おじいさんとおばあさんとゴンちゃん
ぼくは蜘蛛。
見た目でぼくを嫌う人間はいっぱいいる。
ゴキブリや害虫と呼ばれるやつらとは違ってぼくはバイ菌をまきちらしたり人に噛みついたり刺したりしない。
いつも静かにひっそり生きている。
次はどこに糸をはろうかとウロウロしてるぼくを見つけた人間はだいたい悲鳴をあげる。
「大丈夫だよ! ぼくは何もしやしない。」
悲しいことにぼくは声を出せない。出せたところで人間には通じない。
そんなことを繰り返しながら意味もなく怖がられることにも慣れてきた。
ある日ふと思った。
人間のいない静かな場所で誰にも嫌われることなく生きてみたいと…。
そんな場所を求めて旅に出ることにした。
何日も何日も歩き続けた。
この小さな体で途方もない時間をひたすら歩いた。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
やっとさわがしい人間の姿を見なくなってしばらく行くと1軒の古い民家にたどりついた。
あまりにも静かで誰もいないのだと思った。
雨風しのげるなかなかいい場所を見つけたとホッとした。
ぼくはうれしくていろんなところに糸を張った。
えものを捕まえる場所。ゆっくり眠れる場所。
あちらこちらに巣を作った。
ひと段落して作ったばかりの巣でのんびり休んでいると、どこからか大きな音と人の気配がした。
ガラガラ ドサッ!ザッザッザッ…
急いで音のするほうへ行ってみた。
そこには野菜の入ったかごと腰の曲がったおばあさんがいた。
おばあさんはかごから大根を取り出して流しに持っていき洗いはじめた。
またガラガラと音がすると今度はおじいさんがバケツを持って入ってきた。
「ばあさん。風呂の水くみ終わったよ。」
おばあさんは振り向いて、ニコッと笑って
「じいさんありがとうねぇ。疲れたでしょ?ごはんできるまでゆっくり休んでてくださいな。」と言った。
人間のいない静かな家ではなかったけど、もう旅をする元気もなくあきらめてここに住むことにした。
ある日掃除をしているおばあさんが、寝床にしている巣を見つけて言った。
「あらあら、こんなとこにクモの巣が」
人間はクモの巣を見つけるとだいたいすぐにほうきで壊してしまう。
ぼくはせっかく作った寝床をあきらめて新しく糸を張る場所を探すことにした。
「久しぶりのお客さんだねぇ。」
おばあさんは笑ってそう言うと巣を壊すことなくまた掃きはじめた。
それからぼくはこの家の居候になった。
ある日、縁側でおじいさんとおばあさんがのんびり日向ぼっこしながらお茶を飲んでいた。
ごはんを食べたあとのぼくも、日に照らされてキラキラしている寝床で日向ぼっこをすることにした。
「あら ゴンちゃん。」
おばあさんがぼくを見つけて言った。
「ばあさん。ゴンちゃんって誰かね?」
おじいさんが不思議そうな顔をして聞いた。
「そこのくもの巣でお昼寝してる。ふふっ。」
おばあさんは優しい目をして笑った。
おじいさんもうなずいて笑った。
「なんでゴンちゃんなのかね?」
「いつものんびりごろごろゴンちゃん。」
ぼくは、ちょっとムッとした。
こう見えて結構忙しくしてるのだ。
小さい体での移動はなかなか大変でいつもあちこち動き回っている。
でもあまりにおばあさんが優しい目をして笑うからゴンちゃんでもいいかという気になってきた。
名前をつけてもらって居候から家族の一員になったぼくは、おじいさんとおばあさんを害虫から守るため必死に戦った。
そして毎日2人のごはんを用意するためにいろんなところに糸を張り、虫をたくさん捕まえた。
おばあさんは食べてはくれなかったけど、虫が引っかかってる巣を見て「いっぱい取れたねぇ。」と笑った。
ぼくはこうして何も変わらない穏やかでのんびりした毎日を、おじいさんとおばあさんと一緒に過ごした。
いつまでもそんな日々が続くと思っていた。
ある日縁側で日向ぼっこをしているとおばあさんがいつものようにおぼんにお茶をのせて持ってきた。
「じいさん?頭に桜の花びらが止まってますよ。」
そう言いながら花びらを取ろうとしたおばあさんの手が震えた。
おじいさんは柱に寄っかかって眠っているように見えた。
陽の光がおじいさんの優しい顔を照らし、あたたかい春の風にふかれて桜の花びらが舞っていた。
いつもと変わらない静かな昼下がりだった。
おじいさんがいなくなっておばあさんは一人ぼっちになった。
「じいさん?今日のごはんは何にしようかねぇ。」
「ゴンちゃん?じいさんはまだ帰ってこないかい?」
ぼくは今までどれだけ人間に嫌われても蜘蛛であることをいやだと思ったことがなかった。
でも今はおばあさんの言葉に返事をしてあげることができないことが悲しくて仕方なかった。
ぼくは無力なただの蜘蛛だった。
大好きだった優しい目は、笑うことがなくなりいつもおじいさんの姿をさがしている。
いつしか布団から起き上がることも少なくなっていた。
ぼくは準備をした。
おばあさんを起こさないように静かに髪の毛のなかに入りこんで足を折りたたんで小さく丸まった。
おばあさんは小さくぼくの名前を呼んだ。
「ゴンちゃん」
ころげ落ちておばあさんから離れてしまわぬように白い髪を3本、自分の足にしっかりからめて丸くなると冬を迎える冷たい雨の音が遠くなっていった。