忠誠の騎士
なんでもない日だった。
第一皇子である主は常に予定が詰まっているのだが、その日は珍しく事務仕事のみで楽な日だった。
俺がいれば他は必要ないという嬉しい言葉をいただいて部屋の中には主と俺だけという状況が出来上がっていた中でのことだ。
主が唐突に言った。
「どこまで付いてきてくれる?」
「地獄の底までお供します」
即答した。
どういう意味か、などど問うことはおろか考えることもせずに瞬時に返した。
そのあまりの速さに主は驚いたようで、いつも浮かべている微笑も消して目を瞬く。
だがすぐに笑みを浮かべた。
「ふふっ……。君が一緒にいてくれるなら怖くないな。最期までよろしくね?」
「はいご主人様」
跪き頭を垂れて忠誠の意を示す。
昔から敵対してきたイスラーミネではここで手の甲にキスをするらしいがアバンキジンではそんなことはしない。
武勇の大国と呼ばれるこの国では武こそ正義。武こそ力。力なきものは殺されても仕方がない。
そんな国で剣を持った者に首を晒すことこそが忠誠の証になる。
いつからだろうか、警戒もせずに主の前に立てるようになったのは。
いつからだろうか、抜き身の剣を手にしている主の前で首をさらせるようになったのは。
いつからだろうか、心から敬愛していると思えるようになったのは。
この方に一生仕えていく。それをとても誇らしく思う。
死んでも俺はこの方のものだ。
この方だけのもの、なのだが……。
「グレンさん、お久しぶりです」
「ああ、久しぶり」
今だけはこの人の傍にいたいと思う。
「コーデリア」
「はい?」
「先日、同僚にクッキーがうまいというカフェを聞いた。よかったら行かないか?」
「いいんですか?」
「ああ。コーデリアと行きたいと思ったからな」
「嬉しいです。それじゃ、今から行きますか?」
「そうだな、お茶にするにはちょうどいい時間だ」
そう言って俺たちは歩きだす。
隣にいるのは赤茶色の髪に碧の眼をしたコーデリアだ。
断じて金の髪に翡翠の眼をした自らの主ではない。
容姿も、性格も、雰囲気すらも自らの主とは似ても似つかない。
「グレンさん」
「ん?」
「呼んだだけです」
けれどへらり、と笑うコーデリアが愛おしい。
大切にしたいと、心から思う。
騎士の制服を脱ぎ、町人の服を着れば俺は俺で在れる。
第一皇子付き部隊隊長グレン・クレヴィングではなくただのグレンで在れる。
そして今だけは主でなくコーデリアを守りたいと思う。
「あそこだ」
「可愛らしいカフェですね」
「そうだな」
目的のカフェを見て微笑むコーデリアをさりげなくエスコートして店の中へと入った。
同僚がお勧めしてくれたクッキーと紅茶を頼んでしばらく雑談をする。
間もなく持ってこられたクッキーに舌鼓を打ちつつ楽しんだ。
ころころと表情を変えるコーデリアを見ながら紅茶を飲む。
俺はどちらかといえば無口なほうに分類されるのだろう。
そんな俺に嫌な顔1つせず、むしろそんなところが好きだと言ってくれるコーデリア。
言ったことはなかったが俺はそんなコーデリアの憂い顔が好きだった。
儚げなところが好きだった。守らなければと強く思った。
もちろん笑った顔も好きだった。
こんな日常がずっと続けばいいと思っていた。
こんな日常がずっと続いていくと信じていた。
しかしそんな願いが叶うわけもなく。
何度目になるかもわからない戦争が始まった。
「叡智の大国との戦争か。これで手柄を上げれば僕の皇位継承は揺るがなくなる。……わかっているね?」
「はい。必ずや敵を討ちとって見せます」
「皇都の守りもよろしくね」
「はいご主人様」
多くの敵を討ちとった。
多くの人間を殺してきた。
皇都の守りも完璧だったはずだ。
イスラーミネの人間など誰1人いれはしなかった。
はず、なのに―――
