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ヘリオドール詩片集  作者: 沙華
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少女の決意の日



 ケフェイド大陸アルガス王国、セラフィス領クリノクロアでの、春のとある日。シャルロットがまだ九つの頃だった。


 屋敷の窓から見える景色はまだ花壇に花はなく、茎を必死に伸ばした物が囁かな蕾だけ付けている。

 緑の少ない庭の隅の方にはこんもりと雪が盛られ、裾の方は剥き出しになった土に染められ黒ずんでいる。夜は冷え込むケフェイド大陸から雪が一掃されるのはまだまだ先になりそうだ。


 まだ幼い筈のシャルロットの身体は、胸だけ既に膨らみかけていて同年代の少女と比べると明らかに目立っていた。

 十二歳の、姉であるリーンフェルトは──本人に面と向かって言った事はないものの──真っ平らな胸であったから尚更目立つ。

 年頃のシャルロットとしては自分の育ち過ぎる身体が多少恥ずかしくもあったが、公爵令嬢である彼女の周囲の人物も育ちが良かった為か、はたまた無礼は働けないと肝に銘じていた者が多かった為か。大きくからかわれるような事もなく、それにより胸自体をコンプレックスに思う事もなくシャルロットは真っ直ぐに育っていった。

 優しい母親が、高いだろうに少し家計を切り詰めて可愛らしい下着を用意してくれていた事も少女の心を慰めていた。


 セラフィス家の子供は十二歳になると魔導協会ベリオスから職員を派遣してもらうのが習わしである。

 ベリオスとは、この世界中どこにでもいる魔力を持つ人型種族シュルクの魔力量を測定し、彼らが設けた基準値を満たす魔力を持っていた場合にのみ限り、透き通るような美しい緑色の石をくれる。その石を持つ者こそが、この世界で魔女や魔術師を名乗る事を許される。


 つい先程、リーンフェルトの測定が終わりベリオスの職員から認定証と石が授けられたばかりであった。

 彼女はたった今から魔術師として生きる道も拓かれたのだ。


「おめでとう、お姉ちゃん」

「有難うシャル」


 極寒の地ケフェイド大陸は、春が来るのが遅く冬になるのがとても早い。

 他の大陸と比べ自給自足もままならない程に土地が痩せているこの大陸では、例え貴族であろうとも他の大陸に住む貴族と肩を並べられる程の暮らしは出来ない。公爵家であれど、せいぜい他の大陸では一般人と同じような、あるいはそれ以下の暮らしが出来る程度だ。

 海の向こうの大陸の貴族の令嬢が聞いたら驚くだろう。セラフィス家でケーキなど、年に一度の誕生日の日にしか食べられないのだ。

 父の管理する領地の領民は自分達よりもっと苦しい生活をしているし、シャルロット自身生まれてから今まで、現在の極貧貴族生活が自分にとっての当たり前であった事から、不平不満を心の中に抱く事もなかった。


 まだ外には雪が残ってはいるものの、空から射す陽光に照らされきらきらと光る姉の手の中の宝石は、この家の中で一等上質な宝物なのではなかろうか。

 照れ臭そうな姉を囲んだ父と母の表情が、庭の蕾達よりもいち早く、花が咲いたように綻んでいるのが何よりそれを証明している。幸せそうな家族を見て、シャルロットも自然と笑顔になる。


 けれど、シャルロットはその石を羨望と尊敬の眼差しで見つめるだけだ。決して、手を伸ばして手垢や傷を付けるような真似はしない。

 その石は姉の才能と栄光の象徴そのものであり、それを妹と言えどシャルロットが穢して良い訳がない。

 然し、遠巻きから眺めるだけであってもその石の輝きはシャルロットの決意を固めるだけの充分な光を放っていた。


 自分も、十二歳になったら絶対にあの石を手に入れよう。姉の肩を抱いて喜ぶ父と幸福そうに微笑む母にもう一度、今度は自分の前で同じように笑って欲しいと思ったのだ。幸福な時間は一度よりも二度がいい。姉が両親に幸福を届けられたなら、自分だってそうしたいと思うのは何ら不思議な事ではない。

