は東京で被災して岡山の郡部の母の実家に疎開したが、その母の実家も古くからの開業医だそうだ。お母さんはそこでしばらく手伝っていたが、戦後水島の病院から要請されて水島へ移ったのだと言う。

 省吾の方はいつもぎりぎりに列車に走り込んでいるから百合が家の前を通るなんてまるで気付かなかったことなのだ。

 二人は社宅街と線路の間にある道を歩いて省吾の家の近くまで来たが百合はまだ省吾と並んで歩いている。

 社宅は一棟に二軒が背中合わせにあってそれぞれの入り口の前とそれに南と北の両横にも細い道が通っている。

 省吾の家の北側の道から三本目の手前の道の角で、百合が、

「ここ、曲がるからね」

 と言う。

 もちろん省吾の家にはそこを曲がっても次やその次の通りを曲っても行けるのだ。だから省吾も百合に付いて歩いて省吾の家の前の道の角まで行った。

 百合はそこで立ち止まって、

「このお家の裏の家」

「な~んだ!こんな近くじゃない」

 省吾は感激した。

 夜の九時前、月明かりがあるとはいうものの周りの家の灯は点々としていた。


  11、

 戦争が終わってまたたく間に一年が過ぎた。省吾も二年生になっていた。あれほど殺伐としていた世の中も次第に落ちついてどこかしこに平和な風情が見られるようになった。

 通勤する男性も詰襟の国民服にゲートル姿はすっかり無くなりブレザーにネクタイ姿と変わっていた。

『平和っていいもんだな~』と、子ども心に省吾も思った。

 しかし戰爭の悔恨はまだ残っていた。

倉敷から岡山に向かう上りの汽車は復員軍人や買い出しの人でいつも溢れおり省吾も、もたもたしているとまたしてもデッキにも乗れず手すりにぶら下がっていくようなこともしばしばだった。そればかりか時には列車の屋根に乗って行ったこともあったし機関車の先端に腰かけて行くようなこともあった。

 機関車の先端は背中の黒いタンクが手で触れても焼けつくような熱さなので背中をくっつけることも出来ないから、両脇にある機関車を誘導する時に使う鉄道員用の手すりに必死にしがみついて行くのである。ただ男尊女卑の終戦までの意識は進駐軍の影響ですっかり失せ女性を大事にする風習が急速に芽生えていた。だから列車でもデッキの男性は後から来た女性に場所を譲って自分はデッキにぶら下がったり連結器の間の何がしかにしがみついて乗っていた。

 可愛い百合は格別に優遇を受けていた。

 列車が岡山駅につくと百合は省吾に駆け寄ってきて、

「大丈夫だった?」

 と、ほんとぅに心配だったようにいつも声をかけてきてくれた。省吾はそれから駅前に出るまで百合と肩を並べるようにして歩いた。

「今日は普通に帰れるの?」

「うん!一緒に帰れるよ…」

あの日以来、朝も省吾はぎりぎりに追い立てられて駅に行くようなことも無くなった。たいてい百合が家の前を通る時間に合わせて家を出るようになった。

「どうしたの急に・・・朝も起こさなくても起きてくるし、さっさと支度して早めに出るようになったし」

 母と姉は顔を見合わせていた。


 省吾は数学が抜群に出来たせいか組の皆から選ばれて委員にされてしまっていた。委員になるとしょっちゅう委員会があってその都度遅くなる。まだこういった民主的なことには学校にしろ先生にしろみんなが慣れていないのでこれといった規範もなく、委員会もその時ばったりの成り行きの進行が多かった。

 省吾が困るのは終わりの時間の決まりの無いことだった。今まで押さえつけられてきた言論が自由になったことであえて調子に乗る輩が続出し、子供の委員会でも大したこともない討議が無用に長引いた。

