5.安酒も美酒の味
行きはよいよい、帰りは辛い――とは良く言ったものだ。
ゴーレムの装甲をソリ代わりにして、ズルズルと引きずるそれは、まさにピラミッド建築に携わる奴隷のようだった。
知らない者からすれば、仲間の死体でも運んでいるのかと思われることだろう。まぁ人間かそうでないかなので、"死体・死骸"を運んでいる事に変わりないのだが。
「よ、ようやく戻って来られた……」
「ぼ、ボクはもう何も手伝わないからね……」
やっとの思いで念願の地上に戻った俺たちであったが、その身体もう疲労困憊で……しばらく生還の喜びに浸る余裕すらなかった。
落ち着いてきた頃に、ようやく"生"を感じた。鬱蒼とした木々に囲まれた、町はずれの空気が何と美味いものか。その景色にも懐かしさすら感じられ、ちょっと行ってみるか、ぐらいの軽い気持ちで入ったのが、まるで遥か昔の事のようだ。
この迷宮は誰の物と言うわけではないが、とりあえずリノリィの街の管理する場所となっている。
なので、入口には形式だけリノリィの衛兵が立っているのだが……迷宮の中には法がないので、主な仕事は地図の所持確認ぐらいだ。
入る時に地図の有無を確認した、見覚えのあるその衛兵は少し驚いたような顔で、地上に戻れた俺たちを眺めていた。
「――何だ、ココじゃねぇか。今戻ったのか?」
「ああ」
「今回は、ガラクタと人間一人、猫一匹、か」
「思わぬ収穫品だよ。ちゃんと正しい地図を持っているか確認してくれ」
「ちゃんと聞いてるさ。『ココの地図を持ってるか?』ってな。そこの奴らにも確かに言ったぞ?」
「ふむ」
ココ――このモグラの名前だろう。
そして、確かにこの衛兵に『ここの地図を持っているか』と聞かれ、俺は『持っている』と答えた。
恐らくファムも――。
「も、もっと分かりやすく言ってよ……ボク、"ここ"の地図だと思ったのに」
「俺もだ……はぁ……」
恐らく迷宮で迷う奴は皆、全力で同じ勘違いをしているのではないか?
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「あ゛ぁー……ビールが美味いっ――」
即席パーティーを解散した際、迷宮の中でファムが拾い集めた貨幣を皆で分け合った金で、仕事あがりならぬ冒険終わりの一杯――至福のひと時を味わっている。
俺は、"生きている"事を実感したかっただけなのかもしれない。
出来るだけ賑やかな店を選んだのだが、こんな小汚いオッサンが群がる、品の無い店の飯がこれほど美味いとは思わなかった。
方々から聞こえる、ムサ苦しいオッサンの下世話で下品な話に大笑いする声、見知らぬオッサン同士の罵声と殴り合い、それを煽り・金を賭け合う声は、何と心地よいBGMだろうか。
これが冒険者と言う物か、正直悪くないな。
ずっと家に部屋に引きこもり、外に出てもここまで遠く長く出歩いた事はなかった。
外には思わぬ発見があると聞くが、まさにその通り――とは言っても、もうあんな所は御免だが。
迷宮の中で三日ほど過ごしていたようで、中では気づかなかったのだが、地上に戻ってみると体臭から服まで結構臭っているのが分かる。
服に染み込んだのだろうか? この店には似たような臭いを発してるのも多いので、周囲の者達は何も気にしていない。
いやむしろ、以前の俺の様な小奇麗にしていた奴は入れない。この臭いが資格ある者だと証明するのだろう。
どこまで潜ったのかと尋ねて来るオッサンに、俺の初めての冒険話を聞かせれば、必ずと言っていいほど酒を一杯奢って立ち去ってゆく。
新米の生還を祝した一杯、と言う所か。ミミズではない食用の肉をつまみに、もう既に三杯目となるビールを飲み干していた。
すると、誰からか分からない四杯目が目の前に置かれ、女性が隣の席に腰を落とした。
冒険者はモテると聞くし、飲んでいると誘われて――な話もよく聞が……もしかしてこれはひょっとするか? 俺、深夜の冒険者やっちゃうよ?
