5.両雄、相対す
コボルドとオーク、ついに永き因縁に決着をつける時が来た――。
体躯が小さく身が軽い者でも、数が揃えば大河となる。
ザッ……ザッ……と、一糸乱れぬ行軍の足音はまるで一つの音楽のようでもあり、幾多にも重なったそれは峡谷中を轟かせていた。
軽く千はいるであろうその隊列の中に、恐怖や不安を感じている顔をしている者は、誰一人とていない。
浮かぬ顔をしているのは一人いるが――。
「いい加減諦めろって……」
「うぅ……どうしてまた盗まれるんだろ……」
犬の行軍の中に俺とファムも混じっている。この中にファムの熱烈なファンがいるのだろうか――?
例によって洗濯前のを狙われ、今回は罠まで仕掛けたにも関わらず、盗まれたファムの怒りっぷりは言い表せないほどであった……。
下着ドロ界は奥が深い――。
下着であれば良い派、匂いや汚れが無きゃ意味ない派に分かれると言う。盗んでからどうするのかはまぁ……うん、分かるけど。
|《コボルドの王》に相談するも、『心配いらない。時が来れば戻ってくるさ。《オーク》はあれが好きだからな』と、軽く返されただけであった。……オーク?
「はぁ……」
「前から物凄く思い詰めてるけど……そんなにクヨクヨしない方がいいぞ。
そりゃ確かに気持ち悪いだろうけど、新しいのを買って、綺麗サッパリ忘れた方が気持ち楽だろうし」
「うん……そうなんだけど、その、ちょっと色々あってね――。
ボクの身体……発情期関係が何と言うか、体質的な問題があって……。
あ、べっ別に、今がそれと言うわけじゃないんだけど、そのままにしておくとオスの攻撃性を刺激する可能性があってさ……」
「あ、あぁ……」
獣のそれは、時にメスを取り合って喧嘩を起こす――。
人間には発情期がないが、女一人を取り合って血みどろの争いを起こすって話は度々耳にする。
特にここは、血をたぎらせた《コボルド》の群れ……嗅覚が鋭い彼らが他種族のフェロモンに反応し、仲間内で争わないかと危惧しているのだろう。
「ロイルは人間だから、毎日のようにクンクンしても変態だとしか思わないんだけど――」
「日常的にそんなことしているような言い方は止めてっ!?」
俺を何だと思っているんだ! まだそこまで――落ちぶれてはいないぞっ!
それに、俺は匂いより現物派……ではなく、異種交配が無いのなら性フェロモンの刺激によるそれらの可能性は低いと思うのだが。
いや待てよ……? 事故で消えているのならまだしも、誰かが意図的に持って行ってるとすれば、そいつ自身の中で何かが突然変異して……と言う可能性は、大いにあり得る。
進化とは大体そう言う"異変"からだ。仮に犬と猫の交配はないとしても、突然変異によって交配が可能になれば、そこから犬と猫の交配が"普通"となる。
「進化としてはありえるのか……?」
「他種族の血を混ぜるって、実際は未来と現在・過去に分断する事なんだよ……。
“進化”、と言う意味では正しけど、どちらからしても種族内に異変や異常をもたらす事になって、その先に待っているのは、未来と取り残された者の確執なんだ――」
その顔にはいつもの明るさはなく、どこか遠くを見ているようにさえ感じられた。
「……ファム?」
「あ、ううん。ごめんね、変な事言って……」
彼女は一体何を恐れている――?
知りたい――もっと彼女の事が知りたい気がしたのだが、ここから先はファムが率いる小隊は別行動を取るため、これ以上詳しく聞くことが叶わなかった。
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俺が属する|《王》の隊はゆるやかな坂を登り、谷と谷のつなぎ目――向こう側は切り立った崖に囲まれた、天然の要塞に歩を進めていた。
先頭を歩く王の右腕がサッと上がると、全軍の足が止まった。周囲の空気が代わり、《コボルド》の目が更に鋭くなっている。
その取り巻く空気だけで肌が切れてしまいそうなほど、ピリピリと張りつめている。
視線の先には丸太と縄で組まれただけの、簡素であり重厚な城門が――その前には、我々の数には劣るがそれを一体倒すのに払う犠牲を考えれば、決して楽観視できない数の《オーク》が、我々を迎え撃たんと陣を構えている。
くの字になった湾刀と、レザーアーマーがメインなこちらに対し、《オーク》は、剣やフレイル、メイスやこん棒など様々、防具も木製であったり金属製であったり――血がこびりついた、元は誰が所持していたのか分からない鎧を、その身に纏っている者だって見える。
犬と豚が睨みあう。谷を吹き抜ける風まで止み、王の剣が抜かれる音だけが静かに響き渡った。
犬と豚が、ただ静かに睨み合う。何が始まりの合図になるか分からない、重い緊張感に包まれた場……。
その緊張感の狭間――《オーク》の手が震えたのだろう。城門の上、つがえようとした一本の矢が足下に落ち、カラン……と小さな音を立てた。
そんな……ほんの小さな音が、開戦の合図となった――。
《オーク》も《コボルド》も、地響きと土埃を上げながら双方に向かって、駆けた。
「豚共を薙ぎ払えェーーッ!!」
|《王》の号令が轟く。ぶつかった先々で鈍い・鋭い音をが起こり、それぞれの断末魔と共に命を散らしてゆく。振り抜かれたこん棒に吹き飛ばされ、《コボルド》が血混じりの唾液を吐きながら宙を飛び地面に落ちた。
