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第一話 ー人と精霊の子ー

 カルマが精霊界に来てから、一年の時が過ぎた。

 ようやくこちらの世界での生活にも慣れ、降り立った村の住人とも打ち解けていた。


 今も、狩りを終えて集落へと戻ってきたところ、住人に声を掛けられ、カルマはそれに応じるように片手を上げる。……住人、とは言ったが、その者は人ではなく、精霊。この世界の住人。

 今声を掛けてきた者は、人の様に背筋が伸び、二本の足で立ってはいるが、全身は毛深く、狼のような顔をしていた。

 来たばかりの頃はカルマも驚いていたが、今ではもう見慣れた顔だ。


 精霊界の住人は、人間の立ち姿で動物の特徴を持っている。多種多様な生命が暮らしている。

 話を出来る者から、そうでない者、その全てが精霊という一括りの中にいる。


 カルマがついさっき狩ってきたのも精霊。

 姿形は違えど、同じ精霊の中から命を奪い、自らの糧とする。それが、この世界の決まり。


 家に戻ると、カルマの元へ同じ家に住む人間、リオが近づいてくる。彼は、カルマと同じ時に精霊界へとやって来た人間の一人だ。


「どうだった、今日の調子は」


 狩りの結果を尋ねるリオに、カルマは狩ってきた精霊を差し出す。


「まあまあ……かな。話が出来ずにただ暴れるだけの相手とは言え、精霊の仲間だと思うと、やっぱり心が痛んで」


 カルマは、狩ってきた精霊を眺め、ふとそう呟いた。


「まあ、それだけ人間の命の基準が自分勝手って事さ。慣れることは無いだろうが、だからこそ、頂く命には感謝をしなきゃな」

「そうだな。分かっているよ、綺麗事だけじゃ生きてはいけないからね」


 カルマはリオに精霊を渡すと、彼は料理するための下ごしらえを始める。

 それから、リオが下ごしらえをする最中、カルマは疲れていたので寝床へ転がる。

 その時、彼は何かを思い出したようで、準備を続けながらカルマに話しかける。


「そういえば。カルマ、俺達と一緒にこっちへ来たレイナって女分かるか?」

「分かるけど、どうかしたのか?」

「ああ、それがな……そいつ、身籠ったらしいぞ」

「ええっ!」


 カルマは驚きで一気に跳ね起きる。


「そんな話、全然聞かなかったけど……いったいいつの間に」

「そうだよな。多分本人もそう思ってるよ」


 リオの言う事の意味が理解できず、カルマは首を傾げた。

 それはどう言う事なのかと、リオに問いかける。


「それがな、レイナもよく分からないらしいんだ。いつの間にか身籠ってたってさ」

「えええっ!」


 訳が分からなかった。いつの間に、というのはいったいどういう意味なのか。


 ……どうやら、話しを聞く限りでは、精霊の子を宿したという事らしい。


「でも、精霊って卵から生まれるだろう?」


 精霊は、神殿と呼ばれる所にどこからともなく卵が現れ、それが孵って生まれてくる。そのため、人がいつの間にか身籠っていたとしても、精霊の子と言うのなら、分からなくはない。