終わりが中途半端な時間になることが多く、6時半の専鉄に間に合わなくて最終の十時半になることもあった。

 省吾は本が好きでよく図書館にも立ち寄ったが図書館も七時までなので遅いときは利用する時間はほんのわずかであった。ただ健人が気さくに『そういう時は俺のうちに来いよ』と言ってくれていたが、健人の親子も神戸で罹災してやはり父だけが留まり母子だけで倉敷の母の実家に身を寄せているのである。みんないい人であることは分かっているがやはりのべつお邪魔するわけにもいかないのだ。

 専鉄のホームには薄暗いが一応外灯がある。省吾はその下の地べたに座って宿題をしたり本を読むこともあった。

 最終の十時半はさすが酔客も多く環境はあまりいいとは言えない。ふしだらなことが目に付くこともあって出来れば乗りたくないのだが・・・こればかりはなんともしょうがない。

 ある日この最終列車が福田駅を発車する直前に突然乱入してきた朝鮮人の酔っぱらった、どでかく頑強そうな数人の若者が、車内で本を読んでいた小柄な日本人の青年紳士にいきなり殴りかかった。別に事前にいさかいがあったわけではない。朝鮮人の若者には単に悪ふざけに過ぎないのだ。青年紳士をおそらく手ごろな弱者とみたのだろう。

 この朝鮮人たちは戦中の労働者で主に朝鮮の北方の出身であり水島のずっと外れの玉島の部落に定住しているので山陽本線の方であり、通常この専鉄に乗るようなことは無いはずなのだが・・・、

 日本の戦勝国でもないのに近頃の朝鮮人の若者の一部はまるで勝ち誇ったように横暴をきわめていた。

暴行は・・・、

「堪忍してください」「堪忍してください」

 と、か細く何度も繰り返して訴える青年に容赦なく続いた。

 青年の顔はまたたく間に腫れ上がって血だるまになったがそれでも逃げるでもなく姿勢を崩すこともなくきちんと座ったままだった。日本の若者は戦中に鍛えた精神鍛錬でこうした強い姿勢が保てるのだろう。しかし乗客の皆が手で顔を伏せて俯いており誰一人助けに行くものは居なかった。

 省吾は見るに見かねた。つい我を忘れて朝鮮人の若者の一人に頭から突っ込んだ。省吾は比較的大きい方であったが大きいと言ってもやはり中学二年生である。朝鮮の若者のせいぜい胸のあたりの背丈なのだ。一瞬腰のバンドを掴まれてほおり投げられていた。

 省吾がぶち当たったところは運が良かったというか列車の硬いところでなく肉つきのいい中年の女性の膝の上であった。省吾にとってはクッションの上に軟着陸したも同じであった。もちろん怪我もしなかったが女性はかなり痛かったと見えて顔をしかめていた。

 間もなく汽車は水島についた。

 奇声をあげ、あちらこちらを蹴飛ばしながら朝鮮人はどやどやと降りて行った。

 省吾の勇敢な仕草を見ていた周りの大人も今になって気が引けたのだろうか、そそくさと立ち上がって青年の顔の血を拭いたり蹴飛ばされてしみついた靴跡をはたいたりしていたがやがてぐったりしている青年を皆で抱えて降りて行った。

 太めの中年婦人は、

「大丈夫?」

 と、傍らにいた省吾をねぎらって、

「でも勇敢ね!」

と言った。まだ列車に残っていた老人や婦人がそれを聞いて一斉にぱちぱちと手をたたいた。省吾はなんともバツが悪るかった。相手の一人でも倒せていたならいざ知らず、ただ投げ飛ばされただけでとてもかっこいいなんていえないのだ。

