2.猫娘との出会い
今は迷宮の何階だろうか? もう五か六回は落とし穴に落ちた気がする。
確かに先ほどの死んだ貴族の手帳にも、落とし穴の存在が書かれていた。
だが、このモグラはその場所を知っていながら俺に教えず、逆に俺をそこに蹴り落とし無理矢理に地下深くへと誘っていたのだ。
モグラに言われるままついて来たが、こんな事なら何日かかってでも自力で出口を探せば良かったとすら思うよ……。
もちろん、モンスターも一階にいた《ワーバッファロー》のようなヤワなのはいない。
いるのは《グール》などの冒険者のなれの果てから、何を餌としているのか考えたくもない《ビートル》と言った昆虫の群れなど、多種多様なのが徘徊し侵入者を襲っていた。単独行動なんてした時には、たちまちこいつらの餌か仲間となってしまうだろう。
俺がこのモグラから離れられない理由はそこにあった。
このモグラ――無茶苦茶に強い。俺も初めてのモンスター退治を経験したが、命からがら一匹の《ビートル》に剣を突き刺した間にモグラは五体ほど軽く叩き潰してしていた。熟練の冒険者は皆こうなのだろうか?
何度目の襲撃か分からないアンデッドの頭もハンマーで叩き潰し、涼しい顔で迷宮の中をノッシノッシと突き進んでいる。
カンテラの光よりも鮮明に地面を照らす丸い光――モグラが被っている黄色いヘルメットから出ている物だが、白色の昼間のように明るい光が闇を割いていた。明確に言えば、そのヘルメットに取り付けられた箱からか。
確かにモグラの一族は、鍛冶やこのような道具作りに長けていると本で読んだ事があるが、これは何と不思議な物だ。
「その箱、中に一体なにが入っているんだ?」
「ふむ、光る石だ。ここで野たれ死んでたエルフのを頂戴した」
なるほどエルフか……それなら納得だ。
あれらは命ある限り光を放ち続ける石などを所持しているので、こんなビックリアイテムを所持していても何ら不思議ではない。執筆の時に役立ちそうだし、複数あったら俺も一つ欲しい所だ。
どこかに都合よく落ちてやしないだろうかと地面や天井、平積みされた石の壁をじっくり見渡すも何もない。見えるのは迷宮をぼんやりと照らすヒカリゴケ、誰かの血と小便ぐらいか。
慣れとは恐ろしいもので、もはや飛び散った血の跡などを見ても何とも思わない。最初は震えていた剣を持つ手も治まり、今では多少の余裕すらもある。
これが人間の適応力と言うべきか。迷宮内の湿気の中に混じったカビの臭い、どこからか漂う排泄物以上の悪臭にも慣れて始めていた。
「さて、そろそろお坊ちゃんの出番だ」
「そのお坊ちゃんって呼ぶのを止めてくれないか。俺には……ロイルって名前があるんだ」
「ふむ。名を知った所で私は墓標も墓穴掘りには行かんぞ」
初めて会った時もそうだったが、何て淡白な奴なんだろう……まぁ確かにこのモグラが言う事も尤もでもあるが。
ここから出ればお別れになるような、昨日今日の出会った者同士の名を教え合う事に何の意味もない。
特に今頃はモンスターの餌になっているような奴の名なぞ、それこそ記憶の無駄となる。
俺が迷宮を頻繁にうろついている冒険者とかなら違ってくるが、物書きのネタは何もここだけではない。街中の酒場で管を撒いてる奴らから集める事にしよう。もうこんな所はゴメンだ。
「それと、我々の跡をつけているコソ泥の名もな――」
白い光が照らした背後の道の角に、一瞬だけ何かが照らし出された気がした。
迷宮には追い剥ぎなどが存在していると聞く。こんな場所にまで賊が来ると言う事は、それ相応の腕前もあることだろう。
そんな事には気にも留めない様子のモグラは、ベストから何か筒のようなのを取り出し……その角に向かって投げ入れた。
投げたモグラは何だか楽しそうにも見え、投げられたその筒は一拍置いてバァンッと炸裂音と共に閃光が――