 だが、そもそも人と生まれ方が違うのだから、そんな事があるのだろうかとカルマは疑問に思った。


「話を聞く限りじゃ、滅多にある事じゃないが、これが初めてって訳じゃないらしい」

「そうなのか。それにしたって、突然子供が出来て、レイナの方は相当驚いたんじゃないか?」

「俺らが驚いてるんだから、そりゃあ本人だとな」


 と、この当時はカルマも他人事のように考えていた。



 それから数ヶ月。レイナの子が生まれた。

 身籠ってから生まれるまで早かったが、精霊の子はある程度までは育ちが早いので、そのためだろうという事だった。


 生まれた子供は女の子で、名はリンナと付けられた。


 元々精霊は決まった親がいないので、集落の住人皆で育てる。……だが、リンナは母親のレイナにはともかく、集落の他の住人には懐かず、手を焼いていた。



 そんなある日、結局一人でリンナを育てていたレイナは、かなり疲労が溜まっているようだった。

 そんな彼女を気遣い、集落の住人で無理にでも代わりに預かり、レイナを休ませようとしたのだが……


「中々泣き止まないな、リンナ」


 預かったはいいものの、一度泣き出してから中々泣き止まないリンナ。……その様子をカルマはリオと遠巻きに眺めていた。


「試しにお前があやしてみたらどうだカルマ」

「他の人には懐かないのに、僕に懐くと思うか?」


 それもそうだな。とリオは頷く。

 長居しても仕方がないと、二人がその場を立ち去ろうとした時だった。……彼らの横を、栗色の髪の女性が通り過ぎていく。

 その女性は、とても疲れた様子で、足取りも重そうだった。が、まっすぐレイナの泣き声のする方へと歩いて行っていた。


「レイナ?」

「あら、カルマ……と、リオ。こんにちは」

「どうして俺はついでみたいなんだ……と言うのはともかく、お疲れみたいだな」

「ええ、まあ。少し、ね……」


 振り向いた彼女の顔はとてもやつれていて、目の下には酷い隈が出来ていた。

 夜中も泣く声が聞こえてくる程だ、あまり眠れていないのだろう。カルマはと思った。


「今日は休んでいるんじゃなかったのかい?」


 カルマが問いかけると、そのつもりだった。とレイナは答える。


「でも、あの泣き声リンナ……ですよね。行ってあげないと」


 どうやら泣き声を聞きつけて、居ても立っても居られなくなったらしい。

 せっかく休ませようと皆で協力しているというのに、結局心配をかけさせてしまって、逆効果だったらしい。

 しかし、このままではいつか倒れてしまいそうだ。と彼女の姿を見てカルマは思った。


「待ってくれレイナ」

「えっ……?」


 気が付いたら、カルマは彼女を引き留めていた。


「僕が行くよ、君は休んだ方がいい」

「でも、あの子は……」


 他の人には懐かない。それはカルマも分かっている。だが、これ以上黙って見ていられない。


「少しの間だけでいい。僕に任せてくれ。もしかしたらってこともある」


 レイナの返事を待つことなく、カルマはリンナの元へと歩いていく。

 そして、リンナを恐る恐るその手に抱いた。


 次の瞬間、その場に居た誰もが、カルマ自身も含めて、驚いた。それまで誰にも懐かなかったリンナが、カルマに抱かれた途端、泣くのを止めたのだ。

 ただ、リンナはそれからカルマの事を、金色に輝く瞳でジッと見つめる。まるで観察されているような気分で、カルマは背筋に冷や汗をかく。


 その後、リンナはカルマの顔を見て笑うようになった。どういう事なのだろうと、カルマは困惑した。


「これ、どういう事だろう」

「気に入られたって事だろ。その子にさ」


 とリオがカルマの肩に手を置いた。

 ざわついている人込みをかき分けて、レイナが近づいてくる。カルマに懐いた様子のリンナを見て顔を綻ばせる。


「凄い、他の人には全然懐かなかったのに」

「僕も驚いてるよ。まさか、こんな風に懐かれるとは思わなかったから」


 先程からリンナはカルマの服を掴んで離そうとしない。


「まあ僕には懐いてるみたいだし、今日は安心して休んでくれていていいよ」

「カルマに懐いてるんだ。今日だけと言わず、大変な時はカルマに預ければいいさ。いいさ。お前もいいだろ?」


 とリオが問いかけると、カルマは頷く。


「ありがとう。助かるわ」


 レイナの青白くなっていた頬が、少し赤く染まる。

 カルマは全く気付いていなかったが、リオはニヤニヤと笑ってその場を眺めていた。



 それから三年の月日が経った。


 リンナの成長は早く、見た目だけならもう五つ程の年になり、集落を元気に走り回っている。天真爛漫な彼女に三年前とは別の意味で皆手を焼いていた。


 そんな彼女の様子を眺めるカルマと、リンナの母レイナ。


「リンナ、大きくなったね」

「本当。あっという間に大きくなって。親の手がかからない……のかしら?」


 今の様子を見る限り、まだ赤ん坊だった頃の方が手がかからなかった。と、言った当人も含めて思った。


「ま、まあ夜泣きはしなくなったから、今はぐっすり眠れるし。楽にはなった……と、思うわ」