 顔を伏せたまま省吾はそそくさと列車から降りた。そして『もう二度と最終には乗らないぞ』と呟いた。

やはり最終で家につくのは十一時を回っている。しかし母も姉も起きて待っていてくれた。姉が、

「遅くまで大変やったね~お腹も減ったでしょう、明日からお弁当のほかにおにぎりも持って行く?」

「それは嬉しいけど明日も遅くなると限らないから」

 母が傍らから、

「来年三年生になったら省ちゃん委員長でしょ、そしたら曜日と時間決めたらえぇ」

「そんなこと分からへんね、今は何でもかんでも選挙と投票やから」

「ふぅ~ん、先生が一番できる子を委員長にするんとちゃうん?」

 姉が、

「おかぁちゃん、今はもう民主主義なんよ」

「そんなこと言うてもおかぁちゃんは長いこと軍国主義の世界で生きてきたんやからね、いっぺんに考え方変えられへんよ」

「近所に市川さんてうちあるでしょう、あそこの子とこの前歩いて帰った時友達になってんけど、あの子一女やねん」

「やっぱりよう出来はるんやね~お母さん水島病院の先生してはるぐらいやから」

 早川家の通常語は大阪弁だ。

「一女では進駐軍指導の民主化教育ってのがあるんやて~」

「民主化教育、へぇ~私もそれ受けたいわ・・・民主って言うのが、も一つよう分からへんから」

「とにかく何でもかんでも話しおうて最後は投票で決めることよ」


 省吾と百合の学校は岡山駅から右の方向と直進方向にと、まったく違った先にある。だから二人は駅前で別々になるのだが百合はそこでたいてい仲のいいクラスメートの大原沙知絵と待ち合わせていた。

 沙知絵は伯備線の清音(きよね)から乗ってくるのだが百合より到着が五分ほど後になる。だから省吾はいつもその間百合に付き合っている。

「今日も委員会でまた遅くなるの?」

「いやそれが今までバラバラにあった委員会が水曜日の二時限目限りと言うことになってね、これからはいつもと同じように帰れるよ!」

「よかったわ、じゃぁ一緒に帰れるわね‥」

 百合はうれしそうだった。

「それにしてもお友達、今朝は遅いね?」

「ほんと・・・沙知絵、どうしたのかしら?」

 五分どころかもう十分は過ぎている。

 その時、

「見~ちゃった、見~ちゃった」

とスキップして出て来た女の子が、

「ずるいぞ、おみゃはんだけ楽しむのは・・・」

 と、あげた手のひらをひらひらさせて何かの田舎芝居を真似ている。

 大原沙知絵は明るく剽軽な子だと百合から聞いていたがなるほど明るい子だ。

「紹介せんけぇ~」

 と今度はたたらを踏んでいる。

「こちら早川省吾さん」

「わちきは大原沙知絵でやんす」

 どこまでも楽しい人だ。

 いつも気を利かせてちょっと離れて立っていた真鍋健人もその有様を見て戻ってきた。

 沙知絵はそれを見て、

「よおっ!(と手を上げ)あんさんはどちらのお人で?」

 とにかく愉快な子だ。こんな子が一日一杯一緒にいると笑いが止まることがないだろう。健人も目前でやられたのでは面食らう。

「うぅ・・・真鍋健人でごんす」

 と調子を合わせていた。これで四人はすっかり打ち解けあって今日は一緒に帰ろうということにまでなった。


 わいわいがやがや本当に騒々しい帰りになった。三時半の伯備線で倉敷に着くまで今日始めて顔を合わせた間と思えないほど気さくに語りあった。高校生になったら夏休みには伝馬船をかりで瀬戸内海の海水浴場のある島まで行こうということにもなった。伝馬船は省吾の叔父に頼めばわけなく借りてもらえるがずいぶん先の話である。それに大人の一人も居なくてオーケーが出るかどうかは分からない。


 まだ薄日のさす春先の夕刻の倉敷駅前には駅に隣接するアメリカの駐屯所の粋なジャンパー姿のアメリカ兵が三々五々と出てきては通りかかる若い女性に『オー、ヘイ・ヘイ』と声を掛けていた。しかし日本の与太者がちょっかいしているような陰鬱な雰囲気ではなくどことなくユーモラスが感じられるのだ。