しかし、仲間の死に振り返る《コボルド》は、一匹とていない――ただ一点、《オーク》だけを見据えている。
「豚は雑魚ばかりだ! 九ッ――一気に押し込めッ!!」
その中でも、一際大きな存在感を見せているのが|《コボルドの王》だった。
並の《オーク》と……いやそれよりも大きな体躯からは想像できぬ、俊敏かつ舞う様にして繰り出される剣は、まるで銀色に耀く炎が揺らめき、鮮血と言う名の火花を散らしているようにも見えた。
まさに群れの頂点に立つ者――その獅子奮迅の働きは、それを証明している。
「凄いな……」
《モール》の中で、思わずそう呟いてしまった……。
これまで感じていた緊張・恐怖はもう失われている。初めての戦争にも関わらず、《コボルド》の戦いぶりに、血がたぎってゆくのが分かる。
その|《王》の存在感が部下を鼓舞し、敵を恐怖させた。
一匹の《コボルド》が叩き潰され、また一匹が両断されようとも、別の一匹が唸りをあげて喉元に喰らい付き、その鋭い牙で喉笛を噛みちぎる――。
それでもまだ死ぬことのない《オーク》だが、膝をつけば、飢えた狼がハイエナの如く肉を貪らんと飛びかかる。ブィィーっと豚の断末魔が、それが絶えた先には、赤黒い肉塊が転がるばかりだった。
「――後はあの弓兵ッ!! 頼むぞ猫娘。私を昂らす香を振り撒いてくれ」
城門の上で弓を引く兵は、ふと足下に影が差したことに気づいた――。
あ――と気づいた時にはもう手遅れだ。崖の上から飛び降りてきた猫に、喉を掻かれてはもうどうしようもない。
首より鮮血を垂れ流し、直立不動のまま城門から落ちたそれに続いて、《コボルド》が降り立ってゆく。
「よっ! にひひーっ、ロイル並みに鈍くさいよキミ達ぃー」
フェルプの本領発揮と言わんばかりに、狭い足場を自由奔放に動く野良猫。鈍くさいは余計だ。
こちらに向かって投げた、ファムのスローイングアックスは、|《コボルドの王》の背中を斬ろうとした死にぞこないの脳天を割る。
それを見た|《コボルドの王》は、ウォン――と、一つ吠えた。
「よしッ――ワーカーを前へッ!!」
ようやく俺の出番だ――。
|《コボルドの王》の雄叫びと共に、すぐさま俺の周りの《コボルド》が駆け、周りを固めながら道を作る。この軍の中では、選りすぐりのエリートが集まる工作部隊だ。俺の《モール》に近づける敵はいないだろう――。
左腕のパイルドライバーを丸太の城門に突き立て、ガリガリと木を砕き孔を押し広げてゆく。
『畜生、畜生ッ――!?』
『敵、敵来るなぁッ――!?』
そこには、双子の〔モンド〕と〔バックス〕もいた。
まさか初陣で、こんな最前線で戦わされるとは夢にも思ってもいなかっただろう。
涙目で、何か叫びながら必死で湾刀を振り回し、たまたまそれがオークに当たり、倒した時はどちらが先かで喧嘩していた。
今回の作戦は、正面の門を破ってからの、別働隊による強襲――。
そのためにも、この城門は絶対に突破せねばならず、この《モール》がその鍵を握る。
左腕は変わらないものの、右手は爪から回転するブレード状の物に換装されていた。
形状からして、まるでミキサーの歯なのだが……用途が全く分からない。
製作したモグラに聞いても、『使えば分かる』と、いつもの様に大事な事は一切言わないし。
「よしっ――貫通したぞっ!」
城門に人間の頭一つ分ぐらいの穴を空けると、そこから向こう側にいる《オーク》の群れがチラリと見えた。
これまでの数、いやそれ以上の《オーク》がひしめいている。
限界まで門を開けられまいと必死で押さえ、破られれば即座に侵入者を迎撃する構えだ。
――ここに居る兵力で、そこの突破は無理だろう。
いくら《王》がいると言えど、総兵力の五分の一程度しかない。
敵はほぼ殲滅したに近いものの疲弊・手負いの者も多く、ほぼ半分が死んでいる。
門を開けば、この倍の《オーク》が出てくるに違いない。
それでも我々はここを開かねばならない――どんな手段を使ってでも。
『ヘヘッ、この穴からこれを入れればいいんだよな』
『ドカーンと行こうぜ、兄貴!』
双子のコボルドは、ココより渡された円柱状のそれに点火し、俺が空けた穴からポトリとそれを落とし――一瞬の間の後、ドォンッと爆発音と共に、人ではない豚の悲鳴があがった。
恐らくは門を押さえていた者が全て吹き飛んだんだろう――。
これを考えたのはあのモグラだ。あいつには、人道と言うのはないのか?
爆発の衝撃で閂が吹き飛んだのか、もしくは向こうは決死の大勝負に出たのか……何度目かの爆発の後、ギギィっと重い音を立てながらゆっくりとそこの城門が開け放たれた。
重武装の《オーク》の行軍が、武器を構えドスッドスッ――と、地面を揺らしながら門から姿を現した。
それを見た|《コボルドの王》は大きく、長い遠吠えを発した。
《オーク》らはいくつか大きな勘違い、大きな計算違いをしている。
侵入者は、何も正面から入ってくるわけではない。
そして、侵入者する者は何も《コボルド》とは限らない。
奴らは、穴を掘って《コボルド》を攻め込んできた――。
穴を掘るのは何も《オーク》だけとは限らない――。
城門の向こうに広がる広場から、爆音と猛犬の猛る声が、峡谷の中を駆け抜けた。
我々には、穴掘りを専門・生き甲斐とする――モグラがいるのだ。