「お兄さん、イイ飲みっぷりだねー」
「――ふぁ、ファムか!?」
「何だよー、そのガッカリしたような顔―。ボクじゃヤだっての?」
ファムも結構出来上がっているようだった。
口を尖らせた顔はほんのり赤く、酒臭いブレスを吐きながら絡んでくる。
「い、いや、さっき別れてすぐだったからさ……」
「ふーん、まっいーやー。で、初めての冒険者の締めはどう?」
「これだけを味わえるなら、冒険者も悪くないと思う」
「冒険を終えた後の一杯をやって、初めてそこで冒険が終わりだからね。
この一杯の為だけに迷宮に入るのも多いしさ、この味を忘れちゃダメだよー?
さ、ほらロイルの初めての冒険を祝し、じゃんじゃん飲もーっ!」
確かにその通りだろう。迷宮から出たら冒険が終わりなんじゃない、酒や女、何かしら自分へのご褒美を与えて初めて終わりなのだ。
ファムに薦められるまま、安いビールだけど何ものにも代えられぬ勝者だけの美酒を、何杯も味わい続けていた――。
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眩い朝日が顔を照らし、重い瞼をこじ開けに来ている。
昨夜は最高の夜だったのは覚えているが、ファムと飲んでからの記憶が殆どない。いつ帰って来たのか、いつ服を脱いでベッドに入ったのかも分からない。それよりも、いつ宿を取ったのかすらも覚えていない。
そして、ここは俺の泊まっている宿でもない――ん、何だこの布は?
「な、何だと――!?」
顔、鼻先に被せられていたのは、何やら表現しがたい臭いのする女の子――の下着だった。
驚き、飛び起きると俺自身、何も着ていない。ベッドの脇にも、下にも、どこにも俺の服が見当たらず、あったのは〔まいどありっ☆〕と可愛らしい文字で書かれた書置きだけ。
肉球の形マークが描かれているので、恐らくファムだろう……って事は、これはファムの!?
……確かに獣っぽい臭いが頭を……じゃないっ、俺の服は、服はどこだ!?
それに『まいどあり』って、金は……うん、まだある。じゃあ他に何が?
「ま、まさかっ!?」
頭に最悪の考えが浮かんだ。
急ぎ、鞄の中に入れているはずの“それ”を探してみるが……
「無いっ!? 時計が無いっ!?」
鞄をあちこち、くまなく探してもあの懐中時計が無いっ!?
や、やられた……っ! 前後不覚になるまで酒を飲ませ、恐らく『ボクの下着と交換しようよっ♪』的なノリで無理矢理に承諾させたか、そう言った売買として取引を成立させたかだろう。
眠い上に、昨晩の酒で頭がぐらぐらとして重い……それでも今すぐにでも追いかけたいが、裸で飛び出るわけにはいかない。
どうにかして隠しながら出なければならないのだが、近くにある物は――
シーツ――
周囲から『ああ、こいつやられたな』と憐れむ目で見られてしまう。
生々しい汚れが付いた女性用のそれ――
周囲から『ああ、こいつ頭やられたな』と蔑む目で見られてしまう。
そして人として終わる。
ガラスコップ――
ただのアホだ。透明なので隠せてもないし。いや色の問題でもないが。
……うん、まだシーツのがマシだな。
恥を忍んで通りの露天から服を買おう。
「ん? あれは?」
部屋にあったタルの水瓶に〔洗濯しておいてあげるね♪〕と書かれた、メモ書きが張り付けられており、その中にはビッチャビチャになった俺の服が突っ込まれていた――。
ふつふつと湧いてくる想いは、家庭的な女の子への恋心ではない事は確かだ。
「しかも、ワインまで入れてやがるっ!?」
水瓶から引き上げたそれは、綺麗な薄紫に染まっている。元が白なので、なんと鮮やかな色だろう。
ワインの香りもプラスされ、染みついたダンジョンの悪臭が綺麗さっぱり消えているぞ。何てやり手な子なんだろう。
「えーっと、公開処刑で吊るし首……いや断頭台だな……」
殺してやるリスト第一号を飾るのだから、ここはやはり盛大にいかないとな、うん。
首は剥製にして部屋に飾ってやろう。