 省吾とユリはまだ中学生だが巷ではまだ男女のペァはあまり見かけないからアメリカの兵隊たちは二人の姿を好感したのだろう…『オー、ヘイヘイ、ナイス』と、はやし立てそして一人が駆け寄ってユリにチュウインガムとチョコレートを『プレゼント』と言って握らせた。百合は『サンキューベリマッチ』と答えて受け取ったので後方のアメリカの兵隊たちも一斉に『オー、ベリー』と笑顔で手を振っていた。二人が専鉄の駅の方に歩きはじめても、

「バ~イ、シーユー、ま・た・ね…」

 ど、慣れ親しんだような声が追ってきた。二人も振り返ってそれに手を振った。

 戦中の軍政下の日本の兵隊にはこういう融和さはなかっただろうと省吾はアメリカのお国柄や人間性を微笑ましく思った。日本も早くこんなユニークな国になってほしいとつくづく思った。

「英語・・・喋れるの?」

「とんでも御座いません、あれだけよ」

「でもユリちゃんは英語得意だから」

「学校の英語と会話は別ですもの」


 世相も変わって行った。映画館はどこも西部劇や洋画が上映されてアメリカ人の言葉や生活が身近になってきた。しかしどこから現れて来たのだろうか、かねての日本では考えられもしなかったパンパンと呼ばれる女性が唇を真っ赤に染めてアメリカの兵隊にぶら下がって歩いていた。

 こういうのも自由・民主化と言うのかと省吾は疑問に思った。

 学校の制度も変わることになった。学制改革とやらで三年間の男女共学の新制中学校が出来て私立の学校に行かない限り必ず通わなくてはならないことになるという。

 今までの中学と高等女学校は高等学校、省吾達の工業学校は工業高等学校になってみんな三年間になるらしい。高等学校には新制中学校を終えたものが試験を受けなければ入れないということだ。

「俺らまだ二年生やで~学校が高等学校になってしもたら俺らルンペンやな~」

 健人が不審そうにしている。

「心配せんでもええねん、高校の併設中学校と言うことになって三年を終えたら試験受けんでもその高校に進めるんや」

「ほんなら新制中学へ行かんで俺らの後に入ってきたら試験なしで高校生になれるんか」

「そうはいかんのや。高校の併設中学いうのは今居る俺らだけで終わりになるねん」

「ほんなら今の一年、卒業するまでずっと一番下の下級生でしごかれるだけか」

「もう民主主義になったんや、上の者が下の者に暴力振るったらあかんねん」

「ならええけど、ほんなら六高(第六高等学校)なんか、今の高等学校はどうなるん?」

「大学になるらしいんや、六高は岡山大学や」

「ややこしいな~なんで俺らの時にそうせんならんねん」

「しゃあないやん。戦争に負けたんやから何でもかんでもアメリカと同じにせんならんねや、それだけやないで男子校と女子高の半分づつを一つにして女子と一緒に勉強することになるんやで」

「えっ!どういうことや?」

「簡単に言うたら男子校の半分が女子高校に行って女子校の半分が男子校にいくねん」

「おかしなことするんやな~無理やり男と女をくっつけるんか~俺ら終戦までは女の子に口きいてもあかなんだのにな」

「しやけどその男女共学ちゅうのは三年先の話や」

「ほんなら俺ら来年中三、次の年高校一年でその次の年言うたら高校二年生なんやな…その時いきなり女の子と一緒になるんか、着替えなんかも難儀やな~」

「その設備のため三年先になるんや」

 岡山に来て二人はかなり経つが未だに二人だけの時は関西弁で喋っている。

「ほんなら商業も女子商と半分半分になるんやな~しゃけど、女子工業って無いから俺ら工業学校はそのままかいな…なんか拍子抜けやな~まあどおでもええけど、お前といっしょやったら」