「……コーデリア?」
どうして、彼女が。
「コー、デリ……」
彼女は武勇の大国と叡智の大国との国境付近の街の路地裏に倒れていた。
嘘だ、と思っても俺が彼女を見間違えるはずもない。
震える手で抱き起した彼女はすでに事切れていた。
冷たい身体はとても重たく感じる。
綺麗な肌に残された何度も何度も殴られた痕。
そして―――下半身に伝う、陵辱の痕。
「ああああああああああああああああああああああ!!!!」
叫んだ。
世界を呪った。
何故、彼女でなければならなかったのか。
流れる涙を拭いもせず虚空へ問う。
何故、何故。
何故、君が死ななければならなかったんだ。
そしてふと、気付く。
心の片隅で“主でなくてよかった”と思っていることに。
それに気付いた瞬間背筋が凍った。
最低だ。
騎士として、主に仕える身としてそれは正しいのかもしれない。
だが、愛する人を失った人間としては間違っている。
嘘だ、そんなこと思っていない。
何度消そうと思っても気づいてしまった思いは消えることなく。
胸の内に広がる安堵。
呆然とする中、浮かんだのは主の微笑。
「……帰ら、なくては」
そうだ、帰らなくてはならない。
お仕えする主のもとへ、帰らなくては。
主の無事は聞いていたがまだこの目で確かめていない。
ふらりと立ち上がるとべちゃりという音が路地裏に響く。
視線を向ければコーデリアの姿が。
ああ、と何故かその姿を無感情に見て懐から焚き火用の火炎魔術の術式を書いた紙を彼女の上へ置く。
「炎よ燃え上がれ」
その言葉と同時に彼女の体を炎が包み込む。
それを一瞥して近くに待たせておいた馬に飛び乗った。
黒い外套を羽織って馬を走らせる。一秒でも早く、主のもとへ帰りたい。
***
馬を乗り潰すつもりで走らせれば日が暮れたころに王城へ着いた。
おそらくもう乗れないであろう馬をそのあたりにいた兵に預けて主の執務室へ向かった。
途中で雨が降ったせいで濡れ鼠になっている俺を近衛の連中が止めようとしたが、すべて無視して突き進んだ。
「……殿下」
扉を開けての第一声に主はにっこりと笑って首をかしげるだけだ。
「ご主人様」
歩を進める。
「我が君」
周りに控えていた騎士たちは主の合図で全員出て行った。
「……ユーフェリアス様」
「どうしたんだい、グレン」
名を呼べば望んでいた返事が返ってくる。
グレン、と呼んでほしかった。
この方の騎士であるグレン・クレヴィングになりたかった。
ただのグレンとして在れない自分に、戒めとして欲しかった。
「ユーフェス様……」
「うん?」
ボロボロと涙が溢れてきた。
第一皇子付き騎士として情けない。
だが、今だけ。今だけ、この方の慈悲にあずかりたい。
「ユーフェス様、俺は愚かなのです」
「そんなことないよ」
「いいえ。……俺は自らの力を過信していました。そして愚かにも守りたいと思ってしまったのです。守るべき方など、貴方を置いてほかにいないというのに」
滲んだ視界の中で主を見つめる。
いつもと変わらず微笑を浮かべている主の心はわからない。
だが今は関係ない。この懺悔を聞いてほしい。
「愛していました、心から。本当に、愛していたのです。……なのに、思ってしまった」
そう、思ってしまった。
思ってしまったのだ。
「“貴方でなくてよかった”と、思ってしまったのです……!」
ひざから崩れ落ちた。
主からの信頼を失っても仕方のない告白だった。
心から愛した人が死んだというのに悲しみつつも安堵するなど。
護衛としてはともかく、そんな人間として思ってはいけないことを思う者など傍におきたがるはずもない。
「うれしいな」
なのに、この方は。
「愛する人よりも、僕のほうが大切なんだ?守りたいと思えるような人よりも、守らなければならない僕のほうが大切なんだね?