 そしていつか、姉と肩を並べて領民を守っていけるような魔女になり、クリノクロアの皆を少しでも良い方向へと導いていけたら。子供の頃から自分へと良くしてくれた領民の皆へと、多少なりとも少しずつでいい、お返しする事が出来たなら。

 弱冠九歳にして、少女の決意とも呼べる夢はより強固な物となり鮮明な輪郭を描いていた。



 その為には努力を惜しまなかった。

 ベリオスの職員が帰った直後から、シャルロットは火がついたように自室に篭もり勉学に励んだ。

 今までも魔術の勉強はし続けてはいたが、もっと学びたいと思ったのだ。

 魔法の攻撃以外の応用の仕方、魔力補給方法、著名な魔術師の残した論文、魔石ヘリオドールの歴史、魔法と精霊の成り立ち、天文学と魔力の関係性──九歳には少しばかり難しい書物を父の書斎から引っ張り出し、呑み込むように知識を貪っては、本来日記帳に使う用の分厚いノートにみっちりと隙間なく書き留めていった。



 その姿は、未だ魔法を一度たりとも発現する事が出来ない己の姿を振り払うようでもあった。

 シャルロットはシュルクにしては珍しく、一切の魔法を使えた事がなかった。どんなに魔法の才能がない者であったって、硝子に水の魔力で水滴を付けられたり、雪の塊に炎の魔力でささやかながらも小さな穴を開けられたりくらいはするものなのである。そういった事すら少女は今まで出来た試しがない。全く、皆無である。

 父も母も、ゆっくりで良いと言ってくれた。リーンフェルトもシャルロットに気を使って目の前で魔法を使う事を控えてくれている事を、少女は幼いながらもとうに知っていた。

 皆の期待を裏切る訳にはいかない。求められているのだから、応えなければ。


「大丈夫……大丈夫…………」


 自分は才能溢れるリーンフェルトの妹で、父と母の子なのだから大丈夫。そのように自分自身に言い聞かせては、勉学に励む。

 皆が自分に期待してくれている筈なのだから、弱音を吐いてなんかいられない。真っ直ぐ前を向いて、自分を信じて努力をすれば絶対に報われる筈だから。

 出ない魔法をのんびりと待ってもいられないから、こうして勉強するのだ。こうしていれば、いつか簡単に魔法を使える方法が書いてある書物に出会える可能性にも賭けて。



 そうして、夜はとっぷりと更けていく。

 次にシャルロットが部屋を出たのは、夕飯の時間になってもなかなか部屋から出て来ない事を心配した母が部屋の扉をノックしてからだった。

 その日の夕食はリーンフェルトの好物、シチューだ。食べられるのはどれくらい振りだろう。実がいつもより多く、普段より濃厚に作られたそれは、リーンフェルトを改めて祝う両親の気持ちが良く分かるメニューだった。

 鼻腔を擽る香りがどうしたって食欲を唆る。


 この温かい食事を得られるのは、アルガス王国を見守って下さる火の女神クラスティアの恩恵があってこそだ。皆今日の糧を得られる事を、女神へ祈りの言葉を捧げる事で感謝する。

 けれど、シャルロットは心の中でこっそり姉にも感謝した。今日の主役は紛れもなくリーンフェルトであり、こんなにも豪華な食事を口に出来るのは彼女があってこそ。その為に姉に少しだけ感謝するなら、女神様だって多少は目を瞑って下さる事だろう。


「シャル、いつまでお祈りしてるの? 折角のシチューが冷めてしまうわよ」


 姉の言葉にシャルロットはハッとする。そうだ、折角の料理が冷めてしまう。それでは本末転倒だ。

 慌ててスプーンを持ち、心配そうにこちらを見ている姉に無駄な心配をさせないようにと笑いかける。


「待たせてごめんなさい。……頂きます」

「それでは頂きます」


 こうして、暖かい家族の団欒の夜は過ぎていくのだった。



 シャルロット・セラフィスが十二歳になる三年後、無事にベリオスの石を手にする事が出来たかどうかはまた別の話である。


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