 と言って健人はいきなり、

貴様と俺とは同期の桜

 と歌い始めた。省吾も合わせて、

同じ兵学校の庭に咲く

咲いた花なら散るのは覚悟

みごと散りましょ国のため


 どこの学校も先生が不足していた。敗戦間際には片っ端から男は召集され先生も次ぎ次に出征していった。しかし戦死しなくても敗戦で海外に抑留されたままいまだに帰還できない先生も多いのだ。

 弟の通う福田小学校でも担任教師は横浜工業高専の学生が代用教員だった。

 その先生が家庭訪問で家に来た時、たまたま省吾が書いていたボートを改良した動力船の図を見てしきりに感心し、以来二人はすっかり親しくなって省吾は福田小学校の理科室に立ち寄るようになった。

 この先生のあだ名は『格さん』・・・だが水戸黄門には関係はない。名が藤原格之丞だったからである。鼻眼鏡は黒のロイドで剽軽だが倉敷郊外の旧家の御曹司なのだそうだ。

 工業高専では造船の動力技術を研究しているということだから省吾の動力船に関心を示したのである。

 省吾が西大寺に居たころ通学路の川の土手道を延々と歩いていていつもこの動力船を恨めしく想像していたのである。

 格さんは省吾を連れて水島の広大な廃工場のあちこちに放棄されたまま雨ざらしになっている自動車から壊れた蓄電池の電気鉄板や何か理科に役立つものを探しては理科室に持ち帰っていろいろな物の材料にしていた。そして省吾に手伝わせて発電機やバッテリーを作った。

 また導線を買いに倉敷の電気屋さんに連れて行ってくれた帰りに教材屋さんで実験用の化学薬品を買っていろいろな実験もしてくれた。またカエルを捕まえてきて解剖もさせてくれた。そしてホルマリンに漬けたカエルの内臓でその働きなどを説明してくれた。おかげで省吾は科学や物理や生物がすっかり得意になった。

 格さんは理科室では小さな電気自動車も制作していた。

 省吾は百合に、

「僕らが造っているのは電気自動車なんだよ」

「えっ!電気で走る自動車のこと?そしたら電気コードの届くところまでしか走れないの?」

ユリが怪訝そうに言う。

「コードがなくてもバッテリーの電気で電気が亡くなるまで走れるよ」

「なぁに?バッテリー?」

「蓄電池のこと!電気を貯めておいて~貯めた電気でモーターを動かせて三つの車を回転させるんだよ」

「三っの車?」

「車が三つ、三輪車…つまりオート三輪だよ。その回転する車にまた発電機をつけて電気を起させそれをまたバッテリーに充電するようにしてるんだ」

「省吾さん、そういうものの技術者になるつもり?」

「うぅん・・・俺は医者」


 工業学校の裏は医科大学だった。塀の上から覗くと死体安置室や解剖室の中までがすっかり見わたせた。みんなは気味悪がって近づかなかったが省吾と健人は興味を持ってよく塀に上った。

 ある日たまたま水槽から老人の死体を引き出して解剖台に乗せ解剖し始めるところだった。解剖を見て健人はすぐげぇげぇともどし始めたが省吾は必至て喉やみぞおちに力を入れて我慢した。しかし三日ほどはものが喉を通らなかった。

「どうしたの?どこか具合でも悪いのと違う?病院に行ってみる?」

「うぅん身体は何でもないねん、ちょっと変なもの見てしもて気持ち悪いだけ…」

「何見たんか知らんけど食べるものは食べんとあかん」

その通り・・・こんなことで医者になれるんか!と、自分を叱咤した。


 省吾は医者になることを心に決めている。でも工業学校から医科大学に行くのは至難だと誰もが口をそろえた。『よし、じゃあ工業を退学して新制中学に転校しょう、そして一高に進学し医科大学に入ればええんや』

