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序幕 ー旅立ちの前夜ー

 これはかつて、まだ人の世界と、精霊の世界が繋がっていた頃の話……


 ここはリヒトの里……この人間の世界と、精霊の世界を繋ぐ「門」がある数少ない聖地の一つ。


 雲一つなく、空には無数の星が輝く夜。

 今宵、人々は里の中心に焚かれた火を囲み、盛大な宴の最中だった。

 夜が明ければ、年に一度の精霊界へと繋がる門の開く日となるからだ。


 門が開けば、精霊界へ行くことを許された「選ばれし者」が彼の地へと向かう。そして、二度と戻ることはない。

 故に、この里の住人は選ばれし者を盛大に祝うと同時に、人間界最後の手向けとして、門が開く前日に宴を開く。


 今年選ばれた者は三人……その内の一人、カルマという青年は、里から少し離れた山から里を眺めていた。

 そんな彼の背後に忍び寄る人影が一つ……


「やっぱりここに居た。まったく、自分を祝福する宴を抜け出して、何してんだか」


 カルマの心臓がドクンと大きく跳ねる。

 恐る恐る背後を確認すると、そこには両の手に一つずつ、何かを持った人物が居た。

 よく目を凝らしてその人物の顔が分かると、カルマは安心して胸を撫で下ろす。


「なんだリクトか……驚かせないでくれよ」

「声かけられて驚かなきゃいけないような、後ろめたい事でもなさったんですか、師匠?」

 リクトと呼ばれた、カルマと同じくらいの歳の青年は、からかうようにそう言った。 カルマは、苦笑しながら頬をかく。


「連れ戻しに来たのかい?」


 問いかけると、リクトは首を横に振った。


「アンタがああいうの苦手なのは、よく分かってるつもりさ。そんな事はしない。だけどな……」


 リクトは、カルマの隣に腰をかけると、手に持っていた水筒を一つ差し出した。


「俺はアンタの弟子なんだ。師匠の旅立ちくらい、祝ってもいいだろ?」


 カルマは少し照れ臭そうに笑い、リクトの差し出した水筒を受けとる。


「おめでとう、師匠」

「ありがとう、リクト。……その、師匠って呼び方は、最後まで直してはくれないんだな」


 半ば諦めたように、カルマはそう言ってため息をついた。


 カルマとリクトの出会いは数年前。里の武道会の決勝での事だった。

 当時流れ者だったリクトは、流れ着いたこの里の武道会の話を耳にし、名声を得ようと参加して、決勝まで上り詰める。


 だが、リクトはそこでカルマとの勝負に負ける。


 小さな里の住人に負けたのが納得の行かなかったリクトは、彼の隙をついてでも勝とうと、弟子入りを志願した。


 最初こそガラじゃないと断っていたカルマだったが、幾度となく頼み込まれて、とうとう根負けして弟子入りを許した。


 弟子入りの後、不意をついて攻撃を仕掛けるリクトだったが、全て受け止められたり、避けられたりとまるで成功しなかった。

 そして長く共にいる間に、高みを目指す彼の姿勢に感化されていき、己の小ささを恥じ、心を入れ替え純粋にカルマを越える事を目指す。


 リクトはカルマを越えるべき師と仰ぎ、カルマにとっては、リクトは互いに高め合える友となっていった。


「当然だ。俺はアンタを越えるその時まで、アンタの弟子でいるって決めてんだからな。…精霊に選ばれた男と俺じゃあ、まだまだ対等じゃねえ。だから、アンタはまだ師匠だ」

「そうか、なら仕方がないな」


 カルマの言葉は少し寂しげだった。

 彼にとっては、リクトは弟子ではなく、対等な友であって欲しかった。だが、それを伝えても彼は先程のような事を言うだけだった。

 最後くらいは…とも思ったが、こればっかりはリクトの気持ち次第。

 師弟でしかいられなかった寂しさを、誤魔化すように水筒の飲み物を口に含む……直後、カルマは突然口に含んだものを一気に吹き出した。


「これ酒じゃないか! あ、リクト、わざとやったな!」


 むせるカルマの姿をみて笑い転げるリクト。それを見て悪意を持って行われたのだと確信する。

 「すまない」と口では謝罪するものの、彼はまだ腹を抱えて笑ったままだ。


 カルマは酒が飲めない。それはリクトも知っていた。が、分かった上で酒の入った水筒を差し出すのは、大なり小なり悪意のある行動なのは間違いない。

 笑い止んだリクトは、目にうっすらと浮かんだ涙を拭うと、カルマの肩を軽くたたく。


「いやあ、すまない。本当に騙されるとは思わなかった。でもな、俺は中身を言わずに渡したんだ。渡した相手が誰であれ、中身の確認くらいはした方がいいと思うぞ? これは酒だったから良かったが、毒でも入ってたらどうすんだ」


 冗談めかした言い方ではあったが、リクトの言い分も一理ある。と思ったカルマは、それから何も言い返せずに喉まで出かかった不満を飲み込んだ。

 それを見たリクトは、ため息をついて、彼の額を軽く指を跳ねさせてたたく。

 突然の事に意図を理解できずにカルマは困惑する。


「本気で受けとるなよ。冗談なんだぞ?」

「いや、それでも言ってることは一理あると……」

「どれだけ真面目なんだ、アンタは……まあ、それが師匠の良さでもあるけどさ」


 そう言って、リクトはカルマの手に持っていた水筒を取り上げ、それを掲げて眺める。


「これがもし毒だったら、師匠を倒せてたって訳だ。初めて、不意打ちが成功したな…やり方はともかく、これで一勝。ちょっとはお前を越えられたって訳だ」


 そう呟いたあと、言葉の真意を図ろうと首を傾げていたカルマの胸元へと拳を突きだす。


「俺は必ずお前に追いつく……そして本当にお前を越えてみせる。だから、精霊界で待ってろ……カルマ」


 初めて名前を呼ばれた事に驚き、一瞬動きの止まったカルマだったが、不敵に笑うリクトを見て全てを理解し、彼の拳に自分の拳を突き合わせる。


「リクト、僕は待ったりなんかしないぞ。進み続ける。だから、追い付いてこい!」

「まったく、厳しいお師匠様だ……分かったよ。追いつくどころか、追い越してやる」


 その後二人は堅く握手を交わした。

 

 直後、カルマはフラフラと力なく倒れ、それをリクトは抱きかかえる。

 暗いせいで今まで気が付かなかったが、カルマの顔は真っ赤になっており、大分酔いが回っているようだった。


「少ししか飲んでないだろうに……本当、酒に弱いお師匠様だ」

「うるさい、誰のせいだと思ってるんだ……頭が、くらくらする……」

「このままじゃあ山を下りるのは危なそうだな。仕方ない、俺が背負って行きますよ。せめてものお詫びだ」


 そして、リクトは酔ってしまったカルマを背負い、里へと下りて行った。



 次の日、カルマは精霊界へと旅立った。それをリクトは見送らなかった。

 見送るのは、二度と会うことのない者ですればいい。自分は必ずあの門の先へ行く……そう胸に秘め、彼は一人で鍛練に向かった。


 それをカルマも分かっていた。だから、「先に行く」それだけを言い残す。



 しかし、『彼ら』が二度と会うことはない。 リクトは自らに這い寄る魔の手を……

 カルマはこれから待ち受ける運命がどれほど辛く、険しいものか、知るよしもなかった……

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