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ストーン・ソウル ~a Permitedchild on a Platform~  作者: 榛原ユリト
第一章 a missing child 迷子の水晶
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出立式

 カナトは今にも卒倒しそうだった。


 そこら中に舞う紙ふぶき。

 赤に青、黄や緑、紫と橙と……。


 色という色が視界いっぱい狂ったようにチラチラヒラヒラ散らばって、鼓膜は軍事局の楽隊が打ち鳴らすやかましい太鼓やラッパで今にも崩壊寸前──十三歳のカナトの精神も壊滅寸前。


「に、……にいちゃん」


 喉からやっと搾り出した声も、怒涛のような拍手や歓声にあえなく埋もれてしまう。


 なにもかもが埋もれてしまいそうだった。

 ちっぽけ過ぎる己が願いは届くはずもなく。

 降り注ぐ紙ふぶきの中に立ち尽くすばかりか、周囲に聳え立つ大人たちに気圧され、幼い魂は今にも粉々に砕けてしまいそうなほどに畏縮していた。


「元気でな、カナト」


 いつもは冷たい態度ばかりのイダルがやけに清々しい顔をしていた。

 ひとつも強がりな素振りを見せず、誇らしげで、この日がやってきたことを心の底から喜んでいるのが、周りを満たす熱気に紛れて燦々と伝わってくる。


 カナトはイダルのことを憎らしく思った。

 カナトの気持ちなど全然わかってくれていないのだ。


「行かないでよ!」


 精一杯の抵抗を示すために、カナトは握り締めた両手の拳をダンッとイダルに叩きつけた。

 叩いて叩いて……そしてやがて強く掴んだイダルの黒っぽい土色の軍服は、おろしたてで生地が厚く──触れたとたん、自分とはかけ離れた遠いところへ行ってしまう人なのだということがビリビリ痛いほどに伝わってきて、間もなくカナトは手を引っ込めてしまった。


「なに? 聞こえない」


 短く刈られたイダルの茶色い髪。

 癪に障るほどの笑顔を悠然と貼りつけたまま、別人のようなイダルが片耳に手を翳して首を傾げる。


 あの喧嘩ばかりしていた八重歯のイダルは、今や十九歳で地上探査部隊(グラウンドフォース)に選ばれた優秀な人材扱いだ。カナトには未だにそれが信じられない。

 弟ながら、ズルいとも思った。

 いつの間に、兄はそんなに兄らしくなってしまったのか。


「行かないでって言ってるんだよ!」


 喧騒の中でカナトは叫んだ。

 とたんに喉がヒューッと嫌な音を立て、気管までもが大パニックを起こしそうになる。

 カナトは急いでポケットから携帯用の吸入器を出して、思い切り吸い込んだ。


 国で規定された設計とはいえ、数百人もの人が集まるには狭い通路だった。

 ──高さ四メートル、幅六メートル──。

 この人ごみを圧縮し強固に囲う天井や壁や床は、つまらない白鱗石とセメントで頑丈に塗り固められ、一方はこの国唯一の居住可能な巨大地下都市(シティ)へと通じ、また一方は地上への唯一の通り道である『ゲート』へと通じている。


 本来は表情にも乏しく色や音の希薄な場所だが、年に一度、選び抜かれた十数名のグラウンドフォースを地上へ送り出す時だけはこうしてバカ騒ぎすることを特別に許されているのだった。


 その『特別』な行事のせいで、目に見えるもの全てが悪い夢のように映ってやまない。

 むしろカナトはこれが悪い夢であって欲しいと強く願った。


「弱虫。ちゃんとひとりでやるんだぞ。寮のおばちゃんに迷惑かけるな、しっかり勉強しろ」


 イダルはカナトの頭をぽこんと殴った。


「イヤだイヤだ! にいちゃんと一緒じゃなきゃイヤだ! 地上へ行ったら、危険なことがたくさんあるんでしょ? なにがあるかわかんないんでしょ? もう二度と地下へは戻って来れないんでしょ?」


 楽隊のシンバルが一際激しくガシャンと響いた。


「それがグラウンドフォースの任務だからな。地上の危険を調べて、地下都市(シティ)に暮らすおまえらを守る。俺がおまえを守ってやるんだ、感謝しろ」


「イヤだーっ!!」


 無情にもその時、楽隊の演奏を突き破るようにしてグラウンドフォースの出立を告げる笛の音が高らかに鳴った。


「俺の弟だぜ、しっかりしてくれよ。もう行く。悔しかったら、おまえも俺みたいな特別(VIP)になるんだな。努力だぜ、努力。忘れんな」


 なれるわけがなかった。入隊したら土の中の狭い穴倉で行われる厳しい訓練に耐えなくてはならない。

 喘息などの気管支系疾患を持っている者は、軍事局の規律で入隊出来ない決まりになっていた。

 幼い頃から喘息持ちだったせいでカナトにはどうしても兄の背を追うことが出来ないのだ。


 皮肉いっぱいの言葉を最後に残し、イダルは人ごみを掻き分けて行った。

 兄の背中は流砂へ落としてしまった一粒の宝物の如くあっという間に見えなくなった。


「にいちゃあーんっ!」


 叫んだところでイダルが二度と戻ってこないことは、カナトにもわかっていた。

 けれど叫ばずにはいられなかった。

 地上へ行くということ、それは端的に生き別れを意味していた。

 もう兄に会うことはない。

 ささやかな可能性すらも、喘息持ちという理由からこの先もカナトには与えられることはない。


 何度も何度も、カナトはイダルのことを呼び続けた。


 あまりにも人が多すぎて、地上への通路を塞いでいるゲートの白いシャッターが開いたのも、そこを進んでいくイダルたちグラウンドフォースの勇姿も見えなかった。


 兄の言う通りだ。

 悔しかった。

 そしてなにより理解が出来なかった。


 大切な人と二度と会えなくなるというのに、周囲の人々がみなエクセリオの国旗を振り、歓声を上げ、笑顔で彼らを見送っていることが。


 カナトは、この世で自分だけがひとり泣いているような気がしてならなかった。






 喪失感、虚脱感……時々、向上欲。のち、劣等感。


 まるで季節の地下気温予報グラフのごとく怠惰に変化する感情と、現実と、間に立たされている器のような自分。

 幼い頃から患っていた呪わしき喘息と、同じく自身の一部としてなんとなく備わっていた幽霊が見えてしまう能力……。


 エクセラント地下都市の片隅で、取り残された弟は今日も地上へ行ってしまった兄が無事でいてくれるよう胸の前で両手を組む。






 ──イダルが地上へと旅立ったあの出来事から、早くも四年という月日が過ぎ去っていた。

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