 省吾は姉に話をして母を説得してもらった。省吾の父の方は『教育はお母さん任せやから』で母は退学届を書いてくれた。

「お前やめるんか・・・俺も医者になりたいからそうするよ」

健人もすっかり同調して二人で退学届を提出した。先生は『もぐもぐ』言っていたが転校の手続きを取ってくれた。

「しかし俺らお別れやな~」

 健人は寂しそうだった。健人は倉敷の新制西中、省吾は新制水島中学なのだ。

「また岡山の一高で一緒になれるやん、いや一高で一緒にならんとあかんのや…」

「そやな~」

「俺、たまには倉敷へ会いに行くよ」

「嬉しいな~泊りがけでもええで…」

「たまにはそうさせてもらうか…」

 二人は手を握り合った。

  貴様と俺とは同期の桜

  同じ兵学校の庭に咲く

  血肉分けたる中ではないが

  なぜか気が合って別れられぬ

 二人はつい声を合わせて歌っていた。


  12、

「省吾さんが水島中へ行くのなら私もそうしたいわ・・・」

「でもせっかく一女に行ってるのに、一女に居て優秀だったら試験なしで一高に行けるんだよ、俺もそこへ行きたいから工業学校やめて新制中学へ行くことにしたのに」

「私、優秀の方に入っているかどうか分からないもの・・・省吾さんと一緒に勉強して同じ高校へ行きたいわ」

「ユリちゃんだったら一高間違いないと思うから俺も頑張って一高に行く決心をしたんだよ…」

「そうなの・・・」

 と、ちょっと考えてから、

「それじゃぁ私も一高へ行けるように頑張ればいいのね」

「うん、俺は絶対頑張って一高に行く」

 ユリは小指を出した。

「ゆびきりげんまん嘘ついたら針千本飲~ます」


 水島中に移ってからの省吾は毎朝家の前で百合を待って水島駅まで一緒に歩いた。そして百合を送るとその足で水島中に向かった。

 当然時間は早い。だから朝礼までの時間はその日の予習がたっぷり出来た。放課後も学校に残って百合が水島に帰ってくる時間まで勉強するのが習慣になった。

 水島駅で百合を迎えると二人はその日の出来事や友達のことや将来のことなど…いろいろ話しあってゆっくり歩いて帰った。二人にとっては一番楽しい時間だった。

 帰ると省吾はすぐ机に向かった。一高に受からなければ百合とも離れてしまうのだ。だから省吾は夢中で勉強した。

 社宅は玄関間が二畳、その奥が四畳半、押し入れなどを挟んで六畳、その北側に茶の間の四畳半、そこから玄関寄りに台所と風呂場と狭いながらなかなか合理的な間取りになっている。

 省吾の家は五人家族だから少々窮屈だが誰も愚痴は零さない。省吾と弟が玄関奥の四畳半に、茶の間の四畳半に姉、六畳間は一応は父母の部屋と言うことになっているが単身赴任の父は普段いないので母と姉が使っている。玄関間の二畳には弟の机だけが置いてある。

 その点、百合の家はゆったりだ。百合の父親も東京で被災した後は一人東京に残っているから百合と母親だけが水島に住んでいるのだ。普段は母親と二人だから広いぐらいである。