「み゛ゃあ゛あ゛ぁぁッ!?」
「な、なんだ?」
周囲一帯の闇を吹き飛ばすような、眩い光が生じた直後、潜んでいた者が獣のような悲鳴をあげながら転がり出てきた。
目元を覆って悶絶するそれは、頭には猫のような耳に尻尾、身体のあちこちが毛におおわれた女――。
「ふぇ、フェルプ!?」
「み゛ゅう゛う゛……ひ、酷いよぉ……目が痛いよぉ……」
人の姿をした猫――いや、猫の姿をした人だろうか。
フェルプは広く生息しているので、このフェルプがのた打ち回る原因を作ったモグラよりは珍しくない種族だ。
だが、可愛らしい見た目とは裏腹に、猫特有の身軽さと俊敏さを活かし、窃盗やスリなどの悪事に手を染める者が多く、『フェルプを見かければ、片手に財布、片手に剣を握れ』と言われるぐらい警戒されている性質の悪い種族でもある。
それが閉所の迷宮の中、"コソ泥"と呼ばれたその種族は非常に危険である。
真っ暗な闇の中でも猫の目を光らせ、その俊敏さと爪を持って冒険者の喉を掻っ切り、身ぐるみを剥ぐ。聞いた話では生皮を剥いだりする者もいるとも聞く。
「うぅ、まだ目がチカチカしてる……。
ぼ、ボクの目が見えなくなったらどうするのさっ!」
「知ったことか」
「うぅ……モグラの一族なんて追いかけるんじゃなかったよぉ……」
このナリからしてそうは見えないのだが、モグラの一族は宝石や金銀などを多く所持していたらしい。
その財欲しさに人間がモグラの住処を襲い、絶滅したとも言われているが真相は不明のままである。
モグラは『帰れ』とシッシッと手を振ると、再び迷宮の奥へと足を踏み入れ始めた。……のだが、フェルプの女は納得がいかないのか『嫌だッ』と言って俺たちの後ろをついて来ている。もしかして後ろからブスリとするつもりでは!?
「ボクを連れて行けばきっと役に立つよっ! ねっ、良いでしょっ?
それにそこのお兄さんにも助けて貰ったから恩返ししなきゃねっ!」
「も、もしかして……あの《ワーバッファロー》に襲われてた人……?」
「うんっ、あの程度ならボクでも倒せたけどさ、
何か、カッコつけがしゃしゃり出て来たから任せちゃった。えへっ☆」
無事で良かったと思いたいが、何だろうこの殺意――。
人を殺めた事はないけれど、この迷宮の中では躊躇いなく手を血で染められそうだ。
「ふむ。単に帰り道が分からなくなっただけだろう」
「に゛ゃっ!?」
図星だ、と言わんばかりに猫目が一段と開かれている。
猫は水が苦手だと言うが、目はジャバジャバと泳ぎまくり、その水しぶきが顔から汗として流れて来ているようだ。
「だ、だってぇっ! 地図の通りに進んでたら途中から全然違ったんだよっ!! うぅ、地図代ケチるんじゃなかったよぉ……」
「良かったな、世間知らず仲間がいたぞ」
なるほど……、彼女も俺も同じだったのか。殺意が親近感に変わるよ。
モグラはついて来る事に関しては可否を下さず、好きにしろと言った様子で先頭を歩いている。
ぶっきらぼうだが、来るものは拒まない性格なのかもしれない。
フェルプの彼女もそれに気づいたのか、何も言わずただ俺たちの後ろを歩いて来ていた。
彼女は"ファム"――と名乗ったが、モグラは相変わらず何も返事をしない。
人間とのハーフと聞くが、見た感じでは人間3:猫7と言った所か。
灰色のショート。顔は人寄りで、身体は白い毛に覆われており、所々黒い縞模様が入っている。腕や足などは薄く、離れて見れば人間の肌の様にも見える。
手にはクロスボウ、腰に巻いたベルトにはハンドアックスとポーチ、様々な道具がぶら下げられた姿――防具と言えばショートパンツと胸当て、脛当てぐらいだろうか。
女の子をじろじろ見る物ではないが、こう近くで見られる機会なぞ滅多にないし……あ、あくまでフェルプの種族の観察をしてるだけだからな!