嬉しいよ、グレン。僕は今、すごく嬉しい。
君なら安心して背中を預けられる。僕はいい騎士を持った」
こんなにも慈悲深い。
「ユーフェス、様……」
「グレン、グレン・クレヴィング。僕の騎士。
僕以外に守りたい人を作ることを愚かだというのならば、これからは僕だけを守っておくれ。わき目も振らずにただ僕のために生きて僕のために死んでくれ」
これは俺の免罪符だ。
この方が俺にくださる最大の慈悲だ。
主の前に跪き深く頭を垂れ、鞘から剣を抜いて自分の喉元に突きつける。
この国で、武勇の大国と呼ばれるアバンキジンで最敬礼を示す行為に主は微笑んだようだった。
「王室警備騎士団第一皇子付き部隊隊長グレン・クレヴィングは、武勇の大国アバンキジン第一皇子ユーフェリアス・アバンキジン様に永遠の忠誠を誓うことを今一度ここに宣言いたします」
かつて正式に第一皇子付き部隊隊長となったときに神殿で言った言葉だ。
あの時も心から誓った。この方に仕える思いに嘘偽りなどなかった。
だが、今ほど強くも思っていなかったことは確かだ。
俺の主はこの方だ。
俺の命はこの方のためにある。
今までが間違っていた。俺はこの方のために生きてこの方のために死ぬ。
それが全てだ。
それが免罪符だ。
それが生きる意味だ。
「地獄の底までお供します」
「ふふっ……。君が一緒にいてくれるなら怖くないな。最期までよろしくね?」
「はいご主人様」
同じ過ちは繰り返さない。
俺はこの方のために生きていく。
それが君への償いだ、コーデリア。
忠誠の騎士を読んでいただきありがとうございます。
ここから先はおまけの話。いらなかったかなーとも思いましたが物語の裏側(皇子視点)ですので載せておくことにしました。あとほんのりBL風味です。
作者的にセーフというか執着みたいな感じで書いているのですが、BLに感じてしまう方もいらっしゃると思いますのでそういったものが嫌だとおっしゃる方はご注意ください。
長くなってしまい2000字越えてますがそれでもよろしければスクロールしてください。
***
濡れ鼠になっていたのでグレンはもう部屋に帰した。
騎士たちには入室を許可していないから今執務室にいるのは僕1人きり。
否、1人きりではない。
「……ユーフェリアス様」
「ああ、御苦労さま。君たちのおかげでグレンが本当の意味で手に入れられたよ。
思ってたよりも忠誠を誓っててくれてたみたいだ。嬉しいなぁ」
子飼いの暗部がいる。彼らのことはグレンも知らない。
そんな暗部の1人に僕にしては珍しく作っていない本当の笑みを浮かべた。
嬉しい、本当に嬉しい。グレンに言った言葉に嘘はない。
コーデリアを殺したのはイスラーミネの人間ではない。僕の子飼いの暗部である彼だ。
できるだけ凄惨に、でもちゃんと彼女だとわかるようにという指示を出して彼女の殺害を頼んだ。
そうすれば彼の大切な人は僕以外にいなくなるから彼女に使っていた時間を僕に使ってくれると思って。
結果は思った以上にいいものだったけれど。
「でもあの子、コーデリアだったかな?見た目も雰囲気も性格も、何1つ僕に似てなかったよね。だから嫉妬しちゃったんだけど……どうしてあの子だったのかな?」
グレンが愛した子。瞳の色だけは似ていたけれど、碧と翡翠では見え方が違う。
それ以外など何1つ似ていなかった。
グレンはどうして彼女を愛したのだろうか。
彼女が死んでも僕のことを優先してしまうくらいに忠誠を誓ってくれているのに、どうして。
それも彼女を殺した理由だった。
僕のことを少しでも感じられたならばきっと僕は彼女を殺さなかった。