 省吾が机に向かっていると母が葉書をひらひらさせながら入ってきた。

「真鍋くんからよ、来月夏休みになったらみんなで高梁川へハイキングに行こうって…ええことよ…あまり根を詰めてたら身体壊すから息抜きに行っといで」

そうだ、近頃、頭がはっきりしない日もある、リフレッシュが必要なんだ…やはり健人だ!いい時に言って来てくれる。本当にありがたい友達だ。

 健人にも会えるしあの愉快な沙知絵とも会える。何より一日いっぱいユリと過ごせると思うと省吾はその日が待ち遠しかった。


「よう・・・がんばっちょるか~」

やはり沙知絵は思った通りだった。その一言で省吾は来てよかったと思った。健人とも硬い握手を交わした。

「今日はありがとう」

「少しも変わらんな…精悍やで・・・この調子なら大丈夫やな」

「お前もやで…」

「ほら、ごちゃごちゃ言うてんで高梁川だぞ~」

 沙知絵はもう百合の手を引いてすたすた歩いている。今日は沙知絵が全てリーダーだ。

 省吾も健人も急いで二人を追った。

すみれの花咲くころ

はじめて君を知りぬ

君を想い日ごと夜ごと

悩みしあの日の頃

すみれの花咲くころ

今も心ふるう

忘れな君われらの恋

すみれの花咲くころ

 前を歩く二人が声を合わせて歌っていた。晴れやかな清い声がさえ渡った。

 沙知絵は宝塚に行くのが夢なのだ。三枚目を目指しているという…

 ひょうきんだし美人だし、なんせひらめきがいい。百合によると運動神経も抜群だそうだ。戦中アメリカに在住していた叔母が間もなく帰国してポピュラーダンスの教室を開くらしい。そこに月に一度通ってレッスンを受けるという。そして高校を出ると受けてみるそうだ。沙知絵なら問題なく受かるだろう。

 四人の弁当は真ん中で開かれた。それぞれの母親が皆が好きそうなものを丹精込めて誂えてくれたものだ。一様に皆目を見張った。

「うわっ!すごい!あれもこれも・・・私さきにこれとこれに唾つけとこかな~」

 沙知絵らしいことを言う。

 一同がどっと笑った。

「いいよ、俺、沙知絵が唾つけたのだけ食べるから」

 一同がまたどっと笑った。

 わいわいがやがや、話し込んだり歌ったり、飲んだり食べたり楽しい一日を終えて本線の倉敷駅で健人と沙知絵に別れて百合と二人は専鉄に向かった。

 こうして行きも帰りも二人で専鉄に乗るのは久しぶりだった。百合も幸せそうだった。

 来年からこうしてまた二人で通えるためにも何としても一高に受からなければならない。あらためて省吾は闘志を湧き上がらせた。


 日の経つのは早いものであっという間に高校入試の日になった。

 一高受験は水島中からは三人、健人の倉敷西中からは七人が受けるそうだ。

 テスト日も倉敷から健人と一緒に行った。

 一応過去問や模擬試験は難なくクリアできていた二人なのでさして心配なことはなかったがやはり当日ともなると不安気は隠せない。

 互いに何とか高揚している気を落ち着かせる話しでもしたかったがどう言うわけか話ネタが出てこないのだ。結局むっつりしたまま岡山駅を出た時・・・

「やぁ!おみゃぁさん方どこ行きなさる…」

「出たっ!」

 と、健人が満面笑顔になって頭を抱える仕草をする。

「人を化けもん扱いしやすんな・・・おら~ぱけもんじゃねぇっちゃ」

 何と今日は東北弁の沙知絵だった。それに百合も一緒にいるではないか?

『おかしいな、専鉄では見かけなかったのに』

 倉敷で驚ろかせて励ますためにそっと出て来たのだという。本当にありがたい友、と言うか恋人達だ。

 二人はすっかり気を落ち着かせて試験場に臨むことが出来た。


 数日後、合格発表の日になった。二人は当日の答え合わせも同じだったし、後に学校でくれたガリ版刷りの回答書とも違わなかったのでまったく不安はなかったが、しかし省吾の母も姉も恐ろしいから受かったということが分かってから見に行くという、健人の母も同じだった。

 発表は運動場の校舎寄りに大きな掲示板を建てて合格者の受験番号と名前が張り出されていた。

 近付くとその前の人垣から見慣れた顔がのぞいた。百合と沙知絵だった。

「わちきはけぇるでよ~(帰るから)」

「えっ!なんで?」

「用無しじゃあけん」

 健人は慌てた。

「落ちとっておいおい男泣きするのを慰められるのはわちきだけじゃけんわざわざ出て来てやったんじゃ~じゃけん受かっとるから用無しじゃもんな・・・じゃけんもうけぇる(帰る)」