 体調の方はともかく、心労の方は絶えないようだが。


「それなら、いい……のかな? まあ、何か困ったことがあったら言ってくれ。僕も出来る限りの事は手伝うよ」

「今でも充分助かってるのに、これ以上なんて、悪いわよ」

「いいんだ。僕がやりたいからやってるだけだから。リンナにも、懐かれてるみたいだしね」

「本当、リンナは貴方の事が大好きみたいで……ちょっと、嫉妬しちゃうくらい、ね」


 最後にぼそっと呟いたレイナの言葉が耳に入り、カルマは首を傾げる。


「流石に、母親の君より好かれてる事はないと思うけど」

「えっ、き、聞こえたの?! あの、そうじゃなくて! じゃなくて……今のは気にしないで!」


 顔を真っ赤にして弁解するレイナの気持ちなど、知る由もないカルマ。

 気にしないで、という彼女の言葉をそのまま受け取り、彼はその場を立ち去ろうとする。

 本当に気にしないのか。とは思いつつ、カルマがそう言う男だとも分かっているレイナは下を向いて、諦めたようにため息を吐く。

 だがそのすぐ後、このままではいけない。と顔を上げ、カルマを呼び止める。


「ちょっと話があるの! ……いい?」

「あ、うん。いいけど」


 リンナは急いでカルマを追いかけ、正面に立つ。

 そして、深呼吸をして早まる胸の鼓動を抑えつつ、意を決して思いを伝えようと、言葉を胸の奥から引き出す。


「あの! もし、貴方が良ければ……なんだけど。リンナも、貴方にはよく懐いてるし……その……私と……!」

「カルマー!」


 レイナの一世一代の告白を遮ったのは、他でもない彼女の娘リンナだった。

 リンナはカルマの方へ駆け寄り、抱っこをねだり、カルマはそれを快く受ける。


「ねえカルマ。ふうふってしってる? すきなひとどうしで、いっしょになることなんだって」

「よく知ってたね。誰かに教えてもらったのかい?」

「ちがうよ、あたしはなんでもしってるんだよ」


 すごいでしょ。と言いたげにリンナはカルマの腕の中で胸を張る。

 カルマが褒めてやると、彼女はとても嬉しそうだった。


「カルマ、あたし、カルマのことがすき! だから、あたしカルマとふうふになりたい! いいでしょ?」


 普通なら、子供の言う事と本気にはしないのだろう。ただ、カルマはそうしなかった。

 少し考えて、リンナを降ろして、しゃがんで彼女と目を合わせる。


「リンナ好きって言ってくれるのは嬉しいけど、夫婦って言うのは、それから先の人生をずっと一緒に過ごすんだ。その相手を決めるにはまだ幼いし、そういう相手はもっと大人になってから決めた方がいいと思う。……って言っても分からなそうだね」


 真剣に断ろうとしたカルマだったが、当のリンナは首を傾げていて、意味が分かっていない様子だった。


「おとなになればいいの?」

「えっ……」


 そこだけ切り取って理解したらしい。が、カルマは答えに詰まった。

 決めるのは大人になってからと言った手前、彼女の解釈は間違ってもいないので困ってしまう。


「大人になってから、その相手を決めるといいよって、事なんだけど……」

「わかった。じゃあおとなになってくる」


 と言い残して、リンナは自分の家の方へと走っていった。

 最後の言葉がいったいどういう意味なのか、と思いつつ、カルマは思い出したようにレイナの方へ向きなおす。


「ごめん……話途中だったね」

「いいの……大した話じゃないから。忘れて」


 レイナは完全に勢いを削がれた上に、さっきのカルマの話の後なのですっかり言い出せなくなってしまった。


「リンナも帰ったみたいだし、私も帰るね。……それじゃ」


 帰っていくレイナの後ろ姿をみて、理由は分かっていないが、悪いことをしたとカルマは心の中で反省した。



 次の日、事件は起こった。


「カルマ―!」


 太陽の光が真上から差す頃、集落の中をカルマが歩いていると、背後から、自分を呼び止める少女の声。

 彼は思わずその場に立ち止まり、声の主の方へと振り向く。するとそこには……


「君……誰?」


 そこには、見覚えのない人間の少女の姿があった。

 カルマの言葉に、少女は頬を膨らませる。


「酷い! アタシの事、忘れちゃったの?」

「えっ、会ったことあるの?」

「当たり前でしょ! ちゃんと思い出して!」


 そう言って、彼女は自分の顔を指さす。よく見ろという事だろう。


 年は十五前後に見え、肌は白く、栗色の髪が肩の辺りまで伸びている。そして、瞳は美しい金色をしていた。

 そこでカルマは気がついた。


「もしかして……リンナ、なのか?」


 それまで膨れっ面だった少女の顔は、見る見る内に眩しい笑顔へと変わって、両手を大きく広げてカルマに飛び込む。


「大正解! やっぱりカルマは分かってくれた!」


 転びそうになるのをなんとか持ちこたえ、抱き着く彼女を受け止めるカルマ。

 ただ、自分で言ったものの、まだ信じる事が出来なかった。間違いなく、昨日までは幼い少女だったリンナが、たった一晩でここまで大きくなってしまうなど、流石に精霊の少女と言えど簡単には受け入れる事は出来ない。