「ん? ボクに惚れちゃった? ひょっとして童貞?」
「ちちち、違うわっ!? ふ、フェルプなんてあまり見たことないからさ、
ずいぶんと軽装なんだなと思ってだなっ」
「ボクは体毛あるからね。そう言うロイルだってずいぶんな軽装じゃないか。
ただのお上品な服にリュックだけで迷宮の中に入るなんて、無謀もいいとこだよ」
防具は何を揃えていいか分からず、少し中を探索するだけだから良いだろうと思っていたのだが……や、やはり無謀だったか?
「でも、ロイルとは迷宮じゃなくて地上で出会いたかったなぁ」
「え、な、なんで?」
「お金が歩いてるようなもんだもん」
その気にさせるような目に、一瞬ドキっとした俺のピュアな心を返せ――。
確かにそこらを歩いてる奴らより金は持ってるだろうけどさ……。そんなお小遣いを期待した目をしてもやらんぞ?
・
・
・
いくらか歩き、ギィィっと音を立てる扉を開いた先は、前方と左右に水が満ちている水路が広がっていた。ここが俺を連れて来たかった場所のようだ。
横は左右一メートルぐらいの幅となっており、さしづめ"地下迷宮の貯水槽"と言った所か。水は浄化の象徴でもあるが、こんな似つかわしい場所での水の溜まりはより不気味さを増している。
「よし、お坊ちゃんの出番だ」
「で、出番って何を?」
このモグラが言わんとしている事が分かった。だから鈍感系になった。
それを口に出して『はい、行ってきます』とは言えない。絶対に言えない。言いたくない。
「向こう側にスイッチがある。泳いで押して来い」
「無理だから!?」
縦長の空間に対して、二メートル四方ぐらいしか人の動ける範囲がない。
モグラが照らした先に、俺たちが今立っている場所と似た造りの場が見えており、恐らくは対照的な造りになっているのだろう。そこまで約五メートル程度。
下を覗き込めば水深は数メートル、と言った所。青く澄んだ水底に同じことをしようとした者らしき骨が、瞳のない躯はこちらを見つめている。
うん、このモグラは馬鹿なのかもしれない。水底に何かが這い、それが躯に絡み付いているようだし。
「人間なら泳げるだろう」
「下に何かいけないのがいるの知ってて黙ってるでしょ!?」
「この脚では覗けん」
短い脚をブラブラさせるモグラ。こいつはきっと辿りつけば御の字としか思っていないな……。
「このハンマーを貸してやろう」
「余計に泳げなくなるだろうがっ!?」
このモグラは分かってて言ってるのか、本気で馬鹿なのか分からん。
役に立たないのを分かったモグラはフゥっとため息をつき、プカプカとパイプタバコを吹かし始めている。宙に広がる白い煙がフッと乱れては消えた。
風の無い空間に風が巻き起こり、それに気づいた時には目の前の壁に何かが飛び移っていたのが見え――
「よっ!」
壁に向かって飛んだ猫は、その壁をトンッと蹴って笑みを浮かべながらクルリと宙を舞った。
瞬きをすれば見逃してしまいそうな一芸を披露した猫は、こちらを見てニヤっと微笑んでいる。猫だけに。
ファムは奥にあると言われていたスイッチを押したのか、どこか遠くでガチャリッ……と鍵が外れたような音が聞こえた気がした。
「へへーん、ボクが役立つって言ったでしょーっ!」
対岸から再び同じようにして壁を蹴り、俺たちの居る場所に戻って来たファムは小さい胸を張り鼻高々にふんぞり返っている。
それにモグラは口からフーっ白い煙の塊を一つつくと、何も言わずハンマーを手に持ってその部屋を後にした。
間違って改稿した分を飛ばしてしまいました……