 しかし百合が傍らから、

「おめでとう!よかったわ・・・本当はね沙知絵は『大丈夫よね?受かってるもんね?あの人たち落ちるわけないものね』なんて、さっきまでうるさいほど心配していたのよ、発表を見て目を潤ませていたのよ」

 と百合が明かした。

 健人は思わず沙知絵の手を取って、

「有り難う沙知絵ちゃん」

 と、目を潤ませていた。

 よかったこれで四人一緒に一高に通える。

 後楽園にでも行って皆で楽しみたいところだったが、

「今日は、早よ帰ってお家の人に報告してお礼を言いしゃんせ」

 今度はどこの言葉だ…しかし姉さん気取りの沙知絵に促されて省吾も健人もすぐ帰ることにした。百合と沙知絵は何か用事があるとかで天満屋デパートに向かった。省吾と百合が外で離ればなれになるなんてないことだ。しかし今日は家で心待ちにしている母や姉を考えると当然帰えるべきだ。


「よかったね~、本当に、ほんならすぐ発表を見に行かんとあかんね~」

「今からやったら十二時三十分に間に合うわよ」

「じゃぁ省吾…今日は良雄をお願いするからね…茶箪笥の上の段にお菓子も入ってるからね」

 母と姉はそそくさと出て行った。

一人になってみるとひしひしと実感が沸いてきた。『受かったんだ!やったんた…』省吾は握り拳を突き上げた。『これでみんなと一緒に一高へ通える!』省吾の医科大学の夢も大きく膨らんだ。生まれて初めて味わえる満足感だった。何となく百合に会ってこの気持ちを伝えたかったが…そういえば百合はあれから何処へ行ったんだろう、でも次の三時に着く専鉄では帰ってくるだろうからと思って駅に迎えに出る気になったが、『そうだ良雄が帰って誰も居ないと可哀想だ』と思い直して駅の方が見渡せる玄関横のかどに立って待っていた。

 やはり百合が手を振って歩いてきた。

「合格おめでとう」

「ユリちゃんのお蔭だよ」

「まさか、私のお蔭なんて…」

「ほんとだよ、ユリちゃんが行く学校に何としても行きたかったから頑張れたんや…」

「そう言ってくれるの本当にうれしいわ…」

 と、言って鞄の中から包みを出し、

「はい!これお祝い!」

「わっ!ありがと…開けていい?」

 百合は笑顔で頷いた。

黒い太めの万年筆だった。名前が入れてあった。

「太め、しかも名前が入っている…こんなの本当に欲しかったんや。ありがとう、ユリちゃんだと思って一生大事にする」

 と頬に当てた。それを見て百合も嬉しそうだった。

おそらく健人も沙知絵からプレゼントされているだろう。『そうか二人はこれを買いに行っていたんだ』

「俺たち一緒に一高に通えるんだね、何だか夢の様や~」

 省吾の感激的なことばにも百合は平然とした顔をしている。と、

「省吾さん!何を言ってるの、夢のようなじゃなくて夢でしょ」

「えぇっ!」

 省吾は驚いた。

「夢だって?一高に受かったのも、万年筆も…」

「そうでしょう」

「まさかそんなこと」

 心にえがくことは単に空想にすぎなが、しかし眠っていて見る夢は現実と同じリアルな動画なのだ。だからときどき夢と現実を混同させてしまうのだ。

「じゃぁほっぺ抓ってごらん、痛いかどうか?」

 省吾は本当にほっぺを抓った。

「いてっ!」

 まさか百合がこんな冗談を言うなんて・・・省吾は『このやろう』と逃げる百合を追って手を摑まえ引き寄せた。

 百合はその流れに沿って自然に省吾の胸に身を埋めた。

 省吾はしっかり抱きしめていた。






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