「あの、リンナなんだよね?」

「そうだよ、さっき言ったじゃない」

「うん、そうだよね……あの、どうして急にこんなに大きく……」

「カルマが大人になったら夫婦になってくれるって言ったから、大人になったんだよ」


 そういう事を聞いた訳ではなかったが、どうやら原因は自分だったらしい。

 要するに、昨日のカルマの話を「大人になったら夫婦になる約束」と解釈したリンナは、方法は分からないが、一晩の内に成長をしてきたらしい。……滅茶苦茶な話だとカルマは内心思った。


 混乱するカルマの心情など、知る由もないリンナは、期待の眼差しでカルマを見つめていた。

 約束通り大人になった。だから夫婦になってくれると……


「……リンナ、あの……そう言うのは、お互いの気持ちが大事だから……」

「カルマはアタシの事、嫌い?」

「いや、そんな事はないけど……」

「好き?」

「えっ、まあ……うん」


 勢いに流され肯定すると、「しまった」と口を噤むカルマ。だが、既に遅い。


「じゃあ、大丈夫。アタシもカルマの事好き。夫婦に、なれるよね?」


 追い詰められた。


 断る理由自体はないのだ。ただ、彼女の実年齢を考えると、それは一時の気持ちで……などとカルマは思考を巡らせる。


「カルマ、アタシと夫婦になるのは、嫌?」


 中々答えないカルマに、不安そうな視線を向けるリンナ。

 好かれているのは、間違いないのだろう。そうでなければ、一晩で急成長してくるなどという滅茶苦茶な事はしない。

 そこまでされて断るというのは、本当に彼女の為なのだろうか……ふとカルマは思う。それはただ、自分にとって都合が悪いからと言うだけなのではないか。と……


 結局、思考はただただぐるぐると同じ所を回るだけで、答えは出ない。


「リンナ……悪いけど、少し考えさせてくれない?」

「……うん、分かった。カルマは、いきなりでびっくりして、困ってるんだよね、ごめんねアタシのせいで。アタシも、もう少し大人になるね」


 そう言ってリンナはカルマから離れる。

 中々決断の出来ない、優柔不断な自分と比べれば、実はリンナの方がずっと大人なのかもしれない。と、カルマは思う。

 そう、ちゃんと考えて、答えを出そう。それが彼女の為だ……そう考えていた。その時だった。


 彼女は両手を胸の前で合わせ、祈るように目を瞑ると、全身が光に包まれる。

 すると、少しずつ体格が変わっていき……光が収まるころには成人の姿へと変わっていた。


 そして、彼女は目を見開き、悪戯な笑みを浮かべてカルマに迫る。


「少し大人になりました。どうです? 答えは決まりましたか?」

「えっ、大人になるってそういう事。気持ちとかじゃなくて?」

「さっきはほとんど幼い頃のままでしたが、今は体に合わせたつもりです。勿論体だって大人の物ですし……問題ありませんよね?」


 体は成長したが、服はそのまま。お蔭で、所々窮屈そうで……正直、カルマは目のやり場に困った。

 リンナもそれは分かってるのか、少し照れながらも、カルマに対して強調していた。


「あの……僕の心の準備が全く出来ていないので、まだ時間を……」


 混乱と緊張の結果、思わず敬語になってしまうカルマ。

 そんな彼に、リンナはとぼけた様子で返す。


「体が変化するくらいの時間は、あったはずですが」

「そんな短い時間じゃなくて!」


 焦るカルマを見て、クスクスと笑うリンナ。そこでカルマは、自分がからかわれていたのだと気づいた。


「分かっていますよカルマ。先程まではともかく、カルマが乗り気ではないのに、夫婦になる気は今はありません。私と夫婦になりたいと、そう思う時をちゃんと待ちますから」


 先程までと違い、急に身を引くリンナの態度に、カルマはただただ戸惑うばかりだった。


「でも、ただ待つだけじゃありませんからね? おばあちゃんになってからでは嫌ですから。カルマに好きになって頂けるよう、努力します……では、私は今日はこれで」

「……あっ。ちょっと待って」


 気を取り直したカルマは、帰ろうとするリンナを呼び止める。


「その……格好が、そのままだとマズいから。良かったらこれを着て」


 と、カルマは着ていた自分の上着をリンナに差し出す。

 リンナは、それを嬉しそうに受け取り、羽織った。


「ありがとうカルマ、そう言う優しい所が好きです」


 恥ずかしげもなく笑顔で言う彼女を見て、カルマの心臓は大きく跳ね上がった。


 一礼した後に帰っていく彼女を見送ると、カルマはその場に座り込む。

 実際にはほんの短い時間の出来事だった。が、とても長い時間が過ぎたように感じる。それ程にカルマは気が疲れていた。

 それと同時に、大変な事になったと頭を抱えるのだった。

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