僕への忠誠が生きているんだと実感できるのだからむしろ歓迎していただろう。
なのに、グレンは彼女を選んだ。
僕のことなんて欠片も感じられないのに。
「恐れながらユーフェリアス様。推測でよろしければ理由がございます」
「え、本当?」
「はい」
「教えてくれる?」
推測でも理由が分かるなら嬉しい。こればかりはグレンに直接聞くわけにはいかないからね。
嗚呼どんな理由なのかな。くだらない理由ならちょっとグレンへの対応をきつくしてやる。
そんな風に考えを巡らせていると暗部の男が口を開いた。
「彼女はグレン様の亡くなられた母君にとてもよく似ていらっしゃるのだそうです」
「母親?グレンの母親は健在のはずだよ?」
グレンのプロフィールを僕が把握していないはずがない。
クレヴィング夫人が実母のはずだ。クレヴィング卿が再婚したというのも聞いたことがないし。
だが彼は予想外のことを言ってくる。
「クレヴィング夫人はグレン様の実母ではございません。戸籍上は実母となっておりますがグレン様の実母は貴族ではなく娼婦の方。名はフロンディアとおっしゃられ、大変美しい方であったと聞き及んでおります」
「どうして戸籍が書き換えられてるの?養子として提出しなければならないだろう?」
「クレヴィング卿は子宝に恵まれませんでした。ですのでグレン様がお生まれになった時フロンディア殿より奪い実子として提出いたしました」
どこから手に入れた情報なのかわからないが、それが真実であればクレヴィング卿は侯爵の地位を奪われる。
出生の偽装はかなり重たい罪に分類されるからだ。
出生を偽るのはその子供自身を偽ることと同じこと。
それがアバンキジンの国風の1つ。生まれによる身分で人は決められない。
「……グレンって弟がいたよね?」
「はい。5つ違いで腹違いの弟君はリディアンと申します」
「後継者として正当性があるのはそのリディアンだよね。でも戸籍上は実子となっているから侯爵になるのはグレン。……グレンは実母が誰か知ってたの?」
「はい。リディアン殿が生まれた後に教えられたらしく、よくフロンディア殿のもとへ通っておられたそうです。ちなみにフロンディア殿は4年前に流行り病で亡くなっておられます」
「そう。ならグレンが騎士になったのも彼女を選んだのも納得できるかもしれない。
……でも、戸籍のことは見逃せないな」
「今のところ証拠がございません。フロンディア殿は亡くなっておられますし、グレン様を取り上げた産婆もすでに死去しております。
そして何よりこのことはグレン様を騎士より除名させることとなってしまいます」
「それは嫌だ」
即答した。
確かにグレンが僕の騎士となったのは本人の実力もそうだけど侯爵家の人間というのも大きかった。
継ぐ気はないと公言しているけれど第一皇子付き部隊団長として認められた実績を持つグレンを侯爵に、との声も多い。
それが、実際は半分しか侯爵家の血が流れていないと分かればすべてが壊れる。
クレヴィング侯爵は潰れるだろうし、グレンは騎士ではなくなってしまうだろう。
それだけは避けなければならない。
いっそのことリディアンを殺してしまおうかとも思うけれどそうすればグレン以外に継ぐ人間がいなくなるので却下。
グレンは僕の騎士だ。
侯爵家にもどこぞの女にもやらない。
「……僕が皇位を継いでから潰すことにしようかな」
「そうするのがよろしいかと」
皇帝になってからやることが増えた。
それもすべてグレンのためだと思うとやる気も違ってくる。
グレン、グレン・クレヴィング。僕の騎士。
ずっと僕の騎士でいてね。
そのためなら僕はどんなことでもしてみせるよ。